第21話 抗いの少女
ちょっと長いです。
雪華が舞無と話し、事務所を出た一希が家に辿り着こうとして居るであろう頃。
古手鞠彗は、南ブロックの奥、高級住宅街に有る自宅の自室のベットに寝転がって居た。
既に制服から私服に着替え、間も無く使用人が夕食を告げにやって来る迄の時間を、何もせずに浪費して居る。
否、浪費して居る様に見えるのは外見だけで、目を閉じた彗の頭の中では、思考の断片が漂って居た。
あの後。
二神とご対面した二人は、PMCによる取り調べを受けた。
と、言っても、大まかな事は全て一希が答えて居た。
彗は、僅かな質問に、はい、いいえ、で答えれば良かった。
其れが一希の気遣いによる物なのか、本当に質問事項が少なかったかどうかは分からない。
そして、取り調べを終えた彗は、一希によって家まで送られた。
決して長いとは言えない道中、其処に会話は…無かった。
其の理由は、互いに疲れて居た…と言う物では恐らく無い。
少なくとも、彗はそうでは無かった。
彗の頭の中では、とある一つの記憶が、その時から今も尚、漂って居た。
一希の、あの紅の目。
只其れのみが、彼女の思考を埋め尽くし、今でも、鮮明な過去の記憶へとリンクさせる。
突然の知らせで、唐突に失われ、塗り替えられた日々。
拘束されて居るにも関わらず、痙攣する四肢。
絶望の余り、生物としての光を失った目。
自分に向かって吐き出される数々の呪詛や懇願。
死ねば良いのに
何の権利が有って
どうしてこんな事を
地獄に堕ちろ絶対に許さない止めてくれ殺さないでくれあの子だけは彼女だけは殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる―――
「―――うぁ…ぁ」
何時の間にか小さく丸まって呻いて居た彗は、目蓋に力を入れ更に固く目を閉じると、常に持ち歩いて居る筈の小瓶を求め、ポケットの中をまさぐる。
やっとの思いで取り出した其れの蓋を震える指で開け、中の錠剤を数錠口に流し込んだ。
「―――はぁ……はぁ…」
小瓶の中身―――錠剤は、精神安定剤だった。
時と場合を選ばず、理不尽に襲い掛かる記憶の奔流と言う名の発作に対し、彗は既に薬物以外で抗う術を持って居なかった。
錠剤を飲んで数十秒もすると、彗の呼吸も落ち着いて来た。
頬を流れる一筋の汗を拭う。
ふと、彗は机の上の写真立てに目を留める。
その写真には、今より僅かに幼い彗と、二人の男女の三人が笑顔で写って居た。
この写真を、彗は捨てられない。
思い出してしまうのに。嫌悪して居る相手が写って居る筈なのに。
捨てられず、それどころか、心の支えに其れを見てしまう彗は何時も思う。
この写真を撮ってから、私が心から笑った事は有っただろうか、と。
「……お父様…お母様…」
彗の口から、小さな呟きが漏れる。
彗の両親は、両方とも優秀な科学者で、子供の彗にもその才能は受け継がれて居た。実際、彗が所属するA組は、優秀な生徒を集めたトップクラスだ。
両親は、研究が忙しく、余り彗との時間は取れなかったが、休みの日は、何時も一緒に居てくれた。
そして、彗はそんな両親の事を、誇りに思って居た。
だが―――
彗の両親は、既にこの世に居ない。
今から約五年前。皮肉にも、彗が十二才の誕生日だった。
二人は、治安が悪いと言われて居た第二都市を、学会の為訪れ、無差別テロに遭い、死んだ。
後に残されたのは、多くも少なくも無い遺産。
そして、両親の研究が収められたメモリーチップ。
遺体は、骨の一欠片も帰って来なかった。
遺産に興味が無かった彗は、自然と両親の研究に興味を向けた。
両親は、様々な事を教えてくれたが、どうしても研究して居る事だけは、教えてくれなかった。
端から見れば、研究の内容は難しかったが、同年代の子供は勿論、本職の科学者よりも物分かりが良かった彗は、多少解読に苦労するだけで済んだ。
チップに収められた大小様々な研究を眺め、最後の研究ファイルを開こうとした彗だが、其のファイルだけは唯一、他の物とパスワードが違って居た。
解析ソフトで、パスワードを割り出した彗は、ロックを外した。
パスワードは自分の名前「SUI」だった。
ロックを外すと、彗はメモリーの中で、最も用量が大きい、其れを読み出した。
長い時間を掛けて読んだ其れを、彗は理解出来なかった。
否、理解する事を拒んだ。
其れ程、其の研究は狂って居た。
何故、こんな研究を両親はして居たのか?
何故、こんな研究のファイルのパスワードを自分の名前にしたのか?
幾度も読み返し、理解を拒む脳に無理矢理理解させた彗は、悲しみ、嘆き、そして、両親への誇りを失い、嫌悪した。
だが、現実の理不尽はとどまる事を知らなかった。
適性が有ると言い掛かりを付け、PMCが研究の継続を彗に命令したのである。
当然、彗は拒否した。
だが、何の力も持たない学生と、都市の統治者とでは、力の差は明らかだった。
両親の死から一年後。
彗は、研究を再開させられた。
PMCは、直ぐにでも彗に研究を再開させたかったらしいが、一年も時間を要したかと言うと、どうやら、其の間に、何か大きな問題が有ったらしかった。
でも、彗に取って、そんな事はどうでも良かった。
研究が再開すると同時に、監視の為、彗は古手鞠家と養子縁組させられた。
あらゆる物を奪われ、亡くし、決められ、早四年―――否、そもそもの元凶を考えると、五年だ―――が経とうとして居た。
そして、これからも続くのだろう。
彗は、もう半分近く諦めて居た。
ドアをノックする音に、我に返った。
「誰?」
彗が言うと、音も無くドアが開いた。
「お休みの所失礼致します。」
使用人がドアを開けて入って来た。
「何ですか?」
彗はベットから半身を起こす。
「旦那様がお呼びです。」
「お義父様が?」
彗の養父は滅多に家に帰って来ない。話す事等、極稀だ。
所詮、彗の監視者に過ぎないのだから。
「はい。今すぐに、と。」
「…分かりました。下がって良いですよ。」
使用人が部屋を出て行き、静寂が戻った部屋で、彗は、軽く息を吐く。
さて、「此瀬 彗」では無く、「古手鞠 彗」を演じようか―――
長い廊下を進んだ突き当たりにそのドアは有る。
明らかに他の部屋の物よりも重厚なドアの先は、彗の養父の私室。
其のドアの前に立ったのは、かれこれ三日前。
『明日から、お前に護衛が付く。』
部屋に入って、開口一番、そう言われたのは、今でもはっきり覚えて居る。
たしか、あの時は―――
「…護衛、ですか?」
『そうだ。詳しく知りたければ、此れを読め。』
其の後、決して少なくない量の書類を押し付けられて、彗は部屋を辞した筈だ。
暇潰しに其の書類を読んだお陰で、一姫が『風見一希』と言う名の男だと分かったのだが。
其れを思い出した彗は、また無理難題を押し付けられるのかと思い、一瞬、回れ右をして部屋に帰りたくなった。
と、言うより、本当に帰りそうになった。
しかし、其れは許され無いだろうと思った彗は、仕方無くドアをノックした。
「お義父様。彗です。」
「入れ。」
「…失礼します。」
照明が点いて居ない所為だろう、部屋の中は暗かった。
だが、彗は照明を点けない。
この養父が、照明を嫌うと言う事を知って居るからだ。
部屋では、大型の壁掛けスクリーンに、次々と写真が映されて居る。
其の写真の内容は、一希と彗、そして二神だった。
どうやら、盗撮されて居たらしい。
彗は、この事が分かると、僅かに不愉快になった。
が、顔に其れを出す事は無い。
「彗。」
「何でしょうか。」
「…この風見一希とやら…アレでは無いか?」
レーザーポインターの赤い光点が指し示すのは、彗が一希の肩を診ようとしたシーンの、一希の紅の右目だった。
ポインターの光点が、一希の目に当たる毎に、赤い光が紅の右目と同化し、現れては、消える。
「100%そうと決まった訳では有りません。本人は、生まれつきだ、と言って居ましたから。」
「だからこそ、アレでは無いかと言う事だ。もし、風見一希があの時の反乱で逃げ出した『half』だとしたら…」
「だとしたら何ですか?本人に其の真偽を確かめて来いと?」
彗の声に苛立ちが混ざる。
正直言って、この養父とは余り話したく無い。
何処の世界に、望まぬ養子縁組で出来たとは言え、自分の娘が殺されかけても平然と、何も聞かない養父を信用する子供が居るだろうか。
「いや。そんな回りくどい事をする必要は無い。」
そう言って、養父はパチリ、と指を鳴らした。
すると、養父の後ろ、其の暗闇からスーツ姿の男―――養父の秘書が現れた。
以前にも、其の光景を見た事が有る彗は、余り驚かない。
しかし、一回目に見た時は、同じ部屋に居ながら、自分の存在を悟らせなかったこの男に対して、彗は内心恐れを抱いた。
秘書は、彗の前のテーブルに黒い物体を置くと、闇の中へ帰って行った。
否、黒い物体では無い。
強化プラスチックと金属で構成され、バレルが異常に短い其れは―――
「其れを使って、風見一希を殺せ。」
暗殺用の、小型拳銃『RAT』。
「……」
彗は無言でRATを手に取った。
RATと言う名前の通り、小さいにも関わらず、手に与えられたずっしりとした重みが、其れが命を奪う為に作られた物で有る事を彗に感じさせた。
一瞬、銃口を養父に向けてみようかと思ったが、止めた。
弾が装填されて居る訳が無いし、仮に装填されて居たとして、其れを養父に発砲したとしても、秘書が黙っては居ないだろう。
恐らく、何も抵抗出来ずに殺される。
養父は彗の事を、数は少ないものの、替えが効く只の人形と位しか、思って居ないのだろうから。
だから、
「…分かりました。お義父様。」
彗はRATを片手に、部屋を辞した。
夕食後、部屋に戻った彗は、再びベットに寝転がり、携帯を開く。
通話機能を立ち上げ、耳に当てる。
無機質な発信音の後に、聞こえて来たのは、未だに女声である一希の声だった。
『―――はい。』
「済みません、忙しかったですか?」
『いえ、大丈夫です。どうしましたか?』
「…お願いが有るんですけど。」
『何ですか?』
「明日、もう一日だけ、護衛をして欲しいんです。」
『明日、ですか?』
「はい、駄目でしょうか?」
彗はわざと声に不安を混ぜる。
『構いませんよ?』
「本当ですか?有り難うございます。」
『昨日今日の日程で良いですよね?』
「はい。」
『分かりました。では。』
彗は通話を切った。
一息吐くと同時に、先程の記憶の奔流の代わりに、不意に浮かんだ一つの疑問が浮かび上がって来た。
『何故一希は彼処まで自分を守ろうとしてくれるのだろうか?』
二日前、書類を読み終えた彗は、彩萠雪華はともかく、男である一希は其のままの格好で来る物と思って居た。
だが一希は、女装して来た。
彗が、一瞬一希は女では無いか、そう思ってしまう位に。
爆弾騒ぎに巻き込まれた時。
一希は自らを下敷きにして彗を助けた。
今日に至っては、一希は命を掛けて二神と闘った。
だから、
「…だから何?」
彗は思考を打ち消さんと頭を振った。
護衛が対象物を護るのは当然の事の筈だ。
自分が養父に取っての道具で有る様に、護衛は、自分に取っての道具。
命令で其れを壊して、何が悪い。
彗は其の思考を最後に、考える事を止めた。
数分後。
彗は小さな寝息を立てて居た。
何時の間にか、彗の目から流れ出た一滴の水が、頬を伝い、何処かへ消えた。
PV1500突破しました!!
此れからも宜しくお願い致します。