第41話 銃を持つ意味
途中で階段から跳躍し、雪華は警備兵達の中央に着地。ついでの様に、側に居た兵士の首に銃剣を当て、引いた。頸動脈が切断され、紅い噴水が雨の様に降り注ぐ。絶命した兵士は、自らが墓標であるかの様に暫く立っていたが、やがて、倒れた。ドサリ、と言う音が、場違いの様に響く。
「…ぁ…うぁ…」
「…ひぃ…」
普通ならば、とっくに雪華は、碌な抵抗も叶わずに蜂の巣にされている筈だった。今もそう。刀身に血の付いたスナイパーライフルを片手に持ち、只立っているだけ。何の構えもしていない、無防備の極み。
それでも、兵士達は、ライフルの引き金に指を掛ける所か、銃口を向ける事さえもしていない。悲鳴とも取れぬうめきを上げる事で精一杯だった。
否。出来ないのだ。まるで何かに拘束されてしまったかの様に、兵士達は、指一本動かす事は出来ない。難を逃れたのは、臆病者の声帯とようやく小雨になった紅い雨だけ。
場に居合わせた全員が、十六、七の小娘に過ぎない筈の雪華の気に圧されていた。
今迄何度か生死を潜り抜け、『感覚』を知っている一希は勿論の事、アマチュアとプロの境目に居る様な兵士達も、理論では無く、生物としての本能が悟る。
―――無闇に手を出せば、殺される。
戦う以前に勝敗は決していたのだ。そもそも、戦いと呼ぶ事すら烏滸がましいのかも知れない。虐殺。そう呼んだ方が、相応しい。
一希もまた、一種の危機感を漠然と感じていた。雪華が飛び出す前、あの自信と悲嘆が入り混じった表情の所為では無い。そんな事を考える余裕は、皆無だった。
一希は仕事や訓練の際、舞無や知り合い、犯罪者などありとあらゆる相手と闘った事が有る。その中には、銃を向ける事すら出来ない様な『怪物』レベルも居た。
だが、今の雪華はそのレベルと同等、あるいは凌駕している。仮令、ロンギヌスが使えたとしても、一希が殺す気で雪華と闘ったとしても、逆に殺される自身が有った。
「……し、死…神…」
何処からともなく、一人の兵士の口から言葉が漏れた。小さな呟きは、時間すら止められてしまった様な空間に良く響き、一希と雪華の耳に入った。否、雪華の場合は、入ってしまった。
「―――っ!?」
先程まで放っていた気が嘘の様に、一希の言葉に酷く雪華が狼狽する。同時に、それは開戦の幕開けだった。硬直の解けた兵士が一斉に銃口を雪華に向ける。一糸乱れぬとは言い難い様でも、殺気を感じるには、充分すぎるその行為に、一希は、雪華の援護の為に、階段を下りようとした。しかし、結果的に必要無かったと言う事を一希は直ぐに思い知らされた。
一斉に銃声が木霊した瞬間、雪華の姿が掻き消える。兵士のライフルから発射された弾丸は、目標を見失った。だが、覆水盆に返らず。目標が消えたからとて、銃弾が銃口に戻る訳が無い。放たれた銃弾は、代わりに互いに向き合っていた仲間を射貫く。ある者は、片膝を付き、またある者は倒れ、苦悶の表情を浮かべた。
「遅い―――」
何時の間にか囲みの外に脱していた雪華は呟き、windを構える。その表情は、夜闇と前髪に覆い隠され、分からなかった。引き金が引かれ、連続した銃声が響く。大型狙撃銃のそれは、弾丸をフルオートで斉射していた。恐らく、windは、狙撃銃としてのセミオート、アサルトライフルとしてのフルオートを両立させたライフル。その為に、葵衣は、大型狙撃銃として設計し、精度の低下を防ぐ為に、小型とは言え、嵩張る機関部を二つ併設したのだろう。戦争用のライフルと言われても納得できる。
ライフルでは当然の反動が襲っているにも関わらず、雪華の狙いが外れる事はない。雪華は、最初から反動を計算して斉射していた。windの特性を知り尽くしているからこそ為せる業。寧ろ、フルオートであろうと、数メートルしか離れていないこの距離では、雪華に取って、外す事の方が難しかった。
銃口から吐き出された銃弾は、兵士達の命を易々と奪っていく。屍となったとしても、未だ生と死の狭間で藻掻く者達と共に、鉛の嵐に巻き込まれ、元の原型が分からない様な、赤黒い挽肉に加工されていた。そんな地獄絵図の様な光景を一希は、映画の一幕の様に、他人事の様に眺めていた。
何時までも続くかと思える様な長い斉射が、弾切れによって途切れる。殆どが原型を留めぬ挽肉や、粉々にになった装備の中には、生き残った兵士が一人残っていた。同僚たちの血肉の中、半死半生の兵士は、這ってでも死神の魔手から逃れようと、必死に手を前に伸ばしていた。偶然にも、一希の方向に向けられた手。救いを求める血に塗れた手は、声なき声で一希に叫んでいる様に見えた。
その兵士の前に、雪華は立ち塞がる。既にwindの再装填は終わっていた。血飛沫が掛り、血溜まりに浸った制服や革靴は、洗ったとしても最早使い物にならないだろう。しかし、気付いていないのか、どうでも良いのか、雪華はまた一歩前に出る。液体が跳ねる音が妙に大きく響き、波紋が広がった。
「……ぁ…た、頼む、命だけは―――」
「銃は。」
逃げ出す事が叶わなかった兵士の命乞いは、雪華の呟く様な言葉に遮られた。
「…銃は、この世で最も危険な道具です。たった一丁でも使い方を誤ればこんな事になる。貴方も歴史位は知っていますよね?『大戦』が何を切っ掛けに起こったか。結果、どんな事になったか。」
堰を切った様に、雪華は話し始める。だが、それは兵士に問うと言うよりも、寧ろ、雪華自身が自問している様だと、一希は気付く。
「銃を握るには、絶対に居る物が二つだけ有る。それが、覚悟と信念…目的と言い換えても良いかも知れない。最低でもその二つさえなければ、銃は暴走する。銃に巻き込まれて、当然射手も暴走する。…この惨状を作り出した、私の様に。」
一旦言葉を切り、雪華はwindを持ち直す。たった今、暴走して嵐になってしまった銃を。
「貴方には有りましたか?銃を…下手すれば歴史までも変えてしまう道具を扱う覚悟と信念が。」
雪華は問う。空気が一本の糸の様に張り詰め、兵士はそれに答える事は出来なかった。十秒程の長い沈黙は、雪華に答えを悟らせるには、余りにも多過ぎた。
雪華は、黙って銃口を兵士の頭部に向けた。巫山戯ている様子は無く、死刑執行の準備は整う。銃撃で消し飛ばされたのか、ヘルメットは無い。無防備な頭部だった。
「…た、助け―――」
「…さよなら。」
雪華の指に力が入る直前。ようやく一希は我に返る。本能が命じるままに、一希は叫んだ。
「止めろ!!」
「止めなさいっ雪華!!」
処刑を止めようとする一希の声にも、イレギュラーの声にも反応する事無く、雪華は引き金を引いた。