第6話 見舞い
「…すぅ…すぅ…」
白を基色とした殺風景な部屋。染み付いた薬品の匂い。不規則な線を刻む心電図のグラフ。規則正しく小さな筒の中で波紋を作る点滴の薬液。完璧に制御された空調は、季節感を悉く奪っていた。
呼吸をする度に、空気を取り入れた胸が小さく上下し、口元の酸素マスクが曇る。頭に巻かれた白い包帯は、見る者に痛々しさを感じさせる。
雪華が昏睡状態に陥ってから、既に三日が経っていた。
数発も現場に響いた銃声は、駅に陣を敷いていたPMCに不審感を抱かせるには充分だった。それが、第四都市―――を含めた国際社会―――では使用を禁じられている対物ライフルの銃声なら尚更の事。
しかし、即座に対応したにも関わらず、GPSに因って位置を捕捉されていた雪華が救出されたのは、一時間も後の事だった。理由は二つ。一つは、対物ライフルの狙撃を怖れ、慎重にならざるを得なかった為。
そして、もう一つは、PMCとPGC、両組織の仲の悪さの所為だった。
PMCとPGC。二つの治安を守る組織は、お世辞にも仲が良いとは言えなかった。
新参者のPMCには、統治者としての誇りが有り、今こそPMCの下請けだが、元は自警団から生まれた古参のPGCには、自衛隊が壊滅した後、民間人を守って来たと言う誇りが有る。
その為、互いが互いを貶す傾向が有り、現場でも上手く連携が取れない事も多い。
雪華の場合も、その弊害の一つだった。
新参と古参。官営と民営。そんな下らない確執に雪華は巻き込まれたのだ。
「…馬鹿。」
葵衣は雪華の手を握る。血の気の引いた手は、見ていても痛々しい。触れたとしても、まだ見えなくなる方がましだ。
雪華と喧嘩別れした日から葵衣は、雪華の言葉の真意を探る為に、敢えて概要しか調べようとしていなかった雪華の経歴を徹底的に調べ、理解した。
雪華の言動には、全く嘘偽りが無い。全てが事実に基づいていた事に。
資料を読んだだけでも苦痛に苛まれる程の経歴だった。
誘拐された時の事だ。始めて雪華と出逢い、本能的に恐怖を覚えた時の事を葵衣は思い出す。
あの事件ではライセンスが発行され、犯人の射殺が許可されていた。と言っても、取り調べの為に一人か二人は残すのが、暗黙の了解である。ライセンスと言うのは、「射殺しても構わない」と言う妥協点なのだから。
しかし、雪華は躊躇すらせず、問答無用で犯人全員を射殺した。
雪華の眼を葵衣は、はっきり覚えている。忘れたくても忘れられない記憶として、脳にインプットされてしまった。
灰を被った様な髪色をした少女の薄蒼色の眼には―――何も無かった。
殺人と言う人としての禁忌を犯した怯えも快楽も、仕事を終えた安堵も、何も無い。只、薄く深い蒼に葵衣の姿を映しただけだった。
雪華が『月下』に拾われてまだ間も無かったのを知るのは、事件が終わって少し後の事だった。
◆◇◆◇◆◇
引き戸がノックされる音に葵衣は我に返った。
「はい。」
「冷泉、居るか?」
扉を開け、入ってきたのは、風見兄妹だった。見舞いの手土産だろうか、一姫の方は、花束を持っている。
「予定より五分早いわね。」
サイドボードに置かれた時計は、約束の時刻の五分前を指していた。
「五分前行動を心掛けているんだ。」
「私が花を買わなければ悠に十分前行動になってましたけどね。」
一姫が持って来た花を活けながら言う。
「…それはそうと、出来てるか?」
一希はそれを受け流し、葵衣に言った。一希の目的は見舞いと言う事も有るが、実はもう一つ有った。
「ええ、出来てるわよ。…見舞いと修理の両立は、地獄だったけどね。」
「代金は払うよ。」
葵衣から差し出されたトランクを一希は開ける。
「…前と違うな。」
「爆発の熱と刺さった破片が完全に機関部を破壊してたのよ。部品を入れ換える事も考えたけど、どうせならと思って、新しく作らせて貰ったわ。アイギスの方は、一部のバレルは使えそうだったから、その部分だけはそのままにして、他の部分を弄ったけどね。」
トランクの中には二丁の拳銃が収められていた。
所々塗装が剥げながらも新しさを感じさせる白銀の拳銃。そして、それよりも一回り大きい漆黒の拳銃。両方とも外見は良く似ていた。
「銘は?」
「白銀の方はシュペリア。黒い方はインフェリア。」
一希は徐に二丁を取り出すと、構える。持った感覚は余り変わらなかった。
「具体的に、何処を変えたんだ?」
「装弾数を一発ずつ増やして薬莢の排出速度を上げて、スライドの滑りをスムーズにした。…でも一番苦労したのは…」
「こいつだろ?」
一希はインフェリアを撃つ真似をした。当然、弾は入っていない。
「ええ。…全く。三発の弾丸が立て続けに出る機構の開発には苦労したのよ。」
そう。
ロンギヌスもといインフェリアは、シュペリアが単発しか撃てないのと同じく、一つの射撃しか出来ない。
それは、遥かに早い速度で撃たれる三点バースト。言い直せば、三発が一発となって出る三点バースト。
「幾ら作った事が有ると言っても調整には苦労したわ…多分弾薬ケース一箱分は使ったわよ。」
「こんな時に悪かったな、冷泉。」
「大した事はしてないわ。」
「彩萌さんの容態はどうですか?」
花を活け終わった一姫がベットの側の丸椅子に座り言った。
「肋骨二本と左脇腹を持っていかれて、内臓の一つが衝撃で破裂。それでも命に別状は無いらしいわ。……もう、狙撃は肉体的に無理、らしいけど…」
「え…?」
「な…」
二人は絶句した。無理もない。それは余りにも衝撃的な事実だったのだから。
「…生きているのが、奇跡に近いって言われたわ…」
「嘘…だろ…。」
返事は無かった。否、沈黙が返事だった。
スポーツ選手が手足を失う様な。コックが味覚を失う様な。作曲家が聴覚を失う様な。そんな、現実。
しかし、現実は待ってくれなかった。一希の携帯のバイブがメールが来た事を伝える。
メールは、生徒会業務に忙殺されている舞無からだった。
「……すまない、仕事だ。」
僅かとは言い難い罪悪感を抱き、一希は告げる。
「…気をつけて。」
「いってらっしゃい、兄さん。」
「ああ。」
病院内での帯銃は禁止である。一希は、トランクに銃を戻し、閉じると、一希は戦場へ向かった。