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白紙の地図と高校生のPGC 〜half red eyes〜  作者: 更級一矢
第一章 Half Red Eyes 編
32/83

第32話 義妹の涙と義兄の覚悟

「一姫。」

予想はしていた。

寧ろ、一希は、一姫が会いに来る事を待ち望んで居た。

頻繁に出入りする、日常と非日常の境目。

約束はした物の、もう戻って来れなくなるかも知れない日常。一姫と言う、その日常の殆どを占める物に、会っておきたかったからに他ならない。

「行く気ですか、兄さん。」

何時もの毒舌は鳴りを潜め、極めて真剣な様子で一姫は聞いた。

「ああ。必ず戻って来―――」

「行かせない、と言ったら?」

その言葉は、兄妹の間の空気が張り詰めさせるには十分過ぎる程の効果を持っていた。

「…何を言っているんだ、一姫?」

「…もう一度言います、兄さん。」

上から一希を一直線に射抜く、紅の相貌からは、感情は読み取れなかった物の、在る物は見て取れた。

今、一希が宿して居る物と同じ物。

並大抵ならぬ、覚悟だった。

「此処は、通しません。」


一希が医者に運ばれた―――

そんな知らせを、一姫が舞無から聞いたのは、学校を出るのとほぼ同時だった。

大して電話帳が登録されて居ない携帯が震え出した時、最初、一姫は、無意識に一希からだと思った。

だから、表示された発信者名を見て、一姫は少し驚いた。

ディスプレイに表示されて居た名前は、『月下舞無』。一姫の携帯には、滅多に表示される筈の無い名前。

コール音は、何処か急かす様に、しつこい位に鳴り続ける。其の様子に、一姫は、若干胸騒ぎを覚えつつも、受話器のボタンをプッシュした。

「―――はい。」

『…風見さん?』

耳元に当てたスピーカーからは、五月蝿いエンジンの様な音に混じり、舞無の声が聞こえて来た。

声はともかく、余りの五月蝿さに、携帯を少し耳元から遠ざける。

「そうですけど、何か様ですか?」

『詳しい事は後で話すわ。取り敢えず都立病院まで来て。出来るだけ急いで。』

有無を言わさずに舞無は言った。声には、目に見えて分かる様な焦りが混じっていた。

其の時点で、一姫は確信した。何か悪い事が起きたのだと。

どう言う訳か、一姫の嫌な予感と言う物はよく当たる。それこそ占い師でもやったら、もしかしたら一山当てられるかも知れない。

最も、其の予定は無いのだが。

何か起きた、と確信しても、其の具体的な内容は、一姫には当然分からない。

だから、聞く事にした。

「待って下さい、何故病院ですか?兄の身に何か有ったんですか?」

当初は、家に帰り、夕食の支度をした後は、読書でもして、偽者の風見一姫―――もとい、女装した兄さんの帰りを待って居ようと思っていた。

其れをいきなり『病院に来て。』と言われても納得は出来ない。詳しい事は後で話す、と言われても、理由すら話して貰えないのは、あんまりと言う物である。

携帯の向こうで、暫く舞無は黙って居たが、静かに言った。

『…一希君が撃たれて、重傷よ。』

意味が分からなかった。言葉の単語は分かっても、其の意味同士を繋ぎ合わせる事が出来ず、何の意味もない音声の羅列を聞かされた様な感じがした。

「…何が有ったんですか…」

混乱する脳が選んだのは、先程と大して変わらない言葉。

『…混乱するのは分かるわ。だけど、今は病院に急いで、良い?』

一姫の返事を待つまでも無く、一方的に電話は切られた。

無機質な機械を耳元で聞きながら、一姫は数分間呆けて居た。


何処をどう通ったのかは覚えて居ない。気が付くと一姫は、病院の受付で、一希の病室を聞き出していた。

エレベーターで三階まで上がり、辿り着いたのは、一つの個室。

『風見一希』と書かれた小さなネームプレートを見た瞬間、何故か脚から力が抜けそうになった。

身体を支えようと、慌てて側の手摺を掴んだ物の、鞄が壁に当たり、思ったよりも大きな音を立てる。

途端に中で誰かが動く様な気配がした。

兄だろうか、と思った、否、願った一姫の思いとは異なり、病室から出てきたのは、舞無だった。

「……兄さんは…?」

掠れた声で、質問とも取れぬ呟きを一姫は漏らす。舞無はそんな一姫の背中を押し、病室へと(いざな)った。

自然と一姫は、ベッドが有るで在ろう、カーテンの向こう側へと歩を進めた。

「…兄…さん」

一姫が見たのは、昏睡状態で、身動き一つしない一希の姿。だが、其れは一姫の涙腺を決壊させるのには十分過ぎた。

「…ううっ、ひっく…」

鞄をその場に取り落とし、一姫は倒れ込むかの様に、ベッドへの距離を詰め、膝を床に付いて、顔を埋めた。

「…何で、どうし、て…」

横隔膜が痙攣する所為で上手く喋る事が出来ず、一姫は不明瞭な言葉と共に、涙を流す。皮肉にも、其れは一姫が目覚めてから、初めて流す涙だった。

何故泣いているのか分からなかった。一希が怪我をしてしまったのが悲しいのか。それとも、こんな事に巻き込まれてしまった、理不尽が悔しいのか。何も出来ない自分が憎いのか。全く分からない。只自然と涙が流れ、シーツを濡らすだけ。

涙を止める術を知らない一姫に出来る事は、嗚咽を小さくして、顔を埋めるだけだった。

舞無はそんな一姫に歩み寄り、背中を撫で続ける。そんな事しか出来ない自分に、苛立ちを感じながら。


「…落ち着いた?」

「……はい…」

嗚咽は治まり、呼吸も整って居たが、元々紅い眼は、泣き腫らした所為で、更に紅く充血して居た。

目に溜まった涙が、西日に反射して、真珠の様に光る。だか、もう涙が溢れる気配は無い。

舞無は一姫の事を羨ましく思って居た。

泣きたい時に泣けると言う、自由を。

「…何が有ったんですか?」

暫くの沈黙の後、三度目の質問で一姫が口火を切る。

はぐらかす事は許さない、と眼が語って居た。

舞無は敢えて其れを正面から受け止め、話始めた。

守秘義務、と言う物が有るにも関わらず、舞無は知っている事を全て話した。

一希の仕事の内容、撃たれた経緯、雪華の行方不明、この依頼の裏の思惑。自分達への処遇、そして、二人が、都市の実験で人工的に作られた人間だと言う事について。

あらゆる事を話し尽くしたと言うのに、時計の長針は、僅かしか進んで居なかった。

「……つまり、私達は、使い捨てられると言う事ですか?」

一姫は淡々と呟く。憎しみも悲しみも混じって居ない、感情の一切が抜け落ちてしまった様な声が、舞無には聞くに耐えなかった。

「…大丈夫、何とかするから…」

そうする術もあても、果ては確証すら無いのに、舞無が言えたのは、気休めと言う名の慰め。それだけしか無かった。

「……何ででしょう…?」

自問する様に、一姫は呟いた。

「え?」

「命が助かるとか、助からないとか、そう言う事よりも、私は。」

膝の上、其所で握り締められた小さな手に、一滴、二滴と、水滴が落ちていく。

下を向いた顔は、髪に隠され、表情を読み取る事は、不可能だった。

「…私は、風見一希の妹の『風見一姫』では無くて、義妹の『風見一姫』だったと言う事の方が…悲しいです。」

妹と義妹。

読みは同じでも、これ程、意味が異なる単語は無いだろう。

知ってしまった物を、忘れる事は簡単だ。しかし、『思い出す』事は幾らでも出来る。そして、思い出した記憶は、物によっては、時に足枷にもなる。

もう、一姫に取っての、今まで通りの日常は、その足枷によって、封じられてしまった。

一希は、一姫が抱え込み易い性格だと知って居る。だが、其れは、一希が知らない事に限られて居た。

しかし、この事は一希も知って居る。

相手が知って居る事を、隠す事はまず不可能だ。

そして、知って居る事を、知られない様にする為に、自然体で過ごす事も、まず不可能。

つまり、今まで通りの関係で、二人が過ごす事は、もう出来ない。

「…私は…どうすれば良いんでしょう…今まで通り、兄さんと暮らせば良いんですか…?互いに秘密を抱えながら…?兄さんは私に血が繋がって居ない事を、私は、其れを知って居る事を悟られない様に過ごせば良いんですか…?」

「……」

舞無は返す言葉を持って居なかった。

一姫の言っている事は正論だ。恐らく、互いに秘密を隠し合いながら生きて行く事になる。

その秘密が、相手に露見して居ると知らないままで。

兄弟姉妹を持たない舞無でさえも、その辛さは分かる。互いの腹の探り合いでさえ、苦しいのだから。まして、当事者である一姫の辛さは、想像を絶する。

故に、舞無は気休めしか言えなかった。

「心配いらな―――」


「―――別に、何時も通りで良いでしょ。」


舞無の声を掻き消し、別の声が乱入した。

「……冷泉」

「邪魔するよ。」

断りを入れてから、乱入者―――冷泉葵衣は、病室に入って来た。

何を隠そう、ヘリで舞無達の迎えに来たのは、葵衣だった。

「…事は進んで居るのかしら。」

逸早く気を取り直した舞無が葵衣に質問を投げ掛けた。

「ええ。お姫様は無事に(うち)の研究所に匿ったし、輸送ヘリも、私の用意も出来た。何時でも外に出れるよ。」

努めて明るい調子で行っている物の、葵衣の其れは、虚勢に過ぎないと二人は気付いて居た。

葵衣の『痛み』もまた想像出来る物では無いだろう。

親友を殺す為の準備を、有無を言わずして居る―――否、させられて居るのだから。

だから、彼女は自ら、まるで何かを誤魔化すかの様に、一希と共に、死出の旅に出る事を志願して居た。

本人曰く、其れが雪華に対する『罪滅ぼし』で、既に遺書と言う名の書き置きも残して来たらしい。

「…何時も通りに過ごせば良いって…どういう事ですか?」

「じゃあ、聞くけどさ、君達二人の兄妹の縁って、胡散臭い事実一つで立ち消える物なの?」

「……っ!」

その言葉で一姫は気が付いた。

さっき迄は、『内容』に目を向けていて、『信憑性』に対しては、全く考えて居なかったのだ。

「…嘘…ですか?」

一回頷き、葵衣は演説を再開する。

「大体、明確な証拠がある訳じゃ有るまいし、仮に有ったとしても、其れが互いの関係をギクシャクさせる理由になるのかい?と言うか寧ろ。」

葵衣は病床の一希を指差した。

「こいつがその位の事、気にすると思う?そりゃ最初は悩むかも知れないけど、今まで通りで居てくれる筈さ。」

「……」

余りにも楽観視して居る意見。だが一姫は、其れに異議を申し立てる事はしなかった。

一希が生きて帰って来て、また全て元通りになる―――少しでも、そんな希望にすがり付いて居たかったが為に。

しかし、一姫は、何故かもやもやとした気持ちが残った。人は其れを、心残りと言う。

「……兄さんは、本当に、生きて帰って来てくれるでしょうか?」

そう。

日常云々よりも、先ずは一希が無事に戻って来なければならない。

「約束すれば良いじゃない。」

「そう。意外と律儀だから、ねえ?」

葵衣は舞無に同意を求めた。

「…そうね。」

舞無は、心此処に有らず、と言う様な生返事を返す。その表情は、何かを思い詰めて居る、強いて言えば、何かを抱え込んで居る様な表情だった。

しかし、二人は其れに気付かない。

「屋上にヘリが有るから、階段で待ち伏せすれば良い。起きたら、舞無に連絡して貰えば良いから。良いよね、舞無?」

「……」

今度は、生返事すら無かった。怪訝な顔で葵衣は舞無を見る。

「舞無?」

「……っ何?」

「…大丈夫?」

「ええ、それで…何?」

「風見兄が起きたら、連絡してくれる?私達、屋上に居るから。」

「…分かったわ。」

舞無の了承を得て、葵衣は一姫に向き直った。

「それじゃあ、行こうか。」

「あ、はい。」

二人は、病室を辞した。

一希が眼を覚まし、偶々居眠りしていた舞無が絶叫を挙げるのは、それから、約二時間程後の事になる。


屋上が夜闇に沈み、暫くたった頃―――

突如携帯が鳴り出し、持ち主である葵衣は、携帯を取ると、二言三言、言葉を交わした。

「……来るってさ。」

「…分かりました。」

一姫は立ち上がり、屋内への扉へと歩いて行く。歩みに迷いは無い。

故に、葵衣は何も言わずに、一姫の後ろ姿を見送った。


待ち構えてから約数分。

「…来た。」

階段を昇る靴音が一姫の耳に聞こえて来る。

恐らくこんな時間に、屋上に来ようとする人間は居ないだろう。

案の定、上がって来たのは、一希だった。

背中を撃たれた、と聞いて居たが、歩き方は、何処か痛々しい。

一姫は、自分の中で沸き上がる、なにかしらの感情を殺し、声を掛けた。

「兄さん。」

踊り場に居た一希は、一姫へと眼を向けた。

「一姫。」

一希が、驚く事は無かった。もしかしたら、予想して居たかのかも知れない。

でも、最早一姫に取って、そんな事はどうでも良い。

「行く気ですか、兄さん。」

「ああ。必ず戻って来―――」

質問に帰って来たのは、答えにもならぬ只の言い訳だった。

「行かせない、と言ったら?」

空気が張り詰める様な気がした。

たった十数段の階段が、恐ろしい程遠く思える。

「…何を言っているんだ、一姫?」

本当に言って居る言葉の意味が分から無かったのだろう。

今まで、互いが互いの行動を強制的に止めさせようとした事は無かったのだから。

「…もう一度言います、兄さん。」

たった一つの物を込めて、一姫は上から一希を一直線に射抜く。

奇遇にも、今、一希も同じ物を目に宿して居た。

其れは、並大抵ならぬ、覚悟。

「此処は、通しません。」

更に空気が張り詰めた。

例えるならば、今にも切れてしまいそうな程に張り詰められた糸。

「一姫…俺は行かなきゃいけない。」

「あの夏の日の様に、人を殺す為に…雪華さんを殺す為に…ですか?」

皮肉は込めて居ない。事務的に確認する様に言った。

「……記憶…消えて無かったのか…」

「はい。でも、今は、其れで良かったと思って居ます。」

「……そう、か。」

一希は力無く笑った。

「で、俺を通してくれるには、どうしたら良い?生憎、時間が無いんだ。」

そう言って、一希は階段を上がり始めた。怪我人とは思えない様な速さで、忽ち、一姫の隣に並ぶ。

間近で見ると、一希は汗をかいて居た。その汗は決して、階段を昇ると言う運動で、かいた物では無いだろう。

「…約束して下さい。必ず、生きて帰って来ると。」

「…舞無さんと同じ事言う―――」

「して下さい。」

一希の言葉を一姫は強調する事で遮った。

同時に眼を合わせる。

右目は紅、左目は黒と言う、左右非対称の相貌と、両目とも紅の相貌がぶつかり合った。

「……約束する。」

「…本当ですか…?」

「ああ。必ず、俺は妹の…お前の所に帰って来る。だから、待って居てくれ。」

血の繋がりが無いと分かって居るのに、一希は躊躇い無く、一姫を『妹』と呼んだ。

其の行動が、一姫の中の何かを溶かした。

一姫の視界が、再びぼやける。一度や二度で、其れを止める術を知る事は、出来なかった。

「…うっ……うわあああああん!」

一姫は咄嗟に目の前の一希に飛び付き、其の胸元に、顔を埋めた。

「兄さん、兄さあぁぁん!」

涙は止まる所か、益々溢れ、其れにつれて、一姫は強くしがみ付いた。

「よし、泣くな、一姫。」

一希は、一姫の背中に手を回すと、優しく撫でた。

時間は無い―――

そう言って居たにも関わらず、一希は、一姫が泣き止む迄、一姫の背中を撫で続けて居た。


屋上に現れた兄妹を見ても、葵衣は何も言わず、只一言。

「行ける?」

と、聞いただけだった。

「ああ、行ける。」

一希は頷くと、ヘリに乗り込んだ。

葵衣は其れに合わせ、ヘリの奥に消える。

一希は振り返ると、一姫を見た。

一姫はヘリによる風で、ひたすら暴れる髪を押さえながら、黙って頷く。

其れだけで、十分だった。

一希がヘリの扉を閉めると、ヘリは離陸した。

「…必ず、待ってます…兄さん。」

ヘリが都市の防壁を越え、視界から消える迄、ずっと一姫は其処に居た。

遅くなって大変申し訳ありませんでしたっ!

此れからも宜しくお願い致します。

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