第14話 姉妹の夜
―――これは夢。何時までも続く悪夢。
◆◇◆◇◆◇
何処とも知れぬ、崩れかけたビルの前に雪華は立っていた。周囲には誰も居ない。
銃創や切創、打撲の痛みを訴える身体に鞭打ち、雪華は、ビルの一つに入った。略奪、破壊の被害を免れた僅かに残っている内装からして、元はホテルだったのだろうが、何かの腐臭が漂い埃だらけでは見る影もない。
このホテルの屋上に、桜華はいる筈だった。
電気は、遥か昔に止まっており、皮肉にもエレベータは人間を運ぶ道具から、死体を捨てる棺桶に成り下がっていた。故に、雪華は、階段を一段飛ばしで駆け上がり、事前に決めた屋上の扉を叩く合図も忘れ、扉を蹴破り―――凍り付いた。
「……ぁ…」
声にならない声を発した雪華が見た物は、もう一人の自分が血塗れで倒れて居る姿だった。
散乱した薬莢、散乱した髪。散乱した血痕。
夢遊病患者の様に、雪華はふらふらと前に歩き出す。大して広くもない屋上。妹の元に辿り着くのに、時間は掛からなかった。
「………桜…華…?」
返事は無い。身体は、桜の花びらの様に軽かった。顔に血の気もない。致死量を軽く超える出血、生きている可能性は1%にも満たない。
桜華は完全に事切れていた。死体を見慣れていた雪華には、それが分かってしまった。
「…ぁ……あぁ…」
殺したのは、誰?
私?それとも…?
死んでいるのは私の妹で私で妹が私が殺して私は妹は殺されて私が死んで妹が殺して殺されたのは私で殺したのは私でワタシガイモウトガワタシデ……………
世界が、溶けた。
◆◇◆◇◆◇
「―――ッア!?」
現実に戻って来た身体は、びっしょりと汗ばんでいた。意識の回復を察知したセンサーがスタンドを照らし、暗い部屋に唯一の光源を生み出す。遅れて空調が部屋の室温と湿度を調整する為に起動した。
「…桜華…」
今の夢は、実際に起こった事では無い。私は結局前線から桜華の元へ戻る事は無かったし、桜華の死体も見ていない。桜華はともかく、自分は戦死者とされているに違いなかった。しかし、桜華に関する情報が無いと言う事は、死んでしまったのかも知れない。夢の様に。
あれから、五年。たかが五年?
その年月は、私に取って、永遠に等しい拷問だった。
逃亡中に集めようとした桜華の情報が全く存在せず、絶望して第四都市に流れ付いた頃。あの頃の私は、桜華が死んだものと思い、必死にその死を受け入れようとして―――失敗した。
苦しい思いの末、考え付いたのは、精神的な死。即ち、『狂ってしまえば楽になれる』と言う考え。
しかし、未だに彩萌雪華と言う―――私と言う人間の精神は生きている。それどころか、浅ましくも、生き続けようと抗っている。多くの人間の命を奪っておきながら、自分一人を終わらせられない弱さに、私は失望せずにはいられなかった。
そんな―――死に体の私を拾ったのが、第四都市でも名家の月下家。その当主の月下左門。
『死に体でもええ。戸籍は用意してやるから、儂のじゃじゃ馬の面倒を見てくれんか?』
再び差し出された手。それをまた、握ってしまった。
彼の言うじゃじゃ馬―――月下舞無と出会ったのは、その数日後だった。
それ以来、私は何とか生かされて、否、生きている。
何時も夢の後に続く一連の回想を終わらせた後、私はベットの側の鍵を掛けた引き出しを開く。
手を差し入れ、一番奥に隠す様に仕舞っていた睡眠薬を取り出す。薬局で、昼間のリハビリの時に貰って来た物だ。
箱を開けると、真新しいビンと病的に白い錠剤が眼に映った。服用量を見る事すらせずに、その数個を口に放り込む。続いて、サイドボードの上のペットボトルの蓋を開け、水を口に流し込んだ。乾いた喉に、温い水が染みる。
酷い時には、朝まで付き纏う思考。薬を使ってでも、打ち切らねばならない物だった。因みに薬局には、不眠症と偽っている。
病室の何処にも私の銃は無かった。葵衣が持ち帰ったのだろう。まあ良い。有ったとしても、もう撃つ事は叶わない。
怖くて怖くて、死が追い立てて来る事を恐れ、未だに銃を手放す事は出来ない。だから私は葵衣に、アレの調整を頼んだのだ。
薬が聞き始めた所為か、重たくなった目蓋を閉じ、ベットに身を投げた。明日、否、今日は冷泉銃工に行く必要が有る。悪夢に戻るかも知れないが、睡眠は取るに越した事は無い。身を投げた衝撃で、傷と内臓が痛んだが、混濁する意識の前には、些事でしか無かった。
意識が曖昧になる前に、あの日の事を思い浮かべる。
あの戦いの前夜、私は桜華と、何か大切な事を話した気がする。
それだけが、何故か思い出せなかった。
他の部分ははっきりと覚えているのに、まるで切り取られた様に思い出せない。
私の心の中で、それだけが引っ掛かっていた。
◆◇◆◇◆◇
眠れない。
私は別に不眠症でも何でも無い。原因はこの寝床の所為だ。
ここでは普通の事かも知れないが、数年以上―――と言うよりは、記憶の有る限り、こんな夜具の揃った寝床に寝た覚えが無い。布団は、コートか何かで代用していたし、身体は壁に預けて寝ていたから枕に頭を載せた事も無かった。床に至っては埃臭いコンクリートか、僅かに湿った地面。論外の極みだ。
医者は、過労と診断した。その判断は正しいだろう。第五都市から逃げ出して以来、ずっと緊張状態が続いていて、夜も録に休む事すら出来なかった。
もし姉が撃たれていなかったならば。奴らに対してある程度抗う力が有ったなら。私がここまで身体を酷使する必要も無かったに違いない。
―――否。姉さんが戦えたとしても、私の心が休まる事は無いに違いない。
狙撃手だとは聞いていたが、見た時は本当に驚いた。
姉さんは―――弱かった。
狙撃手としての理論も学んだのだろう。基礎は出来ていた。否、出来過ぎていた。
だが、駄目だ。理論も基礎も有る。しかし、実力がない。あれでは、銃の性能に助けられている様な物だ。
でも、そんな姉さんを護りきれなかったのは―――私の所為だ。
これ以上姉さんを巻き込む訳にはいかない。だから、この件は私一人で方を付ける。
そして、全て終わったら。私は姉さんに会う―――のだろうか?
拒絶されるかも知れない恐れは、未だ抱いている。
私は出来る事なら会いたい。でも、姉さんはどう思うだろう?
表では歓迎してくれるかも知れない。でも、内面はどう思っているのか分からない。人の内面が分からない程怖い事は無かった。嫌でも理解してしまった事の一つだ。
壁に背を預け、眼を閉じた。眠気が私の中に闇の様に侵食する。
久し振りに、何処か私は安心して意識を手放した。
桜華は知らない。会いたいと願う姉が隣の病室に居る事に。
そして、遠くから自分達二人を垣間見て、嘲笑う人間が居る事に。
これは一時と言うには短い休戦。
姉妹の夜は様々な思いと共に更けていった。
定期考査の為、十二月第一日曜日迄は不定期更新となります。申し訳有りません。