第34話 親友の胸中
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マシンガンの連射音の様に、絶え間無くローター音を響かせながら、一希達が乗ったヘリは、隔離壁を、日常と非日常の境界線をあっさりと飛び越えた。
此れでもう、後戻りは、出来ない。
眼下の景色は、鮮やかなネオンや街灯の光から、漆黒の闇へと変化した。
下界からの明かりが消え、大半が闇に沈んだヘリの中で、葵衣は一希にトランクを差し出す。
「貴方の装備。待ってる間に分解して、整備したから、問題なく撃てるから。」
「悪いな。」
申し訳ない程度の灯りを付け、一希はトランクの中の数個の装備を改めると、其れらを身に付ける。しかし、服装だけは、制服のままだった。その理由は、只単に、一希が防弾ベスト等を嫌うと言う事だけだった。
葵衣はその間、自身が持つのであろう拳銃を調べて居た。
市販され、最も第四都市で、出回っている、ソードブラストSBG。通称SBG拳銃を、弄れなくなる迄弄ったカスタムガン。銘は、『スターレインFD』。
最早原型を留めて居ない、果たしてカスタムガンの範疇に入るかどうかも怪しい其れを、葵衣は、自らの手足が如く、整備する。
工具を取ろうと、葵衣がスターレインから目を離した時に、一希は話し掛けた。「そう言えば、雪華の居場所が、どうして都市外だと分かったんだ?」
「ああ、どうと言う事は無いよ。24時間、居場所は常にモニタリングしてるから。」
銃から眼を離す事無く、葵衣は事も無げに言った。
「成る程、24時間常に…って、お前ストーカーかよ!?」
当然ながら、この時代、ストーカー等の行為はご法度である。寧ろ、法によって、厳しく規制される。
「安心しなさい、雪華以外は対象外だから。」
「対象外って、一人でも駄目だろ!?」
「本人承諾済みだし。…まあ、本当は、雪華のペンダントに仕込んだ発信器からの微弱電波からモニタリングしてるんだけど。」
ペンダント、と言うのは、恐らく、雪華が肌身離さず身に付けている写真入りの小さなペンダントの事だろう。
「……葵衣は、雪華のペンダントの中の写真を見た事が有るのか?」
「無いよ。発信器仕込む時も、中は開けなかったし。誰にも見せたく無いのかもね。前に、一人でじっと写真を見てた事が有ったから…」
葵衣は、スターレインから眼を離す。手元には、元通りになったスターレインが有った。
窓の外、灯り一つすら無い森林を見下ろす葵衣の唇が微かに動く。
「………何で」
何かを責める様な口調で呟かれた声は、ヘリのローター音が響いて居たにも関わらず、はっきりと一希の耳に届いた。
「……」
一希は、葵衣の言葉に何も返してやる事が出来ない。何故なら、葵衣の抱く思いは、一希に取って、想像を絶するからだ。
葵衣は雪華の数少ない友人。
雪華は、学校でもある程度人気だから、『友人』は、かなりの人数居る。
だが、その中に『親友』は居るかと言うと、否だ。『友人』は居ても、心を許せる『親友』は、葵衣しか居ない。
其れは葵衣も同じ。
彼女は、冷泉家の一人娘。つまり、跡取り。
両親の期待を一心に受けた葵衣は、幼い頃から、勉強の日々を送って居り、苦しさに弱音を吐く事すら許されなかった葵衣に、手を差し伸べようとする味方は誰一人として居なかった。
葵衣が誘拐され、彩萌雪華と出逢う迄は。
互いに何かを失った者同士、通じ会う物が有ったのだろうか。そんな事は、一希の知る所では無かった。しかし、結果として、二人は巡り逢い、『親友』となった。
彩萌雪華は、冷泉葵衣を。
冷泉葵衣は、彩萌雪華を。
周りに流される凧の様な人間では無く、自分の事を理解し、味方になってくれる『親友』を、二人は得た。
最早、半身、と言っても過言では無い。
だからこそ、喪う事に、酷く動揺する。雪華を殺せと言う事は、自らの身を裂けと言われる事と変わらない。
だが―――
「……ねえ、風見。」
「…何だ?」
「雪華は、私が手に掛けて良い?」
―――葵衣は、敢えて己で身を裂こうとする。
もう、葵衣は抗う事を諦めて居た。
視線を下に落とし、半端蹲る様な姿は、唯々諾々と運命に従う哀れな人間でしか無い。
「……冷泉は、其れで良いのか?」
「……良い訳、無い。」
「なら、何故?」
一希は、自分が苛立って居る事を隠せなかった。口調は、自然と、責める様な物になって居る。
其れが、葵衣の中に溜まって居た何かに火を付けた。
葵衣は、座席から立ち上がる。その拍子に、膝から滑り落ちたスターレインが、耳障りな音を立てて、床に落ちた。だが、其れを気に留めた様子は無い。
「―――っ慣れたの!!奪われ続ける事に何とも思えなくなっただけ!!時間も、親友も、私は奪われてばかり!!何一つ守れやしない!私は、雪華に護られてばかりで…」
その叫びは、一希と言うよりは、寧ろ葵衣自身に向けられた物に聞こえた。ボリュームを絞られて行くラジオの様に、次第に葵衣の声は小さくなって行き、力無く、葵衣は、座席に座り込む。
「……最低、ね。サイテー。」
一希は、立ち上がると、スターレインを拾い上げる。其のまま、葵衣の前に立った。
「誰が雪華さんを殺すって言った。元から俺は、雪華さんを殺す積もりは無い。」
「え……?」
鳩が豆鉄砲を喰らった様な表情で、葵衣が顔を上げる。
「今…何て?」
「俺は、雪華さんも、今、人質として、都市に居る舞無さんも…其れから冷泉も。誰一人として、死なせる積もりは無い。約束したからな。」
一希は一旦言葉を切った。窓から後方に視線を遣ると、都市からは、随分と離れて居た。
「其れに一つ聞くが…たかがPMCからの紙切れ一枚。その程度で揺らぐ『親友』だったのか?」
―――そんな『親友』なら、捨ててしまえ。
言葉にはしなかったが、一希の脳裏には、そんな言葉が響く。
「だから、諦めるなよ。雪華さん助け出して、古手鞠影人を消して、三人で帰ろうぜ。」
一希は、スターレインを差し出した。
静寂は一瞬。
その瞬間だけは、あれ程五月蝿く響いて居た、ローター音ですら、聞こえなかった。
葵衣の指が、スターレインを握り締める。
「ええ…帰りましょう、絶対に。」
「ああ。」
葵衣の眼からは、迷いは消えて居た。
有るとすれば、何物にも変えがたい、覚悟。『親友』と生きて帰ると言う、獣にも勝る生存本能。
もう、葵衣は大丈夫だろう。一希が安堵して、席に座った時、其れは始まった。
「目標地点まで後、一マイル…いえ、約1400メートルです。」
操縦席のパイロットが、声を掛けた。直ぐ様、葵衣が声を返す。
「高度を150迄落として。後、出力を落として。」
「分かりました―――ッ!!地上からミサイル二発!!ブレイクします!!」
突如として、大して広くない機内にアラートが鳴り響く。
「ミサイルだって!?」
「落ち着いて。」
思わず腰を上げ掛けた一希を、葵衣は声だけで制する。顔は、傍らのパソコンに向けられて居た。そのパソコンは、コードによって、操縦席の計器に繋がれて居る。
「チャフ投下!!フレアはどうしますか!?」
「只でさえヘリで飛行してるのよ?『侵入者』達が起きるかも知れない。フレアは控えて。迎撃用に、ガトリングと…一応、対戦車ミサイルの準備!!」
パソコンに映し出される計器を見て、何かをタイピングしながら、葵衣が応える。今気付いた事だが、このパイロットは、冷泉銃工の、更に言えば、葵衣の研究室に所属する人間らしい。
そうでなければ、一希達の会話に、介入して来ない訳が無い。
「チャフの撹乱無効!!駄目です、迎撃間に合いません!!」
「俺が撃つ!!」
パイロットの悲鳴の様な―――と言うより、悲鳴だ―――叫び声に、一希は怒鳴り返すと、ヘリの扉を開け放った。
風に煽られる制服の裾を無視し、一希は腰のホルスターから、crossoverを抜く。
「―――駄目だ。」
ミサイルを―――正確には、二発のミサイルの間隔を―――見た瞬間、一希は、迎撃は不可能だと悟った。
crossoverはオートマチックだが、単発。ミサイルの間隔を考えれば、一発目は迎撃出来ても、二発目を防ぐ事は、出来ない。仮に葵衣を呼んだとしても、とても間に合わない。あれを使おうにも、交換する時間が無い。
どうすれば良い……?
ミサイルは、噴射煙を吐きながら、迫って来た。
混乱する思考よりも早く、身体が動く。
一希は、引き金を引いた。
銃口から吐き出された四十口径の弾丸は、先頭のミサイルを正面から捕らえ、爆破した。爆風を諸に受けた一希は、二発目のミサイルを目前に、思わず目を閉じる。
死んだ―――
一希が、否、ヘリに乗っていた誰もが思った時だった。
二発目のミサイルが、突如爆散する。
「……え?」
後ろで葵衣が戸惑いの声を上げた。
一希はcrossoverを撃てなかった。つまり、誰かが撃ったと言う事。
なら、誰が?
答えは、直ぐに聞こえて来た。
音速を越える弾丸を追い掛けて遣って来た、狙撃銃の高らかな発砲音が。
距離約1400m。そんな中、高速で飛翔するミサイルを撃てる人間を一希は、一人しか知らない。
「……雪華!!」
葵衣が、叫んだ。