第33話 大脱走
遅くなり、申し訳ありません。
「……っ!!」
硝子片を振る。また一本、雪華を束縛して居た縄が落ちた。
縄が一本一本、切れるにつれて、手と硝子片が紅く濡れて行き、無理に曲げた手首が悲鳴を上げる。雪華が硝子片を使って、縄を切ろうとし始めて、既に数十分経とうとしていた。
十数本有った縄は、残り一本となって居た。
出血の所為か、小刻みに震え、思う様に動かない冷たい指で、取り落とした硝子片を、手探りで探し、拾う。
最も鋭い面を雪華自身の指を傷付ける事で探し当て、最後の縄に突き立てる。
「……っ」
一筋、血の川が増えた。
最後の縄が、名残惜しそうにゆっくりと落下し、血に浸かる。
「……ハァ……ハァ…ハァ…」
自由になったが、すっかり気怠くなった手を前に回し、雪華は、傷口を一つ一つ確認し始めた。
傷の大半は、既に血も止まり、乾いた血液が、乾いた絵具の様に、指に張り付いている。指同士を擦り合せると、鉄錆の臭いが漂い、紅い粉が落ちていった。
最後に出来た傷を軽く一舐めし、雪華は立ち上がる。
視線の先に有るのは、自らの愛銃『wind』。
傷付き、未だ紅い指で、シルバーの其れを持ち上げる。
側に置いて有った弾倉を装填し、動作のチェックを始めた。
「……問題、無し。」
軽く安堵し、雪華は扉を見る。試しにノブを捻ったが、開かなかった。
「…どうしようか…?」
同じ部屋に武器が置いて有ったのは、雪華に取って不幸中の幸いだった。恐らく、縛った人間は、まさか縄を切れるとは思っても居なかったのだろう。
雪華は扉を揺すって見る。扉は立て付けが悪いのか、手抜きの所為か、グラグラと揺れた。
これなら、蹴っても開ける事は容易だった。何なら、windで鍵を撃ち抜いても問題無いだろう。
只、音が出る、と言う点を除いては。
仮に、扉を蹴り開けたなら、決して小さく無い音が響く。撃ち抜くなど、論外だ。
揺すって見た時、見張りが側に居ない事は、確認したが、監視の目が何処に有るか分からない以上、派手な真似は避けた方が良いだろう。
どうすれば良いのか。
考えながら、windが載せられて居たテーブルを椅子代わりに、腰を下ろした時だった。
「……こんな……で……」
「言うな……だって」
雪華の耳に、靴音と共に、会話が聴こえて来た。徐々に、近付いて来る。
急いで立ち上がり、雪華は、壁に耳を押し付けた。
「…それでもあんまりですよ。都市外なんて。」
「まあ、もう少しで任期も終わる。そうすれば、俺達は小金持ちさ。」
薄い壁は、若い男達の声を正確に通してくれた。
「……都市外?」
都市外。
言うまでもなく、第四都市を囲む隔離壁の外。
核やBC兵器などによって、異形と化した動植物の根城。ジャングル、と言っても差し支えない森林。
だが、都市外にこんな建造物が有っただろうか?
そんな事を考えて居る内に、足音は止まった。
止まった場所は、雪華が監禁されている部屋の前。
「……」
雪華は、windの銃口下のスイッチを弄る。
次の瞬間、バネヨット(銃剣)が飛び出した。
背を壁に預け、開錠の時を、獲物を見定める獣の様に待つ。
鍵が差し込まれる音の後、ガチャリ、と言う音が響いた。
扉が開き、男達が入って来る。手ぶらで、腰のホルスターには、SBG拳銃が収められて居た。
「あれ、居な―――」
機会は、一瞬。
右側の男の頭をwindの台尻で殴打する。男は、声を上げる事すら許されず、地に伏せた。
「なっ―――」
間髪入れず、振り返ったもう一人の喉元に、銃剣を突き付けた。
「動くな。手を上げて、膝を付け。」
「……分かった、分かったから撃つな…」
それには答えず、膝を付いた男を押す様にして、蹴り倒した。僅かに、呻き声が上がる。
雪華は、気絶した男のホルスターから、SBG拳銃を抜き取り、安全装置を解除すると、銃剣の代わりに、突き付けた。
「さて、先ずは…此処は何処?」
「……第四都市の外、研究所だ。此処は、警備棟の三階……最上階だ…」
一々、返事はしない。する必要性が無いと、雪華は知って居た。
尋問に人間味は不要。自らの経験から学んだ、嫌悪するべき、無駄な知識だ。
「二つ目。貴方の所属は?其れと、此処の警備兵の人数、後、屋上への行き方も。」
「…俺も其処の奴も、此処に居る奴等は全員、胡散臭い会社に雇われた人間だ。2ヶ月前から、俺は雇われて居るが、中には、数年間、此処で働いて居る奴も居る。」
長く話す事で、大切な事を―――狙撃手がイチニアシブを取れる場所を誤魔化そうとする警備兵。
残念ながら、そのささやかな抵抗は、無意味だった。
「屋上への行き方は?」
「……」
其処で初めて、貝の様に、警備兵は、口を閉ざした。恐らく貝ならば、火に掛けた鍋に放り込めば、事は済むのだが、人は、そうは上手くいかない。
代わりに、多種多様な手段が有るのだが。
雪華は、片手で、気絶した男のホルスターを漁り、在る物を取り出す。
銃口に筒状の其れを取り付け、雪華は、数秒間、目を瞑った後、何の気なしに、SBG拳銃の引き金を引いた。
「あああぁぁぁ!?」
パシュ、と言う、些か気の抜けた、それでいて、あっさりと生命を削り取る音が響き、男の太股に、紅い穴が開いた。
筒状の物は、消音器。
実を言うと、雪華は、発砲はしたくなかった。避けたかった、のでは無く、したくなかった。
其れが、数年前を嫌でも思い起こさせるから。
だが、それでも―――
仕方無い事だと、割り切らなければならない。
出来なければ、路傍で、獸の様に惨めに死ぬ。
彼処は、そう言う世界だった。
「私には、貴方の命なんて、ゴミ屑にも等しいのだから…『消去』しましょうか?」
抑揚も、声色も無い声で、雪華は言い放つ。眼は、感情が含まれて居ない、と言う、生易しい物では無かった。
何も無い。
髪色と同じ薄蒼色の眼は、万物全てを飲み込んでしまうような、深い虚無に覆われて居た。
仮に舞無や一希、葵衣がこの場に居たのなら、我先にと武器を取るか、逃げ出しただろう。
『ライセンス』を使った仕事。
人を殺める為、スコープを覗き込んだ雪華は、必ず、この眼になる。言うなれば、殺しの眼。倫理や道徳を破棄した眼。
そして、雪華は成した。
雷雨の夜、一km以上離れた人間の脳を撃ち抜くと言う、前代未聞の記録を―――
「生きたいなら、何か言ったら?」
雪華は、銃創を踏み付け、抉る。
「……は。」
「聞こえない。」
「…屋上へは、此処を出て……右側の階段を…」
其処まで聞けば、十分だった。
後は、後片付けをすれば良い。
「そう―――ありがとう。」
言葉と共に、雪華は足を動かす。
「―――がッ!!」
勢いを付けた爪先が、警備兵の頭部を襲った。意識は、呆気なく闇に沈む。
「―――さて、逃げましょうか。」
誰に呟いた訳でも無く、一人雪華は頷くと、部屋を出て行く。
眼から、虚無は消えて居た。
数分後―――
雪華は、雑多な物が、置かれた屋上のヘリポートで、固定式銃座に寄り掛かって居た。
眼下では、数名の警備兵が巡回をしている。
異変が無い限り、守備対象―――研究施設を見ようともしない警備。其れは、雪華からすれば、幼稚で単純で―――
「…見てくれは立派な、玩具の様な警備ね。」
口では皮肉りつつも、目標を眼で探す。
狙うは、このエリアを守る部隊の小隊長。所謂脳。
「…居た。」
手にはアサルトライフル。他の警備兵とは違う防弾チョッキ。
雪華は、屋上の縁から、身を乗り出す様にして、伏せた。
そして、恐らくずれて、役に立たないであろうスコープを外す。
「距離150、風…やや右…」
半径500m。
其れ以内は、どんな環境だろうと、雪華が当てられる必中距離。
仮令、スコープが無かったとしても、それは、変わらない。
狙い目は、小隊長が、腰からぶら下げている手榴弾。
ちゃちなピン一本で生死を司る其れは、絶好の的。
『ライセンス』が発効されて居ないPGCは、表向きは、人を殺せない。だが、抜け道は、幾らでも有る。
例えば―――そう、手榴弾を撃ち抜き、爆発させ、事故の様に見せ掛ける事だ。
windの銃口。弾丸を吐き出す其処は、只黒い。
「願わくば―――」
引き金に指が掛かる。
「―――来る来世が、幸せな物で在りますよう。」
手慣れ、詠う様に手向けられた言葉と共に、弾丸は飛び出す。
―――数瞬後。
盛大な炸裂音に彩られ、大脱走は、始まった。
さて、今回から、キャラの外観描写を入れて見ました。
第一章が終わったら、他のキャラも修正を施していこうかと。
雪華が何故、あんなに性格が変わったんだ〜と嘆かれた貴方。
はい、第二章でやります。雪華に関する伏線―――ペンダントや、何故、虚無の入り交じった眼が出来るのかと言う事など―――は、二章で回収します。
ぶっちゃけ、第二章は、雪華の章と言っても、過言では有りません。
新年度が始まり、学校と言う物が始まり。更新速度は遅くなるかも知れませんが、止める積もりは有りません。
此れからも、応援宜しくお願い致します。m(__)m
ところで、前々から考えて居たのですが、活動報告に、気が向いた日に(一週間に一、二度程度)日々の出来事を綴ろうかと考えて居ります。良ければ、そちらも宜しくお願い致します。