第31話 約束
特刑と言う法律がある。
正式名称を言えば、特別刑罰法と言うのだが、第四都市に公布、施行されている法律の中で、一部の人間からこれ程嫌われている法律も無い。
内容は至ってシンプルで、PGCやPMC、或いは銃火器、刃物を持ち歩く事を許可された者が犯罪を犯した場合、犯罪の方法に関係無く、刑が倍増されると言う物だ。
この法律が作られたのは、大戦が終結し、第四都市が誕生した頃。今まで旧日本の治安を守る為に、民意で結成されて居たPGCが、この先も武器を携帯すると言う事に対しての条件としてPMCが突き付けた物である。
都市が誕生した頃は大戦直後だった為、PMCも即戦力となる兵隊が欲しかったのだろう。その意図は、自警団上がりのPGCに取っても渡りに舟であり、その条件は、あっさりと受け入れられた。
最初はその様な純粋な考えで作られた物も、毒が薬となり、薬が毒となる様に、段々と歪んで行った。責任を押し付ける為、目障りな者を消す為に、PGC、PMCを問わず、何人もの人間が一部の私情に因って、権力という名の荒波に、冤罪を着せられ、消されて行った。
結果、PGCやPMCの人間は次第にこう呼ぶようになった。
私刑法、と。
書類を一希に放る様に渡すと、性根尽き果てたかの様に、舞無は視線を床のタイルの継ぎ目に落とした。
視線の先に有った四枚のタイルの継ぎ目が、丁度、十字架―――強いて言えば、スナイパーライフルのスコープのレティクルの様に見えたのは、恐らく一希の気の所為では無いだろう。
舞無の慚愧の念に満ちた目を一希は横目で見ると、自分の目で確認する為に指令書と言う名の命令を見た。
敢えて、舞無には声を掛けずに。否、掛け様にも掛けられ無かった。
自分の失敗を他人に慰められたとしても、舞無に取っては、傷口に塩を振り掛けられる様な物だと言う事を、一希は身を以て知って居たし、仮に声を掛けるべきだったとしても、何と声を掛けたら良い物か、一希には分からなかった。
書類は、舞無が読んだ文章が寸分違わず印刷されて居る。
勿論、雪華の名前も殺害対象から消えて居る事は全く無く、黒のインクは無慈悲に『彩萌雪華』と言う文字を一希の目に映した。
一希は舞無と同じ様に、書類をサイドテーブルに放る様に置くと、何の偶然か、書類はテーブルの上を滑り、舞無の視界へと飛び込んで行った。
「……時間が…無いわ…」
床に落ちた書類を拾う事もせず、舞無がポツリと呟いた。
「…何の時間だ?」
「…出発迄の時間よ。一希君を都市外に運ぶ為に、屋上にヘリが待ってるの。」
「俺…を…?舞無さんは…?」
「私は行けないのよ。行きたくても。」
舞無が顔を上げる。両目は泣き腫らしたのか、何時の間にか一希の右目の様に紅かった。
「…PMCに取って一番困るのは、私達が古手鞠影人と手を結ぶ事。それを防ぐ為にはーーー」
「人質、って事か…!?」
舞無の首が縦に振られた。
「…最初から私達を口封じの為に始末しようと画策してるのが見え見えよ。雪華は一希君に殺されて私は適当に“事故死”として消される。一希君を殺すのは何時でも出来るわ。」
「そんな事って…」
「良く有る事よ。別に私達だけが悲劇のヒロインな訳じゃないわ。」
笑う事でも無いだろうに、舞無は笑う。その笑いは、一希の眼には、酷く自虐的に見えた。
「私は余り、生きる事に興味は無いの。だから、一希君―――」
―――雪華と手を組んで、一か八か、裏切っても良いわよ?
一希の耳元で囁かれた提案は、悪魔の誘いに思えた。
仮令博打だとしても、自分達の保身の為に、他人を殺せ、と言ったのだ。
どんな人間であろうと、人は誰かを犠牲にしなければ生きては行けない。幸福の裏には不幸が有り、二つの総量は、常に一定で、誰かが幸せになれば、誰かは不幸になる。
つまり、他人を犠牲にしてまで生きて居たくないと言うのは、只の偽善であり、エゴに過ぎない。
どちらを選んでも破滅。
誰も犠牲にしたくないと言う、偽善に塗れた道と、確率は低いが、犠牲にする代わりに、生き延びる道。
その二つの選択を迫られたなら、大抵の人間は、過程はともかく、後者を選ぶだろう。
だが―――
「俺は雪華さんを死なせる気は無い。」
痛みに顔をしかめながら、起き上がると一希は言った。
「…そう。なら―――」
「だけど舞無さんを死なせる気も無い。」
モニターの電源を切ると、懐に手を入れ、電極を剥がしていく。
「だから、必ず、雪華さんを連れて戻ってくる。裏切りなんて、頼まれてもしないさ。」
ハンガーに掛けられて居た制服を取ると、一旦ベットを囲むカーテンの外に出た。
手早く着替えを済ませると、一希は再びカーテンの中へ入る。
「…何で…」
舞無が呟いた。只其れは、一希に聞いていると言うよりは、自問している様な呟きだった。
「最初に会った時、言ったよな。『私の刃になりなさい』って。」
懐かしむ様に、一希は言う。
人と人の出逢いにしては、随分と異常な出逢い方だったが、今となっては感謝して居た。
「俺は刃、舞無さんは鞘―――仮令抜かれても必ず戻って来る。そして、刀は、どちらも無いと成り立たない。鞘を見捨てる刃は居ない。」
自らの予想の範疇を越えた一希の答えに、舞無は小さく息を呑んだ。
だが、その表情も、直ぐに何時もの物に代わる。
「其処まで強い答えを持ってるなら、もう何も言わないわ。」
漆黒の相貌が一希を見詰める。その眼に、最早絶望は無かった。
もう、舞無は大丈夫だと、一希は確信した。
「必ず、雪華を連れて、戻って来なさいよ。」
「ああ、待って居てくれ。」
「屋上で、葵衣が待ってるわ。」
「分かった、有り難う。舞無さん。」
一希はスライドドアに手を掛ける。ドアは、音もなく開いた。
「一希君。」
振り返ると、驚く程目の前に、舞無が居た。
「幸運を。」
「有り難う。」
そんな受け答えを最後に、一希は病室を後にした。
非常口を示す緑の光と、夜闇にぼんやりと包まれた廊下は、幻想的にも、不気味にも見えた。
闇一色に包まれた階段を上り始めても、その感想は変わらず、傷の痛みの方が、実感が強かった。
「兄さん。」
そんな声が聞こえたのは、屋上へ続く階段の最後の踊り場だった。
ヘリの音が微かに響く中、やけにその声は鮮明に聞こえた。
上を見ると、屋上に繋がる扉を守る様に立ち塞がる一姫が、其処には立って居た。