第19話 護衛二日目 〜正体〜
crossoverを抜き、数歩前へ出る。
外見は平静を保ちながらも、一希は動揺して居た。
男の右足に命中した弾丸。
『ライセンス』が発行されて居ない状態での殺人を避ける為、普段一希は、使用する拳銃には、火薬の量を減らした弱装弾を装填して居る。
しかし、弱装弾と言っても、威力は実弾にひけを取らず、まともに喰らえば、良くても骨に罅が入り、場所に因っては、骨が折れる所か、砕ける。
だが、目の前の男の右足は、血を流しただけで済んで居る所か、走って追って来れる程だった。
其れは、学校の屋上から飛び降りても、掠り傷一つしない一希ですらも、不可解な現象だった。
と言っても、一希も、屋上から飛び降りても、怪我一つしない自分の身体の事が全く解らないのだが。
今は、カラーコンタクトで黒く見える筈の自分の紅の右目と同じ様に。
「一応勧告する。武器を捨てて、塀の方を向いて、両手を頭の後ろに組め。」
言葉に因る返事は無かったが、別の形での返事は、有った。
飛び掛かる、と言う返事が。
一希は、身体をずらすと、左手で、ナイフを持った手を思い切り引いた。
勢い余って、男の身体がバランスを崩す。
無防備な背中を蹴り、踏み付けると両足に発砲する。
複数の乾いた発砲音が雨の音を切り裂き、白い硝煙が湿った薄暗い空気に漂い、crossoverのスライドが後ろに引かれたままロックされ、弾切れを伝えた。
一希は一旦距離を置くと、弾倉を入れ換える。
痙攣して居る足から流れ出た血が、アスファルトの上に広がり、雨に薄まる。
一希が、息を大きく吐き、未だ煙を上げる銃口を下げた時だった。
男の足が動き―――立ち上がった。
呻き声も上げず、痛みを感じて居る様子も無く。
そして、開けた距離を一気に詰め、再び襲い掛かって来た。
「なっ」
確かに立てない筈の怪我を負わせた筈の男が立って居ると言う、有り得ない現実に一希は、対応を余儀無くされる。
が、数秒遅かった。
振りかざされるナイフが、制服の布地ごと、右肩を裂き、舞った紅が白い制服を染める。
「っ!」
痛みに顔をしかめながらも、一希はcrossoverを零距離で撃つ。
四十口径の弾丸が、ナイフを握る右手、その肩を撃ち抜く。
微かに骨が砕ける、嫌な音がした。
弾丸がめり込んだ衝撃でよろけた男を再び押し飛ばし、後退した一希は、思案する。
銃弾が効かない相手を無力化する方法を。
男と彗との距離は、残り数メートル。
その間に居る一希が、もし次の交錯で突破を許してしまえば、恐らく彗は只では済まない。
そして、残弾も残り少ない。
残って居るのは、今装填されて居る弾丸十四発と、空の弾倉が一個。
そして、弱装弾の弾倉一つと―――
其処で、閃いた。
最早其れは只の賭けである。
だが、一希に取って、迷う時間は無かった。
まだ弾丸が残る弾倉を抜くと、弱装弾との区別の為に、青色のラインが入った弾倉を叩き込む。
そして、さっき迄撃って居た弾倉の中身と、残って居た弾倉の中身を、道路に撒く。
合計ニ十九発分の弾が均等に転がった。
一希が空の弾倉を仕舞うのを見計らって居たかの様に、ナイフを左手に持ち替えた男が三回目の突撃を敢行する。
だが、男はその突撃を余儀無く中止させられた。
一希が撒いた、弾丸に因って。
雨で濡れ、滑り易くなって居たアスファルトも手伝い、弾丸を踏みつけ、バランスを崩した男は、転倒した。
その隙を狙い、一希は引き金を引く。
大動脈が走る両太股に。
新たに血の海が出来る事は無かった。
しかし、倒れた男は微動だにしない。
「案外早く効いたな。」
crossoverの銃口を、今度こそ下げる。
「…殺したんですか?」
「いえ、寝てるだけ―――」
後ろを振り向いた一希は、其れ以上の言葉を発する事が出来なかった。。
無理も無い。
二人は、雨の中を、傘も差さずに逃げ、そして彗は、一希が闘って居る間、ずっと雨ざらしだった。
その結果―――
「どうしたんですか?一姫さん―――ってひゃう!!」
自分の状態に気付いた彗から、慌てて一希は目を背ける。
何故ならば―――
彗の制服。
ブレザーはともかく、雨で濡れぼそったカッターシャツが、皮膚に貼り付き、胸部の黒い布地が透けて見えて居たからだった。
「…見ましたか…?」
震えて居る彗の声は、一希に取って、通り魔の男より、恐怖だった。
「……はい。」
彗の童顔が、赤く沸騰する。
現実では聞こえなかったが、一希の頭の中では、ボンッ!と言う音がした気がした。
同時に、鎌を持ってにこやかに笑う死神が見えた。
「…一姫さん。弁明は有りますか?」
にこやかに笑う死神(彗)に向かって、一希は頭を下げる。
「…ありません。済みませんでした。」
一希は、次の瞬間に襲うで有ろう、蹴りに備える。
ところが、蹴りは来なかった。
「…頭を上げて下さい。でも、私を見たら蹴ります。」
頭を上げて、一希は男の方向を見た。
「…良いんですか?」
「…一姫さんは、一度どころか、二度も私の命を救ってくれましたから、此れでチャラです。その代わり…忘れて下さい。」
「…はい。」
死神(彗)から己の命を守った一希は、其のまま、倒れて居る男の所へ歩き出す。
「話を戻しますけど、何をしたんですか?あれほど弾を当てても倒れなかったのに?」
「此れです。」
と、一希は、crossoverから弾倉を抜き、中の弾丸、正確には、弾頭を見せた。
「何ですか、此れ?」
漆黒の弾頭を見つめる彗が聞いた。
因みに彗は今、一希が鞄に入れて居た、圧縮式の漆黒の防弾コートを羽織って、胸部を隠して居る。一希は、血が付いたブレザーのままだ。
「対猛獣用の麻酔弾です。」
大戦後、戦時中に山の様に使われた戦略核や、BC兵器は、人間以外にも、多くの植物や動物達の命を奪い―――異形の猛獣へと変貌させた。
変貌した生物、例えば、食人植物、更に極端に言えば、羽根が生え、飛べるチーター等は、都市の外、つまりは、汚染された土地、通称、『外界』で、よく見かけられる。
其のまま汚染区域で、暮らしてくれれば良いのだが、そう言う訳には行か無かった。
度々、猛獣が、都市の中へと侵入する様になったのだ。
これ等の『侵入者』達は、PMCの治安維持課(余談だが、治安対策課が事務を、維持課が所謂実働部隊を担って居る。)か、PMCの依頼を受けたPGCが、射殺して居た。
二日前、札束を持って事務所に帰って来た雪華もそうだった。
だが、数年前、此れに動物愛護団体と、一部の科学者達が猛反発。
やむを得ず、射殺から、麻酔弾に因る捕獲となった。
其の所為で、『侵入者』の死者(?)は、減ったものの、市民の死者と、殉職する治安維持課とPGCの人間が増え、得をしたのが、『侵入者』達と、麻酔弾の受注を受けた冷泉銃工だけだった、と言うのが皮肉であったが。
そして、一希は、猛獣の侵入に備えて、麻酔弾の弾倉を一つストックして居たのだ。
「この麻酔弾を血管に撃ち込みました。効き目には個人差が有りますけど、上手く血管に当たった見たいですね。」
「対猛獣用…そんな物撃って大丈夫ですか?」
「大丈夫です。……多分。」
弾倉を戻した一希は、携帯でPMCに不審者逮捕を伝えた。
通話を終えると、一希の右に回り込んで居た彗が言った。(当然、一希は左を向いて居た。)
「右肩、見せて下さい。止血し―――」
「いえ、良いです。」
一希の身体は、多少の傷位ならば、直ぐに完治してしまう。
傷口を見せれば、其の事が事がばれてしまう。
だが、一希は、もっと隠さなければいけない物を忘れて居た。
否、運が悪かった。
其れに対する対策が、何時の間にか破れて居る。
そんな事が、分かるだろうか。
逃げる様に右肩を後ろに引いた一希は、思わず右を見てしまう。
右目が、彗の目と合った。
そう。
カラーコンタクトで黒に偽装されて居た筈の紅の右目が。
彗の反応に一希も漸く悟る。
戦闘の合間に、コンタクトが外れた事を。
「…どうしたんですか、其の…目。」
雨音が、二人の間を支配する。
「……生まれつきです。」
明らかに、嘘と分かる嘘。
其の嘘を彗は。
「……そうで…すか。済みません。余計な事を。」
「……」
一希は、答える事が出来なかった。
否。
どう答えたら良いか、解らなかった。
PMCが来る迄、二人は、何も言わず、雨の中、その場に立ち尽くして居た。
一台の護送車が止まり、PMCの治安維持課の兵士が降りて来た。
兵士達の敬礼を、一希は同じく敬礼で返す。
何時の間にか、広まった風習だ。
「顔を見せて貰えませんか?」
最後に敬礼した人間―――恐らく指揮官だろう―――に一希が聞いた。
其れは、ほんの僅かな好奇心だった。
開けてはいけない、と言われた物を開ける様な。
「…分かりました。では、此方へ。」
指揮官が歩き出す。付いて来い、と言う意味だろう。
護送車へと着いた時には、既に男のフードは外されて居た。
だからこそ。
「何で…?」
「そんな…」
分かってしまった。
常に面倒そうな表情しか浮かべて居なかったその顔は、無表情だった。
第四都市を騒がせて居た通り魔。
其の正体は―――
「二神…先生?」
逆瀬女子高二年A組担任。
二神篝。其の人だった。
彗の台詞について。
彗の台詞では、一希が『風見一姫』として潜入して居る事を意識して、一姫さん、として居ます。
因みに、彗は一希が男である事を知って居ます。護衛一日目〜邂逅〜にて、一希が本名を名乗ったのも其の為です。
また、一姫になって居る時の一希の台詞に対して、『あんまり言い方が代わって無いんじゃない?』と思われた方も多いと思います。
其れは、全て一希の声が変声スプレーにより、変わって居る為です。
作者の頭の中では、声は勿論、口調…言い方が変わって居るので、違和感は無いです。
地の文と脳内補正で、映像か音声を頭の中で流して頂くと、分かりやすい…かも知れません。
最後に。
察しの良い方は、見抜いてしまうかも知れませんが、一章はまだ、終わりません。
長文後書き、失礼致しました。
此れからも、作者のぐだくだを生暖かい目でお願い致します。