第46話 エピローグ
月下舞無が去った後、一人取り残された様に、御影麟架はそこに居た。
麟架が居るのは、第四都市の中央ブロックに建つ都庁の最上階である五十階。一希達を映していたスクリーンは仕舞われ、下界からの喧騒も届かず、部屋は張り詰めた様な静寂に包まれていた。
東の空は白くなり始め、夜明けは近い。夜の都市を照らし出していたネオンは間も無く朝日に照らされ一時の眠りに就くだろう。
麟架はソファに座り、眼を閉じていた。しかし、眠っている訳ではない。産まれてこの方、『安眠』と言う言葉を体験した事は麟架にはなかった。
だが、仕方がない、と麟架は思っている。
既に運命の歯車は廻り始めている。軋んだ音を立て、ゆっくりと。太陽が昇り沈み、月が満ち欠けを繰り返すに連れて。その事を廻り始める前から知っていた、否、知らされた麟架には、見えている。
終わりの始まりまでの、残り時間が。
人間とは愚かな生き物だ。何度痛い目を見ても、己の欲望に忠実で。真綿で自分の首を締めながら、他人の首を締める事など、平気でやってのける。何時か、その真綿が自分を死に至らしめるとも知らずに。
本当に、腐り切っている。
この世に何の罪にも塗れていない人間など、存在しない。
仮令、産まれたばかりの赤ん坊だとしても。
仮令、聖人と言われる人間だとしても。
存在している事自体が、罪なのだから。
必ず終わりはやって来る。最早、時間は余りない。終わりを止める為の策を用意する事すら。
だから、一つしか用意出来なかった。
幾重にも重なる試行錯誤の結果、彼らしか出来なかった。しかし、零よりもましだ。
自分達は、まだ見捨てられていない。
「……風見…一希。」
眼を開けて、祈る様に、麟架は呟く。
ここで彼に倒れられては駄目なのだ。
麟架が思い描くシナリオの為にも。
この下らない世界の存続の為にも。
麟架は再び眼を閉じる。
そして、これからも続くであろう戦いに備え、決して長くない眠りに就いた。
最初に感じたのは、ツンとした覚えの有る薬臭さと、温かさだった。どうやら、何か柔らかい物に包まれて眠っていたらしい。
水の中から浮き上がる様に、意識が戻っていく。それに連れて、様々な感覚が、一希の元に戻って来た。
眼を開け、二、三回瞬かせると、一希は横を見る。そこにいた、窓から差し込む日の光を背にしている人物に、一晩しか会っていないにも関わらず、懐かしい気持ちを一希は抱いた。
「よう、舞無さん。」
「お早う、一希君。生還おめでとう。」
「その言葉を聞く限り、ここは天国じゃ無さそうだな。」
「残念な事に、まだ地獄よ。恨むなら、匙を投げようとしなかった医者と、最後の最後で動き出した心臓を恨みなさい。」
「別に恨みはしないさ。」
首を舞無の方に傾ける事すらも身体が嫌がり、一希は視線を天井に向けた。朝日に照らされた面白味の無い天井が眼に入る。
「俺は、どの位寝てた?」
「まる一日って所よ。…妹さんに感謝しなさい。あの子が居なければ、死んでいたんだから。」
「どう言う意味だ?」
「一希君の腕が千切れ掛けていた所為で、病院に着いた頃には、失血で心停止状態だったのよ。そこを妹さんが輸血を申し出て、事なきを得たの。」
一希が意識すると、グランドクガーの口に叩き込み、喰い千切られたと思っていた左手は、付いていた。正直、隻腕になる事も覚悟していたので、嬉しい誤算に違いなかった。
「雪華は?」
「ああ、雪華なら、今は隣の病室で寝て――」
そこまで言うと、何故か舞無は固まった。
「えっと…どうしたんだ…?」
「―――何時…」
「はい?」
「何時から雪華の事呼び捨てにする様になったのよ!!」
叫びながら、舞無は横になった一希の肩を上下に揺さぶり始めた。間違っても、怪我人にしてはいけない行為だと言う事は言う間でもない。
「痛い痛い痛いって!取り敢えず落ち着け!」
「落ち着いていられる事じゃないわよ!一体何が有ったのよ!」
少し眼に涙を貯めて一希に詰め寄る舞無。返答によっては間違いなく月蝕の一閃が飛んで来る事を、流石の一希も理解し、言い逃れと言う名の弁解を始めた。
「雪華…さんから何も聞いてないのか!?」
「雪華なら、『すっきりしました。』って言って少し頬を赤らめてたわよ!雪華が頬を赤らめる何て滅多に見た事無いわよ!一体何やらかしたのよ!」
「何もやらかしてねえ!冤罪だ!俺は無罪だ。」
今、一希には、雪華が不幸な少女ではなく、悪魔に思える。それも、死刑台送りにされる様なレベルの凶悪な悪魔だった。
「兄さん…?」
「か、一姫…?」
最初、一希は一姫の事が天使に見えた。一姫を使えば、話の行き先を変える事も、追い詰められた今の一希にならば、不可能ではない。否、何としても変えなければならないのだ。さもなくば、一希の命はない。
「な、なあ、一姫―――」
「―――兄さん。」
一姫はにっこりと微笑んでいた。しかし、それは、見る物を震え上がらせる、悪魔の笑みであった。
「何が有ったのか、説明して頂けますね?」
「してくれるわよね?一希君?」
「兄さん?」
「一希君?」
前門の虎、後門の狼と言う事すら烏滸がましい。前門の鬼、後門の悪魔である。これ以上と言って無い位の、最悪の組み合わせだった。
その最悪の組み合わせに対し、仮にも寝起きである一希の思考が上手く働く筈もない。
「お、俺は無実だあぁぁぁぁぁ!」
怪我人とは思えぬ速さで一希は身体に鞭打ち、ベットから飛び降りて逃亡を図った。
しかし―――
「逃げられると思ってるの、一希君?」
「逃げる積もりですか?兄さん?」
一姫と舞無。
笑みを浮かべた二人の少女に飛び蹴りを喰らい、一希の短い逃亡劇は幕を閉じた。
少年少女達の日常は、再び回り始める。
束の間の休息。
誰もが当たり前に過ごして居るそれを、彼らが真の意味で実感するのは、もう少し後の事となる。
運命への歯車は、決して止まらない。
――第一章『Half Red Eyes 』編 完
第一章完結です。
活動報告を御覧になって居られるお方はご存じでしょうが、先日一万PVを越えました。
応援有り難うございます。
これからも宜しくお願いします。
また、第一章につきましては、後々、加筆、修正を加えさせて頂きます。
第二章『Sniper Life』編
近日スタート!!