第11話 Obbligazioni
状況は全く変わらず、否、悪化の一途を辿りながら数年が過ぎた。軍事的な境界は大して変わらなかったにも関わらず、死体やスクラップの数は増えていく。戦争は最大の消費活動と言う言葉は、正しい事だったと実感するには十分な時間だった。
しかし、戦況と同じ様に、姉妹とその師の日常が変わらなかったのは、寧ろ幸福な事だと言えるだろう。変わったと言えば、年齢と身長、それに階級位の物だった。
年齢が二桁になるのと同時に、姉妹の階級から『特務』の二文字が消え、正式に雪華は中尉、桜華は少尉に任命された。かと言って、部下が出来た訳でもない。そんな物自体が必要無いし、慢性的な人材不足は、戦況と同じく変わらない。
勿論、変わらない事には前線に駆り出される事も含まれていた。
左手の機関拳銃を横凪に振るいながら斉射する。一般に、『馬賊撃ち』と呼ばれる撃ち方だが、雪華は知らなかった。最も自分に合う撃ち方を試行錯誤した末での物に過ぎない。紫蘭は、銃の『使い方』は教えてくれたが、『撃ち方』までは教えてくれなかったのだ。
屋内に吹き荒れる銃弾の嵐は、確実に敵兵の数を削っていく。硝煙と血の匂いが辺りに立ち籠める中、雪華の銃は弾切れを迎えた。弾幕が途切れたのを見計らい、応射を始めようと顔を出した敵兵の頭が突如爆ぜる。それは、桜華の狙撃だった。
雪華は即座にナイフに持ち替え、残党が応射を始める前に、白兵戦に持ち込む。
手始めに正面の兵士の首を掻き切り、奪った手榴弾を投げつけた。弾除けから慌てて飛び出した敵兵を、リロードした銃で撃つ。
僅か数十秒の制圧劇。飾り気は無いが、一流が演じきった劇だった。舞台に立っていたのは、雪華と後一人―――
「見事だ、雪華。」
背後の入り口から入ってきた紫蘭が声を掛けた。
「…師匠なら、一人で全部やれたでしょう?」
雪華は首を振り、未だにか細い硝煙を上げる銃口を一人の敵兵に向ける。頭部がごっそりと欠けた死体は、桜華が狙撃したものだ。
「そうかも知れない。だが、お前達程の歳で、ここまでやれる者はそうは居ない。」
少なくとも私は見た事がない、と言って、紫蘭は煙草に火を付けた。薄暗い中に小さな火が一つ、幻想的に浮かぶ。
「…あの、師―――」
その火を見ながら、雪華が口を開こうとした時だった。
『……師匠、煙草を吸って一服してる場合じゃありません。姉さん、そこから八時方向に敵が来てます。装甲車が一台、兵士が三です。』
少し離れた廃墟に居る桜華の声が、イヤホンから聞こえた。
「分かった、私が対処する。雪華、桜華と合流しろ。」
「分かりました。では、待ってます。」
援護の申し出はしなかった。危険だから、と言う物ではない。その程度では、手助けの必要すら無いと言う意味だった。
「…さて、少し運動するか。」
雪華が外の世界に消えたのを見届け、煙草の火を足で揉み消すと、紫蘭も外の世界へと出て行った。
◆◇◆◇◆◇
護衛を回りに従え、ゆっくりと一台の装甲兵員輸送車が進んでいた。
かつては大戦の為に製造されていた大量の軍用車両、兵器は、終戦と同時に、その多くがスクラップ処分となった。しかし、難を逃れた一部が闇市場へと流れ、今でも高値で取引されているのが現状である。この車両もその一部であった。どちらにせよ、兵器の存在意義など、何時の時代になっても、相手を脅し、支配すると言う事は変わらないだろう。
そんな事を思いながら紫蘭は、柱の影に隠れていた。桜華の情報によれば、ここを通るまで後二分。その証拠に、装甲車のエンジン音が紫蘭の耳に届いていた。内心で紫蘭は桜華を褒める。
遠目に見ても、随伴する兵士も、装甲車も警戒は緩かった。一応このエリアは敵の勢力下にある。最も、僅か数時間足らずで、拠点は全て姉妹に潰されたのだが。
幾つかの強襲の手段を考えていた紫蘭は、自身が最も得意とする戦い方―――不意討ちを仕掛ける事に決めた。腰から得物である刀と拳銃を抜く。
『会敵まで、後十秒。』
遅すぎても早すぎてもいけない。不意討ちに於いての勝負は、一瞬。
集団が横を通り過ぎたのを見計らい、紫蘭は飛び出す。後続の兵士の首を切り落とし、異変に気付く前に、もう一人に襲い掛かった。二人目が事切れた所で、やっと異変に気付いた装甲車が煙幕と弾幕を張り、戦線離脱を試みるが、紫蘭は逃がしてやる積もりなど毛頭ない。
発砲で取り残された一人の仕留めると、紫蘭は装甲車を追い掛ける。所々に転がる瓦礫が、装甲車を足止めしている所為で、余り足は速くなかった。
走りながら拳銃を収め、跳躍した紫蘭は刀を振りかぶる。見た目は只の日本刀。仮令幾ら切れ味が良かろうとも、装甲車など斬れる筈がない。
それが、只の刀だったなら。
「―――疾っ!!」
振り下ろされた高周波ブレード(・・・・・・・)は、火花を上げながら、あっさりと装甲車を中に居た人員諸とも斬り裂いた。
慣性の法則に則り、暫く走り続けた装甲車は、突如幾つものパーツに分かれ、炎上を始める。
炎と黒煙を眺めながら、紫蘭は、再び煙草に火を付けた。紫煙を吐き出し、紫煙は、雪華の言葉を思い出す。
『…師匠なら、一人で全部やれたでしょう?』
確かにそうかも知れない。否、可能だろう。紫蘭ならば、あの拠点に居た二十数人の兵士を一人で制圧出来た。敵の前に敢えて顔を出さずとも。自分が教えられて来たのは、本来はその様な戦い方なのだから。
だが、紫蘭は姉妹達にその技術を教えていない。あの姉妹なら瞬く間に身に付けてしまうであろうそれを、何故か教えたくなかった。
それでいて、姉妹は見事に今日を生き延びた。正面から戦い、勝った。数多の舞台に幕を下ろし、自分の舞台を持続させた。
紫蘭は、自分の舞台がもう長くない事を確信している。幕を下ろしに来るのは誰かは分からない。自分から下ろす積もりはないし、そう簡単に他人に下ろさせる積もりもない。
だが、もし自分の舞台を下ろしに来るのが、あの姉妹だとしたら―――
煙草の火が消えた。
―――自分は、どうするのだろう?
火が消え、微かに紫煙を上げる煙草を持ちながら、そんな事を紫蘭は考えていた。