あなたは私じゃありません。私はあなたじゃありません。
あと少し……あと少しで私の人生は私のもとに返ってくる。
「……今、なんと?」
「ですから、私を即刻妃候補から外していただきたいんです」
ため息をつきつつお茶を飲む。
私の向かいに座っているのは金色の髪にエメラルドのような煌めく瞳、見目麗しいこの国の王太子ユリウス様。彼は眉間にしわを寄せ、私のことをじっと見つめていた。
「クラウディア嬢……一体、何故そんなことを?」
「それが私の悲願だからです。この五年間はそればかりを目標に今日まで生きてまいりました」
この場にいるユリウス様の従者たちはみな、私の言葉に動揺していた。無理もない。わざわざ妃選びの場に馳せ参じておきながら、自ら辞退をするだなんて、時間とお金の無駄以外のなにものでもない。ユリウス様に対してもものすごく失礼な行為だ。
けれど、これにはちゃんとした理由がある。事情を説明するため、私は身を乗り出した。
「その昔、私の母はあなたのお父様の妃候補でした」
「知っている。母から何度も聞かされた」
ため息をつきつつユリウス様が言う。
「相当気が強く、それでいて優秀な女性だったらしい。妃選びの際に最後の最後まで母と競り合っていたと」
「そうです。そして、私の母はあなたのお母様に負けました。けれど、母は愚かにも『自分は妃になるために生きてきた』と本気で信じていたんですよ」
「……らしいな。母との婚約が決まったあとも、何度もアプローチをかけられたと父から聞き及んでいる」
……あっ、本当にそこまでやっていたのか。さすがにそれは知らなかった。
我が母ながら恥ずかしい人。ユリウス様の言葉を聞きながら、思わず嘲笑がもれてしまう。
「まあ、それでも妃になることは叶わなかったもので、母は目標をすげ変えたんです。『娘の私を絶対に王太子の妃にする』ってね」
――本当に、母の執念はすさまじかった。
まず手始めに、彼女は生まれるかどうかもわからない娘の未来のために、己の結婚相手を年老いた辺境伯に定めた。自称絶世の美女で、どんな美しい男とも結婚が可能だったくせに、若く力を持たない男には価値を見いだせなかったらしい。老い先短い父を自分の野望のために利用をしたのだ。父親に軍事力があれば妃選びの際に有利になるし、裕福であれば娘に十分な教育を施すことができるから、と。
父との結婚後、母はユリウス様妊娠の報に合わせ、私を作った。
女の子を妊娠する方法をひたすら調べ、実践し、毎日何度も神殿に通い詰めて神頼みをしたらしい。もしも私が男だったら、母は私を殺していただろう。……割と真面目にそう思う。
無事に生まれてきた子どもが女の子だと――つまり私だとわかったあとは、妃にするためだけに私を育ててきた。
外交のために必要だからと数ヵ国語をマスターするのは序の口で、算術、経済学、科学や化け学に加え、美術や音楽、刺繍やダンス、料理に乗馬に剣術まで、ありとあらゆる知識と技術を叩き込まれる。
それらは自身が妃候補になった際に求められた能力に加え、過去の記録を遡って必要と思われるものを網羅した結果らしい。
ついで他国の妃たちの経歴を調べ上げ、昨今の妃には領地経営と商業的な才覚、農業の経験が求められると知り、そういった能力まで叩き込まれた。
これを執念と言わずしてなんと言おう?
正直私は、なにが母をそんなにも突き動かすのかわからない。妃に選ばれたところで、待っているのはひどく窮屈な生活だろう。自己顕示欲を満たしたいだけならもっと違う形でお願いしたい。
そもそも私は、母の夢を叶えてやるつもりもないのである。
「……なるほどね。それで妃候補を辞退したい、と」
「はい。母はああいう人ですから、私がこの場に参加をしないという選択肢はまずもってありませんでした。殿下には無駄なお時間をとらせて申し訳ないとは思っています」
今回の令嬢による力比べ――妃選びにおける候補者は私を入れて十人。
彼はその十人と交流を重ねながら、誰を最上位におくか――すなわち妃にするかを選ばなければならない。公務で忙しい合間を縫って。まったく御苦労なことである。
「だけど、それだけじゃないだろう?」
「え?」
「クラウディア嬢がこの場に来た理由だよ。単に参加せざるを得なかったから、ってだけじゃないだろう?」
ユリウス様が尋ねてくる。彼の瞳は確信に満ちているように見えた。……だったら、誤魔化したところで意味がない。私は静かに息をついた。
「おっしゃるとおりです。私はね、母を思いきりがっかりさせてやりたかったんです。自分の人生をここまで捧げてきたのに『また選ばれなかった』ってね」
言いながら鼓動が早くなっていく。母の絶望に歪んだ顔を、悲鳴を想像するだけで、身体がゾクゾクするようだった。
「母親への復讐、ねぇ」
「十七年間も母に自分の人生を乗っ取られていたんですよ? このぐらいしてやらなきゃ割に合いません」
幼い頃は自分の境遇に特に疑問を抱かなかった。どこの令嬢も『こういう教育を受けているのだろう』と思っていたので、反発なんてしようがなかったし、言われるがままに母の教育を受けていた。
おかしいと気づいたのは今から五年前。父に誘われて、はじめて王都を訪れたときのことだ。
同年代の令嬢たちを前に、私は言葉を失った。
だって、彼女たちの誰も、王太子妃になることを強要なんてされていない。私が受けてきた無駄に高度な教育だって受けていない。
……そりゃあ貴族の令嬢だから、完全に自由ってわけではないかもしれない。けれど、彼女たちは今を自由に生きていた。未来を自由に思い描いていた。
羨ましかった。……と同時に、自分がものすごく空っぽで、なんにもない人間だってことに気づいてしまった。
私の人生は母と決別した先にある……そう信じて、今日まで必死に生きてきた。ようやくこれで、私は私の人生を生きることができるって。
「話はわかった」
「……! じゃあ……」
「だけど、それはクラウディアの事情であって、俺には全く関係ないよね」
ユリウス様がニコリと笑う。私は思わず「え?」と返した。
「こっちはさ、国で一番いい女を妃に選びたいわけ。真剣に、この国の未来を考えてるの。それなのに『復讐のために辞退をしたい』だなんて言われて『はいそうですか』と領地に帰してやる義理はない。最後まで付き合ってもらうよ」
「そ、そんな……! というか、殿下の性格、聞いていたのと違っているような……」
母のリサーチによれば、ユリウス様は温厚なザ・王子様タイプ。いつもニコニコしていて、部下たちに対しても丁寧な言葉遣いをされるお方だって聞いていたんだけど。
「冗談。お前の母親と張り合う女の息子だぞ? 気なんて強いに決まってるだろう?」
「あ……そ、それはそうですね」
ユリウス様の母親のことはしょっちゅう母から聞かされている。母以上に気が強いって話ではあったけど。
「でも、私は決して殿下をバカにしたつもりはありませんし」
「そんなことは知ってる。というかどうでもいい」
「どうでもよくありません! そもそも、妃ってやる気がない人間に務まる役職じゃないと思うんですよ。本当に。やる気満々で『我こそは』という女性に務めていただくのが世のため人のため殿下のためですから! 私は謹んで辞退をさせていただきたく」
「だが断る」
ユリウス様はお茶を飲み干すと、私をビシッと指さした。
「辞退は認めない。これからひと月の間、おまえは俺の妃候補だ」
もはや言い返す言葉が見つからない。私はガックリと肩を落とした。
***
とはいえ、辞退が叶わなくたってやりようなんていくらでもある。
要は妃としての適性がないと示せばいいだけなんだもの。簡単だ。わざと手を抜けばいい。……そう思っていた。
「おまえ、本当は俺の妃になりたいんだろう?」
ユリウス様が尋ねてくる。彼の手には今しがた完成したばかりの私の刺繍のハンカチが握られていた。
「そんなこと、あるはずがないでしょう?」
尋ねつつ、周りの候補者たちをぐるりと見回し……唖然としてしまった。
他の誰も、まだまだ作品は完成しそうにない。なんなら図案すらできあがっていない令嬢もいる。
私はというと、子どものお遊び程度に仕上げたつもりが、他の候補者たちと比べてそこそこ遜色のないデザイン、仕上がりになっていて、ユリウス様の言わんとしたいことがわかってしまった。
「……作り直します。というか、白地で提出しますから」
「ダメ、却下。クラウディア……本気で自分の実力に気づいてなかったんだな。おまえの母親、娘にどんだけハイレベルな要求をしてたわけ?」
ユリウス様はそう言って、私からハンカチを没収する。
「……知りません。それが当然だと言われて育ちましたから。他の人と比べたこともほとんどありませんし」
父が私を連れ出してくれたのは五年前の一回きり。あれだって、母にバレないよう、色々と誤魔化してくれた末のことだった。
正直、あの経験がなかったら、私はなんの疑問も抱くことなく、今でも母の言いなりになっていたと思う。ユリウス様が今持っている作品とは比べ物にならないほど手の込んだ作品を仕上げて、出来栄えに満足していたんじゃなかろうか。
……とそのとき、ユリウス様の向こう側の令嬢が目について、私は思わず目を瞠った。
栗色の髪の毛に青色の瞳、ふわふわとした愛らしい印象の女性で、なんとなくだけど見覚えがある。
(ナターシャ様……だったっけ)
ほんの一回。父に連れて行ってもらったお茶会で出会った同い年の女の子。
たしか、伯爵家のご令嬢で、女性らしく向上心の強い性格だったのを覚えている。
私の視線に気づいたのだろう。ナターシャ様が私に向かって微笑んでくれた。
可愛い。ものすごく癒やされる。
ユリウス様は『こういう女性がタイプだ』と母が話していたとおりの見た目をしている。
……というか、よく見たら、周りはみんな似たようなふわふわした女性ばかりだ。きっと本気でユリウス様の妃になりたがってるんだろう。彼の理想のタイプを聞きつけて、それに近づけるようにと頑張っているんだと思う。
(すごいなぁ……)
なにがすごいって、彼女たちはみんな自分の意志でここに来たのだろう。……自分自身でユリウス様の妃になりたいって思っているんだろう。
(私は?)
ふと我に返り、胸が痛む。
私はこの儀式が終わったあと、なにがしたいの? どこに行きたいの? どんなふうに生きていきたいの?
(わからない……)
この五年間、母に復讐をすることだけが私の目的だった。生きがいだった。
だけど、そのあとは? ――なにも思い浮かばない。目の前が暗くて息苦しかった。
「クラウディアはああいう格好しないの?」
なにを思ったのか、ユリウス様が尋ねてきた。私は思わず小さく笑う。
「しません。領地を出る際、母からああいったドレスを山程持たされましたが、王都への道すがらすべて寄付をしてきました。そもそも好みじゃありませんし、気の強い私にはああいった服装は似合いませんし」
「それは言えてる」
ユリウス様の言葉に、私は思わずムッとする。
(だったら聞くなよ!)
言い返してやろうと思ったそのとき、彼は私の頭をポンと撫でた。
「ちゃんと持ってるじゃん」
「え?」
「『自分』というもの。まあ、半分以上が母親への反発心かもしれないけど、それだって『クラウディア』自身だろう?」
……彼はエスパーなんだろうか? 私がなにを考えていたのかお見通しらしい。
「今はまだ、そういう感じでいいんじゃない?」
そんなことを言い残して、ユリウス様は他の令嬢のもとへと向かった。
***
母の執念はやはりすさまじかった。令嬢同士の力比べは、驚くほど彼女が思い描いた通りのシナリオで進んでいく。
(なぜ妃に剣術の腕を求める? 領地経営やら農業やら書類さばきやら、そんなのは妃の仕事じゃないでしょうに)
日々、母から叩き込まれた技術や知識を披露するよう求められ、私は大きく首を傾げた。
真面目なお話、妃にそういった能力は必要ないと思う。
国民が親しみを持てる美貌があって、式典関係がそつなくこなせて、教養とコミュニケーション能力があればあとはなんとでもなる。
本来、書類っていうのは文官たちが『あとは印鑑を押すだけ』の状態に仕上げてきて然るべきだし、あくせく働く立場ではない。上に立つ人間が『これをやろう』と思いつきで物を言えば、下で働く文官たちはどんなに忙しくとも断ったり反対することはできないんだし、かえって気の毒だとも思う。
「……クラウディアの母親は本気で妃になりたかったんだな」
ふと私の隣でユリウス様がボソリと呟く。彼は呆れたような感心したような表情で、私のことを見つめていた。
「そうですよ。私にはどうしてそう思うのか、ちっともわかりませんけどね」
ヴァイオリンの弦を弾きつつ、私は大きくため息をつく。
妃になんてなりたくないのに――どう足掻いても、自分の想定と真逆の結果を残してしまう。それもこれも、全部ユリウス様のせいだ。
先の剣術披露の場では、私は剣を振るうことも、その場から動くこともしなかった。候補者から一撃を喰らって退場……それで終わりになるはずだった。
それなのに、一体何を思ったのか、ユリウス様が出番の終わった私に向かって思いきり剣を振り下ろしてきたのだ。
『いきなりなにをするんですか! 危ないでしょう!?』
ガードをしなければ怪我をするという状況で、さすがにじっとなんてしていられない。剣を弾いてやったら、ユリウス様はそのままさらに攻撃を重ねてきたのだ。
(もう、本当に勘弁してよ)
妃候補たちの軽い一撃ならともかく、男性であるユリウス様の攻撃をもろに喰らったら絶対痛いに決まっている。早く攻撃を止めてほしい……そう思うのに、ユリウス様はちっともやめてくれなくて。なんなら楽しそうに笑い出す始末で。
『〜〜〜〜もういいです』
これ以上続けるのは馬鹿らしい。別に、傷つこうが痛い思いをしようが、私は全然構わない。
だけど、私がガードをやめた途端、ユリウス様はピタリと剣を止めた。
それから、私の頭をポンと撫で「やればできるじゃん」なんて口にする。
そんなことが、何度も何度も続いた。紛れもない妨害行為だ。
妃候補のなかには『私ばかり贔屓されている』と密かに腹を立てている子もいるし、『私のせいで自信を喪失した』なんてことを直接物申してきた子だっている。正直ものすごく疲れてしまった。
「わたくしはユリウス様の妃になりたいです」
とそのとき、背後から愛らしい声音が聞こえてきた。ユリウス様と一緒になって振り返れば、そこにはヴァイオリンを抱えたナターシャ様がいた。
「他の候補者たちも、みんなそう思って頑張ってます」
「うん……そうですよね。私が間違ってるってちゃんとわかってます」
だからこそ、私は辞退したかったのに……。これじゃ真剣にやってる他の人に対して失礼だ。
「だから……」
「だから? 私に辞退してほしいって?」
尋ねつつ、私は思わずハッとする。
もしかしたら、他の候補者たちからの抗議の声が増えれば、必然的に私は辞退に追い込まれるのではなかろうか? ユリウス様がどんなに『辞退を認めない』と言ったところで、令嬢たちの声をまるっと無視はできないはずだ。
(さぁ……!)
遠慮などせず、ガッツリと私を非難してほしい。やる気のない私じゃ話にならないと、判定員たちの耳にも届くような声で。
「クラウディア様、わたくしにヴァイオリンを教えていただけませんか?」
「…………え?」
しかし、ナターシャ様が口にしたのはあまりにも思いがけないことだった。
「ヴァイオリンを?」
一体何故? どうして私に? 意味がわからなさすぎて、私は首を傾げてしまう。
「ええ! だってクラウディア様、ヴァイオリンは得意でしょう?」
「いや、嗜む程度にしかできないんじゃないかなぁ……」
嘘です。本当はガッツリ叩き込まれました。
この儀式の三回に一回はヴァイオリンがお題になるという母のお告げによって、ビシバシ特訓されたのでした。
「たしか、候補者同士で教えあったらダメっていう決まりはなかったと思います。もしもクラウディア様に妃になる気がないのなら、敵に塩を送ったっていいですよね?」
「それはそうね」
というかむしろ、彼女は私にとっては『敵』というより味方なのでは? ナターシャ様の評価が上がれば上がるほど、私が妃になる可能性は下がるわけだし。
「教える! ヴァイオリンに限らずなんでも、いくらでも教えちゃうわ」
手を取り笑い合う私たちを眺めつつ、ユリウス様は小さく笑った。
***
その日から、私はナターシャ様を鍛えまくった。
次のお題が発表されるたびに、どちらかの部屋で勉強会を開き、傾向と対策を叩き込む。
正直、どのお題も母の予想の範囲を超えないため、教えるのはとても簡単だった。ポイントさえ押さえてしまえばある程度の評価は絶対にもらえる。あとは本人がこれまでに培ってきた教養や経験、考え方の問題だけれど、ナターシャ様は素直で明るく真面目だし、とても妃向きの人物だ。よほどのことがない限り、マイナス評価を付けられることはないだろう。
このままならいける。
……なんて考えていたのも束の間、勉強会の参加者はナターシャ様一人ではなくなっていた。
一人増え、二人増え、結局三日後には候補者の全員が参加していて、私は驚いてしまった。これではなんの意味もない。みんながみんな同じ知識を披露したところで、評価は全員横並びだ。
(正直私は、誰か一人が候補者として飛び出てくれたほうがありがたいんだけど)
そのほうが私が選ばれる確率が下がる気がするし。まあ、全体の評価が上がれば、私の評価は必然的に下がるのだから、結果は同じだと思うけど。
勉強会の終わりには、みんなでお菓子を持ち寄ってお茶会を開くのが定番になっていた。
(こんなに馴れ合っていていいんだろうか?)
母たちのときはもっとギスギスしていたらしい。会話なんて皆無に等しく、ことあるごとににらみ合っていたと。助け合うなんてもってのほかで、互いに足を引っ張り合っていたとも聞いている。重要な儀式の前には毒を盛りあったなんて逸話もあるぐらいだ。
「あの……ずっと気になっていたんですけど、クラウディア様はどうして妃になりたくないんですか?」
ナターシャ様が尋ねてくる。私が儀式のときに手を抜いていることはバレバレだし、妃になりたくないこともみんなが知っている。けれど、理由を話した相手はユリウス様だけだ。
「……私の母は陛下の妃候補だったの」
私はみんなにこれまでの経緯を洗いざらい話した。母が娘の私に王太子妃になる夢を託したこと。それをぶち壊してやりたいと思っていること。ユリウス様に自分の野望を打ち明けたのに、妃候補からの辞退を認めてもらえなかったこと。
「だからね、みんなには私の分まで頑張ってほしくて」
心からのエールを送れば、ナターシャ様たちは互いに顔を見合わせ、ふふっと微笑み合う。
「それより、私もみんなに聞きたいことがあって。この儀式が終わったあと、どんなふうに生きていけばいいか悩んでいて……」
そこからようやく私の――私自身の人生がはじまる。だけど、なにをしたらいいのか、どんなふうに生きていきたいのか、現状なんにも思い浮かばない。
「お父さまのあとをついで領地経営?」
「将来有望な女騎士?」
「ヴァイオリニスト?」
「デザイナーや経営者もありでしょうか?」
私自身はなにも思いつかないというのに、周りはポンポンと案を上げていく。しかも、彼女たちの頭の中には具体的な将来像まで浮かび上がっているらしく、私は思わず苦笑してしまう。
「クラウディア様、どれかお気に召す案がありましたか?」
令嬢の一人が尋ねてきた。私は目を細めつつ、ふぅと小さく息をつく。
「そうね……ひとまずは、これから先もみんなと仲良くお茶会を開きたい、かな」
言えば、みんなが声を上げて笑った。
「――ひどいなぁ。どうして俺だけお茶会に呼んでくれないの?」
それは候補者たちを見送ったあとのこと。ユリウス様が私の部屋をたずねてきた。
「必要性を感じないからですね」
「いやいや、みんな俺の妃候補なのに」
「全員と同時に交流をする必要はないでしょう? 時間は限られているんですし」
「うん。だから、こうして交流を深めに来た」
ユリウス様はそう言って、私の手をギュッと握る。私は思わず数歩後ずさった。
「私じゃなくて他の候補者のところに行ってください」
「誰と交流をするかは俺自身が決めることだ」
「……私は妃候補を辞退した身ですから」
「だけど、俺は辞退を認めてないし」
話がまるで通じない。堂々巡りだ。
「――殿下は私のことが好きなんですか?」
天邪鬼な彼のことだ。こう聞けばきっと『違う』とこたえてくれるだろう。
そもそも、彼が私に構うのは、私が自分の思い通りにならないからだ。勝手に妃候補を辞退しようとし、厳正な儀式で手抜きをする。それが気に食わないからかまっているだけなのだろうと思う。
「好き……かどうかはわからないけど、気にはなっていると思う。君は俺によく似ているから」
けれど、ユリウス様は神妙な面持ちで、私のことをじっと見下ろした。思わずドキリと心臓が跳ねる。
「似てるって? 一体どこが……」
「誰かに決められたとおりに生きてきたところ。そんな自分を変えたいところ。気が強いところ。優秀なところ。孤独を感じているところ。誰かに、なにかに救いを求めているところ」
気づいたら、私はユリウス様の腕の中にいた。ふわりと香るシトラスの香り。私は首を横に振った。
「全然、似てませんよ」
私はユリウス様とは違う。母への恨みつらみばかりが詰まった中身のない人間なんだもの。さっきだって、お妃選びが終わったあとの自分の身の振り方をまったく思いつかなかったし。ユリウス様には彼との結婚を切望する女性が九人もいるのだし。
「ねえ……もしも俺が王太子じゃなかったら、クラウディアは結婚を受け入れてくれた?」
「え?」
一体なんてことを聞いてくるんだろう? 私は言葉を失ってしまう。
「たとえば俺が第二王子だったら?」
「待ってよ。そんなの、考えたこともない……」
「だから『考えて』って言ってるんだよ」
ユリウス様の唇が頬を撫でる。胸がドキドキして、体全体がものすごく熱い。こんな状態でまともに考えられるはずがない。
「ご自分だって私のこと『気になってはいると思う』っておっしゃっていたじゃありませんか」
いきなり結婚とか、もしもの話をされても、まったく理解が追いつかないのに。
「……話しているうちに気づくこともあるだろう?」
ユリウス様はそう言って、私の頭をそっと撫でる。それから「おやすみ」と言って、私の部屋から出ていった。
***
その夜以降、彼が私にちょっかいをかけてくることはなくなった。儀式が行われているときも、それ以外の時間も、会話らしい会話すら交わしていない。
(話しているうちに気づくこともある、か)
つまりはそういうことなのだろう。
私と彼とは相容れない。もしもを考えるだけ時間の無駄で、お互いのためにならない、と。
「クラウディア様、今の、ご覧になっていただけましたか?」
「ええ、見ていたわ」
ナターシャ様はメキメキと頭角を表しはじめていた。元々実力のある女性だし、自信がついたのが大きいのだと思う。最近では、ユリウス様にしょっちゅう声をかけられているし、妃候補の筆頭だ。
このままいけばきっと、ユリウス様の妃はナターシャ様に決まるだろう――そう考えたそのとき、胸がチクリと痛んだ。
二人が寄り添い合う姿を、ともに国を治める未来を想像すると、なんだか息が苦しくなってしまう。
『ねえ……もしも俺が王太子じゃなかったら、クラウディアは結婚を受け入れてくれた?』
いつかの、ユリウス様のセリフが頭のなかに木霊する。
そんなの、考えても意味のないことなのに。
だって、ユリウス様は王太子だもの。――私の人生は彼の妃候補を外れた先にしかはじまらないんだもの。
母の思いどおりになんてなりたくない。絶対にゴメンだ。
(けれど……)
ナターシャ様と笑い合うユリウス様に、私はくるりと背を向けた。
***
そうして、あっという間にひと月が経ち、儀式は終りのときを迎える。
広間には私たち妃候補が十人と、その親族たちが集まっていた。
「久しぶりね、クラウディア」
「お母様」
母は興奮した面持ちだった。自分の念願が成就されることを信じて疑っていないらしい。
(違うのに――)
私がユリウス様に選ばれることはないのに。
以前の私だったら、とても幸せな気持ちで今日この日を迎えただろう。母に仕返しができることを、心の底から喜んだだろう。
けれど今、私は複雑な心境だ。
「静粛に」
広間にユリウス様と国王陛下、それから王妃様――ユリウス様のお母様が現れる。母は陛下のことを穴が空くんじゃないかというほどに熱く見つめていた。
(なりたかったのは『妃』なのか『陛下の妻』なのか……一体どちらだったんだろう?)
実際のところはわからない。聞きたいとも思わない。……ただ、やはり腹立たしいと思ってしまう。
「これより儀式の結果を発表する。儀において、最上位についた令嬢は――」
母の視線を感じつつ、私は静かに目をつぶる。心臓がトクントクンと小さく鳴る。
「ナターシャ嬢」
ナターシャの名前が呼ばれ、彼女はニコリと微笑んだ。広間にワッと祝福の拍手が沸き起こる。私は思わず目を細めた。
「なんですって!?」
広間の雰囲気を変えたのは、絶叫にも似た母の声だった。ゆっくり母のほうを振り返ると、彼女の顔は真っ赤に染まり、身体は怒りのあまりぷるぷると震えていた。
「どうして!? 私は――? 私のクラウディアは?」
「彼女は儀式を辞退しました」
「辞退ですって!?」
ユリウス様の返事に対し、母が半狂乱に返事をする。彼は私のほうをちらりと見て、ふぅと静かに息をついた。
「そんなバカな! あの子はあなたの妃になるために生まれてきたのよ!? そのためだけに今日まで生きてきたのよ!? それなのに、儀式を辞退するなんて」
「……クラウディアから話には聞いてましたが、本当に自分勝手なひとですね」
ユリウス様がゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。彼は私をかばうようにして背後に隠し、母をしげしげと見下ろした。
「クラウディアの人生はクラウディアのためだけにあります。あなたのものではありません。生まれてきた理由も、生きている理由も、彼女自身が自由に決めていいんです」
「ユリウス様……」
言葉が心に染み入る。
本当はずっと、私の願いを叶えてくれるつもりだったんだろうか? 私が母と決別できるように。私が私の人生をはじめられるように。
涙がポタポタとこぼれ落ちる。私はずっと、誰かにこんなふうに言ってほしかった。……他でもない、ユリウス様にそう言ってほしかったんだと思う。
「ありえないわ……こんな……こんなはずじゃなかったのに!」
母は人目も憚らずに声を荒らげ、涙を流していた。
必死になだめすかす父の手を、母は思いきり振り払う。
「あなたよ! あなたを選んだのが間違いだったんだわ! もっとあなたに力があったらこんなことにはならなかった! 私は――私の子は誰よりも優秀なはずなのに」
「クラウディアは優秀でしたよ? 正直俺は、この中の誰よりも素晴らしい女性だと思っています。それでも、彼女は儀式を辞退していますから、最上位につくことはありません」
ユリウス様が冷たく言い放つ。
母はいよいよ前後不覚に陥っていた。もはや自分がなにを言っているのか、どこにいるのかも理解できていないに違いない。
「お母様――あなたは私じゃありません。私はあなたじゃありません」
広間から引きずり出される母の後ろ姿を見つめつつ、私は大きく息をついた。
***
「さて、儀の結果は先程発表したとおりだ」
平穏を取り戻した広間のなか、再び拍手が沸き起こる。
ナターシャ様はユリウス様の隣に立ち、それから深々と礼をした。
(おめでとう)
夢が、願いが叶ったんだねと、そう祝福してあげたい。
――けれど、本当はさっきからずっと、胸のあたりがズキズキと痛んでいた。鉛でも飲み込んだかのように身体が重くて、頭のなかに暗い靄がかかったみたいで。苦しくて苦しくて、目頭がじわりと熱くなる。
(本当は私、ユリウス様のことが好きだったんだな……)
気づかないようにしていただけで。きっとずっと、彼のことを想っていた。
もしも私が母の子どもじゃなかったら――もしも彼が王太子じゃなかったら、今とは違う結末を迎えられていただろうか?
城内に与えられていた部屋に戻り、一人静かに膝を抱える。
この城とももうすぐお別れだ。あんなに嫌だと思っていたのに、今となっては少しだけ名残惜しい。
「クラウディア」
外から声をかけられハッとする。ユリウス様の声だ。
扉を開け、ユリウス様の顔を見れないまま「なんでしょう?」とそう尋ねる。
「少し外を歩かないか?」
***
ユリウス様と私は無言で庭園を歩いていた。
こうして二人きりになるのはお茶会の夜が最後。まともに言葉を交わすのだってあれ以来のことだ。
「あの……ありがとうございました。母のこと。かばっていただけて、とても嬉しかったです」
口にして、深々と礼をする。
私はユリウス様の気持ちが嬉しかった。願いを叶えてもらえて、彼にあんなふうに言ってもらえて、本当にすごく嬉しかったのだ。
儀式の最中にお礼を言うことはできなかったし、もうすぐ私は城を去る。今伝えなければ一生伝えられないだろう。
「これで君の人生は君だけのものだ。生まれてきた理由も、生きている理由も、これから進みたい道だってクラウディア自身が自由に決めていい」
ユリウス様が私を撫でる。思わず涙がこぼれそうになった。
(私の進みたい道……)
本当は今、私には選びたい未来がある。欲しいものが存在する。
ようやくみつけたものだけれど、それに手を伸ばすことはできない。
……もう手遅れだ。
「クラウディア――俺を選んでくれないか?」
「え……?」
私は思わず言葉を失う。
聞き間違えだろうか? 呆然としている私に、ユリウス様がひざまずいた。
「君はもう自由だ。なににも縛られる必要はない。けれど、だからこそ君自身の意志で俺を選んでほしい。俺と生きる未来を選んでほしい。どうか、俺の妃になってくれないだろうか?」
ユリウス様が言う。彼の表情は真剣だった。
涙がポタポタとこぼれ落ちる。拭っても拭っても止まりそうにない。
「な、ナターシャ様は? あんなに頑張ってて……さっきだって最上位に選ばれてすごく喜んでいたのに」
「儀式の最上位者を妃に選ばなければならないなんてルールはない。慣例はあくまで慣例。それに従う必要なんてないよ」
「だけど、彼女はあなたの妃になりたがっていたし」
「最初はね。けれど、俺の君への想いを知って協力すると言ってくれた。他の候補者たちもみんな納得してくれている。クラウディアは他の候補者たちと明らかにレベルが違っていたし、みんなのことを助けてくれた。候補者たちと穏やかな関係を築いてくれた。だから、俺の選択に異を唱えるものはいなかったんだよ」
ユリウス様が私のことを抱きしめる。とても強く、優しく。空っぽだった私が、温かいもので満たされていく感覚がした。
「私は――あなたと一緒にいたいです」
「うん」
「お母様は関係なく、私自身がそうしたいと思うから」
「うん」
ユリウス様が微笑む。彼は穏やかに目を細め、私の手をぎゅっと握る。
「クラウディアの人生はクラウディアだけのものだよ」
たとえどんな道を選択しようとも。
ユリウス様の言葉に、私は満面の笑みを浮かべたのだった。
本作を読んでいただきありがとうございました。
もしもこの作品を気に入っていただけた方は、ブクマやいいね!、広告下の評価【★★★★★】や感想をいただけると、今後の創作活動の励みになります。
改めまして、最後までお付き合いいただきありがとうございました。