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1:夢に満ち溢れた彼女

 その日、リディア・カレン=エンディコットはひどく浮かれていた。と言うのも、その日は彼女の社交界デビュー日だったからだ。この晩ウィルモンド伯爵邸で開催される夜会で、彼女はエンディコット子爵家の令嬢として正式に貴族社会へお披露目される。

 彼女はこの日をずっと待ち望んでいた。彼女にとって貴族社会は憧れであり、夢であり、希望だった。その理由は、彼女の母にある。

 彼女の母もまた、子爵家の娘であった。そして彼女や他の令嬢と同じ十六歳で社交界デビューを果たした。ここまでは何の変哲もない貴族子女の生き様である。しかしその夜会で、人生を大きく変える事件が起きた。

 彼女は初めての夜会で、運命の人――つまりリディアの父――と出会ったのだ。そのことを話す時、リディアの母は必ずこう言って締め括る。


「きっとリディアにも運命の人がいるわ。だから、その方と会う日を楽しみにしていなさい」


 はっきり言って色惚け妻の馬鹿馬鹿しい惚気に過ぎなかったが、素直な子供だったリディアは純粋に両親の大恋愛に目を輝かせた。そして母の話を繰り返し聞く度に、“運命の人に会う”こと、そのためにも“社交界デビューする”ことが、リディアの夢となっていった。

 そしてその夢が今日、叶う。

 夢の実現を前に、リディアは落ち着きをなくしていた。今日のために誂えた桃色のドレスをうっとりと眺め、ドレスより少し濃いピンクの髪飾りを自分の頭に当ててみる。と思ったら、鏡台の前に立って猛特訓を重ねた淑女の礼をおさらいしてみたり、ダンスのステップを確認したりと、リディアは文字通り浮き足立っていた。

 そんな彼女の姿を、兄であるメイラー・カレン=エンディコットは生暖かく見守っていた。壁に寄りかかり、ノックも扉が開いたことすらも気付かない愛妹に、彼は苦笑する。

 壁に寄りかかった姿勢のまま、彼女がこちらに気付くのをじっと待っていたメイラーだが、ドレス→髪飾り→鏡→ダンスというループの三回目に突入した所で、沈黙を守り続けることに限界を感じた。


「リディ……、夜会が始まるのは日が沈んでからだぞ。今からはしゃいでいたら疲れるだけだぞ」

「まあ、お兄様。子供扱いしないで戴ける?私、もう十六ですもの。立派な淑女ですわ」


 淑女(レディ)の嗜み其の一。嫌味には真っ向からぶつからず、小首を傾げて微笑み、余裕のある所を示す。

 社交界デビューの日付が決まった時、親友からレクチャーされた処世術をリディアは早速実行した。完璧な振舞いだと心の中で自賛するが、そういった駆け引きには慣れてしまったメイラーには全く通じなかった。


「……一週間前、庭の木に一人でよじ登って、偶然通りがかった使用人に悲鳴を上げさせた人間が淑女だって?」


 リディアは視線を明後日の方角へ向け、ほほほと乾いた声で笑う。いや、あれは事故だ。散歩している最中に巣から落ちてしまった雛を見つけたのも、その時雛のことを頼めるような人間が周りにいなかったのも、全て偶然。だから、雛を戻すために彼女が木に登ったのも、それをメイド長に見つかってしまったのも、偶然の産物であり、完全なる事故だった。それに、困っている人(今回は鳥だったけれど)のためなら我が身を削ってでも助けるのは淑女の義務ではないか。

 そう兄に反論した所、困った人間を助けるのは“紳士”の義務だ、ど阿呆、と馬鹿にされた。


「ところで兄様、私に何の用?」


 馬鹿にしに来ただけなら、とっと自室に帰って欲しい。運命の方に呆れられない様、己を磨くのに手一杯なのだから。


「ん?……あー、そうだった。アザリア嬢が来てるぞ。夜会前の準備、頼んだんだろう?」

「そういうことは早く言ってーーー!」


 にやにやと意地悪く笑む兄を放置して、リディアは自室を飛び出して行った。



「アザリア!」


 リディアが駆け込んだ客間では、プラチナブロンドにサファイアブルーの瞳を持つ、月の化身とも言うべき美少女が、優雅にお茶を飲んでいた。流れるような動作でカップとソーサーを置くと、これもまた自然な動きでティースプーンを掴み、すこーんとリディアに向けて投げつける。


「痛ぁぁっ!何するのよ!」

「あら、ごめんなさい。お屋敷の中を全力疾走した上、ノックもせずに飛び込んでくるような不作法者だから、てっきり忍び込んだ不審者かと思ったの」


 本当にごめんなさいねと微笑む姿は正しく淑女のものだったが、リディアはその背後に黒い羽と尻尾を見た。悪かったなんて思っていない、絶対。

 しかしノックもなしに入ってきたのは明らかにリディアの落ち度だったので、これ以上の追及は諦める。


「ねえ、リディア。私、貴女のマナーチェックに来たつもりなんだけれど、チェックするまでもないんじゃない?相変わらずお転婆なようだし……。流石にその歳で木登りは不味いわよ」

「な、何故それを!?」

「メイラー様から伺いました」


――兄様ーーーっ!


 あの馬鹿兄はなんということを暴露してくれたのか。妹を辱しめるなんて、紳士の風上にもおけない。


「ベッドに毒蛇の剥製仕込んでやる……!」

「そういう所が不味いってわかってないのかしら」


 ふうとわざとらしく吐かれた溜め息に、リディアはうっと言葉に詰まる。

 淑女(レディ)の嗜み其の二。不利な状況に追い込まれたら、取り敢えず笑顔で誤魔化す。

 リディアはにっこりと微笑み、アザリアの意識を変えようと試みる。しかし、アザリアは呆れた目でリディアを眺めると、ぴんとおでこを弾いてやった。


「痛っ」

「対処法教えた張本人に効果あるわけないでしょ。それに、あれらは夜会といった公的な場でのやり過ごし方よ。プライベートには逆効果よ」

「アザリア……、そういうことは早く言って……」


 兄にまで返り討ちを食らったではないか。


「考えればわかるでしょう。その場凌ぎが私に通じるかどうかなんて」

「そうだけど……」


 憧れの淑女の作法と言われるとやってみたくなるのが乙女心。そしてちゃんと通用して欲しくなるのが、人情ってもの。


「あー、もう!今日の夜会が心配だわ!いくら我が家(うち)が主催だからと言っても、女狐どもは絶対来るだろうし。リディは可愛いし純粋過ぎるから、確実に睨まれると思うのよね。変な虫が付かないかも心配だし……」

「……」


 なんだろう、この幼児扱い。

 そもそも未来の旦那様と巡り会いに行くわけだから、虫が付かないと困るのですが。

 そう意見した所、リディアは大変微妙な視線を貰う。


「リディの純粋さは貴重だと思うけどね。いいこと?貴族社会って、そんなに優しくも美しくもないのよ。皆笑いながら、他人を見下してるの。第一、貴族で恋愛結婚なんて、そう滅多矢鱈ないんだから」


――わかってるよ。


 尚も文句を言い募る、二つ年上の親友に、リディアは心の中で答える。

 彼女も子供っぽいとは言え、成人した女性。世の中が全て理想論で回っているとは思っていない。貴族の結婚は政略結婚がほとんど、その代わり、好きな相手と浮気する。そんな歪んだ構図も知っていた。

 その一方で、本当に好き合って結婚する貴族がいるというのも事実。そして、リディアの考えを理想論だと突き放すアザリアが、実は好きな人と結婚するために、数多(あまた)の婚約話を蹴っているというのも、また事実。だから、リディアは“運命”を待ち望む。


「ね、ね!早く準備しましょう!」

「……そうね。悩んでたって今日の夜会がなくなるわけじゃないし……」


 しぶしぶと立ち上がる親友を引き摺って、リディアは意気揚々と自室へと向かった。

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