第12話 交わす覚悟
桜華が病院に運び込まれた翌日の朝。
「…ん…んん…」
身体が熱い。重い。目覚めは、余り良いとは言えない物だった。
眼を開けると、飾り気の無い白い天井が見えたが、直ぐにぼやけてしまった。
「雪華?」
ぼやけた視界に、見慣れた顔が映る。
「…葵…衣…?」
「良かった、眼が覚めたのね。」
視界の端の点滴パックを見て、雪華はここが病院である事を理解した。
「…私…どの位寝てた…?」
「ざっと三日。手術は終わって、峠は越えたから大丈夫。」
葵衣の言葉に、雪華は自身が撃たれた事を思い出す。瞬間、抉り取られた左脇腹が痛み、雪華は思わず顔をしかめた。
「っ!?雪華!?」
「…大…丈夫。少し…痛む…だけ。それよりも。」
雪華は、直感的に感じた事が有った。そして、それは皮肉にも、葵衣が雪華に悟られるのを一番怖れていた事だった。
「…葵衣…もしかして私は、もう…」
「雪華?」
「狙撃、出来ないの?」
葵衣の表情が凍り付いた。雪華はそれを見て、全てを悟る。
「…そっか…やっぱりね…」
どこか諦めに似た面持ちで雪華は笑う。
出会った時から雪華は異常に勘が良かった。否、良すぎたと言っても良い。
隠す事など、最早無駄だった。
「…どうしてわかったの?」
「…半分は…勘だよ…?」
「構わないわ。」
「…一つは…内臓の損傷。」
実はこの時代、IPS細胞の研究は振り出しに戻っている。かつての『大戦』でデータや研究者が失われた為だ。再び開発され、実用化されるには後十数年必要と言われている。
因って、雪華の左脇腹の内蔵は、損傷を受けたまま、物によっては機能の半分が失われた臓器もある。
とても、負担を掛けるような射撃の体勢―――雪華は主に伏射の構えを取る―――は出来ない。
「…二つ目…は…銃の…性能…」
葵衣が作り上げた試作型狙撃銃『wind』。射程距離は約ニキロにも及ぶ物だった。
弾丸こそ普通の大きさで有ったが、中身は高性能、高火力の炸薬に変わっている。当然、反動は桁違いだ。
果たして、対物ライフルに撃たれ、負傷した身体が耐えきれるかと言うと、無理に近い。
己の手足の様に扱えた雪華だからこそ分かる事だった。
葵衣は溜め息を吐く。
全て正解だった。。
雪華に現実を告げねばならない。しかし、それは告げるには、余りにも辛い現実だった。
「…正解よ。雪華。」
自分は何て酷い人間なのだろうと葵衣は思う。誤魔化す事を選ばずに、現実を告げる事を選んだのだから。
「―――貴方はもう、狙撃は出来ない。」
それを聞いても、雪華は顔色一つ変えずに言った。
「『アレ』も無理?」
「……本気で言ってるの?」
「勿論。」
葵衣の顔から血の気が引く。それ程雪華は、とんでもない手札を切ったのだった。
冷泉銃工の研究所の金庫に有るアレは、雪華自らが封印した物なのだから。
「…どうして…どうしてそこまで…!!」
葵衣は雪華の考えが理解出来ない。どうしてそこまでして、戦い続ける必要が有るのだろうか?
「…只の…懺悔よ…自己満足の…ね…」
誰に、とは言わなかった。だか、その言葉で葵衣は、雪華の意思を曲げる事は不可能だと確信する。
「…後悔…しないのね…」
「ええ…」
「……分かったわ。」
葵衣は立ち上がった。
「三日後…退院したら研究所に来なさい。…用意しておくわ。」
「…うん。」
短い返事を最後に、雪華が眼を閉じた。やがて、小さな寝息を立て始めた。
「……さて…」
葵衣の眼は既に技術者の物に変わっていた。鞄を手に取り、眼を細める。
「三日…か…お世辞にも十分とは言えないけど…最善を尽くすしか無いわね。」
封印した『アレ』を整備し、雪華に合わせて調整するには三日と言う時間は余りにも短い。
しかし、雪華(親友)が覚悟を決めたなら、生半可な態度で臨む事は、失敗は許されない。
決意を新たに、葵衣は雪華の病室を出て行く。
後ろ姿を見送ったのは、一姫が花瓶に生けた白百合だけだった。