夢見る姫君と傭兵06
朝が来て布をしまい、歩き出す。まだ二回程度しか繰り返されていないはずのその日常もすっかり当たり前のような気がしていた。
「あと少しだ」
前を歩く彼が教えてくれる。
「……そう」
もうこの旅も終わる。故郷を出て親を捨て、彼との契約も終わる。
「国を出るという気持ちに変わりはないか」
いつになく真剣な声でそう彼が聞いた。
「ええ。私には未来があるから」
滅びゆく国と運命を共にするという選択肢もあった。それでも私は旅を望む。
「そうか」
長い沈黙が空間を支配した。それからまた歩き続けるとようやく遠くに森の終わりが見えてきた。
「あれって街かしら?」
森の向こうに広がった世界にはいくつもの家が建っていた。
「そうだ。あそこが目的地で間違いないだろう」
追手は来なかったけれど、途中襲われるというピンチはあった。そうでなくともこの二日間ずっと歩き続けたし、食事だって簡単なものしかとっておらず睡眠は雪の上だ。初めての冒険にしては大変だった。
「行きましょう」
この調子なら昼ご飯には間に合いそうだ。
そして国境に立つ。
「ついに来たのね、ここまで」
後ろを振り返る。そこには延々と続く森しかないのに、私には不思議と首都に建った塔が見えた。
「さよなら、ハーレーン」
私の生まれ故郷。
「さよなら、お父様」
私の大切な人。
「さよなら、カティーナ」
***
「街だわ、すごい」
「街へ出かけたことがないのか」
「ええ。軍のパーティー以外はずっと塔にいたわ」
街にはレンガ造りの家や店が並んでいた。《宿》だとか《食事処》と書かれた看板が並んでいる。行き交う人々は楽しそうに話しながら歩いて行く。空は青くて白の鳥たちが飛んでいた。見たことがない鳥だった。この地域に住まう独特の種だろうか。
「そんな顔をしないで、ハルト。はやくお店に入って食事にしましょう? ご飯を食べたら《オルゴール》を渡すわ。そしたら」
──そしたら、お別れね。
私が俯いてその言葉を絞り出せずにいたら、その前に彼が「あの店へ行こう」と言ってくれた。彼なりに空気を読んだのかもしれない。私に辛いことを言わせないように。そういうところが彼の素っ気ない態度を冷たく見せないように作用している。
「そうね。入りましょうか」
店内は赤いレンガの壁で、茶色のテーブルと椅子がいくつも並べられていた。赤い服を着た可愛らしい店員さんが席へ案内してくれて、メニュー表をくれる。
値段はどれもお手頃価格だった。これなら私でも払えそう。
「ねえハルト、好きなのを頼んでいいわ。ここまでのお礼に私が払うから」
「……そうか。ではこれを」
報酬以外の物を貰うことに一瞬ためらったハルトは私の顔を見て断っても意味がないと思ったのか、素直に注文した。
「それじゃあ私はこれをちょうだい」
「了解しました。少々お待ちくださいね」
店員はメニュー表を回収すると厨房の方へと消えた。
「お水お代わり」「店員さん、追加の注文を」「お会計お願い」「今日はあの料理あるかしら」「相変わらず店主はいかついねぇ」「良い野菜が取れたから、店主に渡してくれ」
見渡せば店内は賑わっていた。さすがお昼時だ。
「お待たせしました」
やがて店員がお皿を抱えてやって来た。五つのパンと二つの大皿がテーブルに並ぶ。
「美味しそう。いただきます!」
「いただきます」
まずはパンを赤いスープに浸して食べてみる。トマトのスープの温かさが疲れきって冷えきった身体に染み渡る。ハルトの方も無言ではあるが手を休めずに食べていた。ハルトが注文したのはこの地域で有名なボルシチ料理だ。
「ごちそうさま」
やっぱりハルトは食事を終えるのが速い。
「ごちそうさま」
少し遅れて私も食べ終わる。
「さて、本題ね」
私は隣に置いていたリュックから《オルゴール》を取り出した。
「はい、報酬よ」
テーブルの上に置かれた《オルゴール》を彼は丁寧に受け取る。
「確かに受け取った。これで依頼は終わりだ」
「ええ。本当に、助かったわ」
「仕事をしただけだ」
「ふふ」
最後まで無表情を崩してくれないハルトに思わず笑みが漏れる。
「ねえ、私、世界を旅するわ。だから、いつか」
──いつかもう一度、あなたに会えたら。
「いつか会えたら、その時は、もう一度依頼をしてもいい?」
「……ああ。もちろんだ」
店員がお皿を片付けて、別の店員がお会計を済ませてくれる。
お店を出てハルトの隣に立った。
「それじゃあ、さよなら、ハルト」
笑顔でそう告げる。
「旅は危険だ。死ぬなよ、カティーナ」
てっきり別れも冷たいかと思えば、心配をしてくれるとは。
まったく、ハルトはズルい気がする。
「死なないわよ。あなたこそ、無茶な戦いをして死んだら容赦しないわよ」
「死なないさ、俺は」
「……ねぇハルト」
この時間が永遠になればいいと一瞬思ってしまったけれど、そうならないことくらい分かっている。
彼を永遠に雇えるほどの報酬を私は持ち合わせていないし、仮に持ち合わせていたとしても彼が誰か一人に人生を捧げるようには思えない。彼は、ハルトはきっと、人類に仕えているのだ。依頼主は、多分、神様。
「私、カティーナ・ローティーン・メルって名前をこれから先、名乗るわけにはいかないわ。名乗れば捕まるかもしれないし、殺されるかもしれない」
──それでも、未来を真っすぐ歩ける力が欲しい。
──こんな私でも、歩いて行ける力が。
「だからね、あなたに名前を付けて欲しいの。新しい名前を」
──悲しい時、あなたがくれた名前を口ずさめば、きっと。
「お願い」
──きっと、立ち上がれる。
「セレーネー」
彼は言った。いつもと同じ声音だったけれど、彼は珍しく笑ってそう言った。笑うといっても口角が少し上がっただけ。それでも彼がすると全てを背負った聖人の微笑みに見える。
「それが、新しい名前だ」




