第30話 蜥蜴の尻尾
遅くなって申し訳ありません。
「……!」
目を開けて最初に見えたのは既に夜の帳が降りた、何処とも知れない部屋の天井だった。
包帯をきつく巻かれている所為なのか、それとも悪夢の所為なのか、背中の傷と言う傷が異常に熱く、寝汗を大量にかいていた。違和感が有ったが、其れよりは寧ろ、さっきの悪夢と、腹の辺りに何かが乗っている様な圧力の方が一希に取っては苦しかった。
悪夢はともかく、腹の上の圧力の原因を探るべく、一希は頭を上げようと試みた。
「……っ」
腹の上の物体を視認する前に、予想以上に背中の傷が熱くなり、一希は頭を枕に落とした。否、叩き付けた。
「……ふぇ?」
衝撃が伝わったのか、腹の上の物体が間抜けな声を上げる。
「……」
其の声に不吉な物を感じた一希は、今度はゆっくりと慎重に頭を少しだけ上げ、代わりに視線を下げる事で、腹の上の物体を視認した。
「……は!?」
予想通りとは言っても余りの事で気が動転する。身体が許すならば、今すぐ飛び退きたい気分だった。
一希の腹の上に乗っていたは人の頭。
だが、其の事は問題ではない。問題は頭の持ち主だった。
中途半端な長さの黒髪。
月下舞無その人だった。
「ん……?」
元々さっきの衝撃で半覚醒状態だったのだろう、舞無は、一希の声でめでたく夢の世界から帰還した。
一希の腹の上に頭を乗せたままで。
「……」
「……」
一希と舞無はたっぷり数秒間見詰め合った。
「…舞無…さん?」
「……ひ」
「ひ?」
「ひにゃあああああ!!」
其の絶叫がナースコール代わりになったのは、言うまでもない。
「……まあ、取り敢えず、無事で良かったわ。」
看護婦が退出してから、数分後、舞無が口を開いた。顔には未だ僅かに朱が差して居るが、今までの経験から、一希は見ていない振りをしていた。
「……俺が気を失った後、何があった?」
一希が聞くと、舞無は黙り込んだ。
まるで、聞かれたくなかったと言っている様だった。
舞無は立ち上がると、病室の入り口に向かうと、部屋の電気を切って戻って来た。病室の唯一の光源は、一希の側で体調をモニタリングするモニターから零れる光だけとなった。
「……蜥蜴の尻尾切りって言葉、知ってるかしら?」
思ったよりも話は別の所から始まった。
「言葉だけの意味は、な。」
「今この時点で、切られる尻尾になってるのは私達よ。」
其の言葉には、何処か諦めが入り混じっていた。否、一希にはそう聞こえるだけで、本当は、諦めしか入って居ないのかも知れない。
「……何故?」
「当事件の重要参考人である古手鞠影人の都市外脱出、其の娘の古手鞠彗の失踪…と言っても、本当は葵衣に匿って貰ってるだけなんだけれども…そして最後に月下PGC事務所…つまり私達の事だけれども…所属の彩萠雪華の行方不明に…それから私の―――」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ。」
一希は舞無の言葉を遮った。
「古手鞠影人…多分彗の義父親の事なんだろうが、そいつの失踪はともかく、雪華の失踪が何で俺達を切る原因に成り得るんだよ?」
PMCは一希達PGCの事を、『使い捨ての小回りが利く便利屋』と位しか思って居ない筈で、わざわざ取り立てて騒ぐ必要が無い筈なのだ。
「…重要参考人は都市外脱出の所為で行方不明、事件に関する詳しい調書も取れない、なら、使い捨ての人間を悪に仕立て上げ、言葉通り、『使い捨て』れば良い。…今、雪華は、行方不明を良い事に、古手鞠影人の逃亡幇助の容疑が掛けられてるわ。」
「ふざけるな!!あいつがそんな事する筈が無いだろ!?」
「…勿論私も反論した。けれど…」
舞無は膝へと目を落とした。その先は聞かなくても分かる。人の情報や考えと言う物は、一度根付いてしまえば、払拭するのは難しい。恐らく、聞き入れられなかったのだろう。
「…これを」
続けるべき説明の代わりの様に、制服から舞無が取り出したのは、漆黒の手帳。
立場上何度も見る事が有るが、余り見た事が無いし、余り見ようとも思わない。そう、自分の顔の様な物だ。
只、自分の顔と違うのは、その手帳一冊が、葬儀屋の需要と、不幸をもたらすと言う事だろう。
漆黒の手帳は他でもない、“ライセンス”だった。
偶然かどうかは分からないが、さっきの悪夢が思い浮かぶ。
夢であった筈なのに、人を殺した感触が、未だに生々しく手に残って居た。
「…銃すら持ってない怪我人に、殺人許可証渡して何する気だ?」
「……私達に、責任を負わせると言う名目で、強制力を持った命令が下りたわ。」
「責任を負わせる?俺には尻拭いとしか思えないんだが?」
舞無は答えなかった。再度制服から取り出されたのは、対称的な一枚の白紙の紙。言うまでもない、PMCからの命令書だった。
四つ折にされたそれを開くと、舞無は読み上げた。
「Private Military Company…機密作戦指令書15620号。」
舞無の声が個室の病室に響く。言い聞かせる、と言うよりは、改めて確認している様な言い方で、声は何時もと掛け離れ、乾いていた。
「―――PGC法第25条強制任務、処、第四都市郊外…殺害任務…殺害対象…」
病室の気温は低くは無い。にも関わらず、舞無の手は、声と同じく、震えていた。
「―――殺害対象、古手鞠影人、―――彩萠雪華」
どうしようもない現実に、一希は絶句した。