第36話 境界線
一希、葵衣、そして雪華は、四階まで降りて来た。一希の言った通り、辺りには、壁だったと思われる瓦礫が散乱して居り、更に、火薬臭い。
「……改めて見ても…救い様が無いな、冷泉。」
一希の呟きは、雪華から見ても正しく感じた。まるで、建物の中だけが絨毯爆撃された様な有り様だったのだから。
一希は、雪華を椅子代わりの瓦礫の上に座らせ、葵衣も其れに倣い、その近くの瓦礫に座る。一希は、立ったままだった。当然、警戒の為である。
「…さて、此れからどうする?」
一息吐く間も置かず、口火を切ったのは、葵衣だった。急かす様な問い掛けに、二人は、慌てる様子すら見せない。
既に、雪華救出によって、目標の大部分は成した。後は、古手鞠影人の殺害、脱出と言う、比較的どうでも良い作業だけ。即ち、やる事は、限られて来るのである。
「古手鞠影人は、俺が殺って来る。」
一番の目的は、けじめを付ける為に。怪物か否か、其れを確かめる為に。
そして、後一つ―――
「なら、私達は、脱出ルート、手段の確保ですね。」
「ああ、その事何だが…一つ、二人に、やって欲しい事が有るんだ。」
怪我をしているのに申し訳無いと思って居るのか、雪華と葵衣に対し、一希は、少し言い辛そうに言った。
「やって欲しい事?聞くだけ聞くよ。」
「……今、俺達は、何時消されても可笑しくない。」
「……」
「……そうです、よね。」
元々事情を知って居た葵衣は勿論の事、雪華も、一希に説明され、全てを聞いて居た。しかし、自分が殺害対象にされて居る事は知らない。その理由は簡単だった。仕事をこなす内に、一希は、雪華が自己犠牲と言う、狙撃手には、相応しく無い考えの持ち主である事に気付いていた。もし、自分が殺害対象だと言う事を、雪華が知れば、自ら命を絶ちかねない。誰も死なせない、と言う約束を舞無と交わした一希に、其れを反故にする様な行動、言動を取る理由は、全く無かった。
だから、一希は、平気で嘘を吐く。善悪の問題でも、道徳的な問題でも無い。良心の呵責など、一希に取っては、二の次だ。只、其れが良かれと思う方向に繋がると信じて、風見一希は嘘を吐く。
「…恐らく、俺達が其のまま手ぶらで帰っても、使い捨てられる。下手をすれば、もう都市内に入る事すら出来ないかも知れない。」
「じゃあ、どうするんですか?」
「俺達が始末出来ない、そんな理由を作れば良い。」
笑って居る場合では無い筈なのに、一希は、笑みを浮かべる。其れは、悪戯っ子が何か悪巧みを企てるかの様な、無邪気で、暖かいのに…しかし、無理に笑って居る様な、何処か歪な笑みだった。
「始末出来ない…理由、ですか?」
雪華が少しだけ首を傾げる。埃でやや煤けた薄蒼色の括られた髪が、振り子の様に揺れた。葵衣もどう言う事か、分かって居ない。何せ、一希もさっき思い付いた事であり、一希しか考え付かない事なのだから。
「…古手鞠影人によると、俺は…俺と一姫は、軍事目的で作られた人間らしい。そして、その研究には、第四都市が関わって居る。」
暫しの沈黙が降りる。突拍子も無い話を、耳は受け入れても、頭が受け入れるのに時間が掛かって居るのかもしれなかった。証拠に、息を呑む音すらしない。微かに、機械の音が聞こえるだけだった。
「……嘘、でしょ?」
時計の秒針が一回転する程の時間を要し、出て来たのは、葵衣の掠れた声。
しかし、雪華だけは、何故か驚いて居る様子を見せない。只、無言を貫いて居た。
雪華の態度を問い詰めたいと言う気持ちを抑え、一希は、葵衣に向き直る。
「こんな所で冗談言う程、俺は役者じゃない。」
「……そう。で、私達は何をすれば良いの?」
「書類を探して欲しい。」
「はい?」
今度は、雪華までキョトンとする。二人の様子に、一希は苦笑いしつつも、言葉を繋いだ。
「書類だ。この施設に第四都市が関わって居るのなら、必ず何処かに繋がりを示した書類が有る筈だ。二人には、其れを探して欲しい。」
「…つまり、書類を第四都市、いえ、PMCへの保険に使うんですね。」
雪華の言葉に、一希は頷いた。軍事目的で人を作って居る。マスコミに取って、格好のスキャンダルに他ならない。一希がやろうとしているのは、自分達の身を、敢えて自分の情報を周囲にバラす事で守ると言う事だ。
軽々しくするべき事では無いとは思う。なんせ、迷惑を被るのは、自分一人では無いのだ。出来る事ならば、一希とて、そんな事は避けたい。だからこそ、『保険』として、取って置くのだ。
「分かったわ。探して見る。」
一希の意図を読み取り、二人は頷く。其れを確認し、一希は、二人に背を向けた。
「なら、俺は行くよ。また、後で。」
「気を付けて下さい。」
「死ぬんじゃ無いわよ。」
振り向く事はせずに、一希は、階段へと消える。途端に、二人の顔から微かな笑みが消えた。葵衣に手を借り、雪華は立ち上がる。僅か十数分休憩しただけでも、かなり楽になって居た。
「行こうか、雪華。」
「ええ。」
生き延びる為の材料を見つける為に、二人は立ち去る。人の気が消えた其処には、隙間風によって、塵芥が舞っていた。
銃声が響き、紅い血を撒き散らして、また一人、床に倒れた。
「…何人居るんだよ、結局。」
溜め息を吐き、一希は後ろを振り返り、物でも見る様な眼で、死体を一瞥した。廊下に転がって居る死体は、軽く数えても、二十人はくだらない。
人を手に掛ける様になってから、何時の間にか、一希は、死体が人だと思えなくなった。人を人たらしめるのは、何らかの意思。即ち、意思が無ければ、死体は何か別の物に成り果てる。最早、元人であった、物でしか無くなってしまうのだ。故に、一希は死体に気を留めない。否、留める事が出来ない。
空になった弾倉をスペアと取り換え、一希は、再び歩き出す。
「…まあ、警備が居るって事は、この道で正しいだろうな。」
古手鞠影人が余程の馬鹿でなければ、関係無い所に警備を置いたりしないだろう。恐らくこの先に、影人は居る。
通りすがりに見た地図によると、此処は、研究棟の三階に当たるらしく、そろそろ、唯一、地図に何も書かれて居なかった部屋の前に着く筈だ。
「―――っと、此れか。」
一つの扉の前で、一希は立ち止まる。防火扉の側の壁には、金属製のプレートがはまって居た。
―――実験室
「実験、ね。」
一希は、軽く鼻で笑う。実験と言うネーミングが可笑しく感じたのかどうかは分からないが、何故かそうせざるを得なかった。
軽く扉を揺らし、鍵が掛かって居る事を確認してから、一希は、鍵穴にcrossoverを向け、発砲した。一発で、やけに呆気なく、鍵が壊れる。
扉を足の裏で押す様に蹴り開けた。見た目に反して、軽い力で扉は開く。
「……何だよ、此処。」
扉の先に広がって居たのは、ある意味恐ろしい光景だった。
等間隔に、円柱状の水槽が、まるで柱の様に、床から天井迄貫いて居る。どの水槽にも、灰色をした、何かが入って居た。
否、何か、では無い。水槽の中に入って居たのは、老若男女の人間だった。サンプル、と言う言葉が、不意に、一希の頭に浮かぶ。
だが、そんな事よりも。
一希は、もっと別の事に驚いて居た。
「俺は……此処を知って居る…!?」
勿論一希は、こんな場所は知らない。しかし、本能が、この場所を知って居ると伝えて来る。既視感、と言う生易しい物を超越して居た。
「…俺は、此処に居た…もっと、奥に…」
一希は、何かに誘われる様に奥へと歩き出す。既に、警戒心は、薄れて消え去って居た。
一歩踏み出す毎に、記憶が浮かび上がって来る。
「そうだ…何人も失敗して死んだ…俺は…数え切れない程の人を犠牲にして…」
浮かび上がる記憶は、挫折。そして、虚無。何人もの屍を踏み台にして居た。『失敗作』と言われたそれらの先に立って居たのは、二人。『成功例』と呼ばれた人間達。一人は、右眼が紅く、もう一人は、両眼が紅い。
紛れも無く、其の二人とは一希と一姫。
成功例としての、一人目の希望。成功例としての、一人目の姫。其れが、一希と一姫だったのだ。
望んで居なかったとは言え、屍を背にする其の姿は―――
「―――怪物、か。」
認めたくない。しかし、認めざるを得ない。自分達は、怪物だ。もう、否定は、出来ない。
「やっと分かったかね、自分達が怪物でしかないと。」
「……俺は」
一希は、ゆっくりと後ろを振り返った。其処には、古手鞠影人が立っていた。足元には、肉塊が転がって居る。逆瀬女子校の理事長、その成れの果てだった。利用され、用済みになった所を消されたのだろう。
「物事の境界線は、案外脆い。日常と非日常が、馬鹿と天才が紙一重で有る様に。そして―――」
影人は一本の注射器を取り出す。中で揺れる液体。其れは、血の様に、紅い。
「―――人が、誰であっても人外になれる様に。」
影人は、注射器を腕に突き刺す。紅い液体が、体内へと消えて行った。同時に、眼が真紅に染まっていく。
「此れが、Red Eyesの…研究の最期の結論だ、風見一希。」
影人がショットガンを構える。口は、愉悦に歪んで居た。
「我々は…いや、私は、成功した。」
ショットガンが火を噴き。
再び鉄の暴風が、一希に襲い掛かった。