第37話 不完全な銃、不完全な人間
一希は、咄嗟に水槽の陰に転がり、散弾をやり過した。頭で考えた末の回避では無い。銃声を聞いた時の、反射行動だった。
一希が隠れる水槽に向けて、影人は、再びショットガンを撃つ。しかし、防弾性の超硬質ガラスは、散弾程度では、火花を散らせるのみだった。
発射の間隔を見計らい、一希は、crossoverを影人に向けて撃つ。狙いは、心臓。
幾らあの紅い薬品を投薬したとは言え、四十口径の弾丸を心臓に喰らって、平気で居られる筈は無い。一希とて、試した事は無いが、恐らく、耐え切れない筈だ。
そう、思った。
弾丸は、少しだけ動いた影人の左胸を、心臓を射抜き、貫通すると、血の尾を引きながら、奥の壁にめり込む。貫通した穴からは、これでもかと言う程の、血液の奔流が流れ出し、スーツと床を染めた。
「……思ったよりも、大した事は無いな。」
「……なっ」
左胸の出血が止まり、銃創が、逆再生した様に、塞がって行く。
「……何故…」
手応えは有った。自分でも、見事だと思える程の射撃。だが、目の前の影人は、平然と立って居る。
「…驚いて居る様だね。まあ、無理も無い。心臓を撃ち抜かれて生きて居るのだから。実験を見たけれど、やはり、体験とは、一線を―――。」
言葉を聞かず、一希は、再び発砲する。今度の狙いは、影人の手に有る、ショットガン。せめて、攻撃手段を奪う為の抵抗だった。
「人の話は聞けよ、餓鬼。」
呆気なく避けられ、お返しとばかりに、ショットガンが再び火を吹く。ガラスに罅が入り、少しずつ、水が漏れ出した。
だが、一希は其れ処では無い。今、一希の脳裏には、昨日の二神篝との闘いが、頭に浮かんで居た。
二神篝もまた、銃撃を喰らって、平気で居た人間の一人。
あの時は、弱装弾を使用した所為か、貫通もしなかった。殺す積もりで撃っても居ない。しかし、状況は同じだ。只、決め手となった麻酔弾は、此処には無い。実弾の弾倉が有るだけだ。
「まあ、貴様も同じなのだがな。試して見るか?」
「…同じ…」
一希の頭の中で、何かが弾ける音がした。代わる様に脳裏に浮かぶのは、ここ数日間、いや、それよりも前。五年前、目覚めてからの負傷の仕方―――
「……ああ、まさかな。」
得られた答えは、憶測の域を出ない。其れでも、此れしか無い。試して見る価値は有る。と、言うより、賭けるしか無かった。其れが幾ら分の悪い賭けだとしても。
「…でも、出来るか…?」
曲芸紛いの方法を思い浮かべ、一希は、呟くが、即座に止める。どうせ、分の悪い賭け。自分に不利な材料が二つ三つ、積み重なろうが、影響は無かった。天秤は、此れ以上、傾かない。
溜め息を吐いた。苦悩から来る物と言うよりは、自嘲する様な溜め息を一希は吐く。
ああ、俺は馬鹿だ、と一希は思う。舞無に、一姫に、雪華に、葵衣。彼女達に生きて帰ると約束しながら、自らの命を天秤に賭けるのだから。
左手で右眼の黒いカラーコンタクトを外す。そして、水槽の影から、一希は姿を表した。
「…死ぬ覚悟でも出来たか、餓鬼。」
昼間と同じ様な、人を見下し、嘲笑う事に慣れた口調。やはり、この男は、今まで、他者を見下して生きて来たのだろう。
其れが分かるからこそ、一希は、気に留めようとすらしなかった。
「いや、生憎そんな物は、何処かに棄てた。代わりに、あんたを殺す手段は思い付いたが。」
影人と同じ様に、一希は嘲笑う。その態度が気に入らなかったのか、影人は、顔を歪めた。
「貴様は、何故、其処までして彗を護ろうとする?お前も知って居る筈だ。あの小娘は、只の殺人鬼だ。」
「その小娘を追い詰めて、揚句の果てに凶器を持たざるを得なくしたのはどいつだよ。俺が頼まれたのは、古手鞠彗を護る事だ。だったらそれに固執する。仮令、その義父親に銃を向ける事になってもな。」
一希は言った。彗の味方になる、と。あれは、雰囲気で言った事では無い。本気で、言った。だからこそ、一希は今、此処に居て、影人に銃を向けて居る。
「俺は、必ず帰るって約束したんだよ。その上、お前は、一姫を泣かせた。だから、殺す。」
目覚めて、一緒に暮らして居ても、一度も見る事が無かった一姫の涙。傍目では、落ち着いて居る様に見えた一希も、内心は、これまでにも無く酷く動揺して居た。一希は、今、一種の狂乱状態にある。一姫を泣かせた自分自身に対する怒りと、その原因を作った影人に対する怒り。今にも箍を外してしまいそうな二つの怒りは、辛うじて理性で抑えられて居た。
左手でもう一つのホルスターから、銃を抜く。其の色は、黒。
「…銃が一丁二丁増えた所で何になる。」
「なるさ。此れが本来のcrossoverだからな。」
右手に銀。左手に黒。
二丁の拳銃の銃口を向け、一希は、影人と対峙した。
薄暗い室内。
其処では、大量の紙が舞い、部屋に面した廊下では、発光信号が如く、マズルフラッシュが瞬いて居た。
「葵衣、未だ?」
「もう少し待って。」
壁を爆破し、見つけた隠し小部屋の書類棚を漁りながら、葵衣が言う。廊下では、雪華が伏射の構えを取って居た。見た目は最早、只の泥棒である。
「未だ持つ?」
手を休める事無く、葵衣が聞いた。棚を漁るのに邪魔なスターレインは、腰のホルスターに収められて居る。まるで警戒して居ない様な様子は、雪華に全幅の信頼を置いて居る証に他ならなかった。
「未だ余裕。」
答えると同時に、雪華は、windの引き金を引く。丁度、廊下に現れた二人の兵士が、脳を撃ち抜かれて即座に絶命した。廊下の先では、既に、十数人の死体が血溜まりに沈んで居る。
本来、ライセンスを発効されて居ない二人は、殺人等犯してはいけない。葵衣が、最初、警備兵の脚を撃ったのも、其れが理由だ。しかし、一希と合流した事で、必要は無くなった。
要するに―――罪の擦り付けである。
其れは、この死体の山を一希がやった事にすれば良い、と言う意味。銃弾の違いこそ有るが、其処は葵衣が、書類上で偽装する予定だった。
「そう言えばさ、葵衣。」
「何?」
葵衣は必要無い書類を引っ張り出し、盛大に撒き散らす。偶然雪華の頭の上に、紙吹雪にしては、大きすぎる一枚が載ったが、雪華は、微動だにしない。ずっと、50m先をwindを構えて、見続けて居る。其れで居て、葵衣と言葉を交わして居るのだから、恐るべき集中力だった。
しかし、実は雪華は、全く集中しようとして居ない。だからこそ、葵衣と雑談をし続けて居るのだ。
雪華に取って、高々50m程度の距離を狙うのは、遊びも同然だった。もし、windが各種の計測機器を搭載したスコープを付けた万全の状態で有ったならば、更に気を抜いて居たであろう。
「今回の殺害対象の…古手鞠影人だけど。」
「ええ。」
「あれだけの武装で大丈夫なの?」
「あれだけって?」
書類棚を漁り終わり、葵衣は次の書類棚に取り掛かる。申し訳無い程度の錠に、プラスチック爆弾を取り付けた。
「crossover…あの三点バーストも付いて無い銃一丁で。」
「ああ、多分大丈夫よ。…其れに雪華、あの銃は、crossoverって銘じゃ無いわよ?」
「はい?」
豆鉄砲を喰らった鳩の様な顔で、雪華が葵衣を見る。丁度其の時、廊下に警備兵が現れた。しかし、雪華は、標準も合わせずに撃ち抜く。
「お見事。」
棚の錠前を爆破し、書類を漁りながら、葵衣が言った。一見皮肉にも取れないが、付き合いが長い雪華には、其れを賞賛の言葉と取るのは容易かった。
「ありがと。…で、どう言う意味?」
「どう言う意味も何も無いよ。あの銃の銘は、『アイギス』。crossoverって言うのは、其れを本当の意味で使った時の呼び名。…簡単に言うと、アイギスだけだと、不完全な銃でしかない。」
「……私みたいに?」
「…いい加減、自分をそう卑下するのは、止めた方が良いよ。と、言うより、止めなさい。」
何時もよりも、格段に強い口調で葵衣は言った。ちらりと見えた横顔は、明らかに不快そうだった。
「…ごめん。」
雪華は、不完全な狙撃手だと、人間だと、時折自らを責め、卑下する。其れを聞いた葵衣は、雪華を叱り、雪華が謝る。飽きる事も無く、繰り返されて来た茶番だ。葵衣は叱りはするものの、理由を雪華に尋ねる事はしない。其の理由を聞いた所で、葵衣は、雪華を救ってやれる自信が無い。
其れ程、雪華は深い闇を抱えて居る様だった。
「……続けるね。風見の持って居る銃は二丁。殆どオーダーメイドで作ったから、市販はされて無いよ。市販しようにも、SBGみたいに、持たせて、教えれば、直ぐに使える銃じゃ無いから。」
「…なら、二丁…crossoverを使えば、勝てるの?」
「古手鞠影人が何れ程強いか分からないけど、私個人の見立てを加えれば―――」
「―――勝ちます。風見一希の勝ちです。」
都市外に有る研究所から、約10㎞離れた第四都市。其の中央部。土地不足を補う為の高層ビル群の中でも、一際高いビル、其の最上階。十の指で数えられる程極々一部の人間しか入る事が出来ないフロアで、舞無は、とある人物と、テーブル越しに、向かい合って居た。
灯りを落とした室内の壁、其処に備え付けられた、巨大なスクリーンでは、二丁一対の銃、crossoverを構えた一希と影人が対峙して居る。
舞無は、本当ならば、此処に来る予定は無かった。そもそも、一希や雪華と出逢う以前に、一回しかこの部屋には、入室した事が無い。そんな舞無を呼び寄せたのは、この部屋の主だった。
「…風見一希が勝つ、か。月下、あ、いや、舞無。判断の理由は?」
男とも女とも取れない声。唯一分かるとすれば、若いと言う事だけだった。
「…彼は、今、もう一丁の銃を抜きました。私があれを見たのは、此れで二回目です。一回目は、私に危害が及びそうだった時。彼は、其の時、私を闇討ちしようとした犯罪者を再起不能にしました。」
一旦言葉を切り、舞無は、コーヒーで喉を湿らせる。
「冷泉銃工社長令嬢、冷泉葵衣が、風見一希の依頼を受けて造り上げた、二丁一対の銃『アイギス』と『ロンギヌス』。二丁の不完全な銃を併用する事で、始めてあの銃は、『crossover』たりえます。性能と使い方を知り尽くした彼が其れを使うと言う事は、本気だと言う事です。」
実際、葵衣は一希からの依頼を受けた時、一希の意図が理解出来なかったらしい。其れは、今も同じ。意図を理解出来ぬまま、葵衣は、crossoverのメンテナンスを請け負って居る。
「……ボクはてっきり、『開発者』としての自信過剰だと思ったよ。護る為に障害を消し去る―――風見一希は、其れを目的にした『人型決戦兵器』であり、風見一姫は―――」
「お言葉ですが。」
冷たい、万物を射抜いてしまいそうな眼をした舞無が途中で遮る。
「私は彼を『兵器』として見た事は有りません。」
「…だろうね、でなければ、君があんな事を起こして、北東ブロック―――『捨てられた街』でPGCをやる理由が無いじゃないか。君が事を起こした時、ボクは結構驚いたからね。」
舞無の視線に臆す事無く、部屋の主は笑う。
「…人の生き方は各々だと、教えられましたから。」
「なら、君は何時まで嘘を付く積もりだい?あの事を教えないなんて、まるで、壊れた玩具に何時までも執着する子供の様じゃないか。本当は、君も分かって居るんだろう?」
実に楽しそうに言葉を紡ぐ主。反面、舞無の背筋を、冷や汗が伝って行く。
「―――鬼に一度でも堕ちれば、人には戻れない。」
「―――ッ」
舞無は、思わず立ち上がり、月蝕を抜こうと、腰に手を伸ばした。しかし、腰に漆黒の日本刀は無い。この部屋では、誰であろうと、武装出来ない。
憤怒か羞恥か。僅かに震える手を下ろし、舞無は、部屋を出て行こうと背を向けた。
「また、会える事を願って居るよ、月下舞無社長。」
部屋を出て行く直前、掛けられた言葉に、舞無は、
「…もう、二度と会わない事を願って居ますよ、御影麟架第四都市首長。」
としか、返せ無かった。