第11話 月下舞無と過去の夢
Merry X'mas
お待たせしました。。
絶叫が響く。
其れを聞く度に、人間はこれ程の大声が出せるのかと妙な所に関心を抱く。
たった一本の注射器。
その中で揺れる紅色の液体。
私は其れを手に取り、また『被験者』へ注入した。
痙攣と共に、絶叫の数がまた一つ増え、痙攣が終わると、一つ減った。
先程迄、『人間』だった『モノ』を見る。
今更ながら、『死』程度に、何の感慨も湧か無かった。
実験台の上の彼等から見れば、私達は紛れも無く、『加害者』なのだろう。
でも、私に取っては、彼等も『加害者』だ。
絶叫を聞く度に、感情が薄れ、段々自分が『人間』と言う定義から乖離して行く気がする。
彼等は、私に肉体を破壊され、私は彼等に、精神を徐々に蝕まれる。
肉体と精神。
否、生命と精神。
何と釣り合わない等価交換だろうか。
次の『加害者』が運ばれて来る。
私は又、注射器を手に取ってーーー
目覚めた。
中には夜の帳が降り、外はネオンの光と、酔っ払いの喚き声、娼婦の声に満ちて居た。
一希が帰った後、何時の間にか眠ってしまったらしい。
電気が付いていない事から、雪華はまだ戻って居ない様だった。
舞無は立ち上がり、背を反らした。
ゴキッと言う音に合わせて一種の開放感が訪れる。
「っ…」
月明かりとネオンの光に頼って、机の上の書類を片付け、電気を付けようとした所で、舞無は停止した。
それは、本当に小さな、けれども無視は出来ない気掛かり。
「私、電気消してたっけ…?」
自分が消した覚えは全く無い。
一希が消して帰って行ったと言う記憶も無い。
雪華はまだ帰って来て居ない。
一本だけなら未しも、全ての蛍光灯の寿命が切れたと言うのも考え辛い。
全く持って、おかしな状況だった。
取り敢えず、舞無は電気を付けようと、入り口近くのスイッチへ歩み寄る。
蛍光灯に照らされた事務所内は、一人で居る所為か、酷く殺風景に感じる。
そして、応接机の上に、見慣れない茶封筒が置いて有るのを舞無は見つけた。
裏表には、何も書かれて居らず、重さも軽い所為で、何が入って居るかは、判別出来ない。少なくとも、爆発物の類いでは無さそうだと、舞無は思った。
もし、仮に爆発物だとしても、解体する術を知らない舞無には、どうする事も出来ないのだが。
舞無は制服からペーパーナイフを取り出すと、慎重に茶封筒の口を切った。
「此れは…?」
中に入って居たのは、たった一枚の書類。
表面には、『secret』と判が押されて居た。
「PMCの送り忘れか?」
実際、古手鞠彗の護衛の依頼を受けるに(押し付けられるに)当たって、『secret』の判が押された書類が大量に送り付けられて来た。
勿論、読み終わった書類は一枚の例外を問わず全て灰にしたが。
だが、この茶封筒には、消印が押されて居ない。
それどころか、差出人はおろか、誰宛かも記されて居ない。
そもそもーーー
「どうやって、此処に入った?」
比較的物騒なーーー銃火器を振り回す高校生が言う事では無いがーーー北東ブロックでは、家屋の入り口は、常に施錠するのが流儀だ。
当然舞無も、一希を見送った後に厳重に施錠した。
なのに鍵が開いて居ると言う事は茶封筒を置いて行った人間が、鍵を開けて入って来たと言う事だ。
PMCの人間や郵便なら、わざわざ鍵を開けて入って来る訳が無い。
と、言うか、開けられる様な施錠はして居ない。
其れを舞無に気付かれる事無く開けたと言う事は、余程の手練れだと言う事だ。つまり、
「私は、寝込みを襲われてもおかしく無かった訳か…」
舞無は苦々しい表情で呟き、椅子に座ると、書類に目を落とした。
書類を読み終わるのが早かったか、舞無の顔色が変わるのが早かったか。
「何で、こんな物が此処に!?」
舞無が驚愕するのも無理は無い。
その書類は絶対に此処に、否、この都市に有ってはならない物だったからだ。
舞無は立ち上がり、書類を掴むと、引き出しからライターを取り出し、キッチンへと向かった。
そしてシンクに水を張ると、書類に火を点けた。
隅から燃え始めた書類は、水に落としたインクの様にたちまち火に包まれた。
灰を水で流すと、舞無は部屋に戻り、力無く椅子に座り込んだ。
そしてライターを取り出した引き出しとは別の、鍵が掛かった引き出しを開ける。
其処には、夢の中で見た紅の液体が入った注射器が一本、転がって居た。
舞無は其に触れ、手で優しく撫でた。
まるで、其処に其れが存在して居るのを確かめる様に。
「『半眼の抑止力(half eyes)』…」
舞無の口から呟きが漏れた。
その口調は懐かしむ、と言うより、何かを意識する様な口調だった。
舞無は電気を切ると、常に自分の机に立て掛けて有る日本刀を抜いた。
闇の中、一本の黒い刀身が姿を現した。
その黒は、闇よりも黒く、圧倒的な存在感を放って居た。
舞無は刀身を一度鞘に納めると、素早く抜刀した。
その抜刀は、速すぎて、空気を切る音すらしなかった。
「…私は、君の『鞘』になる資格なんか無いさ…」
暗闇の中、微動だにしない舞無の耳に、雪華が階段を上がって来る音が聞こえた。