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竜の飛来

 リラト=ファタに竜が飛来したのは、グイドとサルアが負傷を庇いながら山を下り、国境門を潜り抜けた時だった。


 初め、鳥が群れでやって来たのかと思った。


 しかし、サルアがグイドの腕を強く掴んで来たことで、これが異常な出来事だと知る。


「なぜ?」


 と、サルアは呟いたが、事の事態を想像できたのは、実際に竜を見たことのある、サルアとグイドだけで、高度を飛ぶ竜など、小さな点にしか見えず、国民は何の危機感をも覚えていない。ごく普通の生活を続ける民衆の間を、サルアとグイドは焦ったように走り、その時ばかりは体の痛みも忘れ、途中で馬を奪ってまで、点の向かう先へと急いだ。


 それらは、サルアとグイドがファタ領の領主城へ到達する前に、引き返して行く。


 ただ、領主城の中は騒然としており、みな地面に伏したまま、声を失い、顔色をも失っていた。


「何があった?」


 グイドは動くことのできない兵の一人に近づき、肩を揺すぶって聞く。

 それでも兵は首を振るばかりで、声は掠れた音しか出て来ない。

 グイドは聞くことを諦め、被害の色濃い、城の中へと走っていた。


 城の中央庭園では、人垣の中から抱えられ、運ばれる人の姿が見えた。恐ろしさに震える侍女。兵でさえ声も出せない恐怖に見舞われている。女性であれば失神していても致し方ない。


 人垣の前方には、ファタ領主三男、セシルの姿もあった。セシルは、側近に付き添われ、城の中へ入って行く。その行動を警備しているシャルド軍だけは、機敏な行動を見せていた。打ちひしがれているのはサーイム軍、ジェルドの率いる軍の者ばかりだ。


 竜が飛来したと察した時、グイドの中には予感があった。

 グイドは後から追って来たサルアと共に、城の中へ向かい、以前にもサルアと共に入った会議の間を目指した。


「血の匂いがした」


 グイドの腕を掴み、グイドと共に歩くサルアが、小さく呟く。


「うん、人垣の中央に血痕が見えた」


 サルアは怯えたようにグイドを見上げたが、グイドは腕にしがみつくサルアの手を掴み、大丈夫だというように微笑んで見せた。


「僕は報告もあるから行くけど、ルーアは行かなくても良いよ。ここで待っていて」


 会議の間では、グイドの予想通り、会議が開かれている。グイドは部屋の前で立ち止まり、サルアを連れて行かない選択をしようとしていた。しかし、サルアは首を振る。


「いいえ、一緒に行かせて、グイド」


 懇願するような眼差しが、グイドを見上げた。

 グイドはサルアを連れて行きたくないと思っていた。


 会議の間に入れば、“竜の巣”から戻って来たグイドに、どんな感情がぶつけられるのか、グイド自身もわからないでいる。そんな不確かな場所にサルアを連れて行き、サルアの身に何かあれば、一緒に連れ戻ったことを後悔してしまうだろう。このままサルアの姿を隠してしまえば、サルアは村に戻ることができる。それでも、サルアの表情を見てしまったグイドには、サルアに帰れとは言えなかった。ずっと一緒に旅をし、危険を越え、安全な場所まで戻って来られたのだ。安全な場所であってほしいと願うしかなかった。

 グイドが会議の間の扉の前に立てば、門兵が扉を開ける。すでに中にはグイドの帰還が伝えられており、長老エジニが中央、その脇、左に3人の神官、右に3人の貴族が座っている。その面々は、サルアが連れて来られた時と同じだった。


 サルアは入り口付近で立ち、部屋の中央にはグイド一人が参じて行った。

 グイドは中央で膝を折り、胸に手を当て、視線を下げる。


「“竜の巣”より、無事帰還致しました」


 グイドは隠すことなく、“竜の巣”と明かす。

 城に竜が飛来した。その後で“竜の巣”より帰還したと告げれば、竜を操っていた者と結託していると疑われても仕方がない。しかし、グイドはそれをあえて受け入れる姿勢を見せていた。

 中央前に位置する長老エジニは、深いため息を吐き、眉を寄せた。


「ウォルバドが負傷した。左腕と共に指輪を奪われたのだ」


 グイドは視線を下げたまま、ビクリと背を震わせた。

 思っていたことが現実となる。

 竜がファタ領の領主城を襲った。ジェルドの執着は指輪にあった。しかし、まさか竜を連れて奪いに来るという事態には驚きすら温い。


「おまえはジェルドを連れて参ると申したな!」


 神官長リーシュが声を荒げた。美しい背中を覆う銀の髪が、冷徹な顔を彩っている。


「いえ、私はジェルド様をお連れすることができませんでした」


 ジェルドは死んだと告げて良いと言った。しかし、それをすれば、また新たな疑いが掛けられていただろう。これはまだ最悪の出来事ではないのかもしれないと、グイドはそう思いながらも、怒りを通り越し、ジェルドを恨む気持ちを拭うことができなかった。


「それは真実か? 立証できるのか?」


 ファタ領出身の貴族、ジェラルド=フォドローヌが、渋面を作り、髭を撫でた。


「証明できるものなど何ひとつございません。信じて頂くほかは……」


 深く頭を垂れたグイドは、こうなることを予想していたのか、さほどの衝撃も受けていない。それよりも、壁際でそわそわとする、サルアの姿が気になっていた。このまま何も言われることなく、何のお咎めもないまま、退室してくれたら良いと願う他はない。


「ウォルバドが負傷、セシルは恐怖のあまり部屋に閉じこもってしまった。ジェルドは竜に寝返り……我が領は今後どうしたら良いのか……」


 深い哀しみに似た空気が部屋に満ちる。


 誰もこの事件の打開案を述べることができなかった。

 ジェラルドが忌々しげに机を殴りつけ、皆の心に亀裂が走った。

 その時、部屋の扉を開けさせた者があった。


 恭しく入って来たのは、領主三男の側使え、アギと呼ばれる男だった。

 アギは長老エジニに耳打ちをし、何事もなかったように去って行く。

 アギの耳打ちの内容は、すぐに長老エジニより報告される。


「セシルがその者を欲しいと言ったそうだ」


 長老エジニの視線が、グイドを通り越し、サルアの方へ向かう。


「なぜ!」


 グイドは場を忘れ、声を荒げ、サルアの元へ駆け寄っていた。

 場が一瞬で凍る。グイドの態度は軍の規則に違反しているだけではなく、長老エジニに対する無礼をも犯している。


「セシルがなぜその者を欲しがるのか、それが問題ではないのだ、わかるか、グイド」


 長老エジニは、何も感じていないように、静かな声でそう言うと、立ち上がり、踵を返した。


 他の誰も、グイドの方も、サルアの方も見もしない。もうここにいない者とされているのか、長老エジニが部屋を出ると同時に、軍兵が駆け込んで来た。

 他の6人が退室する中、グイドは拘束され、サルアは兵2名に引き連れられて行った。


「グイド、グイド!」


 サルアの必死な声も、もうグイドには届いていない。グイドには目隠しがされ、すでにサルアの視界の外になってしまっていた。

 どうして、とサルアは心の中で叫んでいた。


 グイドはサルアの無事を祈っていた。ヴォルパドではない、呼び寄せた相手がセシルであったことが、グイドには微かな救いに思えていた。

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