第18話 護衛二日目 〜雨中〜
お待たせしました。
追伸。
PVが1000を越えました。
有り難うございます。
これからも、宜しくお願い致します。
雨が降り始めたのは、最後の授業、数学の途中だった。
「えー、まずXをyに代入し―――」
教師の台詞を掻き消すかの様に、唐突に激しい音を立て降り出した雨は、たちまち外を濡らして行く。
だが、そんな出来事も大した物として扱われず、十数分後、チャイムの音に因って、数学の授業は終わりを告げた。
「車を呼ぶので待っててくれますか?」
そう言って、彗は、教室を出て行った。
昨日の事も有るから、余り車には乗りたくないと言うのが心境だが、再度同じ目に遭う事が無い様に、危険物のチェックがされて居る筈だと、一希は自らに言い聞かせた。
其れよりも今、気になる事が一希には有った。
「……傘忘れた。」
一希は回りに聞こえない様に言った。
第四都市では、軍用レーダーを改造して作られたレーダーで天気予報を行って居り、其の精度は実に95%を越えて居る。
大戦がもたらしたのは、核兵器に汚染され、住めなくなった土地と、地球人口の急激な減少だけでは無かったのだ。
天気予報では、今日の午後は、悪くても曇りの筈だったのだが、此処まで外れるのも珍しい。
何時もの一希なら、走って帰るだろうが、護衛に付いて居る今日は、そうは行かない。
かといって、歩く事も出来ない。
校舎の入り口から、車止め迄は、少なくとも100mは有る。
歩いて居る内に、濡れるのは明白であり、濡れた状態で車に乗るのは失礼極まり無い。
そして、更に不幸は重なる。
「一姫さん、あの…」
一希が振り返ると、其処には彗が居た。
陰りが見えるその顔に、一希は嫌な予感がした。
「すみません…迎えに来る筈の車が、少し目を放した隙に、パンクさせられて、歩くしか無いそうです……傘、持たれてますか?」
「……」
一希は、曖昧な笑みしか返せなかった。
どうしてこうなったのだろう。
「もっと、寄っても良いですよ?」
そう言う彗の左半身は、雨で濡れて居る。
「いいえ、大丈夫です。…お構い無く。」
そう答えた一希は、右半身が濡れて居た。
一希と彗は、一本の傘を、二人で使う―――所謂、相合い傘をして居る。
もし、一希が女装して居なかったとしたら、同年代の男子から、石を投げられて居るだろう。
だが、一希はそんな事を考える暇は無かった。
普通の傘ならば、腕が濡れるだけで済んだかも知れないが、残念な事に、彗が持って居たのは、携帯式の折り畳み傘だった。
結果は、言うまでも無い。
互いに半身が濡れると言う有り様だった。
歩きながら、一希は少しずつ傘の範囲から脱して行く。
其の理由は、彗への遠慮―――と言う訳では無く、教室で彗が言って居た、『迎えの車が、パンクさせられた』と言う事から来る物だった。
車のタイヤが独りでにパンクする事は殆ど無い。
つまり、パンクさせられたと言うのは、十中八九、一希達を歩いて帰らそうと言う意図なのだろう。
古手鞠家の警備が居ない帰り道等、格好の餌食以外に他ならない。
故に、一希は警備の為に、傘から敢えて離れて居た。周囲に警戒しつつ、一希はもやもやとした違和感を抱いて居た。
ニュースでは、通り魔の犯行は、正に手当たり次第に、刃物で殺して行くと言う話の筈だった。
多少、PMCの治安対策課が、情報規制を行って居り、ニュースで、一般人には知らされて居ない事も有ったが、その点は、依頼書を読んだ時に押さえて居る。
それらから判断しても、個人の車に爆弾を付ける等と言う事は有り得ないのだ。
仮に、通り魔の犯行としても、何故彗を狙うのだろうか。
それも、刃物なら未だしも、爆弾と言う、周囲の人間をも巻き添えにする様な過激な手段で。
何かがずれて居る。
其処まで考えた時、一希は、さっきの思考に引っ掛かりを感じた。
周囲を巻き込む手段、と言う点に。
彗はおろか、その回りを巻き込む様な手段。
其れが意味する所は、一つしか無かった。
まさか、本当に狙われて居るのは、彗では無く―――
其の先の思考は、彗が足を止めた事で中断された。
「どうしました?」
彗は黙って前方を指差した。
其の指先は微かに震えて居る様に見えた。
家々の塀に挟まれた、雨に煙る道路。
其の道路の中央に、黒い合羽を着た人間が立って居た。
フードを深く被った顔は見えず、雨に打たれ、立ち尽くして居る。
否、立ち尽くして居るのでは無い。
待ち構えて居る。
獲物を見つけ、舌舐めずりをしながら、機を窺う獣の様に。
本能が激しく警鐘を鳴らし、反射的に一希はcrossoverに手を掛けた。
其の行為が引き金になった。
合羽を着た男は、突如走り出した。
その手には、何時の間にかナイフが握られて居る。
一希は瞬時に悟る。
自分達が、男の獲物で有ると言う事に。
そして、悟ると同時に、行動した。
crossoverを引き抜き、足に向けて、二発発砲する。
放たれた弾丸は、一発が右足に命中し、もう一発は、アスファルトを穿った。
だが、一希はそんな物を見ては居ない。
発砲するが否や、彗の手を掴み、引っ張って走り出す。
彗が上げた、「キャっ」と言う声や、引っ張った拍子に彗の手を離れ、道路に転がった傘を一希は気にも留めない。
今迄に殺された女子高生達と同じ様に、只ひたすらに、逃げる。
決して怖じ気付いた訳では無い。
もし、此処に雪華が居たのなら、一希は彗を雪華に任せ、男と戦闘に入っただろう。
彗を安心して任せられる人間が居ないからこそ、一希は逃亡を選ぶしか無かったのだ。
一希は、雪華に酒を飲ませた舞無を、そして、寄りによって、今日現れた通り魔を呪った。
只、不幸中の幸いだったのは、此処が南ブロックだった事だった。
住宅街の南ブロック、特に奥の区画は、道が複雑に入り組んで居り、追っ手を撒く事が容易なのだ。
但し其の反面、行き止まりが多く、場合に因っては、追い詰められ、自分の首を絞める事にも成りかねない。
そして一希の自宅は、南ブロックに入った所に有り、奥の区画自体、入った事は、数える程しか無い。
更に、考え事をしていた所為で、詳しい位置を把握して居なかった。
だから、一希は適当に走る。
少女の手を引き、「逃げる」事では無く、「撒く」事を考えて走った。
何れ程の時間走っただろう。
一希は未だしも、彗は息切れ寸前で有り、男との距離は、次第に狭まりつつ有った。
焦りを感じた一希は、前方の角を右に折れた―――
所で、立ち止まった。
否、立ち止まざるを得なかった。
塀が行く手を阻んで居たからだ。
乗り越えられない高さではないが、乗り越え様とすれば、追い付かれるのが落ちだろう。
―――此処まで、か。
一希は、肩で息をする彗を、塀に持たれさせる。
その時、塀に立て掛けられた恐らく献花なのであろう花束が目に入った。
此処が通り魔に因って、最初に少女が命を落とした場所だと、一希が知って居たら、何等かの因果を感じたかも知れない。
だが、其れを知らなかった一希は、花束に目もくれない。
その代わりに、後ろを―――此の袋小路の入り口を振り返る。
其処には、足から流れる血を雨で洗い流され、ナイフを持った通り魔が立って居た。
フードに隠され、見えなかった顔。その口元が一瞬露になった。
口元は、まるで幼い子供が、好物を目の前にした様に、純粋で、何処か歪な笑みに歪んで居た。