棘の少年と傭兵02
「どういう意味だ」
問われた男は、答える。
「俺はカラストラフの者でもベストラルの者でもない」
「旅行か? はは………笑わせるな。何者だ」
「傭兵だ。今は旅をしている。依頼なら承ろう」
銃口を向けられながらも堂々と身分を名乗った男は、何故か最後の一文だけは僕を見つめて言った。
「名前は」
聞かれた男は、上げていた手を下げた。二人の男は、傭兵が武器を取り出すのではないかと緊張したみたいだったが、違った。傭兵を名乗るその男は、右手を左胸に当てて、小さく目を伏せて、そして瞼を開いて、名乗った。佇まいは、まるで女王に仕える凄腕の兵士。
こんな状況だというのに緊張しているような素振りを見せない。肩で息をするわけでもなく、指先を震わせるわけでもなく、呂律が回らないわけでもなく、空間を支配するかのようにゆっくりと、けれど確かに名を告げた。
「俺は、傭兵レオンハルト」
──かつていたとされる、救国の戦士と同じ名前。
男は苗字を名乗りはしなかった。もしや、孤児なのかもしれない。それならば苗字がないはずだ。そう考えていた僕とは違って、二人の男は銃を硬く握った。いつ撃つかは、時間の問題だろう。僕がいつ死ぬのかも。
「依頼があれば、承ろう」
傭兵レオンハルトはそう言った。またしても、僕を見つめながら。
「さっきから何言ってやがる」
「おい、とっとと撃とうぜ。こいつ変だ」
月が雲に覆われて、より一層辺りが暗くなった。傭兵の姿も闇に飲まれていく。
「依頼があれば、承ろう」
低い声で、もう一度そう告げた。
「おい、死にたいのか!」
僕に銃を突き付けていた男が、威嚇の証とばかりに銃口を上に向けて空に鉛を一つ放った。パン、と破裂音のような大きな音がして、近くにいた鳥たちがバサバサと羽を震わせて飛び立っていく。至近距離で銃を撃たれた僕はキィンという耳鳴りに悩まされた。
「依頼があれば、承ろう」
傭兵は銃声に耳をふさぐわけでもなく、もう一度そう言った。僕を見つめるその瞳が少しだけ怖い。
僕が生きることを、望まれているようで。
「……いやだ」
その瞳に、心の内を見透かされているようで。月の光と同じ淡い黄金を纏った瞳は、月と同じで僕の弱さを露見させる。
「……死にたいわけが、ないだろッ」
──家族も故郷も仲間も、偶像に過ぎなかったけれど。
「死にたくなんて、ない」
──偶像、だったけれど。
「死にたく、ない」
──それでも、できることならば、もう一度。
「もう、一度だけでも」
──あの故郷に花を咲かせる。
「薔薇を、みたい」
──真っ赤な薔薇を。
「みたい」
──一面に広がる赤を。
「みたい」
呟き始めた僕の様子に気味の悪さを覚えたのか、男二人は一歩後ろへ下がった。
「赤を、みたい」
傭兵だけが変わらない様子でそこにいる。
「依頼だ、傭兵。僕を救って見せろ。故郷へ、返して見せろ」
ずっと無表情だった傭兵の顔に変化が現れる。少しばかり口角が上がっただけではあるが、傭兵はこの状況を悪くは思っていないらしい。むしろ、嬉しそうだ。
「……報酬は?」
そうか、依頼ならば報酬がいる。金は、ない。家にだって高価な物はない。
「……報酬は」
何が、いいか。
僕の見た目から、金のある貴族の家柄などでないことは分かるだろう。ならば、傭兵はきっと莫大な金を目当てに声をかけたわけではあるまい。
何を、欲しているのか。
「報酬は……」
間違えれば、見捨てられるかもしれない。そう思って目を閉じた瞬間に脳裏をよぎったのは、美しい薔薇だった。
「報酬は、薔薇だ」
「薔薇、か」
「故郷に咲く、一面の薔薇園だ」
口を突いて出た僕の言葉に傭兵は右手を唇に当てて、考える素振りを見せた。
「……いいだろう。その依頼、承る」
瞬間、風が吹いた。
いや、風を吹かせたのだ、傭兵が。狼が走るよりも速く、傭兵は大地を駆けた。いつの間にか傭兵の右手に握られていたナイフは、僕に銃を突き付けていた男の喉を掻き切った。傭兵は今しがたできたばかりの男の遺体に目もくれずに、もう一人へ走りかかる。男は銃を構え、放つ。だが傭兵は意図も容易く銃弾を避けていく。そうして男の銃を掴み、近くに投げ捨てる。男はバランスを崩し、その上に馬乗りになる形で傭兵が乗っかる。
「や、やめろ、たすけ」
すっ、と首を掻き切られると同時に男の声は聞こえなくなった。ようやく森に静寂が戻る。
そこに魂は二つだけ。
僕と、傭兵だけ。
「これでいいか」
立ち上がった傭兵が、ゆっくりと僕の方へ首を向ける。
「依頼は故郷へ返すことだ。まだ終わっていない」
「分かっている。ちゃんと、故郷へ返してやるさ」
そう言った傭兵の顔は血に濡れていて、何故か遠い瞳をしていた。
「頼むぞ、傭兵」
「任せろ、依頼人」
──そうして僕らの故郷までの旅は始まった。