棘の少年と傭兵03
「ところで、本当にレオンハルトっていう名前なのか?」
「ああ。それが何か?」
僕らはとりあえず歩き出した。右も左も同じに見える森だったが、傭兵は迷うことなく進んで行く。
「いや、ただ、十何年か前にいたって言われている救国の戦士と同じ名前だなって」
「そういうこともあるだろう」
「ふぅん……苗字は、ないの?」
「……ない」
意味ありげな間を置いて、傭兵、いいや、レオンハルトはそう言った。
「それで、依頼主殿の名前は?」
「……ファナティナ・レーゼットだ。女っぽい名前だろ?」
昔から村の奴には女みたいだって馬鹿にされてきたから、今回もそうだと思っていた。だが、レオンハルトは笑わなかった。
「いいや、綺麗な名前だ」
「はぁッ! 何言って……」
「薔薇の咲く里に住むには相応しい」
「そう、かよ」
「ああ」
「親は娘が生まれるって思ってこの名前を用意していたらしい。でも、男だったから……」
「そのまま付けた、と」
綺麗な名前だと言われて恥ずかしくなり、言い訳じみた言葉を述べていて、ふと気が付いた。レオンハルトは僕の故郷の場所を聞いてこない。だというのに、すらすらと進んでいる。まさかとは思うが、当てずっぽうだろうか。
「なあ、行く場所、分かっているのか?」
「お前の故郷だ」
「そう、だけど、そうじゃなくてだな、故郷の場所を言ってないぞ、僕は」
「薔薇の綺麗な場所といえば、ベストラルの田舎ポリシアだ」
「知っているのか」
「ああ。昔、仲間が言っていた。薔薇が綺麗な土地があると。一度行ってみたいと思っていたんだ」
「……レオンハルトはどうして、ここにいたんだ」
「旅だ」
ザク、ザク、とレオンハルトの靴が地面を踏みしめる。
「旅って、ここは戦場だぞ?」
どれだけ方向音痴だったら辺鄙な森で行われている戦争へ足を踏み入れるというのだろうか。
「言っておくが迷子ではない。俺は、依頼人を求めて旅をしているんだ」
「仕事を探している、と」
「そんなところだ」
その言葉の後にも何か聞こえた気がしたが、「何か言った?」と聞けば「何も」とはぐらかされてしまった。
隠れていた月は今では顔を出していた。森は静かで、声も銃声も聞こえない。
「レオンハルト」
「なんだ、ファナティナ」
「……ファナティナは長いし、あまり好きな名前じゃないからティナでいい」
「そうか。それじゃあ、俺のことはレオンでいい」
「分かった、レオン」
「それで何か用か」
「いや、旅をしているって言ったけど、レオンは故郷へ帰らないのか」
「最後に行ったのは、もう十年ほど前だ」
「嫌いなのか、故郷が」
「嫌いではない」
傭兵という仕事は、人に好まれないと聞いたことがある。レオンもそのせいで故郷に帰りにくいのだろうか。
「僕は……故郷が嫌いだ」
レオンに話を合わせようとしたわけではないが、この男が傭兵という、恐らく二度と会うことのない他人だからか、つい一人語りを始めてしまった。
「家族は、弟のことばかり可愛がる。弟のケイルは天才で、愛嬌があって、少しドジなのが可愛くて。だから、みんながケイルの名前ばかり呼ぶ気持ちも分かる」
いつだってドジなケイルが怪我をすれば、兄である自分が怒られた。それでも反論は出来なかった。「兄なのに」という言葉の暴力にひたすら耐え続けた。本当は最初から、膝から崩れて立ててさえいなかったというのに。
「男らしく、兄らしく。それなのに名前は女っぽくて、見た目だって屈強な戦士じゃない。背は弟よりも高いけれど細くて、そのせいで可愛くはないけれど頼りがいもない見た目だって近所のガキには笑われた」
僕が理不尽に怒られるたびに弟が「ファナお兄ちゃんのせいじゃない」と言うことも嫌いだった。自分がみじめに思えるから。そうして、大人だけでなく子供たちまでもが、弟をなんて優しい子だろうかと褒め、「兄とは大違い」だと貶す。
大嫌いだった。弟の優しさが本物であることは知っている。分かっている。でも、それが本物だからこそ大嫌いだった。弟が実はとても性格の悪い奴であれば、どれほど良かったか。そうしたら、落ちこぼれは自分だけではないと思えたのに。それなのに弟はどこまでいっても完璧で非の打ち所がないから、弟が悪魔であればと祈る自分も嫌いになった。
「故郷は、薔薇だけが好きだった」
──薔薇は、無条件に誰だって傷つける。その棘で、善人も悪人も突き刺してみせる。
「真っ赤な花弁は、いつだって綺麗だった」
薔薇の赤は罪人の涙の色だと、昔村に来た詩人は謳った。その言葉が好きだった。僕が死んだら、この薔薇になれるかと思えたから。
罪人という烙印を押されても、こんな風に綺麗になれるなら悪くないと。
そうして話していて、思い至った。いつだって思考というのは都合のいい方向にだけ進む。代わりに、言葉に出せば都合の悪い方へ進むものだ。この時も、口に出していくうちに気が付いてしまった。
「僕が、僕の名前を嫌いなのは」
みんな弟の名前ばかり呼ぶのに、怒る時だけはファナティナと言うから。
弟は天才なのに僕を慕い、ファナお兄ちゃんと言うから。
ファナティナが嫌い。ファナも嫌い。
あの人たちと同じ苗字も嫌い。
そんな僕の言葉にレオンは真面目な顔で「そうか」とだけ言った。
それからは特に会話をせずに進んだ。
少しだけ気まずいような感じがしたけれど、レオンが気にしているようには見えなかった。
良い奴そうで、よかった。傭兵というのはどうしても良いイメージがないものだ。金次第で誰だって殺す奴ら。昨日の敵も、友の仇も、今日の味方にする。そういう連中だと、思っていた。正直に言えば、今この瞬間だってレオンの目的が分からない。薔薇が報酬でいいとは、どういうことだろうか。
こちらから提案したものの、あれがどうして承諾されたのか分からない。もしも、もしも全部の薔薇を貰う、とか言われたらどうしようか。いや、レオンに限ってそんなことはしないと思うけれど。
そうしていると、ようやく森を抜けた。ここまで来るのに二時間ほどだろうか。幸い僕が怪我をしていないおかげでゆっくり歩く必要がないから、遅くはないと思う。むしろ順調にいっているといえるはずだ。
「あと少しで、ベストラルに入る」
レオンがそう言った。国境が近い。そう思うと肩の力が抜けていくようだった。
森を抜けてからは道路というには荒んだ道を歩き続けた。左右には木や草が生えていたり、砂ぼこりが舞っていたり。レオンが拾った木の棒に要らない布を巻きつけて燃やして松明を作ったからよかったものの、そうでなかったらいつ獣が飛び出してくるか分からない暗闇だ。
嬉しいことに敵はいなかった。まだ森の中にいるのだろうか。あそこはカラストラフの土地で、拠点だったのだから、綺麗に片づけてまた使うのだろう。
やがて国境を越えて祖国へ戻った。とはいえ戻ったという感覚はあまりない。国境のこちら側もむこう側も同じような景色が広がっているせいだ。
「休憩はいるか」
前を歩くレオンが振り返らぬままそう言った。
正直、足は疲れている。軍のキャンプを出てからというものひたすらに移動を繰り返していて、体力は限界だ。敵の襲撃にあって筋肉は強張り腹筋も腕も痛い。銃声や悲鳴が耳を離れてくれず延々とリピートされているせいで頭も痛い。心も限界だ。
でも止まりたくはなかった。
「いいや、進もう」
僕がそう答えるとレオンは小さく頷いて止めていた足を動かし始めた。
空は、未だ月が支配していた。