二話:『ルー』
道を行くのは人、人、人。
大きく開けた通りには、露店が並んで賑かさに一役も二役も買っていた。
「見て、ルリ。ハーピィの羽飾りだって。珍しい」
「まぁ、偽物ですし」
「そうなの?」
「えぇ」
そんな露店のひとつ、リルフィアとルリは、羽飾りを手に立ち止まっていた。
ルリは、飾りのメインである『羽』の部分を指先で触りながら、
「まず、ハーピィの羽にしては随分と短い。彼女達の羽は細く長いのが特徴です。これでは、せいぜい半分もないでしょう」
「へぇ……」
「次に、色が白すぎます。ハーピィの羽は薄い桃色をしてますし、仮に古い羽を使用していたとしてもこの色は有り得ない。大方、見た目を良くする為に色を塗ったんでしょう。……商魂逞しいですね、ご主人」
「うるせぇ! 買うつもりがねぇなら帰ってくんな!」
先程からルリの言葉に肩を震わせていた露店の主人が、唾を飛ばしながら怒鳴り付ける。流石に人前で偽物の太鼓判を押すのはやり過ぎか、と、ルリは主人に背を向けて苦笑した。
先に歩き出したルリに駆け寄ったリルフィアは、同じように苦笑しながらルリの顔を覗き込む。
「流石に言い過ぎたんじゃない?」
「何を言いますか。エリカがあの羽飾りを見たら、あの露店は物理的に潰されてますよ」
「……えぇ。あのエリカが?」
「御嬢様はエリカの強さを知りませんから」
笑いながら言うルリに、事の真偽を計りかねるリルフィア。
ハーピィであるエリカは、地上での行動力で人間に劣る。それでも普段普通に行動出来ている理由としては、魔導師としてのリリナの力が働いているからなのだが、リルフィアはそのことを知らなかった。
「アイツが本気で空を飛んだなら、リリナ様ですら手こずるでしょうね」
「うぅん……。そもそもお母様の強さがよくわかってないからわかんない。ルリは?」
「さぁ?」
「…………」
間髪入れずに流されて、リルフィアは頬を軽く膨らませる。
いつもそうだ、と彼女は思った。ルリは自分のことを語るのを嫌う。
過去に一度だけ、私のことが知りたいのなら、自分のことを話しなさいとリルフィアは言ったことがあった。そう言われたルリは、当然のように答えた。
――だったら、私は何も聞きません。
――だから、御嬢様も私のことを聞かないでくれますか?
……その時の微妙な気分を、リルフィアは今でも覚えている。
何かのチャンスを、自分で潰してしまったかのようなやるせなさ。それが、何故か感じられたのだ。
奴隷として扱われていた過去は、確かに好き好んで話すような内容ではないだろう。しかし、ルリの明確な拒絶は、思いの外リルフィアの心に食い込んでいた。
「今日も、王都は賑やかですね」
「……当然じゃない。人間属に限らず、ここには様々な種族が集まってくるんだから」
それもそうですね、とルリが小さく呟いた。
その声の小ささに、リルフィアは口ごもる。
王都――オルレアンには、多種多様な種族が各々自由に生活している。
人間属を始めとして、海産物や水辺の物を売りに来る水人属。
花や木の実を持ち込んだり、植物を操る能力を活かして見世物に興じる森人属。
こちらの世界を監視する為に滞在する魔人属。
彼等は基本的に自由が認められており、別段種族間のいざこざも無い。
ただ、ひとつの種族を覗いて、の話ではあるが。
「ルリ……」
「…………」
少し、気分を害したのかもしれない。黙りこんでしまったルリを見て、リルフィアは申し訳なさそうに彼の名を呼んだ。
しかし、ルリはそれにも反応しない。
そんなに嫌だったのか、と口をつぐんだリルフィアは、そのままルリの隣に立ち竦んだ。
「…………?」
だが、いつまで経っても何の反応も見せないルリに違和感を覚えた。
そして、気付く。
耳をよくよく澄まさなければ聴こえないくらいに小さい、鐘の音だ。
やがてその音は大きくなっていく。否、賑やかな通りのざわめきが小さくなり、鐘の音がよく通るようになってきたのだ。
「この鐘は……」
気が付けば、通りにいた人間の全員が足を止めて、鐘の音に耳をそばだたせていた。
それも当然だ。オルレアンで鐘が鳴るのは、通常正午の時間に、一度だけ。
それが今は何度も鳴り響き、時間はとうに正午を通り過ぎている。
「ルリ!」
鐘の音に聞き入っていたリルフィアは、突然駆け出したルリに反応出来ず、遅れてその背中を追った。
しかし、瞬く間にルリの背中は小さくなっていく。およそ有り得ない程の前傾姿勢のまま、そのままいけば四本足で走り出しそうな体勢で走っていく。
うっすら、ルリの頭に耳が見えていた。
「待ちなさい! ルリッ! ――あぁ、もう、なんでよもぅっ!」
走りながら悪態をつくリルフィア。
それも仕方のないことだった。たまに、ルリを連れて王都に来てみれば、聞きたくなかった時間無視の鐘の音だ。
正午以外の鐘の音。
それは、これから行われるイベントの告知音だ。
王都オルレアンの中央部、丸く開かれた広場の真ん中に、その時だけの特設ステージが設けられる。
主役は獣人。キャストは観客。
獣人はうつ伏せのまま首を固定されていて、一世一代の見世物の為に涙を流す。
カーテンコール無し、退場した主役は、二度と舞台に現れることはない。
主役にとっては叫びたくなる程の悲劇だろう。キャストにしてみれば、或いは喜劇の類いになるのだろう。そんな、数分で終わる見世物だ。
「ルリ!」
「…………」
既に立ち止まっていたその背中。肩が小さく上下動していて、うっすらと見えていた耳は最早凝視せずとも確認出来た。
しかし、周りに大勢いる人は、そんなルリには目もくれていない。これ幸いとばかりに、リルフィアは急いで上着を脱いでルリの頭に被せた。ここでルリの正体がばれてしまえば、見世物の主役が二名になってしまうからだ。
尻尾が見えていないのを確認して、とりあえずは大丈夫、と息を吐くリルフィア。しかしすぐに、その視線はルリと同じ方向に向けられた。
――そこにあったのは、簡素な作りの処刑台。組み上げられた足場は人の頭より高い位置にあり、そこに首と両手を固定する為の木枠があった。二つに割られた板には、中央部に大きめの半円状の穴がひとつ。それを挟むように、小さなそれが空いており、主役はそれに首と手首を挟まれるのだ。
すでに主役――獣人はそれに身体を捕らわれており、後は真上に細い縄でぶら下げられた、長方形の巨大な刃が落ちてくるのを待つばかり。
「ダメよ、ルリ」
「わかっています」
即答したルリ。しかし、リルフィアはその言葉を信じなかった。証拠に、いつルリが飛び出してもいいようにその手が服の襟首をしっかりと掴んでいた。リルフィアはその体勢のまま、断頭台に捕らわれている獣人に視線を向けた。
女性の獣人だ。頭についている耳から察するに、彼女はワーキャットの獣人なのだろう。
ぎりぎりと、ルリが犬歯を噛み鳴らす。その表情はすでに獣のそれだ。リルフィアから釘を刺され、尚且つ襟首を掴まれていなければ、ここまで我慢することはなかっただろう。
「…………?」
しかし、ワーキャットを凝視している内に、ルリは小さな違和感を覚えた。
――随分と、落ち着いているな。
捕まり、しかも今まさに首が飛ぶこのシュチュエーション。普通ならもっと暴れるなり泣き叫ぶなり、もしくは諦めて項垂れるなりしているはず。
しかし、あそこにいるワーキャットは違う。耳をぴくぴくと動かしつつ、集まった大観衆を首が動く範囲でゆっくりと見渡している。そこに恐怖心は微塵も感じられなかった。
ここでルリは、唐突に理解する。
「この匂い……まさか」
「ルリ?」
「いいや……。もう、手を離しても結構ですよ。どうやら、私の出番は無いみたいです」
急に落ち着いたルリを見て、リルフィアは拍子抜けしたように首を傾げた。それでも、その手は離さなかったが。
その体勢のまま、ルリの言葉の真意を図ろうとするリルフィア。
と、そこで。
「ワハハハハハハ!」
「!?」
突然響いた、高らかな笑い声。
そのすぐ後に、轟音が響く。見れば、巨大な刃が足場を突き抜け、その下にある地面に深く突き刺さっていた。
しかし、そうなった時に付き物のはずの首とふたつの手は落ちていない。当然、首なし死体も存在しない。
つまるところ、処刑は失敗したということだ。
離れた位置で剣を握っていた男――おそらくは、その剣で縄を切る予定だったのだろう――が、慌てた様子で処刑台にかけ上がる。しかし、当然ながらそこには誰もいなかった。
「いつもながらに詰めが甘いな人間属よ! 見世物なんかにしてないで、捕まえたならとっとと殺せばいいものを!」
「どこだ! どこにいる!」
「見える場所にいるわけないだろう! もっとも、姿を見せたとして、自由になったワーキャットを再度捕らえるのは面倒だろうがな! ニャハハハハハ!」
ではさらば! と、姿を見せないままに去っていったらしい声の主に、男はがっくりと膝をついた。それを見届けた上で、ルリは踵を返す。
襟首を握ったままのリルフィアは、それに振り回されて躓きながらも、何とか持ち直してルリの隣に並んだ。
暫く歩き、人気がまばらになってきた所で、リルフィアは口を開く。
「ルリ。今のって」
「ルーですね。あの声は」
「ルー?」
「えぇ。ルー。聞いたことはありませんか? 王都に堂々と現れる獣人。行動言動共に予測不能で」
「罠も追跡も大胆不敵に切り抜ける……だっけ? まさか、その獣人が」
「えぇ。ルーです。元々は奴隷でしたが、自力で逃げ出してからは今のような生活をしているみたいですね」
クスクスと笑うルリ。
「大方、私と同じように鐘の音を聴いて駆け付けたんでしょう。あのワーキャットがあんなに自然体だったのも、ルーが獣人にしかわからない匂いを流して自分の存在を知らせたからでしょうね」
「匂いって……。そんなこと出来るのかしら」
「出来るのですよ。ルーならね」
楽しそうに語るルリを見て、何故か少しイラッときたリルフィア。しかしそれを表には出さず、無表情を意識する彼女。ルリにはその表情が顰めっ面にしか見えなかったが、面倒なので触れずにすますことにしていた。
「お帰りなさい。早かったわね」
「少しね。でも楽しかったわ」
「そうねぇ。たまには歩くのもいいでしょう? 今度は私と行きましょうねぇ」
「お母様と? まぁ、いいけ」
「ルリちゃん」
「そっち!?」
帰ってきた二人を、いつものペースで迎えたリリナ。
こんなアットホームな貴族もあるのだから不思議なものだ。まぁ、成金根性が染み付いているような貴族よりも百倍マシ、むしろ好ましいくらいだ、とルリは思う。
「あ、そうそう。ルリちゃん」
「なに?」
「お客様が来てるわよ? ワーキャットの……えぇと」
リリナが口ごもり、ちらりと後ろを振り返る。
そこにあったのは、太い柱――の陰で、恐る恐る顔だけをこちらに出している、一人の獣人の姿。
その獣人は、ルリと視線を交わらせると――
「フルート〜〜〜〜!!」
「ルー! 久しぶりだな」
柱からルリまで、少なくとも数メートルは離れていた距離を、文字通りひとっ飛びで跳んだ獣人――ルーは、そのままルリの懐に飛び込んでいた。
ルリもそれに抵抗感は無いらしく、優しく、と言うよりかはぶつかり合うような勢いでルーを抱き止めていた。
「あらあら」
「え、え?」
淑やかに、しかし楽しげに言ったのはリリナ。
目の前の状況を理解出来ず、疑問の一音しか出せないのはリルフィアだ。
「ずっと、ずーっと探してたんだよ!? もう諦めようかと思ってたんだ!」
「そいつは悪かった。ちょっと事情があってな」
「いいよもう逢えたんだから! けど暫くは離れないからね。嫌だって言ってもこのまんま」
にへら、と笑い、ルリの胸に顔を擦り付けるルー。
ルーがルリに頭を撫でられ、ゴロゴロと喉を鳴らす音が聴こえたところで、ようやくリルフィアが再起動。
彼女の頭の中には色々と言いたいことがあったが、それらの中で他を抑えて、我先にと口から飛び出したのは。
「そいつ! 男じゃないの!?」
「そだよ?」
「そうですが?」
さらりと返され、リルフィアは再び停止した。
「衝撃だわ……。まさか、ルリがそんな人だったなんて……」
「何を言っているのかわかりませんが」
「フルート、フルート」
「どうした?」
「ギュッとして」
「はい」
「はにゃん」
「アンタ方いい加減に離れないよ! なんかもう色々と毒だわ!」
ルーが発した甘い声に、リルフィアの背中にゾワゾワとした何かが走る。
ソファーに座ったルリの膝の上、しなだれかかるように身体を預けているルーが、不意にリルフィアに視線を向けた。
その顔は、端的に言えば美形だ。男か女かと聞かれれば、リルフィアはきっと女と答える。前情報無しの場合、ではあるが。
ルーの体つきはとても細い。それがワーキャットの特徴でもあるが、顔と身体を見ても男には思えない。しかしとりあえず、胸の膨らみが無いのは確認出来ている。
身長はルリとほぼ同じか、少し低いくらい。暗い茶色の髪の毛は、女性でいうショートカットの長さに切り揃えられていた。
「何かが沸き上がってきそうだわぁ」
「お母様。きっとそれ危ない」
母の言葉を容赦なく切り捨てつつも、ぶっちゃけ頭から否定出来ない気もしているリルフィア。
ルリは切れ長の瞳が魅力のひとつだ。普段の笑顔ではイマイチその魅力が発揮されずにいるが、ふとした時に見せる射抜くような視線には、思わずリルフィアもドキリとくる。
対して、ルーは男と言えど素晴らしい外見の持ち主だ。細い身体にしなやかな肢体は、華やかな美貌を持つリルフィアをして羨ましく感じさせる。
そんな二人が並んだらどうなるだろう。仮に男同士であろうが、この見た目ならば一向に構わん! と断言する輩も出てくるかもしれない。
そして、二人はそんなリルフィアの苦悩も知らずに、二人だけの世界を作り上げてしまっている。
「あぁ、あるはずのないハートマークが見えるわ……」
「うふふ」
「なんだお母様か」
もう母の悪戯にもお座なりな反応しか返せなくなったリルフィア。
そのままフラリと立ち上がり、リルフィアは一言、疲れたとだけ呟いてその場を後にした。嫌味でも何でもない、率直な感想だった。
…………。
………………。
………………………。
「気付いてるくせに」
「うふふ」
直後、訪れた沈黙に、ルリがリリナに言った。リリナの返答は笑いのみ。
「なんだか、その子も複雑みたいね」
「あぁ。俺なんかより、よっぽど」
「……そんなこと、ない」
「話してくれる? 大丈夫、私は貴女に敵対しない。ルリが、その証拠」
雰囲気が変わったリリナに、ルーは小さく身体を震わせた。ルリの首に回していた腕に、少しだけ力が籠る。
そんなルーに、ルリは大丈夫とだけ呟いた。
「話す気になった? ……なら、先ずはその胸に巻いてるものを外さなきゃね」
「!?」
「苦しいまま話すのは嫌でしょう?」
言いながら、リリナはその手をルーに向け、小さく、固めた手刀を振るう。
瞬間、ルーの胸元のボタンが弾けた。
「いやあっ!」
「リリナ……」
「……ごめんなさい。予想以上だったわ。エリカ」
「はい」
す、と前触れもなく現れたエリカ。
その手には大きな白い布があり、エリカはそれをルーに掛けようと近付いた、が。
「あぁ、いい。俺がやる」
「え?」
「いいから」
ルーの前に立ったルリが、エリカの手から布を取った。
そのまますぐに振り返り、ルリはルーにそれを被せるが、ルーはその布を、ルリの身体と挟むように彼にしがみついていた。
それは、先程までとは違う抱擁。ふざけ半分のものではない、本気の抱擁だ。
「話してくれる?」
「…………」
「そう……。でも、何かあったらいいなさい。きっと、力になるわ」
「ごめん……」
申し訳なさそうに呟くルリ。
リリナはそこで、暗い雰囲気を替えるように、パン、と手を叩き、
「ところで、ルリちゃん?」
「?」
「ルーちゃんは、執事とメイド、どっちがいいのかしら?」
「ふあ〜〜……」
「おはようございます。御嬢様っ!」
「おはよう……ルリ、今日はなんだか声が高いのね……」
寝ぼけた様子のリルフィアに、目の前の執事は答える。
「御嬢様。私はこちらです」
「へ?」
「御嬢様っ!」
「え?」
ルリが、二人いる。リルフィアの感想はそれだった。
しかし、たっぷり数分かけて頭を覚醒させていくうちに、今の状況がどういったものなのか理解していき。
「な……」
ぼやけた視界がクリアになって、そこにいる二人の姿をはっきりと視認出来たところで。
「な……!」
彼女は、こう叫ぶのだった。
「なんでアンタがいるのよぉ〜〜〜〜っ!!?」
「今日からここで働くことになりました。ワーキャットのルーです! よろしくお願いしますね、御嬢様っ!」