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プロローグ

「御嬢様」

「……」

「御嬢様」

「…………」

「御嬢様」

「………………」


 はぁ、と溜め息をついたのは、再三『御嬢様』と口にした一人の青年。

 黒い髪に切れ長の瞳。長身とは言えないその身体は、しかし程よく締まったバランスの取れた身体つきをしている。

 身に纏う黒の衣服は、彼の身体に合わせてラインが見えるように作られていて、ワンポイントの真っ赤なチョーカーが見る者の目を引いた。

 そんな見た目の彼は、それから幾度か先程の言葉を繰り返して――




「――ふん」

「あ痛ぁ!?」




 ――目の前で眠りこけている『御嬢様』に、白い手袋を穿いたまま鉄槌を落としていた。










「お目覚めですか、御嬢様」

「えぇ……あまりの痛みにもう一度眠りそうになったけど」


 ニッコリ笑う青年に、額を擦りながら『御嬢様』は憎まれ口を叩く。が、青年はさして気にする様子も無く、黒の衣服――執事服の襟を正す。


「リルフィア御嬢様が悪いのです。呼んでも呼んでも起きやしないんですから」

「だからって殴ることないじゃない……。執事にあるまじき行為」

「それを言うなら、昼過ぎまで眠りこけるリルフィア御嬢様こそ、御嬢様にあるまじき存在かと」

「存在は言い過ぎじゃないかしら!? これでも一人娘の立派な御嬢様なのよ!?」

「はいはい」


 執事の言葉に、寝起きながらもそれを感じさせない声を張り上げる御嬢様。

 それを慣れた態度で受け流しながら、静かにしていれば確かに立派な御嬢様なのに、と思う執事の青年。彼は部屋の窓を開け放ち、部屋に流れ込んできた柔らかな風を吸い込むと、照り付けてくる太陽に嬉しそうに手を翳す。


「ルリ、尻尾」

「条件反射です」

「止める気は無いのね……」


 ルリと呼ばれた執事の青年は、チラリと自分の背中越しに自らの身体の一部――フサフサとした尻尾――を一瞥する。が、千切れんばかりに振られているそれを見ても反応は薄く、また嬉しげに外を眺め始めた。


「そんなに、外にいきたいの?」

「だって、こんなに良い天気なのに」

「わかったわかったから。着替えるから部屋の外に出てて頂戴」


「仰せのままに、御嬢様」


 しっしっ、と口で言いながら、リルフィアは執事に部屋から出るように促した。

 口調こそ丁寧で、優雅さすら感じさせる身のこなしで部屋から出ていく執事だったが、背中の尻尾がブンブンと振られていてはそれも形無し。それに苦笑しつつも、リルフィアは執事――ルリが、部屋から出ていったことを確認すると、自らもベッドから立ち上がって外を眺め、


「……そうね。たまには、ルリも連れて外に出ましょうか」










「……にやっ」


 部屋の外に出ていた執事は、扉に横っ面をくっ付けたままそう言った。犬歯をキラリと光らせて、文字通りニヤリと笑うその様は、いたずら好きな子供のそれだ。


「ふふん……それとなく御願いしてみるもんだな」


 尻尾を振りながら呟く彼――ルリは、しっしっしと笑いながらその場を後にする。

 コツコツと靴音を響かせながら廊下を歩いていくルリ。リルフィアのことだ、どうせ準備にやたらと時間を掛けることだろう――そう考えたルリは、リルフィアの両親、つまりこの館の持ち主、自らの主人のいる場所に向かっていた。

 人ならざる身の自分を受け入れ、尚且つ執事として認めてくれた。ルリにとっては感謝してもしきれない、恐らくは何があろうと頭が上がることがない二人だ。

 そんなことを考えながら、ルリは何となく、頭にある耳を手で触る。










 ――獣人属。


 様々な種族が共生するこの世界。ルリはその中の獣人属、『ウルフマン』と呼ばれる獣人属だ。

 頭にはピンと尖った、犬と言うよりは狼と言った風情の耳が付いており、腰にはフサフサとした立派な尻尾が垂れている――今は、本人の気分に引っ張られて勢い良く振られてはいるが。

 獣人属は皆、人に何かしらの動物を加えたような見た目をしている。ルリはその中でも最もオーソドックスなスタイルで、人にひとつふたつ、動物としてのパーツが追加されている外見だ。

 もちろん個人差や、獣人属の中の種によって個体差もある。中には、完全に獣の姿をしながら、人語を介する変わり種の獣人属も存在するくらいだ。

 ともあれ、ルリは獣人属の中でもポピュラーな『ウルフマン』であり、見た目もオーソドックスな、正にお手本のような獣人属なわけである。


「そんなルリちゃんは、お茶も美味しく淹れられちゃうのよねぇ」

「鼻が良いから、茶葉の良し悪しも判断出来る。……うむ。美味い」

「そいつはどうも」


 紅茶を入れて二人の前に訪れると、いきなり始まった獣人属の解説から、最終的にルリの淹れるお茶は美味い、という結論に至っていた。色々な意味で小首を傾げたルリではあるが、褒められたことには変わりないのでそれで良しとした。

 恥ずかしさで素っ気ない返事しか返せなかったが、ルリの真正面に居る二人からは元気な尻尾が見えている。嬉しいんだろうなぁ、と二人は同時にクスリと笑っていた。


「リリナ様。口元が」

「あらあら、ごめんなさいね。有難う、エリカ」


 横から差し出されたハンカチを、淑やかに笑いながら受け取る女性――リリナは、少し恥ずかしそうに口元を拭いた。お茶菓子のクリームが口の端から居なくなり、それを確認したメイド――エリカが、リリナの手からハンカチを回収する。

 不意に現れたメイドの姿に、ルリは少し驚いて、しかしすぐに目を細めて溜め息をついた。


「あんまり翼、動かすなよな。羽根が入ったらどうする」

「アンタこそ無闇に動かないでよね。毛が舞うじゃない」

「なにぃ?」

「なによ?」

「まぁまぁ、二人共キレイなんだからどうってことないさ」


 執事とメイドの小競り合いに、苦笑しながら割り込んだのは、リリナの夫――エルドだ。

 端正な顔を綻ばせながら、彼はルリの尻尾を触り、返す手でエリカの翼を撫で下ろす。幸せそうな自らの主人の姿に、執事とメイドは見事に毒気を抜かれていた。

 が、エリカは尚も唇を尖らせながら、


「大体、なんでアンタはリリナ様とエルド様には敬語使わないのよ」

「それはお互い様だろ。お前だって、リルフィア御嬢様には敬語を使わない」

「それは……リルフィア御嬢様が敬語を止めてくれって言うから」


 痛いところを突かれ、エリカは少し視線をずらしてそう返す。ルリは、そんなエリカの顔を下から覗き込んだ。

 うっ、と声を上げながら身を引くエリカに、ルリは窘めるような口調で、


「俺だって、二人にはなるべく敬語を使いたい。けど、肝心の二人がそれを望まないんじゃ仕方ない」

「そうねぇ。ルリには、なるべく対等に接してもらいたいのよねぇ」

「ほら。大魔導師様のお墨付きさ」


 リリナが楽しそうにルリに続き、軽い口調に戻ったルリがまたそれに続く。

 流石に旗色が悪い。そう考えたエリカは、すごすごとリリナの隣に戻っていった。べぇ、とルリが舌を出しているのを見たエリカは思わず拳を握り込んだが、隣で自分の主が「だめよぉ」と釘を刺してくるので動けない。

 最も、ルリはそれが分かっているから、あからさまにエリカを挑発したりしているのだが。


「あぁ、いたいた。ほら、準備出来たわよ」

「あらリルフィア。早いわね」

「お母様……悪いのは私だけど、その言葉はとっても痛いものがあるわ……」


 金の髪を腰の辺りで踊らせながら、リルフィアがルリの隣に駆け寄ってくる。

 母親から手痛い『朝の挨拶』を貰ってちょっぴり苦い気分を味わったリルフィアだったが、すぐに持ち直してルリの背中を押す。


「ほら、アンタも早く準備」

「あらあら。ルリちゃんを連れていくの?」

「下手な護衛より優秀だしね。それに、たまには外に出たいところだろうから――いた、痛い! コラ、嬉しいのはわかったから尻尾を止めなさい!」


 リルフィアの言葉に過敏に反応したルリの尻尾に叩かれながらも、リルフィアはルリの身体をリリナの前に押し出した。

 クスクスと笑いながらも、リリナはその細い指でルリの耳を、尻尾を滑らかに撫で上げた。

 そして二言三言、小さな声で何かを呟くと、ポフン、と小さな音を立てて耳と尻尾がいなくなる。

 ルリは自分で頭を触りつつ、腰の辺りに手を当てて、本当にそれらが無くなったかどうかを確かめていた。


「あんまり興奮したら、術が解けて出てきちゃうから気を付けてねぇ」

「善処するよ」

「ほら、早く行くわよ。馬車を待たしてるんだから」


 リルフィアがルリの腕を引っ張り、ルリが慌てながらもそれに付いていく。

 あまり身長が変わらない二人は、まるで姉弟のようで。


「……難儀、ですね」


 バタン、と慌ただしく扉が閉まると同時に、リリナの隣にいるメイドが小さく呟いた。

 エリカの言葉に、リリナはそうねぇ、と小さく呟いて、まだ湯気の残る紅茶を口に含む。


「私は、時々不思議に思います。なぜ、こうも『獣人』と『人間』に大きな壁があるのかと」

「……ううん。難しいわねぇ」

「種族はこの二つだけではありません。自然に住まう『森人属』、世界を隔てる『魔人属』、セイレーンを含めた『水人属』。そのどれもが『ヒト』であることは確かなのに……何故、獣人属だけが、こうも人間と敵対しているのでしょうか」


 背中の翼を小さく畳み、エリカは弱々しく言葉を紡ぐ。


 エリカもまた人間ではなく、獣人属の中でもある意味異質な『ハーピィ』の獣人である。

 数ある獣人属の種類の中でも、ハーピィの種は特別視されている。それが何故かと言えば、種の絶対数が限り無く少ないことと――


「それ、ルリちゃんの前では言わない方が良いわよ。貴女はハーピィ。獣人属の中で唯一、迫害の対象から外されている種。最近王都では、ハーピィをセイレーンと同じように『一種族』として扱うようになってきているくらいなのだから」

「……ルリは」

「大丈夫。ルリちゃんは、貴女のことを嫌ってなんかいないわ。けど、中途半端な同情は絶対にしては駄目。それは、あの子の生き抜いてきた時間をそのまま侮辱することになる。あの子のことを思うなら、今のように自然体で接しなさい。それで、全部ぜーんぶ上手くいくから」


 ね? とリリナにウィンクされて、エリカは少しだけ時間をかけてから頷いた。

 ルリがどんな生活をしてきたのか、エリカは知らない。ただ、ルリがここに始めて来たときは、それは酷い有り様だった。

 服とすら言えないような布切れを身に纏い、それが破れた隙間から覗く肌は、鬱血と内出血を繰り返して赤黒く変色していた。

 痩せ細った身体は汚れきっていて、力無く垂れた尻尾は毛が抜け落ちて地肌が露出していた。耳も同じ。

 そんな、良く言っても死にかけの状態であっても、瞳だけは生きていた。介抱しようとした私に刃向かったあの眼光は、今でも忘れられない。噛み付かれた右手に痛みは無く、歯が全て折られていることにそこで気が付いた。

 ハーピィは非力な獣人だ。空中ならいざ知らず、地上では人間の女性となんら変わらない。

 そんなエリカですら、その気になれば数瞬後には殺してしまえそうな衰弱具合。

 獣人属が迫害されているのは知っていた。けれど、ここまでとは思わなかった。

 おなじ獣人属でありながら、その現実を知らなかった自分を惨めに思ったことを、エリカは忘れられずにいる。


「きっと、疲れて帰ってくるわ」

「はい?」


 過去に耽っていたエリカの耳に、主の声が入っていく。

 反射的に返事をし、遅れて視線を向けたエリカに、リリナは笑顔で口を開き、


「あの子の荒んだ心を癒すのは、貴女の役目でしょう?」


 少し悪戯めいた口調で言って、その言葉に赤くなった頬を指先でつつくのだった。

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