魔王と勇者は恋仲です。~光の聖女が来訪です【後編】~
前回までは。
魔王と勇者は恋仲です。
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魔王と勇者は恋仲です。~光の聖女が来訪です【前編】~
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魔王と勇者は恋仲です。~光の聖女が来訪です【中編】~
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その男が状況を理解するのに時間を要した。
公的な場所に出ても問題ない身なりでは隠しきれない鍛えられた肉体の肩幅。
日々の苦労か傷んだ茶色い髪はオールバックでまとめ上げ、その彫りの深い顔面は死線をくぐり抜けた証拠。
忙しいのかだらしないのか質の固そうな顎髭が無精に伸びている。
眼帯で隠れた左目の分、くすんだ黄土色の右眼が状況を見渡す。
「どうなってやがる……」
脳の処理が追い付かず、思わず枯れた声が漏れる冒険者ギルドサンドリア支部支部長のベルク。
ギルドで書類の山に囲まれていたはずが、強い力を感じた途端気が付けば目の前に平原が広がる。
振り向けば虹色の輝きに包まれたサンドリアの城壁、周りには冒険者達に加えて普段サンドリアの警備や治安維持を担う私兵も同様に困惑して立ち尽くしている。
「ったく、一体何が起こってやがる」
何が起こっているのか理解が出来ていないが、これだけのことを成すには魔法――つまりは魔族が絡んでいるということは察することは出来る。
ならば今置かれている立場はどういうものか?
この場にいるのは冒険者とサンドリアの私兵、つまりは戦うことのできるメンツ。
人だけでなくご丁寧に武器類も一緒にサンドリアの外に飛ばされている。
それはつまり今サンドリア内部は完全に手薄の状態と言うこと。
この状況を作り出しているのが魔族なら非常にマズい。
「全員、今すぐサンドリアに戻れ!」
ベルクはこの場にいる全員に叫ぶ。
しかし誰もがすぐには動かない。
この非常時、迅速な行動が出来ないのは冒険者失格だと内心苛立ちつつも、全員が注視する方向に目をやると誰もが動かない理由に納得がいく。
「何だありゃよ……」
続々と草原から現れる黒い存在。
形は人型や獣型など様々で、そのどれもが輪郭に黒いもやがかかり目だけが赤く光る。
数十、数百、数千とその数は増えていき、その中央に陣取るのは離れた距離でも視界を埋め尽くす巨大な影。
地面を抉る鋭い爪、太い四足で大地を踏みしめ重く響く喉の音がこの場の全員を不安に陥らせる。
形だけ見れば犬のよう、だがその規格外のサイズと威圧感は圧倒的。
「もしかして報告に上がっていた大型魔物の影っつうのは……」
目の前の軍勢が味方でないことはベルクでなくても理解できる。
状況が理解できないまま、それでも自分のやるべきことを理解した者は各々武器を手に取り構えに入る。
ベルクもまた戦闘に備えるために勇者細胞を奮い立たせる。
細胞がベルクの闘志に呼応して、硬く大きい拳を重厚感ある手甲が包み込む。
手首まで覆われたそれはベルクが現役だった頃共に死線を潜った相棒。
「聖拳ナックル。まさかまた使う機会があるとはな」
両の拳を勢いよく合わせると、震えた空気が全員の畏縮した心を緩和させる。
ベルクのその姿を見た者は今となっては少ないが、噂はしっかり語り継がれている。
「あれが支部長の聖宝具……元特級冒険者、“拳王”の名の由来」
そう語るのは二級冒険者のルピス。
灰白色の毛質の良い髪と切れ長な眼、スタイリッシュな躯体に見合った槍捌きから“槍天”の肩書を持つギルドイケメンランキング上位の男。
武装は肩当てと籠手のみで、他は空気抵抗を減らすためか革製の服はシュっとしたシルエットをしている。
「何気に俺様も初めて見るぜ……」
そのルピスに傍で屈んだ状態で見るのは二級冒険者のゲーゲル。
ルピスと並ぶとより顕著になる筋肉隆々の巨躯。
スキンヘッドと身体や顔に刻まれた古傷は明らかに悪人顔。
無精髭と少し香る酒臭さは中年男性のイメージを悪化させるには十分だが、これでも二級冒険者として“戦斧”の名を持つ確かな実力者だ。
真剣な眼差しでベルクを見るその顔つきは様になっているが、屈んで臀部が露出されている現状は間抜けそのものだ。
「ゲーゲル、なんで尻丸出しなんだ」
「仕方ねえだろ!? ウンコしてたら突然ここに飛ばされたんだからよ。俺様まだケツ拭いてねぇんだよ!」
そんなゲーゲルを状況は待ってはくれない。
影の軍勢は真っ直ぐにサンドリアに向かって侵攻する。
個々の力量差は圧倒的、数の戦力の差は絶望的。
それでもやるしかないと腹を括る冒険者と私兵達。
「いくぞお前ら!」
ベルクが先陣切って影に突攻する。
それに続いて冒険者もサンドリアの私兵も己を鼓舞して果敢に挑む。
比較的後方に居たルピスもまた槍を構える。
「僕達も行くよゲーゲル」
「ちょ待っ、俺様まだケツ拭いてねぇんだって!!」
ルピスが影の軍勢とやり合う頃には状況が乱戦状態に陥っていた。
一刻も早く参加しなければとゲーゲルは焦るも、紙が手元にない今は何もできない。
とはいえ味方は命を張っているのでゲーゲルの事情など知る由もなく、
「おいゲーゲル何やってやがる!! お前も戦え!」
「だからまだケツ拭いてねぇんだよ!!」
敵は無防備なゲーゲルを見逃すわけがなく、黒い兵士が三体、屈んでいるゲーゲルの首を取ろうと襲い掛かる。
「だからまだケツ拭いてねぇんだってェェ!!」
ゲーゲルの嘆きが木霊する。
全身の力を踏ん張って臨戦態勢に入るゲーゲルに襲い掛かる黒い兵士は突如として動きを止める。
地面から伸びる薄墨色の植物が黒い兵士の身体を絡め取り動きを完全に封殺する。
「なんだこりゃ……」
守られたのはゲーゲルだけではない。
この戦場のあちこちで影の存在を縛り上げている。
ツルのように細いものから、大木のように太い根が黒い存在を縛り、貫き、薙ぎ払う。
それは明らかに人類側に味方する動きをしていた。
「ほんとに何がどうなってやがるんだ……」
困惑するゲーゲルの側に植物は大き目の葉を数枚落とす。
それは偶然落ちたというより、意図して落とされたようだった。
「これで拭けってことか……」
ゲーゲルが尋ねると植物は頷くように上下に揺れる。
得体の知れない植物を使うのは警戒するが、それでも敵意というものは感じられずゲーゲルは腹を括って葉っぱを手に取る。
ごそごそとしばらくしてようやくゲーゲルは戦線に参加した。
「オルァアア!!!!」
今まで参加出来ていなかった分、気合を入れてゲーゲルは戦斧を振るう。
ゲーゲルの扱う戦斧はただの斧ではない。
聖宝具を模して魔物を素材に作られた魔骸具は、聖宝具ほどとは言えずとも通常の武器より高い能力を発揮する。
ゲーゲルの魔骸具、その真価は圧倒的破壊力にあった。
戦斧の横なぎは黒い兵士の胴体を断絶させる。
優れた肉体を活かして力任せに振り回しているとも言えるが、それでもその破壊力からか黒い存在がいともたやすく薙ぎ倒されていく。
普段の素行の悪さが影響して二級冒険者の地位についているが、実力は一級クラスといわれている。
ゲーゲルの活躍を目の端に捉えたベルクは一級冒険者の昇格を考える。
だがそれもこの場を無事に切り抜けてこその話だ。
「うおぉおおお!!」
ベルクの拳、その一振りは数十の敵を衝撃で薙ぎ払う。
直撃した敵は木端微塵に砕け散り、近くにいた敵は衝撃に吹き飛ばされて、遠くにいる敵は大地の崩れに足を取られる。
戦況としては何とか拮抗を維持しているが理想的とは言い難い。
有象無象は冒険者と私兵で相手取り、手強い相手はベルク、ゲーゲル、ルピスと謎の植物が相手する。
だがこれは不確定要素によって結果的に支えられているだけで、何かがきっかけで状況が悪化すれば立て直すことが難しい。
それにあの大型魔物の影。
今は謎の植物に翻弄されているが、おそらくは時間の問題。
あれがまともに参戦すれば戦況は大きく傾く。
ベルクの長く険しい冒険者人生において、命の危険を感じたことなど数えきれないほどある。
だが今この状況はそのどれよりもプレッシャーがかかっている。
敗北は自分の命だけでなくサンドリア、延いては世界中が戦場になりかねない。
世界の命運を握ってしまったという圧力がベルクの背中に大きな負担をかけていく。
「支部長!」
影の軍勢を蹴散らすベルクの耳に届くほど戦場に響く女性の声。
入り乱れる戦場を縫うように駆け抜けるその女は普段冒険者としてはパーティーで斥候を担う二級冒険者オレン。
橙色の髪は短く、鍛え抜かれた足が短パンから伸びる。
革の胴当てや籠手は身に付けているものの金属製の防具は一切なく、腰に短剣を携えたスピード重視の軽装備。
ユウが来るまではサンドリア最速と謳われた彼女は斥候としての能力が高く、彼女を筆頭に数名の斥候部隊が戦いが始まってすぐにベルクから二つの指示を受けた。
一つはサンドリア内の安全確認。
もう一つはユウを連れてくることだ。
冒険者やサンドリアの私兵が街の外に移された現状、サンドリア内には戦える人材が不在になっている。
この現状が魔族の仕業ならサンドリア内が手薄な状態だ。
もし魔族がサンドリア内に現れたのであれば、劣勢は承知でも戦力を戻さねばならない。
そしてこの状況を打破するにはユウの加勢が絶対条件。
北方区域の魔物が消滅して一年、元々比較的瘴気の薄かったサンドリアには魔物の脅威が少なくなった。
それ自体は良いことだが、腕っぷし自慢の冒険者にとっては仕事が少なくなり、実力のある冒険者は瘴気が濃く魔物や魔族の被害が続く西側へと拠点を移してしまった。
唯一の一級冒険者パーティーは石化の魔法を扱う魔族によって殺され、サンドリア支部には二級以下の冒険者しか残っていない。
そんな中、一級冒険者として加入したユウは今やサンドリアの最高戦力。
この戦場でユウがいるかいないかで戦況が変わると言っても過言ではない。
「戻ったかオレン」
「報告します。今のところサンドリアに魔族、魔物の確認は取れませんでした。街全体を確認出来てはいませんが、そういった騒ぎもないそうです。サンドリアを囲うあの結界のようなものに多少混乱している様子でしたがパニックには陥っていません。第二層の壁から外に出ないよう手配してもらってます」
「とりあえずはこの連中に集中すれば良さそうだな。でユウはどうした?」
「それが……ここと同じようにサンドリアの北側、東側、南側にも黒い軍勢が侵攻しており、ユウさんは北側で対応しています。おそらくこちらへの応援は厳しいかと」
「っくそ。なら東と南はどうなってる? この場を見るにそこに戦力が回っているようには見えねえぞ?」
「南側は聖女ルミナスの存在を確認しました」
「聖女がなんでサンドリアに? 今聖騎士団は西の魔族被害にかかりっきりだろ?」
「聖女様がこの場にいる理由までは何とも。東については……何も分かりませんでした」
「はぁ?」
オレンの情けない報告にベルクは首をかしげる。
二級とはいえオレンの実力は評価している。
今上がった報告結果でもこの短時間でよく調べてくれたと感心しているくらいだ。
だが何も分からないという報告だけは意味が分からない。
詳細は分からずとも視認した情報でも報告を上げることが出来るからだ。
「東側はサンドリアと同じように結界のようなもので外部からの侵入を阻んでおり、外からの視認も叶わなかったそうです。ですが現状東から攻め込まれているわけではないようですので、引き続き調査と警戒で人員を回しています」
「……怪しいとすれば東側だが、そっちに回る余裕もない。とりあえず俺達のやるべきことはこの場を守り切るということだな。オレン達斥候隊は引き続き状況確認と北のユウ、南の聖女との通信網を担ってくれ」
「はい!」
ベルクの指示を受けてオレンはすぐに行動に移す。
踵を返し、すぐに他の斥候役と合流しようとサンドリアへ向かう。
だが振り返ったその刹那、視界に映ったのはサンドリアの街ではなく影の存在。
周りで暴れているのとは違う存在感。
漆黒の靄で輪郭がぼけているにもかかわらず視界に飛び込む圧倒的存在感。
百九十を超えるベルクを上回る躯体は見た者を容易に萎縮させ、漆黒の鎧は芸術的だが禍々しい価値を感じる。
全身が黒に包まれた存在の眼は赤く光り、鋭くオレンを射抜いた。
振り上げられた右手には剣のような影が伸び、目の前の存在の次の行動を悟る。
しかしもう脊髄反射ですら躱すことは叶わず、受け止めることなど不可能。
論理的な思考に至れたわけではないが、本能的にその現実をオレンは突きつけられる。
振り下ろされた右手。
恐怖で身体が竦むより前、叫び声を上げる余裕もなし。
死を悟り、時が過ぎるのを待つことしか出来ないオレン。
「ウォオオアラア!!」
刹那、黒い存在の振り下ろされた右手が弾かれるように再び空へ。
衝撃にオレンは吹き飛ばされ、黒い存在も数歩よろめき後退る。
「ほう、我が剣を受け止めるほどの実力者がこの場に居たとはな……」
ただ無機質に、ただ無感情に攻め込む黒い存在とは違う。
攻撃を弾かれたという事実に驚き、感心する感情の持った存在。
右手の感触を確認し、目の前の存在に目を向ける。
髪の無いスキンヘッドの頭は硬質的な輝きを放ち、手入れされていない髭と古傷残る悪人面は冒険者と言うより犯罪者。
黒い騎士の存在に負けず劣らずの巨漢に見合う大斧を携えて立ちはだかる。
「ようやく会話できそうな奴が現れやがった。俺様の名はゲーゲル。サンドリア支部二級冒険者、“戦斧のゲーゲル”とは俺様のことよ!」
大斧を肩に構え、高らかにゲーゲルは名乗る。
目の前の黒い騎士の存在、肌で感じる強さは誰もが理解できる。
それでもゲーゲルは自信に満ち、恐怖を一切感じさせない立ち居振る舞い。
虚勢か慢心か、はたまた馬鹿なだけなのか。
黒い騎士の存在は測りかねていた。
「さあお前も名乗ってもらおうか。黒幕さんよぉ……」
「ふむ、我が一撃を弾き返した褒美に教えてやろう。我が名はシャディルデア、人類の通名を使うのであれば六冥尊、“影軍のシャディルデア”だ」
その名を聞いたのはゲーゲル、オレン、ベルクの三名のみ。
他は乱戦のけたたましい音と視野が狭まるほどの緊張感に他の会話など耳に入っていない。
その状況にベルクは安堵する。
“影軍のシャディルデア”――その名は全体の士気を下げるには十分なほど影響があった。
もし他のメンツがその名を耳にしていたならば、良くて戦線からの逃亡、悪くて生存の諦めに繋がりかねない。
ベルクの特級冒険者としての活動歴は長く、上級魔族は幾度も相手してきた。
それでも六冥尊は戦ったことはおろか、見たことすらなかった。
こうして対峙して初めて、今まで関わることのなかった幸運を自覚する。
経験によって培われた勘が立ち向かうことを拒絶させる。
死線を重ねて研ぎ澄まされた本能が逃げろと訴えかけてくる。
「これはとんだビッグネームが現れたもんだ。つまりあれだろ? お前を倒せば俺様の名は世界中に広まるってわけだ」
ゲーゲルの自信に満ちた笑みは虚勢のようには感じられず、ベルクは死に急ぐような行いに肝を冷やした。
「バカ! そいつは俺ですら相手にならない魔族だぞ。聖宝具も出せてないお前が勝てるわけないだろゲーゲル。今すぐ退け!」
「いやぁ~なんか分かんねぇけど、恐怖も無ければ負ける気もしねぇんだよ今。言ってしまえばめっちゃ絶好調なんだよ。なんでかは知らねぇけどな!!」
ゲーゲルは一気にシャディルデアとの距離を詰める。
力任せに数発撃ち込むもシャディルデアはそれらを容易にいなす。
ゲーゲルの大振りは大きな隙を生み、シャディルデアはそれを見逃さない。
大振りを躱し空いた左肩に影の剣を振り下ろす。
誰もがゲーゲルの敗北を確信したが、予想に反してゲーゲルはそれを躱した。
そしてすぐに反撃へと切り替える。
シャディルデアと互角の攻防。
その光景にベルクはとてつもない違和感を覚えていた。
「あれがゲーゲルなのか……? それにシャディルデアの動きも……」
調子が良いだけでは説明のつかないゲーゲルの動き。
大振りに生じる隙はあまりにずさんでとても六冥尊と渡り合えるほどではないのに、膂力と反射神経は特級冒険者に引けを取らない。
対して六冥尊を名乗っているにはまだ見切れるシャディルデアの動き。
視界に飛び込んだ瞬間身体が本能的に竦むほどの威圧感はシャディルデアの実力を示していると言っても過言ではない。
しかしながらゲーゲルと対峙しているシャディルデアの動きは、一級冒険者と同等程度に感じられる。
相手の強さを見極める勘が鈍ったか、慧眼スキルの衰えか。
そんな可能性すら過ってしまうほど、強さの雰囲気と実際の実力が見合っていない違和感。
その違和感の正体に真っ先に気が付いたのはこの場において最も状況を把握しているシャディルデアだった。
「彼奴、まさか我が【影読】をその手で破ってくるとはな」
「あぁ? 誰の話をしてやがる」
「気にするな、魔女の傀儡と化した哀れな者よ。ふむ、このまま人形劇に興じるのも悪くはないが、戦況が拮抗している今、ここに我が分身を割く理由もないな」
ゲーゲルを目の前にブツブツと思案に浸るシャディルデア。
隙だらけだとゲーゲルは大斧で斬りかかるも、シャディルデアはそれを容易く躱して水中に飛び込むように影の中へ。
「くそっ、逃げやがった!」
悔しがるゲーゲルだが、その場で腰を抜かしてしまっていたオレンは安堵する。
しかしベルクだけは冷静に感知スキルで気配を探っていた。
だからこそ、その危険性にいち早く気が付ける。
「マズい! ゲーゲル、あの大型魔物を先に倒すぞ!」
ベルクはすぐに植物に拘束され、翻弄されている大型の影に駆け寄る。
訳も分からないゲーゲルも理由を問わずベルクの後に続いた。
サンドリアの第三層と第二層を隔てる石造りの壁を体当たりで容易に破壊出来そうなほど大型の影は、謎の植物により押さえつけられて行動を抑制されている。
その状態でも倒すためには多少の犠牲を覚悟しなければならないほどで、だからこそ動きが抑えられている今は他の影に手を回していた。
だがそれが悪手だったかもしれないとベルクは後悔する。
多少犠牲を払ってでも、先にあの影を倒すべきだったと。
ベルクとゲーゲルがその影へと辿り着くより先に、シャディルデアがその影の元へと姿を現す。
そしてすぐさま、大型の影を縛る植物を切り捨てた。
「さぁ止めてみるがいい」
シャディルデアは影の中へと姿を消す。
大型魔物の影は、身体の縛りから解き放たれて募らせた苛立ちを撒き散らすように咆哮を放つ。
ベルクとゲーゲルがその足を止めたのは、間に合わなかった事実に加えて気圧されたことも大きい。
「間に合わなかったか」
解き放たれた魔物。
その存在感は拮抗し繋ぎとめていた士気を下げるには十分なものだった。
頭を振り、黒い唾液を撒き散らしてその太い足で大地を抉る。
土は抉れて舞い上がり、草は風圧で飛ばされる。
地鳴りの如き足音と雷鳴のような劈く猛り。
再び捕らえようと伸びる植物はその圧倒的突進力に成すすべなく千切れていく。
絶望が、迫ってくる。
「させるかぁあ!!」
ベルクは身体をフル稼働させて飛び上がり拳に勢いを乗せる。
赤く輝く二つの眼光の間に全力の一撃を叩き込む。
反動で腕一つ持っていかれるのを覚悟した捨て身の一撃。
だがその覚悟は無意味となる。
ベルクの拳が届くより遥か手前で、空気が破裂したかのような衝撃。
魔物の尾がベルクの身体を軽々しく打ち返し、ベルクはサンドリアの第二層と第三層を隔てる壁に身を打ち付ける。
現役を退いたとはいえ、それでもなおサンドリアではユウを除き最強クラスの実力者。
そんなベルクが容易く薙ぎ飛ばされるという事実を受け入れられず全員の思考が止まる。
辛うじて生きてはいるがもう戦える状態ではないベルク。
それでも魔物は無慈悲に突き進む。
一番正面に居るのはゲーゲルだが、大気を押し退け無残な足跡を刻む魔物を止める手段など持ち合わせていない。
だからと言って逃亡ももう間に合わない。
「クソガァ! なるようになりやがれェエ!!」
もうやけくそに、ゲーゲルは斧を振り下ろす。
絶好調の身体でふっ切れて適度な脱力と重みを乗せた一振り。
おそらくはゲーゲルの冒険者人生で最大の一撃。
それでもゲーゲルの脳内には弾かれて、魔骸具は粉々に、止まることのない突進に成すすべなく吹き飛ばされるイメージが過ぎる。
だがそれはすべて妄想に留まる。
下ろした腕は反動が一切なく振り切れる。
ゲーゲルのむき出しの頭皮を摩擦する暴風は魔物の突進による余波ではない。
世界を分断するかの如き縦一閃。
大地を二分に分け隔て、曇天に一筋の線が刻まれる。
肝心の魔物はゲーゲルの左右を勢い殺さずに横切る。
分かたれたそれぞれの胴体は、バタバタと足を空回りさせて地面に身を預ける。
本来なら断面から泉が出来るほどの血が広がるはずだが、影の存在はそのまま霧散し消失する。
ベルクを一切寄せ付けなかった魔物をゲーゲルが一撃で葬った。
その光景に周囲は勿論、ゲーゲルすらも困惑していた。
手に握られるは魔骸具……ではなく全くの別物。
ゲーゲルの大きい手に合った太い柄、その先端には両端の刃が付いた大斧。
血錆が目立つ魔骸具は、今では洗練された聖装そのもの。
「まさか……ついにやったか? この俺様にもついに聖宝具が!!」
念願、祈願。
ゲーゲルはその斧を天に掲げて歓喜する。
聖宝具の顕現――それは勇者細胞が覚醒した証拠。
聖宝具の性能、威力はたった今証明され、この戦況を大きく覆す。
普段の素行はさておき、今この場においてゲーゲルは希望そのもの。
「っしゃあ! 俺様に続けぇ!!」
調子づいたゲーゲルの鼓舞は、戦場に活気と勢いをもたらせた――――。
*****
この場にいるはずのない存在が目の前に現れてルミナスは警戒する。
シャディルデアは今マオと対峙しているはずで、南側の戦場に居るはずがない。
だが目の前に現れた黒い騎士はその風体も、声も、聖職者ならば感じ取れる邪気もシャディルデアそのもの。
――マオさんが……魔王が裏切った?
そんな可能性が脳裏を過る。
魔族とはいえユウが防衛ラインの一つを任せるほどに信頼しているマオを疑いたくはない。
だがそれでも魔族である以上、同族のシャディルデアに寝返るというシナリオは十分にあり得る。
「何故ここに居るのか。あの女狐めが裏切ったのではないか。そのように考えているな?」
シャディルデアに心を見透かされ、ルミナスは身構える。
女神の使徒である守護者達とシャディルデアの影の兵士が乱戦する戦場の中央で、互いに目の前の存在に意識を集中させる。
「安心しろ。奴は裏切ってなどいない。今はまだな」
「今は? まるでいつかは裏切るかのような物言いですね」
「裏切るさ。いや気が変わるという表現の方が正しいか。奴が何を言おうとも、所詮は道楽的思考に過ぎん。義より利、他より己。魔族とはそういうものだ。追い詰められれば生き残るために手段は選ばん。どちらに付くべきか、奴もすぐに理解するさ」
シャディルデアの言葉をルミナスは否定出来なかった。
ルミナスの魔族に対する認識もあるが、今シャディルデアが言ったことはマオ本人からも言われたことだからだ。
善悪の話ではなく利害の話だと。
ユウと恋仲なのも自分の利益のためだと。
「でも、だからこそわたしは聖女として見極めなければなりません。マオさんの真意を、魔族の本当の在り方を」
マオと出会い、語り、魔族の認識がことごとく覆された。
もしも魔族が世界を蝕む人類の敵ではなく、他種族と同様に共にこの世界で生きる隣人なのだとしたら。
マオの言っていることは魔族からしたら詭弁かもしれないし、マオが例外な存在なのかもしれない。
それでも魔族が人類と共存できるという事例は、世界の価値観を大きく変える。
魔族と人類は生態的に共生出来ないかもしれない。
だが大切なのは共に生きようとする在り方だ。
共に手を取り交流を図り友好を深めるとまではいかずとも、完全な敵対ではなく上手く無難に過ごす術を見つけ出す。
それが出来るのであれば不毛な争いを避け、無駄な血を流さずに済む。
「ふむ、ならば存分に見定めるがいい。そして知るだろう、魔族の底なしの欲深さを」
シャディルデアは影の剣を抜く。
その戦闘の構えにルミナスもまた錫杖を構えた。
女神の力を使う為に錫杖を縦に構えるのではなく、先端を突きつけ腰を落とした構えは槍術のようで。
「“光満ちる女神様よ・我が祈りを受けたまいて・穢れを断つ浄白の光をこの剣に集え”……聖典第三章七節――天ノ御剣」
眩い白光が杖へと集まる。
シャディルデアは聖騎士と戦った記憶を呼び起こした。
聖典の第三章、それは女神の力の中では上級以上の魔族を相手取るには心許ないもの。
聖女たるポテンシャルか女神の強い祝福か、今まで対峙した聖騎士の扱う力とは比肩出来ないほど高密で洗練された力の波動。
「行きます!!」
ルミナスはシャディルデアとの距離を詰め杖を横に薙ぐ。
光は残像となって一閃の軌跡を作り、自分よりはるかに大きいシャディルデアの頭を狙う。
シャディルデアは影の剣でそれを受け止める。
競り合う光と影。
浄化の力を宿す白光は影の剣を蝕んでいく。
シャディルデアは後ろに飛び引き一旦距離を取るも、ルミナスはその小さい歩幅に数を言わせて逃がすまいと連続で打ち込んだ。
シャディルデアはそれらを捌き、いなす。
だが余裕という訳ではなかった。
「貴様、白兵もいける口か」
「わたしの背中には守るべきものが多いのです。それに今のあなたならわたしでも相手に出来ます」
「さすがは聖女、我が力量を見破るか。煩わしい加護で我が魔法を阻害している今、確かに白兵でも十分にやり合える。女神の力が加われば討ち取ることも叶うだろう。だが他はどうかな?」
面の下から聞こえる邪悪な笑声。
ルミナスは注意をシャディルデアに留めたまま戦況を確認する。
僅かではあるが守護者達が押され始めている。
ルミナスが加わることで戦況を保っていたが、そのルミナスはシャディルデアに掛かっている。
それに影の軍勢も数が増している。
おそらくは他の所に回す予定だった兵士を南側に回している。
「さて問題はどこに回す予定だった勢力をここに集めたか? そう考えているな。強き人族のいる北側か、最も防衛の薄い西側か…………それとも魔族が守る東側か」
含みを持たせた言い方に、ルミナスはどうしてもとあるシナリオが脳裏を過る。
マオが裏切り東側に力を注ぐ必要がなくなったという可能性。
「疑っているな。無理もない。実際東側に回すはずだった兵力をこちらに回しているのだからな」
揺さぶるようにシャディルデアは言い放つ。
「もしマオさんが本当に裏切っているなら、サンドリアを覆う魔法は解かれているはずです。あれがまだあるということは、少なくともマオさんは味方です」
「我が揺さぶりに動じない冷静な判断は流石だな。だが事実として東側の勢力をこちらに回している。これがどういうことか分かるか?」
ルミナスはもう一つの可能性を身構える。
東側に数を割く必要がなくなった。
マオが裏切っていないのであれば、残るはマオが劣勢になっている可能性。
魔法が発動されているということはまだ倒れてはいないだろうが、シャディルデアの言う魔族の本質が正しいのであれば、マオは死の瀬戸際に追い込まれたその時――マオは人類の敵となる。
「なら一刻も早くマオさんのもとへ駆け付けなければなりませんね」
マオが裏切るのであればそうなる前に。
マオが死を選ぶのであればそうなる前に。
聖女として立ち会わなければならない。
マオの魔族としての在り方を、マオの選択の結果を。
「果たして間に合うかな」
シャディルデアの経験則に基づいた戦況の見極め。
マオの選択よりも前にここを制圧することは不可能。
シャディルデアの不敵な笑声。
しかしそれはすぐさま消える。
ルミナスの中から感じる魔族なら吐き気を催すほどに穢れの無い力の波動。
聖なる力を借り受ける存在、女神の代行者。
本来ならばそんな立場で終わるはず。
「“我が身を御座と為し・我が魂を依り代と為し・御光を此処に顕す・我は光源に坐す至高の女神なり”……」
――だがこれではまるで女神の代わりと言うより…………。
「そのものではないか…………」
「原典第一巻――天地開闢」
ルミナスの翡翠色の瞳は金色へと変わり、玉のような声は厳格な権威を宿す。
錫杖を体の横で静かに持ち、純白の装束は優しく揺れる。
身体から溢れる光の粒子が大気を浄化し、彼女を起点に大地が波打つ。
何百年と生きたシャディルデア。
そんな長寿であろうと万物の起源とされる女神を見たことは無い。
女神など存在しないという認識が魔族の中では一般化しており、シャディルデアもまた例外ではない。
しかし目の前に君臨する存在は、女神と呼べるに値するほどの存在感を知らしめる。
――原典、そんなもの聞いたことが……。
生み出される疑問も、仮面の奥ににじませる動揺も、すべてが刹那の出来事。
眩い光が視界を埋め尽くし、気分を害する心地よさが身体を蝕む。
一つずつなどと悠長なものではない。
数千、また数千と影の気配が消失していく。
シャディルデアの分身も例外ではなく、状況を把握するよりも前にその肉体は光に照らされた影のように呆気なく、静かに消失した。
光の収束、戦場にはルミナスが呼び出した守護者達だけが残る。
また影から兵士が生まれようとするも、浄化というより再構築といっても遜色ないほど穢れない大地は肉体を瞬時に崩し、澄んだ大気は触れた影をすぐさま霧散させる。
もうこの一帯において影の兵士がその存在を保つことは不可能。
そう判断したのか、数分もすれば影の兵士が現れなくなっていた。
ルミナスの瞳は翡翠に戻り、身体から漏れていた光は落ち着きを取り戻す。
肉体の主導権を取り戻したルミナスは全体重を錫杖で支えた。
「はぁ……はぁ……さすがに疲れますね」
全身から汗が吹き出し、倦怠感と疲労感が小さな身体に押し寄せる。
今すぐにでも寝転んでしまいたいと思いながらも、重苦しい体に鞭を打ち東側へと駆け付ける。
南側はシャディルデアの兵隊が存在できる環境にあらず、もう守護者達をここにとどめておく必要もない。
数体はルミナスと共に東側へ、それ以外は西側に応援に向かわせる。
ルミナスは金の装飾が施された純白の甲冑守護者に背負われ東側へ。
東側に向かうとそこにはまるで外界を拒絶するかのように黒い隔たりがあった。
物理的な壁というよりは魔力による障壁。
しかし手で触れると確かな感触があり、押し入ろうとしても侵入を拒む。
障壁は黒く、向こうを覗くことは叶わない。
「これがマオさんの仕業なら素性を隠すためでしょうけど、この状況ではなかなかに厄介ですね」
ただでさえ消耗してしまっている今、少しの体力も温存しておきたいがそうも言っていられない。
ルミナスは守護者の背中から降り、結界に掌を合わせる。
温度や質感は無く、ただ硬い感触のみが掌に伝わる不思議な感覚。
「 “いと優しき女神様よ・我が祈りを応じたまいて・暗夜の灯を照らしたまえ”……聖典第一章二節――光明聖路」
ルミナスの身体から溢れる光の粒子が集まり光球となって宙に浮かぶ。
それらはトンネルを形作るようにアーチ状に並び道を作る。
本来は瘴気の中を進めるように浄化された一路を作り出す力だが、ルミナスの秀でた浄化能力が合わされば魔族が作り出す魔法の結界に出入口を設けることが出来る。
結界に生まれた出入口。
当然そこからなら中が覗けるが、結界の中はルミナスがその足を止めるほど凄惨なものだった。
大地は荒れ果て、空気は瘴気で淀み、荒れ狂う戦闘音が響き渡る。
平原が広がっているはずの景色は、非自然的な薄墨色の植物が森のように林立している。
視界に飛び込む強烈な光景、奥に魔王と六冥尊がいるという緊張感、離れているはずなのに伝わる魔力の波動。
聖なる立場としては本能的に先に進むことを拒んでしまいそうになるが、ルミナスは呼吸を落ち着かせて覚悟を決める。
ルミナスと守護者達が結界の中へと飛び込むと、浄化された出入口は静かに閉じて退路を断った――――。
*****
サンドリアの東側に広がる森と平原の狭間。
本来なら平原であるはずの場所は薄墨色の植物が天に伸び、森と平原の境をあやふやにする。
そんな森と植物の群生を囲む魔力の障壁は、外から覗くものの視界を拒絶するも中から外は透けて見える。
森はとある一点から伝わる衝撃と暴風に揺らされて、薄墨色の植物は自制したように蠢く。
かつて元魔王と恐れられたマオと、六冥尊“影軍”のシャディルデア。
上級の中でも上澄みの魔族の戦いは苛烈にして過激。
影が襲い、植物が払う。
どこからともなく伸びた鎖を、影が断ち切る。
影の射る矢を魔力の障壁が阻害し、魔方陣から放たれる魔弾を影の盾が妨げる。
攻守が入り乱れてボードゲームのような駆け引きが展開され、一手でも間違えば、数秒でも迷えば敗北が確定するであろう戦い。
展開される激しい戦闘とは対照的に、当事者の二人は動くことなく静かに対峙している。
互いに直接手を下さずとも相手を制する手段があり、身をかわさずとも攻撃を捌く手段を持つ二人だからこその状態。
だが動かない両者は魔力制御、魔法発動、戦況見極めなど目には見えない労力が重なり、一番動いていると言っても過言ではない。
「さすがだなシャディル。やはりお前の魔法はよく出来ている」
戦闘の最中、マオは呟く。
それはシャディルデアの魔法に対して述べたものだが、マオの眼は目の前のシャディルデアではなく別の場所を見据えているようだ。
「【影身】だったか? 影から人格、記憶、能力、五感すべてを共有した分身を生み出す魔法。だが能力値も分割してしまうことが魔法のネックだったはずだが……【影読】か。確かにそれなら分身に力を割かずとも十分な強さを発揮する」
【影身】は自身の分身を生み出す魔法。
しかし能力の総合値は変わらないというのがネックだった。
シャディルデアが分身を一つ生み出した時、十割の力を持ったシャディルデアが二体になるわけではなく、力の何割かを持っていかれて二人合わせて十割になる。
いくらシャディルデア本体が強力といえど、影の兵士を多く抱えている今、わざわざ力を割いてまで分身するメリットは少ない。
だが相手の影から能力を模倣する【影読】が合わされば話は変わる。
少ない力を割いた下級魔族にも満たない超劣化シャディルデアでも【影読】により相手と同等の能力を発揮する。
「五感を共有して戦況を把握するためだけの魔法が、一兵として機能することが可能になったわけだ。百年前は【影読】なんて魔法使っていなかったはずだが新作か? だとすれば百年でよくここまで精巧に魔法を組み上げたものだ」
「まだ完成と呼ぶには杜撰なものだがな。だが初見で対応する貴様も大概だ。西の人族……強制的に細胞を覚醒させたな。確かに【影読】で模倣できるのは本体の力のみ。外部から強化すれば打破出来るだろう。だが何故あの男なのだ? 強化するならもっと別の……それこそあの場で最も強い男がいただろう?」
シャディルデアに言われてマオはオールバックの男を思い浮かべる。
だがシャディルデアの意見をマオは一蹴した。
「あーサンドリア冒険者のボスか。あれはダメだ。実力は申し分ないが魔法耐性がついてしまってるからな。魔法耐性が弱く、単純バカで、ポテンシャルは秘めている。そんな都合のいい人材があのハゲだっただけだ」
「なるほどな。だがいつまで持つかな。もはや限界だろう?」
シャディルデアが兜の奥で得々と笑う。
赤く光るその目は戦場を捉えて戦況を見極めていた。
そんなシャディルデアにマオも負けずと飄々と答える。
「確かにあのハゲは強制的に肉体を強化しているに過ぎん。いずれガタが来るだろうな」
「そうではない。我が言っているのは貴様のことだ」
シャディルデアの指が確実に、明らかに、マオを捉える。
マオの余裕のある顔が核心を突かれて静かに固まる。
「街一つを覆う大魔法とここ一帯を隠す結界の維持、西側の人族を守る為に使っている魔法数十種、我と相対して使う魔法の数々。上級魔族ですら神経が焼き切れるほどの魔法処理といつ灰と化しても不思議ではない魔力消費。どれほど取り繕うとも、限界がきていることは必然」
「この私をそこらの上級魔族と同列に見るとは、この百年で目も曇ったかシャディル。見ろ、この通り私はまだまだ余裕だ」
真っ直ぐ立ち、疲労の気配を一切見せないマオ。
だがそれが誤魔化しだということをシャディルデアは確信する。
「ではその張りぼての余裕を剝がしてやろう。実影魔法――【影造顕現】」
シャディルデアはサンドリアの頭上で浮かぶ曇天に掌をかざす。
練り上げられた魔力濃度はマオを振り向かせて状況を確認させるには十分だった。
曇天に張り付くように描かれた魔方陣、その大きさは三層構造になっているサンドリアの中央、役人や上流市民が住まう第三層を悠々と上回る広さ。
そしてその魔法陣から巨大な影が姿を現す。
さながら隕石、漆黒の靄が炎のように揺らめき、空気を押しのけて落下する。
「影を取り込み召喚する【影霊顕現】と違い、影を素材に別の物体を創造する。我が魔法の新作だ。さてどうする? 貴様の【拒む圏域】は物体の侵入は防げない。このままでは街にいる人類は死に絶えるぞ」
一秒にも満たない葛藤、マオは魔力を振り絞る。
再現魔法植生術式【魔界樹の根】
サンドリアを覆う【拒む圏域】の外側に大量の魔法陣が浮かび上がり、数十人が輪になってようやく一周出来るほどの太さを誇る薄墨色の木が、各魔法陣から落下する影に向かって伸びていく。
だが伸びていくにつれて、木が増えていくにつれてその動き、勢いは落ちていく。
「――――ぁああ゛ぁああああ゛゛ああああ!!!!」
背中を丸め、掻っ切れるほどに悲痛な声を絞り上げるマオ。
伸びた木は集まり、絡まり、一つに束になっていって巨大な両の手を形作った。
落下する影を掬い上げるように巨大な木手が受け止める。
衝突し、衝撃で空気が震えて、薄墨色の木端が宙に散る。
「上級魔族の数倍……随一の魔力量を誇る我に少し劣るほど魔力を有しておきながら、貴様の強みはそこではない。貴様の本来の強みは有限であるはずの魔力を無限に錯覚させるほどに早い魔力の回復速度。僅かな瘴気でも通常の魔族の数十倍も早く回復する。瘴気の濃い場所では言うまでもない誰よりも生粋の魔族体質。だがさすがの貴様もそれだけの魔法を使い続ければ回復よりも消費の方が上回る」
悠々とシャディルデアは語る。
それは優位性の表れであり、宿敵の窮地に感じる愉悦でもあった。
木手で受け止め影の勢いは収まり、サンドリアを守ることは成功した。
しかし――
「ようやく底が見えたな……」
マオは片膝が崩れて地面に付き、息を切らしながら虚ろな目でそれでも闘志は残したままシャディルデアを睨む。
その目の下から顎にかけて、乾いた土のようにひび割れていた。
「貴様が我の前に跪いている現状、それは貴様が劣っているからではない。辛かろう? 弱き者を守るのは。苦しかろう? 足手まといを支えるのは。貴様の掲げる理想はその辛苦を受け続けるということ。何とも惨めで、嘆かわしい」
シャディルデアの言葉に反論する余力すらマオには残っていなかった。
その姿にさすがのシャディルデアも同情の念を送る。
「もう理解したであろう? 貴様が人類を切り捨てていたならば少なくとも今のような結果にはなっていない。貴様は憎き相手だが、魔族として、宿敵として我は貴様を十分に評価しているのだ。そんな貴様がこのまま朽ち果てるのは興覚めというもの」
シャディルデアは動けないマオに影の剣を突きつける。
絶好の機会、だがシャディルデアはマオの命を捉えていない。
「人類を捨てろ。西側の魔法を解き、サンドリアの結界を払い、影を受け止めたあの木を消せ。そうすればすぐさま人類は死に絶え、多くの霊魂が肉体から解き放たれる。貴様はそれを魔力に換える手段を持っていたはずだ。今の貴様は命を取るに値せん。我を認めさせた者として、せめて魔族として死ぬがよい」
シャディルデアの案、マオの脳裏に過ぎっていなかったというと嘘になる。
死者の魂を魔力に換えて取り込む魔法を扱えるマオにとって、シャディルデアの言っていることは現実的、合理的なものだった。
手段がある――それがマオをさらに苦しめる。
楽な道を選ぼうとするのは魔族とて例外ではない。
出来るのにしないというのはそれなりの自制を必要とし、それは精神的ストレスに他ならない。
今にも灰になりそうな身体で、それでも尚葛藤するマオにシャディルデアは首をかしげる。
「何故拒む? 何が貴様をそうさせる? 貴様は魔族で、貴様を苦しめているのは人類だ。もう良かろう? 貴様は十分に抗ったではないか? 切り捨てたところですべては弱き人類の責任。称えられることは無いが、責める道理など人類にはない」
シャディルデアの声が、自身の声としてマオに伝わる。
明滅する視界で捉えるのはシャディルデアではなくマオ自身。
鈍い頭が自身の幻覚を確かなものとする。
「これは戦争だ。誰一人死者を出さないことはあり得ん。戦争を知らない者の理想を掲げるほど貴様は愚かではないだろう」
――黙れ。
「犠牲を許容し、利用しろ。それは魔族のみにあらず、貴様が必死に守ろうとする人類とてしていることだ」
――――うるさい。
「貴様が人類を守ろうとも人類は貴様を守らない。魔族と知れば恐怖し、嫌厭するに決まっておる。そんな連中に命を張る意味はない」
――――――そんなこと理解している。
理解して、納得して、それでも選んだ道。
すべての言葉は今更だ。
「……シャディル、お前は赤子を抱いたことはあるか?」
掠れ、それでも振り絞ったマオの問い。
その質問の意図が読み取れず、シャディルデアは口ごもる。
今にも倒れそうなほどに弱く震える足で立ち上がるマオは続ける。
「誰かの為に命を懸けたことは? 未来の為に何かを紡いだことは?」
「…………何が言いたい?」
「シャディル、お前は何のために生きている? 私を殺し、その先に何を求める?」
「……何の為に生きている、だと?」
考えたことがなかった。
この世界に生まれ、手段を選ばず生き残ってきた。
家族という概念は無く、親というものはおらず、ただ一人でなりふり構わず生きてきた。
生きるということが目的で、それ以上のことは考えたことが無かった。
だがそれが魔族というものだ。
そう結論付けて考える必要もなかった。
「私を狙う人類が現れる度常々考えていた。明らかに実力が上である私に挑む無謀。そこまでして命を張る理由は何だろうかと。私を倒したとして、その後に何を求めるのだろうかと。自衛はまだ理解できる。だが自分から仕掛ける意味が分からない」
「それが人類というものだ。勝てぬ戦に興じ、自ら死地へと足を踏み入れる愚行。わざわざ自分から仕掛けなければ長生き出来たものを」
「まったくだ。だから私は人類の非合理的な行動は弱者故だと結論付けていた。弱者には選択肢がなく、納得してなくてもそうせざるを得ない。私を倒そうとするのも、本当は死にたくないが戦わざるを得ない事情があるのだと。だがユウと出会ってその認識は変わった」
「ユウ? あーあの強き人族のことか」
「シャディル、お前のことだからすでにユウとは戦い、その力は思い知っているだろう。私と同等の力を持った人族。初めて見た弱者ではない人類。しかしそれだけの強さを持ちながら、ユウは誰かの為に動き、誰かの幸せを願い、誰かのために命を張っていた。私が人類に抱いていた認識が覆され、人類の在り方に興味を持った」
マオはユウとの旅を思い返して柔らかな笑みを浮かべる。
それは魔族としてマオを見てきたシャディルデアにとっては不快な感情だった。
「ユウと出会い、過ごし、人類への理解を深めた故に出た疑問……私がこの世界に生きる意味はなんだろうかと。魔法は生き残る為、暇を持て余す為の手段に他ならず、それにより何かを成すことは無い。自分しか使えないように魔法を作るのが良い証拠だ」
「当たり前だ。魔法が唯一のものでなくなった時の危険性は魔法を模倣する貴様が最も理解しているだろう」
理解に苦しむと言わんばかりにシャディルデアは言い返す。
「では私が……魔族がこの世界に生きる意味はなんだ? 私達は何のために存在している? それとも意味が無いのだろうか。私達はやはりこの世界にとって癌なのだろうか……」
「我ら魔族より、人類の方が意味があると?」
「シャディル、お前の言うことは合理的で正しい。確かに人類は愚かで弱く、非合理かつ不条理。理解に苦しむのも無理はない。だが奴らは私達と違って意味を持って生きている。生きたことに意味を見出す。本人が理解しているかは知らんがな」
「……ならば聞かせてもらおうか。人類の生きる意味とは何なのか」
「いいだろう……奴らは何かを残す為に生きている。それが奴らの意味であり、存在する意義である」
マオの見解にシャディルデアはまだ納得には至っていない。
「子供、技術、文化、遺産、金、思い出、意志……奴らは何かを残すことで自分の存在価値を見出し、そのためには非合理なことも厭わない。対して私達はどうだ? 魔法は自分にしか扱えず、魔法で生み出した物はまやかしに過ぎず、種を滅ぼすことはあっても生み出すことは無い。ただただ生き、死は虚無と同義。まったくもって空しい存在だ」
「空虚な存在は嫌か? たとえそれが魔族の本質だとしても」
「確かに私のやろうとしていることは無駄なのかもしれない。魔族がこの世界に何かを残し、この世界で存在価値を見出すことは出来ないのかもしれない。だがそれはこれから私が証明すること。たとえ空虚な存在が魔族の本質だったとしても、証明する過程が重要なのだと私は思う。手始めにお前から人類全員を守り切り、種の保存を以て私の存在意義を証明しようか」
シャディルデアの中に何かが抜け落ちるような感覚。
自分が認めた相手が、自分の宿敵が、あろうことか人類と同じ在り方に成り下がろうとしている。
魔族を上位存在と考えるシャディルデアにとってマオの在り方は冒涜そのもの。
要するに失望したのだ。
シャディルデアの冷たい視線が瀕死のマオを見据える。
【影霊顕現】で生み出された黒い影がマオに近づきその首を切り捨てようと剣を構える。
もはやマオはシャディルデア自身が手を下すに値しない。
処刑人のように近づく影。
だがマオは一切の迎撃をせず、簡単に接近を許す。
それはすでに反撃の余力を失っていることに他ならない。
最期の挨拶は無く、同情や哀れみの感情を向けることもない。
シャディルデアは興味を失くしたマオの死など気にしないかの如く、サンドリアへと足を踏み出したその時だった。
「――――聖典第九章一節、放射聖閃」
一条の白光がマオに近づく影を射抜いた。
腹を抉るような穴が開いた影の兵士はそのまま静かに消えていく。
「ほう、思ったよりも早かったな。貴様には聞きたいことがあったのだ」
シャディルデアの興味は影を射抜いた主に向く。
白金の鎧を身に纏った兵士数体を引き連れた金髪の少女。
穢れを感じさせない雰囲気は、魔族の瘴気が濃くなっているこの場所では異様に感じられる。
「マオさん無事ですか?」
駆け付けた聖女――ルミナスの姿にマオは安堵に表情を緩ませた。
魔族が聖女に助けられるという未だかつてない状況。
だがシャディルデアの興味はそんなものどうでも良くなっていた。
「南は我が影が足を踏み入れない環境へと変化した。聖女よ、原典とは何だ? 聖典よりも一線を画する力。貴様まさか女神そのものか?」
シャディルデアは自分の分身を送り込むことで戦況を把握している。
ルミナスの守っていた南側は、彼女の力によって瘴気が完全にかき消され影を維持できる環境ではなくなっていた。
光で視界を埋め尽くされて以降それっきり、シャディルデアは疑問を抱いたまま終わったのだが、ルミナスと対峙して聞かずにはいられなかった。
シャディルデアの質問にルミナスは敵意の眼差しを以て返す。
「あなたに教える義理はありません」
「ならば自分から話したくなるようにしてやろう」
シャディルデアの魔力が上がり、威圧感が増していく。
ルミナスは未だ動けないマオのもとへと駆け寄り、その杖を構えて臨戦態勢を取る。
「聖女、ハッキリ言って今の私は戦力にならん。一人で相手出来るか?」
「情けないですね……と、言いたいところですが、正直わたしもかなり消耗してます。討ち取れるかどうかは自信が無いですね。そもそも目の前のシャディルデアさんを倒せばすべて終わるのでしょうか? 影を使う魔法のせいか、目の前のシャディルデアさんも虚像にしか思えなくて」
「それは問題ない。魔族は魔物と同様に核と呼ばれる心臓みたいなものがある。それさえ壊せば上級魔族と言えど大体死ぬ」
「その大体っていう逃げ言葉が気になりますがとりあえず分かりました」
話が終わり、ルミナスとルミナスが召喚した守護者達はマオを庇うように前に立ち塞がる。
その様子にシャディルデアは影の剣を軽く振り、威を込めた目でルミナスを射抜いた。
「果たして貴様に我を討ち取れるかな? 【影読】無しの分身とは違い、我本体は強いぞ?」
シャディルデアの自信、それは虚勢ではない事実。
ルミナスは戦う姿勢を取りながらも、内心は焦燥感に支配されていた。
ただでさえ大きな力を使い消耗している中、おそらく素の戦闘力はシャディルデアの方が上。
それにマオが動けない以上、この場所で大々的な技を使えば巻き込んでしまう。
どうすれば……、と思考の沼にハマろうとしたその時だった。
「落ち着け聖女。戦局を見極めろ。戦っているのはここだけではないし、お前だけじゃない。一人で抱えようとするな」
――一人で抱え込んじゃダメ。
ユウと出会った時、責任感で押しつぶされそうになっていたルミナスにかけてくれた言葉を思い出した。
今その言葉を発したのはマオだが、それでもルミナスにとっては勇気をくれる言葉に違いない。
「マオさん、ありがとうございます。…………西は任せましたよ」
「あぁ。誰一人殺させないさ」
ルミナスは頭の中で念じる。
シャディルデアは身構えるも、今この場に変わった様子はない。
もしやと思い西側の分身に視界を共有し、ルミナスの行動の意図をすぐさま察知する。
「なるほど。だが間に合うかな?」
シャディルデアは自ら距離を詰める。
ルミナスを守ろうと立ちはだかる守護者達をいとも簡単に切り捨て、ルミナスとマオに近づき命を狙う。
だがそれよりも先にルミナスが祈りを紡いだ。
「 “いと優しき女神様よ・我が祈りを応じたまいて・邪気払う光の加護を顕したまえ”……聖典第一章一節――聖光壁」
シャディルデアとルミナス達を光の壁が隔てる。
一瞬身じろぐも、シャディルデアはその挑戦受けて立つと言わんばかりに光の壁を斬りつける。
影の剣と光の壁が衝突する度、雷鳴のような音が木霊する。
シャディルデアが打ち込む度、ルミナスの表情が苦しく歪む。
一撃一撃で体力が削り取られる感覚に、ルミナスの踏ん張りは徐々に弱くなる。
だが反撃には転じず、ルミナスはひたすら防御に徹する。
「はあぁああああああッッ!!」
ルミナスは振り絞るように声を荒げて疲労に屈しようとする体に活を入れる。
強さの比較ではなく時間との勝負。
それがこの場の共通認識になっていた。
時間の経過につれシャディルデアの攻撃は勢いを増し、それと比例して荒くなる。
それは焦りの表れだった。
ルミナスはただひたすらに耐えて、堪えて、踏ん張る。
あと少しだけ、もう少しだけ。
掌に食い込むほど杖を強く握り、全身の筋肉を強張らせて、歯を食いしばり、擦り切れた神経を無理に繋いで意識を保つ。
その健闘にマオは満足そうに目を細める。
「良くやったルミナス。私達の勝ちだ」
ガラスが割れるような鋭い音が響いて一秒にも満たない刹那、シャディルデアを白銀の一閃が縦に通る。
地面がクッキーのようにひび割れて、一番衝撃があった場所は粉々になり陥没している。
左肩から右脇腹にかけて切り裂かれたシャディルデアは数歩よろめく。
生物なら盛大に血が噴き出しているところを、シャディルデアの斬り口は黒い靄がかかり赤黒い流動体は見て取れない。
その傷を優しく撫でて、シャディルデアは目の前の強敵に気を引き締める。
澄んだ青い瞳は敵意を以てシャディルデアを睨みつけ、白く輝く毛先は紺色のシャツの襟元で荒く揺れる。
白銀の鎧が醸し出す圧力と、ショートパンツとハイソックスの間に垣間見える白磁の肌が見せる魅惑。
その強さには戦士として惹かれるものがあるも、シャディルデアの状況的にはそうも言っていられない。
「お待たせ」
「お姉様!!」
ユウの姿を見て安心したのか、ルミナスは喜びながらも体の力が抜けて座り込む。
「まだ援軍が到着して一分も経っていないはずだが……。さすがの速さだな、強き人族よ」
シャディルデアは薄墨色の植物の隙間から、強引に突破されてぽっかりと空いた結界の穴を見て息を呑む。
「全速力で来たからね」
簡単に言ってしまうユウにさすがのシャディルデアも驚きを越えて呆れるしか出来ない。
ルミナスは西側に向かわせていた守護者達を北側へと派遣した。
西側はマオがサポートする冒険者達で守りを固め、南側はルミナスにより進軍不可の状態。
北の守りさえ担保できればユウは心置きなく東側に駆け付けられる。
ユウが来たことにより戦局は一気に逆転した。
それはシャディルデアも十分に理解しており、次の手に頭を悩ませる。
ユウの実力は分身伝手に把握している。
その強さは【影読】を空回りさせるほどで、シャディルデア本体で相手をしてもその力関係は変わらない。
「実影魔法――【影霊調和】」
途端、シャディルデアの魔力が跳ね上がる。
背筋が凍るような視線を放ち、漏れ出す魔力が空気を穢し瘴気へと変えていく。
「ユウ、西側の影が消えた。おそらく放っていた影を奴自身の力に還元している」
「そういうことね」
「手加減はしない。少々勿体ないがすべての影を我が力として取り込む。元々そこのマオを殺すために集めた数。貴様ら全員屠ればとりあえずの目的は達する。失った影はまた年月をかけて影を集めれば良い話だ」
兵力的に残っていた影は五万を超える。
その影がシャディルデアに取り込まれ、力となってシャディルデアの一部と化す。
今この瞬間、シャディルデアは上級魔族や六冥尊という枠組みから大きく外れた。
「マズいわね……」
ユウが無意識的に吐いた言葉はルミナスを不安にさせる。
絶対的な信頼と安心感があったユウの背中が、シャディルデアの存在感を前に小さく映る。
「珍しく弱気だな。あれくらいユウなら問題ないだろう?」
「そりゃアタシだけの話ならね。でもマオ達を守るには装備が心許ないわ」
「装備の話か……。ちょっとその杖借りるぞ」
「えっ、あ、ちょっと?」
マオは戸惑うルミナスから半ば強引に錫杖を奪い取る。
長い年月をかけて光の力が沁み込んだ錫杖はマオが手に取るだけで掌に焼けるような激痛が走る。
だが聖女が扱う錫杖、素材としてはこれ以上ない上物。
西側の影が消えてサポートに使っていた魔力の余りを杖に注ぐ。
「再現魔法錬金術式――【再構築】」
光の力で保護していたとはいえ影の剣を防ぎ切った硬度を誇る杖が、粘土のように柔らかくなりマオの意思に従って形を変える。
「ちょっ!! わたしの杖が!? 杖がぁ!?」
驚き、焦り、喪失感、いろいろな感情が複雑に混ざりルミナスは涙目になりながら声を荒げる。
そんなルミナスを意にも介せずマオは魔法を使い続けた。
ルミナスの金色の錫杖はやがて剣を形作り、さっきまでの柔らかな質感が嘘のように今度は硬く形を留める。
「ほらユウ、これ以上ない武器だ」
まるで自分の物のように金色の剣をユウに手渡すマオ。
両手両膝を地面について落ち込むルミナスには申し訳ないと思いつつも、ユウはその剣を受け取った。
「後でルミナスにちゃんと謝りなさいよ」
「戦いが終わったら元に戻して返すさ」
マオから受け取った剣はユウの手に馴染むように作られて、今まで戦場を共にした相棒のようにしっくりくる。
そしてユウがその剣で構えに入った瞬間、それはユウの聖宝具へと進化する。
浄化された杖が素材でもともと聖宝具に近い存在だからか金色の様相はそのままに、それでも確かに聖宝具としての異様な力は感じ取れる。
「さぁ行くわよ!」
「いざ参る!」
ユウとシャディルデアが剣を重ねる。
北側での一閃とは比べものにならない剣戟の応酬。
剣を振り、受け止め、反撃し、身を躱す。
膂力、速さ、勘、経験、そのすべてが拮抗し、薄墨色の植物や元々あった木々が戦いの余波で薙ぎ倒されていく。
人類最強と謳われたユウと互角に渡り合うシャディルデアを恐ろしく思うべきか、今この瞬間魔族最強を名乗ってもいいほどの力を得たシャディルデアと拮抗するユウを褒め称えるべきか。
どちらにせよ言えることはこの二人の戦いに横入り出来る存在は世界広しと言えどいないだろう。
「あのお姉様と互角なんて……」
「心配か?」
見守るしか出来ないルミナスにマオは問いかける。
ルミナスのユウに対する信頼は揺るぎない。
だがそれでも心配しない理由にはならない。
「安心しろ。あんな奴にユウは負けん」
マオはユウの勝利に疑いない目をしていた。
何も知らない者なら心配しない薄情者と受け取られかねないが、ルミナスはそこはかとない敗北感を感じていた。
マオがユウに向ける信頼は、今この状況すら杞憂だと確信できるほどに大きいという事実。
そしてマオの言葉でようやくユウへの心配が薄れていったという事実。
ユウに向ける信頼の大きさはマオの方が遥かに大きく、強い。
それを正面から見せつけられて、ルミナスは複雑な表情でユウを見守る。
一進一退の攻防、命を懸けたシーソーゲーム、徐々にその拮抗は崩れていく。
【影霊調和】は影を取り込み己が力と変えるが、その力を維持するには影を消費し続ける。
つまり強さの絶対量を上げるわけではなく、あくまで一時的な強さの増強。
時間が経つにつれて力は元に戻って行く。
本当ならそれと同じ、いやそれ以上に相手の方が消耗するはず。
だがそれは事ユウに限っては例外だった。
ユウと戦ったマオだからこそ、この結果は十分に予想出来た。
「あのユウは私と永久に戦える女だ。ユウと渡り合うには審判の日まで戦い続ける手段を用意しないと話にならない」
シャディルデアの甲冑の奥、そこには徐々に押されて焦る表情が刻まれているのだろう。
ただでさえ北側では完全敗北したシャディルデア。
二度目の敗北、それもすべての力をぶつけた故の敗北がもたらすのはこれ以上ない清々しさか、はたまた無念に胸中を支配される悔しさか。
「最強の人族よ。貴様を我が宿敵として認めよう!」
嬉々として宣言するシャディルデア。
マオという宿敵を失い、目標や目的を見失ったシャディルデアの新たな宿敵。
シャディルデアの喪失感を埋めたユウの存在は十分なものだった。
だが、対してユウの反応はとても冷ややかなものだった。
「そう? じゃあ死になさい」
隙と呼ぶにはほんのわずかで気付きにくい、ユウにしか狙えない隙を突いて一閃。
黄金に輝く剣が最初に与えた傷をなぞるように、右脇腹から左肩を斬り上げる。
今度は鎧の表面だけでなく、確かに身体を両断した。
決着――――のはずだった。
「フハハハハハ、実に楽しかったぞ最強の人族よ。今度は我が勝つ」
魔族の心臓と同義の核。
人類と同じ場所にあるとは限らないが、それでも確かに胴体を両断した。
崩れていく肉体、空蝉のように響く声。
その中には核のようなものは見受けられなくて。
「シャディル、やはり抜け目ないな。ユウとの戦いの最中、核だけを取り除いて退避させたな」
「そんな悠長なこと言ってる場合ですか! 今逃がすと大変なことに!」
「それもそうだな。百年後にシャディルを相手出来る人類がいるとも限らないし。頑張れ」
マオはユウから剣を受け取り元の杖へと形状を戻して全て任せたと言わんばかりにルミナスに渡す。
だがその意図が読めず困惑する。
「頑張れって……わたしですか!?」
驚くルミナスにマオとユウは顔を見合わせて困惑する。
二人の間では共通の考えに至っているようだが、ルミナスは分からずシャディルデアに逃げられる焦燥感で気を張る。
「いいルミナス? アイツの魔力で汚染された瘴気が辺り一帯に充満してる。この環境じゃアタシの感知スキルもまともに機能しない。木を隠すなら森の中とはまさにこのことよ。もう手はここら一帯を浄化するしかないわ。それならどこに隠れようが関係ないもの」
「それに今のシャディルは核を隠す上辺だけの肉体しか持っていない。数百年で史上最も弱っている状態だ。今なら簡単に殺せるぞ」
「そうは言いますけど、もうわたしもかなり限界で広範囲に力が出せるかどうか」
「その心配はない。私が力を貸そう」
そう言ってマオはルミナスの肩に手を置く。
何をする気か不安に思ったのも束の間、そのあり得ない光景にルミナスは息を呑む。
あり得ない、あるはずがない。
だが事実として目の前にその光景が広がっている。
魔族であるはずのマオから光の粒子が溢れ出ていた。
少し違和感があるものの、それでも女神の力に確かに似ていた。
「どうして魔族であるマオさんが女神様のお力を授かってるんですか!?」
「魔法の原理と私の再現魔法が合わされば女神の力に似て非なるものを作ることは可能だ。まあ数回見ただけの即席では大した力は期待できんし、そんなのでも身体を巡る血を毒に換えるような自殺行為だがな。まー足しにはなるだろう」
納得には至らない説明だが、今は細かく追及している余裕はない。
今こうしている間にシャディルデアに逃げられる恐れがあるし、何よりマオの余裕に取り繕った表情に隠れた苦しさがこの場の優先事項を明確にする。
「……分かりました」
ルミナスは杖を構えて、マオから流れてくる力を自分の力に馴染ませていく。
似て非なるものとマオは言っていたが、ルミナスの体内で確かに溶け込み力へと変わっていた。
「“聖き御声を響かせる女神様よ・我が祈りを導きたまいて・影を祓う聖天の煌輝を注ぎ給え”……聖典第七章四節――聖赫玲瓏」
シャディルデアの存在を炙り出した、広範囲を浄化の光で照らす御業。
太陽のように温かい光が周囲を照らし、薄墨色の植物は枯れていき、瘴気で汚染された大気は澄んでいき、自然の在り方を取り戻していく。
相手は六冥尊。
微弱な浄化で倒すことは到底不可能。
だが今のシャディルデアは衰弱し、核を守る身体は薄っぺらな装甲となっていた。
そんなシャディルデアにとってこの微弱な光ですら、肉体を蝕み焼き尽くす地獄の業火と変わりない。
「ぐぉああぁ゛ああ゛あ゛あ゛がぁあ゛!!!!」
断末魔が響き、轟く。
今まですべての攻撃が暖簾に腕押しの反応だったシャディルデアの確かな叫び。
影に逃げることも叶わず、シャディルデアはその姿を現した。
二メートルを超える図体は膝をついて、鎧を抑える手は今にも自身の肉体を潰しそうに強張っていた。
全身から煙を発し、苦渋に悶える荒い息と耐えようと堪える叫びがダメージを確かなものと確信させる。
「ぐっ、貴様正気か? その技は味方すら蝕むのだぞ!」
奮闘した味方すら巻き込み敵を倒そうとするルミナスの正気を疑うシャディルデア。
それもそのはず、この場にいる魔族はシャディルデアだけではない。
弱り切った状態で受ける浄化の光はいくら六冥尊といえど――――いくら魔王と謳われた魔族でも命を刈り取るには十分なものだ。
それにマオは疑似的に魔力を光の力に変えている。
戦いで瘴気が濃くなっているこの場ではマオの魔力回復は著しいものとなるが、それは同時に身体を蝕む浄化の光を多量に摂取することになる。
そんな状況で浴びる浄化の光。
シャディルデアでさえこの苦しみなら、マオはいつ死んでもおかしくないほどに苦しいはず。
シャディルデアは自分以上に苦しんでいるはずのマオの状況を確認しようと顔を上げる。
しかし、ルミナスの傍に控えるマオは思いのほか大丈夫そうだった。
「どういうことだ……」
ルミナスに力を与えるために魔力を浄化の光に換え、身体を巡る浄化の光に汗をかいて辛そうにしている。
だが聖赫玲瓏のダメージはまったく受けていない様子だった。
シャディルデアの疑問、冥土の土産と言わんばかりにマオは息を切らしながら種明かしした。
「はぁ……はぁ……、次元術式…………【三重の世界。今の私はこの世界に姿を見せてるが存在はしていない。故に、この場を照らす光は私には届いていない。さあシャディル、根競べと行こうか」
浄化の光を自らの身体に巡らせるマオと、身に受ける光に成すすべなくただ堪えることしか出来ないシャディルデア。
今ならユウがシャディルデアに引導を渡すことが出来るが、マオの挑戦めいた笑みにそれは野暮だと自制する。
「ぐぅうぁあああ゛あぁああ゛!!」
ただ叫び、その存在感が薄れていくシャディルデアと、回復速度が自らの首を絞めていくマオ。
ユウとシャディルデアの戦いに比べれば地味なものだが、魔族の二人からすれば確かに命を懸けた根競べ。
ユウとルミナスはそんな二人の戦いを見届けて――――。
「じゃあなシャディル。あの世で会ったら証明結果を聞かせてやる」
その言葉がシャディルデアに届いたかどうか分からない。
浄化の光で肉体が塵となって消え、そこには割れた石のように転がる核のみ。
シャディルデアの確かな死と、人類の歴史的勝利が確定した瞬間だった。
「終わった……でいいんですよね?」
「フラグに聞こえなくもないが……私達の勝ちだ」
「マオ、ルミナス。お疲れ様」
ルミナスは不安に思うも、マオとユウの確信した笑みを見て本当に終わったことを実感した。
労うユウにルミナスは体の疲れも忘れて飛びつこうとしたその時だった。
「マオ!?」
「マオさん!?」
すべての魔法が解け、マオは一切の受け身を取らず地面へと倒れ込む。
意識は途絶え、その美顔はひび割れて、あろうことか呼吸すらしていない。
駆け寄るユウとルミナスの呼びかけに、マオは一切反応しない。
それはまるで死んでいるかのように――――。
******
突然の影の消失。
何が何だか全員が分かっていないが、とりあえず誰一人死なずに終わった戦いで西側は互いを称え労い合っていた。
聖宝具が突如として消えて絶望しながらも、すぐさま強制強化された反動が身体を襲うゲーゲルだけはそんな緩んだ空気に参加できていないが、それでも確かに勝利したという空気が場を占めていた。
一番の重傷者であるベルクは手当てを受けながら、周りの浮かれた空気に流されず冷静に指示を出す。
「オレン、一つ調べて欲しいことがある。お前達斥候隊が調べられなかった東側で何があったのか。誰がそこを守っていたのか。何でもいい、少しでも情報が欲しい」
「支部長?」
戦いは終わった。
それも六冥尊相手にこれ以上ない戦績で。
だがベルクの表情は未だ曇ったままだった。
「俺達を守るように動いていた植物然り、サンドリアを囲んでいた力然り、この戦いにはシャディルデアとは別の、それも六冥尊に匹敵する魔族が関わっていたとしか思えん。どういう訳かそいつは味方のような動きをしていたが、正体が分からなければ真意も分からん。それにこのタイミングで聖女様が来ていたことも気になる。シャディルデアの生死も不明のままだ。俺はこの有様だし、お前達斥候隊はこれからが忙しくなるぞ」
ベルクの冒険者の勘が鋭く働く。
不確定要素が多すぎて一件落着と安心することが出来ない。
しかしながら焦る気持ちとは裏腹に、今できることは少なくて、
「ぁ~しんどぉ~」
早く休みたいと思うベルクであった――――。
六冥尊の襲来。
後世に語り継ぐには十分なほどの歴史的事件だが、三日もすればそれなりに日常を取り戻す。
ベルクはユウから六冥尊の一人“影軍”のシャディルデアの死亡を報告され、まだ癒えてない身体を引きずって対処に回されている。
本当に命の危機を感じ、それから生き残った高揚感に祭り騒ぎだった冒険者達も、三日経つ今日からは動ける冒険者は仕事に戻っていた。
そんな平和を取り戻したサンドリアの第一層。
広がる平原にポツンと立つウッドハウスは昼間というのにとても静かだ。
高く昇った日が差し込んで明るい部屋の中、ベッドに横たわる少女は静かに息を立てる。
濡羽色の髪に一切の乱れが無いのは寝返りを打っていない証拠。
呼吸はしているが、寝ているというのにはあまりに生気を感じられない寝顔で、献身的に世話を焼く金髪の少女の表情は曇っていた。
マオが倒れてから三日間、一切意識を取り戻していない。
ユウもまたシャディルデアの一件でいろいろと忙しくしており、代わりにルミナスがマオの面倒を見ている。
呼吸もあり、体温も感じられる。
だが身体を拭いたり着替えさせたりするときも一切動かないその体は、美しい様相も相まって精巧に作られた人形を相手しているようだった。
目の前に無防備な姿を晒すのは魔王と謳われた大魔族。
ルミナスなら簡単に殺せるが、今の彼女にその思考は一切ない。
「魔族の存在意義……ですか」
ルミナスはマオの言っていたことを思い出す。
マオの真意を探る為、森のように生えた薄墨色の植物の陰に隠れてシャディルデアとの会話を盗み聞いていた。
マオは確かに人類との共存を目指そうとしている。
それは気まぐれではなく、確かな目的をもってそうしている。
善悪の話ではなく利害の話。
少なくともあの瞬間、ルミナスの中でマオはただ魔族だからという枠組みから外れた存在となった。
一人の相手として向き合おうと、そう決めた。
だから今のルミナスに、マオを殺すという選択肢は脳裏にすら過ぎらない。
窓の外を眺めながら、呼びかけるようにルミナスは呟く。
「早く目を覚ましてください。悔しいですがあなたがいないとお姉様が寂しがります。それにわたしも――――」
言葉を紡ごうと視線をマオに落としたその時、マオの眼はしっかりと見開いてルミナスを見ていた。
「きょわっ!? マオさん、いつから目覚めて!?」
飛び上がるルミナスにマオはゆっくりと身体を起こした。
「ついさっきだ。私は……どれくらい意識を失くしていた?」
少しでも情報を集めようとマオは辺りを見渡す。
「大体三日くらいです。マオさんにわたしの力で回復は出来ませんし、自然回復を待つだけしか出来ませんでしたから」
「東側は大陸西部並みに瘴気で汚染されてたはずだ。そこに放置してもらえればもう一日早く回復しただろうに」
「サンドリアの周りはすぐに浄化しました。あんなもの放置出来るわけないでしょう」
呆れるようにルミナスは言い放つ。
東西南北含めあれほどの瘴気を戦いが終わった一日二日で浄化しきるのはさすがのマオも感嘆していた。
「それでシャディルの一件で忙しいユウの代わりにお前が看病か。まったく、恋人が意識不明というのに薄情なものだ……。で、どうして私を殺さなかった? これ以上ない機会だったはずだが?」
こんな機会はもう二度と無いだろう。
しかしルミナスに後悔は一切なかった。
「見届けたいと思ったんです。マオさんがこの世界に何を残してくれるのか。聖女としてではなく、一人の人として……。だからくれぐれも失望させないでくださいね」
「盗み聞きとは淑女としてはしたないぞ」
「偶然聞こえたんです」
バツが悪そうにしながら突っかかるマオにルミナスは小さく笑ってあしらった。
その反応に不満げなマオだが、やられっぱなしは性に合わないマオはすぐさま反撃に移る。
「ま、お前も私がいないと寂しいみたいだし、失望させないように精進しようか」
「寂っ……いえ、わたしは別にマオさんがいようがいまいが関係ありませんし、むしろいない方がお姉様を独占できるので好都合といいますか……」
「ほぅ、私がいないとユウが寂しがる。それにわたしも――。“も”ということはお前も寂しいってことだろう? なんだ、可愛い所もあるじゃないか」
「それは違っ……ていうか聞いてたんですか!? 盗み聞きは淑女としてはしたないですよ!」
「偶然聞こえたんだ」
そこからしばらくマオとルミナスは言い合い――というには一方的にマオがからかっているだけだが、それが出来る程度にはマオは元気だった。
「ただいまー。マオ、起きたみたいね」
そうこうしているうちにユウが帰って来た。
マオとルミナスの騒がしい声が外まで聞こえて、マオの意識が戻ったことを理解する。
しかしユウのこの淡白な反応に、マオは少々不満げだった。
「恋人が三日ぶりに目を覚ましたんだ。もっとこう涙ぐんで抱き着くとかないのか薄情者め。仕事と私どっちが大事なんだ?」
「ごめんね。でもマオなら大丈夫って分かってたから。ちょっと長く眠ってるくらいにしか思ってなかったの」
ユウはベッドの上で上半身だけ起こし不機嫌に口をとがらせるマオの頭を撫でて宥める。
その優しい手つきにマオは気持ち良さそうにしてさっきまでの機嫌の悪さが表情から消えていく。
その光景にルミナスは複雑な感情を抱きつつも、今となっては割って入るような野暮はしない。
「で、実際の所体調はどうなの?」
「問題ない。三日も寝たきりで身体が凝り固まってるくらいだ」
マオはぐっと身体を伸ばしてベッドから降りる。
三日も寝たきりでは立っても多少のふらつきがありそうなものだが、マオは快眠を終えたようにしっかりと立って完全回復を証明していた。
「なら良かった。でも今日は安静にね」
「私は別に問題ない。それに洗濯や夕飯の支度もあるだろう?」
「あ、その心配はないですよ。マオさんが寝ている間にわたしが家事を担当してましたので」
ルミナスの言葉にマオの眉がピクリと動く。
ユウは昔から勇者として戦いに身を投じていたからか、私生活の面では結構ズボラだ。
しかし辺りを見渡すと部屋は掃除され、洗い終わった食器は並び、外で干された洗濯物は陽光とそよ風に喜んでいる。
「まさかとは思うが泊りか?」
「当たり前じゃない。マオの世話だってあったし、泊まってもらった方が都合がいいでしょ?」
ユウの無垢な返しにマオはルミナスに詰め寄った。
「おい聖女、私が寝てた間にユウに何かしてないだろうな?」
「なっ、何もしてませんよ。まぁお風呂には一緒に入りましたけど……」
小さな、それでもマオに聞こえる呟きは彼女が正直者だからか、それともこの複雑な感情を吐き出すための牽制か。
どちらにせよ、マオの地雷を踏み抜いたのは鼻持ちならない目つきを見れば明らかだった。
マオは身も凍えるような仏頂面を見せたかと思えば、すぐさま笑顔を張り付ける。
「よし、三日間ご苦労だった。私はこの通り元気だからもう帰れ、今帰れ、すぐ帰れ」
追い出すようにルミナスの背中を出口に向けて押すマオ。
だがルミナスはくるりと身体の向きを変えて抵抗する。
「いえいえマオさんもまだ病み上がりですしまだ居てあげますよ。なんならここに住みますし」
「いやいやもう十分だ。これ以上お前をここに置くと私のユウが穢れる」
「穢れるってなんですか!? むしろお姉様の穢れは聖女としてわたしが浄化して差し上げます!」
「意識が無いことをいいことに人の恋人に素肌を見せて何が聖女だこの痴女め」
「痴女!?」
ワー、キャーとまるでルミナスがここに来た時のように騒ぐ二人。
止めようとユウが二人に近づいたその時だった。
突然ノック音が扉から響き、三人の行動を強制的に止めて玄関扉に注目させる。
数秒固まった後、ユウは玄関の方へ。
一旦休戦とアイコンタクトを交わすマオとルミナスはまだ睨み合ったままだが、この状況で再開するほど見苦しくはない。
「は~い」
ユウがドアを開けると、そこには一人の男が立っていた。
白っぽい緑色の髪は整えられて清潔感があり、シュっと尖った顎先と縁の細い眼鏡が聡明な雰囲気を漂わせている。
同年代の女子と比べれば高い身長のユウですら少し見上げるくらいの長身で、鍛えられてはいるが隆々と暑苦しい肉体ではない。
軍服のような群青色の正装の上に身に付けられた装備は、縁に金色の装飾が施された純白の鎧。
そよ風に優しく揺れるマントには見れば誰もが立場を理解する十字の紋様が刺繍されている。
「聖騎士……」
ユウの呟きに反応して、マオはすぐに魔力を擬態させる。
ユウやルミナス並みの感度があれば魔族であることがバレてしまうが、ぱっと見の雰囲気でその男がその域に達していないと判断する。
マオの予想通り、その男はマオの正体に気が付かず挨拶に入る。
「突然申し訳ない。私は聖騎士団第一大隊特務班所属、ロアと申します。ここに聖女ルミナス様がいると伺いまして、お迎えに上がった次第なのですが……」
礼儀良くユウに挨拶するロア。
目の前のユウから自然と探るように中を覗き、その視界には見間違いのないブロンドの少女が映る。
「ロア!? どうしてここに?」
驚くルミナス。
だがロアはそんなルミナスに言いたいことをぐっと飲みこんで、家主であるユウに向き直る。
「失礼ですがお邪魔しても構いませんか?」
「えぇ、どうぞ……」
敵意や邪気は感じられずユウはロアを中に入れた。
ロアは真っ直ぐにルミナスの方へ歩いていき――――激昂。
「聖女様! どうしてここにじゃないでしょう! 突然休暇を取ると言ってサンドリアに護衛も付き添いもつけずに来て! 部下を向かわせて探させれば街中におらず、挙句の果てに六冥尊! どれだけ心配したと思ってるんですか!!」
身長差も相まって、叱られているルミナスが小さく見える。
聖騎士は大陸西部の対処でいろいろと忙しく、そんな中で最高戦力たるルミナスが抜けた穴は大きい。
その上に何の相談もせず抜けたのであれば、ロアが怒るのも無理はない。
軽率な行動だったのを理解しているルミナスは、一切の言い訳をせずに説教を受けていた。
「とにかく、これ以上はこの方達にも迷惑です。帰りますよ!」
「まー向こうは皆さん頑張ってくれてますし、もう少しだけここに居ても……なんて……思ったりして…………すいません」
両手の人差し指の先を合わせ、目を泳がせながら言ってみるも、ロアの眉間に刻まれた皺と眼光鋭い目に徐々に声は小さくなって、最終的にロアが何も言わずともルミナスは泣く泣くいうことを聞くしかなかった。
「それではユウ殿、マオ殿。聖女様が大変お世話になりました。しばらくはシャディルデアの件で聖騎士団もサンドリアを行き来しますので、謝礼はその時にご用意させていただきます」
「別に気を使わなくて構わないわよ。アタシからしたら友達が泊まりに来たみたいなもんだし」
「いえ、そういうわけには。それに冒険者であるユウ殿は聖騎士として今後も関わる機会があると思いますし、その挨拶も兼ねてということで収めて頂ければ」
「まぁ……そういうことなら」
これ以上の拒否は時間の無駄と判断したユウはロアの言葉を受け入れる。
「さ、聖女様。お二人にお礼とお別れの挨拶を」
「泊めていただきありがとうございました」
ルミナスは深く頭を下げて社交的な別れの言葉を放つ。
顔を上げたルミナスは名残惜しそうな目でユウを見る。
そして込み上げた感情を爆発させるように、ユウの懐に飛び込んだ。
「なっ……フン」
ユウに抱き着くルミナスにマオは狼狽えるも、空気を読んで静観した。
「お姉様、わたし頑張りますから。またお邪魔しても構いませんか?」
離れたくないと言わんばかりに強く抱き着くルミナスの不安に満ちた声。
ユウはそんなルミナスの頭をそっと撫でて、
「もちろん。いつでも遊びに来て。歓迎するわ。……マオもいろいろ言ってるけど、歓迎するって」
ユウはマオの顔色を窺って思いを代弁する。
傍に居たい、離れたくない、寂しい。
ルミナスは熱くなった目尻から溢れる感情をぐっと押し殺し、ユウの言葉を原動力に換える。
「じゃあお姉様……マオさんも、さようなら。また来ます!」
まだ名残惜しさは残っているものの、ロアについていくルミナスの足取りはまだ軽いものだった。
数メートル進んでは振り返って手を振って。
ルミナス達の姿が見えなくなるまで、ユウとマオは玄関から見送った。
「ようやく帰ったな」
「そんなこと言って。なんだかんだ楽しかったでしょ?」
「……まぁあいつはからかいがいがあるからな」
「もう、素直じゃないんだから」
そんな反応もマオらしいとユウはほくそ笑む。
一人減ったことで少し広く感じる家中、ある意味日常が戻って来たとユウがくつろごうとしたその時、マオがユウの手をガッチリ掴んだ。
「えっ、ちょっとマオ?」
マオはそのままユウを引っ張って寝室に行きカーテンを閉めてユウをベッドに押し倒した。
ベッドの柔らかさを背中に感じて、覆いかぶさるマオが視界を埋め尽くす。
「この数日であの聖女の匂いがついてるからな。上書きしないと気が済まない」
「ちょっと……安静にって言ったのに」
「あいつに無防備なユウが悪いんだ。拒否権はないぞ」
「……拒否なんてしないわよ」
外の光が隔たれた部屋の中。
静かな激しさという矛盾した時間はやがて夜が更けるまで続いた。
聖女の来訪、シャディルデアの襲撃。
忙しく騒がしい非日常が終わり、日常を取り戻す。
しかし、二人が数日後に新たな騒動に巻き込まれるとは、この時はまだ思いもしなかった――――。
次回「エルフの賢者が襲来です」
※読んでいただきありがとうございます。
現投稿分も含めて連載版に切り替えようと思います。




