第18話 廃墟の血雪
あけましておめでとうございます。本年も何卒宜しくお願い致します。
冷泉銃工、冷泉銃工試作部0課特別研究所。
冷泉銃工の脳達が集められるそこには、当然の如く、潤沢な資金と設備が置かれている。
仮想空間を再現するVR訓練設備も、またその一つだった。
「お久し振りです、彩萌さん」
微かに漂う火薬の臭い、回転するパソコンの冷却ファンの音。懐かしい感覚と共に迎えてくれたのは、懐かしい声だった。
「久し振り、古手鞠さん」
最後に会ったのは一ヶ月程前だったが、彗の様子はかなり変わっている。男子三日会わざれば刮目してみよ、と言うが、女子もまた、侮れない。
あの事件の後、独りぼっちになった彗を拾ったのは、冷泉銃工、否、葵衣だった。当人曰く、優秀な人材が欲しかったらしい。
「葵衣さんから話は聞いています。こちらへどうぞ」
歩き出した彗の背中を雪華は慌てて追う。脇腹が少し傷んだ。そこには、ありったけの治癒促進パッチが貼られている。
医者が、絶対安静の雪華が、無理矢理退院する代わりに貼らせた物だ。
力が欲しかった。
あの都市外での一見以来、猛烈に力を雪華は欲した。
それ故に、雪華は過去の遺物を解き放つ事にしたのだ。
全ては力を手にする為に。
自身が、狂気と正気の境界に身を置いている事に、雪華は気付かない。
◆◇◆◇◆◇
頭部には、ヘッドセット、手には手甲を付け、椅子に座った雪華は、眼を閉じた。
設定は事前に伝えてある。
難易度は最大。痛覚レベルも最大。実戦とは大差ない。
同時に、負傷をスキャンし、無理に動かすと痛む様にも設定した。
青い光を感じ、雪華は、眼を開けた。
眼の前に有ったのは、冬の廃墟。誰もクリアしたことがない、未開の領域。
『雪華、準備は良いかしら?』
ヘッドセットを通し、葵衣の声が聞こえてきた。
「良いよ。……武器もちゃんと、揃えてくれたんだ…」
『現実と調整値は同じにしてあるから。取り敢えず装備して』
雪華は二つの武器を手に取る。
かつて雪華自身の相棒だった機関拳銃『チェリーローズ』。
基本構造を除いて部品を全て取り替え、連射速度などを徹底的に弄った物だ。
そして、紫蘭が使っていた日本刀『残雪』。
傷んでいた刀身を短刀と呼べる長さまで短くし、持ち手も一から作り直した。更に、試験的にある細工を施してある。
握りしめると、懐かしい感触が手に馴染んだ。
「……葵衣…始めて」
返事の代わりに現れたのは、契約書。要約すると、どんな後遺症を負っても、自己責任、という物だった。躊躇わずに承諾する。
視界の中央に、カウントダウンが現れた。
『三、二、一、始め!!』
「っ!!」
カウントダウンが消え去る寸前に雪華は、後ろに飛び退く。瞬間、重機関銃から放たれた弾幕が土を穿ち、通り過ぎた。
「っこの!!」
面を制圧する散弾銃と違い、重機関銃は、仮令振り回しても線単位での制圧しか出来ない。位地と距離さえ分かれば、大した支障はない。
因みに、スタート直後のこの重機関銃は、完璧な初見殺しであり、今まで挑んだ挑戦者を悉く返り討ちにしているのは、別の話である。
弾幕を避けながら、雪華は、次第に距離を詰めていく。見据える先には、ゲリラ風の格好をして、何事かを叫びながら、重機関銃を撃つ冴えない顔の兵士。
彼は、重機関銃に於ける構造上の重大な欠点を忘れていた。
弾が有ったとしても、永遠には連射する事が出来ない欠点を。
雪華に訪れたのは、静寂。そして重機関銃に訪れたのは、真っ赤に熱された銃身の冷却期間。
雪華は、それを見逃す程甘くはない。
隠れていた瓦礫から顔を出し、短くチェリーローズの引き金を引いた。
狙撃銃よりも軽い音が雪華の耳を打ち、重機関銃を永遠に沈黙させた。
「っと」
壁をよじ登り、廃墟の中への侵入を果たす。
かつては、工場だったのだろうか、数多の機械が置かれている。
一部の天井と壁は、崩落していて、そこから弱い光が差し込んでいたが、照明の類いがない所為で、全体的にも薄暗い。
それが、指し示すところは、一つ。
雪華は、後ろを振り返ると、事務机に銃口を向け、再び引き金を引いた。銃口炎が断続して光り、周囲を照らす。
数秒後、残っていたのは、下を赤く濡らした事務机だった物だった。
「……やっぱりか」
チェリーローズをリロードしながら雪華は、呟く。
暗く、物が多い。待ち伏せ、奇襲、そして罠には、恵まれ過ぎた環境だ。
この部屋の広さだと、後二、三人は潜んでいても可笑しくはない。罠に至っては、多少の量ではないだろう。
雪華個人としては、一人一人炙り出しても良かったのだが、世の中、そう上手くは行かないらしい。
前に一人、後ろに二人。何時の間にか、包囲されていた。
三対一。不利な状況であるにも関わらず、雪華が、慌てる様子を見せようともしない。
それどころか、寧ろ―――
「そこは、機械なのね。あそこのは、欲望に血走った眼をしてたけど。…後で葵衣にテクスチャを変えるように言うかな」
―――冷静に分析し、楽しんですらいた。
それから、残雪を抜こうと手を伸ばしたが。
「…やめた」
手を途中で止め、代わりに取り出したのは、チェリーローズと同じく相棒だった投擲ナイフ。
次の瞬間、雪華の手元からは、ナイフが消えていた。
鈍い音が響く。正面の兵士の額に、ナイフの柄が生えていた。血すら出ていない。まるで、一種の芸術品の様な死体。
音の余韻を掻き消す形で雪華は、チェリーローズを後ろへ掃射する。確かな手応えを感じ、振り向いた時には、最早立っている人間は、雪華一人だけだった。
「よし、次」
更なる標的を求め、雪華は、歩き出した。
◆◇◆◇◆◇
「…すごい」
葵衣は、眼の前のディスプレイに釘付けにされていた。
廃墟全体のマップから、次々と兵士を示す光点が消えていく。
「予想以上の展開ですね」
このステージをプログラムした彗も、驚きを隠せない様子でディスプレイを見ていた。
無理もないだろう。
この廃墟のステージは、ステージの形と言い、兵士の配置と言い、鬼畜と言っても良い程の難易度だったのだから。
つい二日前も、挑戦者のPGCの五人を数分で片付けたばかりである。
「装備が強すぎるから…?」
「装備のレベルで突破できる程、柔に作った覚えはありませんよ」
「つまり、これが……」
「彩萌さん個人の能力ですね。正直、人間なのか疑わしいです」
葵衣は、椅子の背凭れに凭れ掛かる。
雪華の装備の強さは、葵衣自身が良く知っている。だからと言って、そうそう納得出来る結果ではない。
敵を見破る直感。咄嗟の事態に対処する能力。それを雪華は、誰もが羨むほど持っている。
おまけに、雪華は、この都市に来てから、狙撃銃しか持っていない。それなりに、感覚は鈍っている筈なのに。ひょっとすると、自分は、とんでもない封印を解いてしまったのでは?
葵衣の背中を寒気が走った。
その寒気を代弁する様に、携帯のバイブが震え出す。
発信者は、風見一希。
葵衣は、携帯を取ると、通話に出る為、部屋を出た。
後には、彗が残される。眼は、未だにディスプレイに釘付けだった。
残る光点は二つ。
屋内に一つ。そして、遠く離れたステージの端に一つ。
屋内に配置した敵は、難関になる予定だったが、雪華の戦闘力、装備を考えると、多少時間を稼げても捨て駒になるだろう。彗は、期待しないで期待している。
だが、最後の一人は―――
「彩萌さん、貴方は勝てますか?」
そこに居るのは、一枚の鬼札。
回収した狙撃銃から徹底的に分析した。
そう。それは―――
「かつての、自分に」
彗は、映像を切り替える。
ディスプレイには、狙撃銃を持ち、待ち構える雪華自身が映っていた。