第44話 蝕むモノ
脚で地面を蹴る度に、被弾した腰に、鈍痛が走る。しかし、それを無視して、己の限界に近い速度で、雪華は葵衣の元へと駆けていた。
背中の狙撃銃は、既に手に握られ、突発的な戦闘にも、十分に対応する事が出来るだろう。
実の所、雪華をここまで急き立てるのは、葵衣の危機だけでは無い。寧ろ、それは、ついでの様な物だった。
心から信頼していた相手に裏切られ、全てを奪われた。その所為で、極度の人間不信に陥り、その間に、ある考えが浮かんだ。無論、今はそこまで酷い状態では無い。しかし、雪華の心に存在し、一部を蝕み続けるとある考えを払拭するには至らなかった。
即ち。
一度でも、裏切った人間は、信用出来ない。
それが、幾ら信頼していた相手であろうと。
只の一度。それだけで、雪華は、裏切り者に銃口を向ける。今回は、それを戦場に巻き込むと言う形で、果たそうとしていた。
しかし、それだけではない。
実は、雪華は、一希にも、誰にも話していない事が有った。
自分を裏切った師匠。当然、雪華はそれを恨んでいる。あの裏切りが無ければ、妹は助かったかも知れないと。今も雪華の隣に居たのかも知れない。だが、それは、只の現実逃避だ。だからこそ、雪華は、逃げずに向かい合った。否、少しでも立ち向かおうとした。
銀のペンダント、その中に入った写真を武器に、支えにして。
それでも、現実は過酷だった。
立ち向かおうとしている雪華に、過去は容赦なく襲い掛かった。
それは、人が最も無防備な―――寝ている時。あの日の事が、夢となって、フラッシュバックする。更に悪い事には、その夢は、現実よりも酷い。
夢の中では、雪華は、師匠をあっさりと惨殺し、現実では見なかった妹の死を目の当たりにしていた。
毎回毎回、助けられる筈の状況で。
ある時は狙撃、またある時は流れ弾、またある時は…
数え切れない程の状況を、まるでVR訓練の様に体験させられる。
悪夢と言う言葉では形容し難い、そう、言うならば『夢喰い』。只、喰われるのは、夢ではなく、雪華の精神。それだけの違いだった。
喰われ、削られていく雪華の精神。それを誤魔化すかの様に、雪華を発作が襲う。押さえるだけで、精一杯の発作が。
医者に掛かる、と言う選択肢はなかった。
心配させたくも無かったし、それに、少女兵と言う過去は、余りにも重過ぎる。一希だからこそ、雪華は、話したのであって、おいそれと他言する積もりは、毛頭なかった。
しかし、一番大きな理由は―――認めたくなかった。
自分が、そこまで壊れてしまった事に。
つつけば崩れてしまう様な、そんな脆くなってしまった自分を否定したかったから。
それに、大した物では無いと信じていた。
脳を蝕むのは、赤黒く濁った、復讐の映像。
最愛の妹を奪った奴らを、『処刑』している雪華の姿。
そして、それに伴い、もう一つ。
制御は比較的し易いが、それは、最も性質が悪く、同時に、最も単純な物だった。
「……見つけた。」
一人の少女を取り囲む様に、大型の野犬の様な『侵入者』の群れが居た。
数は、十数匹。
『クガー』と呼ばれるその獣は、見た目に違わず獰猛で、普通なら、一つの群れを排除するのに、五人から十人が必要となる。
しかし、雪華は、脚を止めない。
「―――ハアアアァァァ!!」
葵衣を巻き込む様に、フルオートで乱射しながら、戦場へ乱入した。
雪華を蝕むもう一つの物。
その正体は、破壊衝動であり、殺戮衝動だった。
忽ち数匹を葬られたクガー達が、標的を葵衣から雪華へと定める。
しかし、残念な事に、クガー達は知らない。
この乱入が、かつて第五都市で、『死神』と恐れられ、忌み嫌われた少女が振るう大鎌のほんの一振りに過ぎない事に。
薬莢が地に転がり、乾いた音を立て。
それを、発砲音が掻き消す。
それ故か、最後の薬莢が落ちる音と、銃剣が出る音は、妙に大きく聞こえた。
弾切れとなった狙撃銃を肩に担ぐ様にして、雪華は振りかぶり。
空気ごと、切り刻むように直進した。
かつて、戦場で数多の人間を散らしてきた業を発動する。
「―――ハーケン…ストーム!!」
直後。
紅い雨が、再び地を、少女を染め上げる。
それの元となったクガー達は、一匹残らず、挽き肉と化していた。