セシルの城
セシルには専用の城がある。ファタ領主城と隣接するセシルの城は、軍部に向かない美しい白亜の城で、ステンドグラスが美しい色を落としていた。
サルアは、セシルの城に連れて行かれると、すぐに湯殿に連れて行かれ、頭からつま先まで磨き上げられた。その後は肌の手入れ、爪の手入れ、髪の手入れと、隅々まで綺麗に整えられ、薔薇の香りを纏わされ、美しい白いドレスを身に付けさせられた。
歩き方もわからない踵の高い靴に、足に纏わりつく膨らんだ衣服の裾。締め付けられた腰に、広く開いた胸元。胸元には丸い石が連なった物が掛けられ、頭には薔薇の小さな冠を付けさせられた。
一言も言葉を許してもらえず、付きまとう女たちにされるがまま、サルアは人形のように立ち尽くしていた。
サルアの連れて行かれた部屋は、高い窓が連なる明るい部屋で、華奢な椅子が壁際にあり、色とりどりの花が部屋の隅に置いてある水差しに飾られている。床も壁も天井も白く清潔な印象を受けるもの。触れれば汚してしまいそうで、サルアは部屋の中央に立ち尽くしたままだ。
ひとりでじっとしていると、部屋の扉が開く。そこから一人の男が入って来た。美しいその容姿と服装で、彼がセシルであるのだと一目でわかった。
サルアはジェルドの顔を間近で見ている。しかし、セシルと似た個所はないと思った。ジェルドには野性的な印象を受ける。けれどセシルは中世的で、物腰も柔らかだった。
金の髪がくるくると巻き、肩に触れている。薄く青い瞳が日の日差しに爆ぜ、不思議な印象を持たせていた。
「君がサルア?」
サルアは頷いて返した。
「そう、君がそうなんだ」
セシルは愛らしい表情で笑う。
セシルは窓辺まで歩み、水差しから薔薇の花を一輪抜き取ると、香りを楽しみ、微笑みを見せてから、サルアへと近づく。
「あのね、僕の傍にずっといて欲しいんだ」
それはまるで幼子のわがままのように、サルアには聞こえた。薬草摘み仲間のティラムが連想され、セシルの印象ががらりと変わった。
「……あの、なぜ、ですか」
セシルが何を考えているかなど、サルアには少しも理解できなかった。グイドがいれば、教えてくれたかもしれないのにと考え、グイドがどうなったのかが気になった。
「あの、グイドは?」
セシルは愛らしく笑っていた表情を消し、侮蔑の瞳でサルアを見下ろした。
頬に痛みが走る。
サルアは驚いてセシルを見上げ、怒りに苦しむセシルを見て、思わず視線を逸らしていた。
「グイド? 僕の前であんな奴の話なんてしないでくれる? 君は僕のものなんだよ? 別の男のことなんて、考えるだけで悍ましい」
セシルは床を三度踏み鳴らした。すると扉が開き、側使えのアギが顔を出し、扉の内側で恭しく礼をした。
「もういらない、連れて行って」
セシルは忌々しそうにそう言い、さっさと部屋を出て行ってしまった。
残されたサルアはどうしていいのかわからず、ただ、そっと叩かれた頬を押さえていた。
「……あの」
セシルの退室を、礼をしたまま見送っていたアギにそう問いかけると、アギは無表情で振り返り、こちらへというように手でサルアを案内した。
「申し訳ありませんが、セシル様のお言いつけは絶対ですから。それから、セシル様に口答えなどなさらぬように。今回は頬を一つだけで済みましたが、命を奪われても文句は言えませんよ」
廊下を速足で進んで行くアギの後ろを、サルアはまき付く布を蹴り飛ばしながら付いて行っている。今にも転びそうだったので、途中で靴を脱いでいた。
階段を上って行く。丸く螺旋に連なる階段の上階は、遥か彼方に見え、上るのが恐ろしくなるくらいだった。
「こちらがあなたの部屋です」
アギが扉を開け、サルアは何の疑いもなく中に入った。中には女の人がひとり、サルアを待つように立っていた。
「彼女があなたのお世話をします。城の中に自由はありません。セシル様がお呼びになった時以外は、この部屋でお過ごしください、良いですね」
アギはそれだけ言うと、すぐに扉を閉めようとした。
「あの、すみません、お願い。グイドは? どうしてるの?」
アギは扉を半分閉めたところで元に戻し、深いため息を吐き出した。
「セシル様のお言いつけ以外、あなたにお話しすることはありませんが、そうですね、気がかりで城を飛び出されても迷惑ですので、お教えしますが、あの方は軍法違反で処罰に科せられております。ええ、ええ、大丈夫ですよ、命に別状はございませんから。ただ、竜、ごほっごほっ、あちら側についたという疑いは晴らしようがございませんからね、軍を辞めさせられることは間違いありませんね」
サルアは声を失い、太ももの前の布を掴み、ぶるぶると体を震わせていた。
どうすれば良いのか、何一つ思いつけないくらいに混乱し、頭の中が真っ白になった。
扉が閉まり、部屋の中には、お世話係という女の人と二人になる。
「あの、サルア様? 私、お世話をさせて頂きます、ララと申します」
サルアは、ララと名乗った女の人の話など、ひとつも耳に入っていなかった。
もう立っていることもできず、崩れるように座り込み、涙さえ流せないくらいに混乱していた。
「どうされましたか?」
ララも座り込み、サルアを心配そうにのぞき込む。
サルアは、ララの方を見もせず、ララの腕にしがみ付いた。
「どうしたら良い? グイドを助けたい。どうしたら良い?」
サルアは切羽詰まっているのに、ララは気楽な態度で考え事をしていた。
「うーん、そうですねえ。無理なんじゃないですか?」
サルアは目を見開いたまま、ララの方を見た。
「どうしたんです? だって当然じゃありませんかぁ。何か間違いを犯したんでしょ? だったら罰も当然だし、軍から追い出されたって仕方がないもの」
「……あなたは、……あなたは、あの竜を見なかったの?」
サルアとララとの間にある温度差はすさまじく、サルアは失望を隠せないでいた。
「見ましたよぉ。でもここには被害がありませんでしたから、大丈夫ですよ」
サルアは、ララと話すことを諦め、床に広がった布を掴み、俯いたまま考え抜いていた。しかし、何も浮かぶことは無い。ずっと山で生活していたサルアにとって、人里は未知のもので溢れていた。この国、この領の在り方も、グイドの言葉で知っただけだ。軍法違反を犯した人を助ける方法など聞いてはいない。軍から追い出されてしまえば、もう二度と会えないことだけがサルアを苦しめた。グイドは今、落ち込んでいる筈だ。ジェルドのこともある。信じてもらえなかったこともそうだろう。もしかしたら、サルアのことも心配している。せめてもう一度だけでも会いたいと思った。
「ねえ、もう一度会いたい。会う方法は? 知らない?」
「えー、そうですねえ。どんな罰を受けるかによりますかねえ」
「そうなの?」
顎に人差し指を置き、視線は空を泳ぐ。そんなララの様子を見たサルアには、不安しか浮かばなかった。
「じゃあ、私、聞いて来ますね。あ、そういえばサルア様って貴族の娘とか、権力者の娘とか、そういうんじゃないんですってね? すごいですよねー。それなのにセシル様の妾になれるなんて、私、憧れちゃいます。じゃ、聞いて来ますね!」
ララはにっこり笑って立ち上がり、扉の向こうへ駆けて行った。その際、扉に重い音が響いていた。鍵が掛けられている。サルアは部屋に閉じ込められていた。




