「全てを見直す魔女」だと勘違いされましたが、私ができるのは帳簿をつけることだけです
その日、私は王子殿下から処刑を命じられた。
「ミレーヌ・アシュベル。君には明日の正午、王都中央広場にて公開処刑を受けてもらう」
「はい」
「……ずいぶん落ち着いているな」
「処刑される人間が慌てても、予定時刻は変わりませんので」
「そういう問題か?」
王立学院の卒業式。
本来なら花束を受け取り、友人たちと最後の夜会を楽しむはずだった。
ところが私は今、王子殿下の執務室で、処刑宣告を受けている。
理由は単純だった。
私は、王国で最も危険な魔女――ということになっているらしい。
「王都の水路を止めたのも君だ」
「違います」
「王宮の金庫から金貨を盗んだのも?」
「違います」
「昨夜、国王陛下の寝室に忍び込んだのも?」
「それは寝室に入ったのではなく、帳簿を届けただけです」
「……では、魔王軍を一夜で壊滅させたのは?」
「それも私ではありません」
「しかし、君の署名がある」
殿下が机の上に一枚の紙を置いた。
そこには確かに、私の名前が書かれていた。
ミレーヌ・アシュベル。
その横には、こうある。
『王都の問題、すべて解決済み』
「これ、私の字ではありません」
「では誰の字だ?」
「知りません」
「……」
殿下が頭を抱えた。
私も抱えたかった。
だが、頭を抱えている暇はなかった。
「殿下」
「なんだ」
「処刑の前に、一つお願いがあります」
「言ってみろ」
「明日の昼食を予約しているので、処刑時刻を午後に変更できませんか?」
「君は本当に反省しているのか?」
「昼食は大切です。というかやってません」
私がそう言うと、殿下は深いため息をついた。
この人は知らない。
私が学院を卒業してから、王都の小さな宿屋を買うために三年間貯金してきたことを。
明日の昼は、その宿屋の改装を手伝ってくれる大工さんたちと食事をする予定なのだ。
処刑などされている場合ではない。
そもそも私は、魔女ではない。
ただの帳簿係である。
◇◇◇
私の家は、代々「記録」を仕事にしてきた。
父は税務官。
母は薬草園の管理人。
兄は港の荷役記録を担当している。
そして私は、幼い頃から数字と紙に囲まれて育った。
魔法が使えないわけではない。
火を灯すくらいならできる。
でも、薪を一本燃やすより帳簿の数字を一つ直すほうが得意だった。
そして好きだった。
学院に入ってからも、私はずっと地味な生活を送っていた。
魔術科の生徒たちが火球を飛ばしている横で、私は備品費の計算。
剣術科が模擬戦をしている横で、私は訓練場の修繕費を計算。
王子殿下が卒業記念の大演説をしている横で、私は学院の食堂が一年間で使った小麦の量を計算していた。
そんな私が、どうして「魔女」などと呼ばれるようになったのか。
始まりは、去年の春だった。
「ミレーヌ。この水路の記録、数字がおかしくないか?」
友人のリオが、一枚の古い地図を持ってきた。
「どこ?」
「ここ。北地区の水門だ」
私は地図を見た。
水路の幅。
水門の高さ。
流量。
維持費。
過去十年分の記録。
「……おかしいね」
「やっぱり?」
「うん。ここ、去年から水量が三割増えてる」
「なのに修繕費は半分になってる」
「変だね」
「どうする?」
「直したほうがいいんじゃない?」
「それだけ?」
「うん」
リオは肩を落とした。
その様子を見て、ため息をつきながら言う。
「...まあ報告書は書いとくよ」
目に見えて破顔した彼の様子を見て、もう一つため息をつくのだった。
私は王宮へ報告書を書いた。
北地区水路の数値に不自然な変化あり。
確認を推奨する。
それだけ。
ところが三日後。
王宮から返事が来た。
『指摘箇所を確認したところ、不正な水路工事を発見。担当官を処分した』
私は少し驚いた。
さらに一週間後。
別の地区から手紙が来た。
『税収記録の不一致を発見した。調査の結果、横領が判明』
その翌月。
『港湾倉庫の在庫数に不自然な差異あり。密輸組織を摘発』
私は思った。
帳簿って便利だな。
数字が合わないところを探すだけで、悪いことをしている人が見つかる。
それだけだった。
しかし、世間の認識は違った。
『アシュベル家の娘は、数字を見るだけで悪事を見抜く』
『彼女は古代魔術を使って王都全体を監視している』
『王宮すら彼女の目から逃れられない』
どこからそんな話になったのか、私には分からない。
そして今年の春。
私は学院長から呼び出された。
「ミレーヌ君。王都の問題を解決するため、君に協力してもらいたい」
「特別なことは何もできませんよ?」
「それでもだ。普段やっていることをやってくれればいい」
まあそれならいいか。
普段通りならやることは一つだ。
「帳簿なら」
「帳簿だけでいい」
「分かりました」
こうして私は、王宮の臨時記録係になった。
毎朝、届いた書類を確認する。
数字を見る。
おかしいところに印をつける。
必要なら担当者に確認する。
ただ、それだけ。
ところが、その「ただそれだけ」が、少しずつ王国を変えてしまった。
◇◇◇
最初に大きな騒ぎになったのは、王宮の食料庫だった。
「小麦が足りない」
担当官が慌てていた。
「今年は不作ではない。なのに在庫が三割も少ない」
私は帳簿を見た。
「仕入れ先は?」
「毎年同じ商会だ」
「では、納品書を見せてください」
「これだ」
私は三枚の紙を並べた。
それらを見比べていると、いくつか気づくことがあった。
「おかしいですね」
「何が?」
「同じ小麦なのに、袋の重さが違います」
「……本当だ」
「あと、納品日も一日ずつずれています」
調べてみると、商会と担当官が組んで水増し請求をしていた。
犯人は捕まった。
私はその日の仕事を終えた。
帰り際、王子殿下が言った。
「君は恐ろしいな」
「そうですか?」
「書類を見ているだけで犯罪者を見つける」
「帳簿が間違っているからです」
「普通は気づかない」
「私は数字を見るのが好きなので」
殿下は苦笑した。
「君が味方でよかった」
それから半年。
王都では私に関する妙な噂が増えていった。
『ミレーヌは人の嘘が見える』
『ミレーヌは未来を予知できる』
『ミレーヌに逆らうと家の財産まで調べられる』
全部、違う。
私はただ、記録を見ているだけだ。
ところがある日。
とうとう、その噂を利用する人間が現れた。
◇◇◇
「ミレーヌ嬢」
卒業式の三日前。
私を呼び出したのは、宰相補佐のグレイヴ卿だった。
「君に頼みたいことがある」
「帳簿ですか?」
「違う」
彼は一枚の書類を差し出した。
「王国の財政を破綻させようとしている者がいる」
「誰ですか?」
「第二王子殿下だ」
「……え?」
私は書類を見た。
確かに、王子名義の支出がいくつもある。
軍備。
道路。
食料。
外交費。
どれも異常な金額だった。
「これは本物ですか?」
「本物だ」
「では、殿下に確認を」
「できない」
「なぜ?」
グレイヴ卿は声を落とした。
「殿下はすでに君を疑っている。......というか君を犯人に仕立て上げようとしている」
「私を?」
「君が王国の機密を盗み、国家転覆を企んでいると」
「……」
私はようやく理解した。
誰かが、私と王子殿下を争わせようとしている。
「では、この帳簿は?」
「君が調べれば分かるはずだ」
「調べます」
私は三日かけて全部を確認した。
そして気づいた。
おかしい。
あまりにもおかしい。
王子殿下が国庫を横領したのなら、必ず痕跡が残る。
しかし、この帳簿には痕跡がない。
あるのは――
「全部、同じ筆跡だ」
私は呟いた。
王子殿下の署名。
担当官の署名。
商人の受領印。
全部、本物に見える。
けれど、微妙に違う。
帳簿を、文字を見続けてきたからわかる。
書いた人間が違うはずなのに、筆圧が同じなのだ。
「偽造……」
誰かが大量の書類を作っている。
では、誰が?
私は過去の帳簿を探した。
一年前。
二年前。
三年前。
そして見つけた。
同じ筆跡が、十年前の記録にもあった。
「……なるほど」
私は椅子から立ち上がった。
犯人は、最近現れた人間ではない。
ずっと王宮にいる。
しかも、記録を扱える立場にいる。
その人物は――。
◇◇◇
「ミレーヌ・アシュベル。君には明日の正午、公開処刑を受けてもらう」
冒頭へ戻る。
王子殿下の執務室。
私は机の上に置かれた偽造書類を見ていた。
殿下は私を犯人だと思っている。
グレイヴ卿もそう説明した。
ならば、私はどうするか。
普通なら泣く。
怒る。
逃げる。
けれど私は、帳簿を一冊取り出した。
「殿下」
「なんだ」
「この処刑命令書、日付が一日間違っています」
「……」
「それと、王宮文書庫の貸出記録も改ざんされています」
「……」
「あと、ここ」
私は一枚の紙を指差した。
「殿下の署名の最後の払いが、過去のものと違います」
殿下が黙り込む。
「つまり?」
「この書類を作った人は、殿下の署名を真似しました」
「誰だ」
「それは私にも分かりません」
「分からないのか?」
「はい」
私は首を振った。
「でも、帳簿なら分かります」
私は分厚い記録を机の上に置いた。
「偽造書類に使われた紙は、王宮の北倉庫から出ています」
「北倉庫?」
「管理責任者はグレイヴ卿です」
その時、扉が開いた。
「その通りです」
入ってきたのは、国王陛下だった。
その後ろには近衛兵がいる。
グレイヴ卿も連れてこられていた。
「なぜ……」
グレイヴ卿の顔が青ざめる。
陛下が言った。
「十年前から記録を調べ直した。ミレーヌ嬢の指摘通りだ」
「十年間……?」
「君は王宮の帳簿を書き換え、横領を続けていた」
グレイヴ卿は震えた。
「私は……王国のために……」
「その言葉は聞き飽きた」
陛下は冷たく言った。
私はそこで初めて、すべてが繋がった。
王子を悪者にする。
私を魔女にする。
互いに疑わせる。
その混乱の中で、自分の不正を隠す。
ずいぶん大掛かりな計画だった。
でも。
「帳簿を消さなかったのが失敗でしたね」
私が言うと、グレイヴ卿がこちらを睨んだ。
「貴様……!」
「十年前の記録まで残っていましたから」
私は首を傾げた。
「紙って、意外と丈夫ですよ」
王子殿下が吹き出した。
「……ははっ」
「殿下?」
「いや。君らしいと思ってな」
陛下まで小さく笑った。
そして、その日のうちに私の処刑命令は取り消された。
◇◇◇
翌日。
私は予定通り、昼食を食べていた。
「よかったな、処刑されなくて」
友人のリオが言う。
「うん」
「王国を救った英雄なのに、ずいぶん普通だな」
「英雄じゃないよ」
「じゃあ何なんだ?」
「帳簿係」
私はパンをちぎった。
王宮からは褒賞金をもらった。
爵位の話も来た。
王宮専属の魔術顧問にならないか、とも誘われた。
全部断った。
代わりに私は、予定通り小さな宿屋を買った。
王都の端にある、古くて狭い宿屋。
部屋は六つ。
食堂は一つ。
庭には小さな井戸がある。
「ここなら、静かに暮らせそう」
「本当にそれでいいのか?」
「うん」
私は笑った。
「だって、宿屋なら帳簿がいっぱいあるでしょう?」
「結局そこか」
「それに」
私は厨房を覗いた。
焼きたてのパンの匂いがする。
昨日から雇った料理人が、昼食の準備をしている。
「毎日、おいしいご飯が食べられる」
それだけで十分だった。
その夜。
宿屋の入口に、一人の客が立った。
「空いているか?」
「はい。一泊ですか?」
「ああ」
「では、こちらにお名前を」
客が名乗る。
私は帳簿に名前を書いた。
その横で、ついでに雇っていたリオが小声で言った。
「ミレーヌ」
「なに?」
「その客、王子殿下だぞ」
「……」
私は顔を上げた。
「どうしてここに?」
王子は少し困った顔で笑った。
「君の宿の料理が美味いと聞いた」
「なるほど」
「それと――」
王子は一枚の紙を差し出した。
「王宮の記録係を、週に二日だけやってくれないか?」
「嫌です」
「即答だな」
「宿屋がありますので」
「では、宿屋を王宮の近くに移すのは?」
「もっと嫌です」
王子は笑った。
「そう言うと思った」
私は帳簿を閉じた。
窓の外では、王都の灯りが少しずつ増えていく。
魔女と呼ばれたことも。
処刑されそうになったことも。
王国を救った英雄と持ち上げられたことも。
たぶん、明日になれば全部昔話になる。
それでいい。
私は英雄になりたいわけではない。
誰かの人生を変えたいわけでもない。
ただ、数字が合っていて。
ご飯がおいしくて。
働いた分だけ、明日の暮らしが少し楽になる。
それくらいでいい。
「ミレーヌ」
「はい?」
「ところで、この宿の帳簿を見せてもらえないか?」
「……」
王子殿下が笑う。
私はため息をついた。
「宿泊代を払ってからです」
「分かった」
「前払いです」
「厳しいな」
「帳簿は正確なので」
私は帳簿を開いた。
今夜の宿泊客、一名。
料金、銀貨三枚。
食事代、銀貨一枚。
合計、銀貨四枚。
備考欄には一言だけ書いた。
『王子殿下。無銭宿泊は不可』
これからも私は、帳簿をつけて生きていく。
たぶん、それで十分幸せだ。




