薄皮まんじゅう
この物語は、フィクションであり、実在の人物、団体、事件等とは、一切、関係ありません。
「あぁ、これはあの時のものか。」
徳川家康は、彼の晩年である大御所時代に、駿府の城で、彼になされた献物である菓子を眼前に並べて、そう言葉を発した事があった。
それは、駿府の広間に居並ぶ大勢の家臣に対して発した言葉ではなく、この時、齢にして七十を越えた家康自身が、ただ一人の人として、彼の言葉で発した彼の人生における一言の愚痴のようなものであった。
そして、その声量は哀れな程に、か細く、かすれ気味で、実在の老人そのものではなく、どこかの絵巻物か、あるいは御伽草子にでも出て来そうな、鬼に金棒を振るわれたり、鉈を持った山姥に追いかけられたりする哀れな名主か長者を思い起こすかのように弱々しいものであった。
「大儀である。」
「恐悦至極に存じ上げまする。」
家康の御前に平伏していたのは塩瀬を名乗る茶人風の男であった。
「どれ。」
「これは殿。」
家康は、式台に載せられた薄皮まんじゅうを、ひとつ鷲づかみにすると、そのまま、大勢の家臣たちの眼前で、一口に頬張った。
「味は変わっておらぬな。美味である。」
「恐れ入りまする。」
「営々、役目精進せよ。」
「は。」
塩瀬はまんじゅう屋である。彼は日本国に於けるまんじゅう製作の祖とされる林淨因の子孫であり、かつて応仁の乱を避けて三河に疎開していた縁で塩瀬を名乗ることになってからも、まんじゅうを作り続けている。塩瀬のまんじゅうは小豆と甘葛煎を煮詰めて餡にして、小麦の粉で包んだもので、奈良まんじゅうと呼ばれたその味は天下の美味として、天皇、公卿、諸侯の舌を楽しませていた。
「上様は殊の外、塩瀬の饅頭を数寄でおられまする。」
傍らに伺候していた家康の家臣、本多正純は、式台に載っていた一つ欠けたまんじゅうの山を、これも式台に載せたまま山を崩さぬように、小姓に片付けさせた後、家康の面前に懐紙を一枚差し出して言った。かの正純も幼年期は家康の小姓を勤めていた。そのこともあり、このような時の振る舞い方は心得ていたし、こなれたものであった。
「かの饅頭とは長篠以来の御縁であると聞きかじり申しておりまするが。」
「参州長篠、武田勝頼との戦はいつの事であったか?」
「さて、確か、天正三年の事ではございませなんだか?」
「天正三年と言うと、最早、四十も昔になるか。」
「三十九年前にございますな。」
「弥八郎はいくつであった?」
「十と少しばかりかと心得まする。」
「わしはまだ、三十の半ばであった。」
「壮年の意気、未だ衰え難しかと存じ上げまする。」
二人の長話の最中も、駿府の広間を埋める有象無象の家臣らは平伏したままである。その中で、ただ、二人の傍らに伺候する小姓のみは金覆輪の太刀を携えながら、意識を潜めて、その話を窺っていた。
実を言うと、この小姓には不眠の気があった。昨夜もまさに、夢の中に火車、悪鬼の類が現れては、彼の眠りを妨げていたのであるが、多少なりとも気を抜くと、卒倒しそうになる意識の中で、その小姓は家康と正純の会話を盗み聞きすることで、何とか己を奮い立たせ、その忠勤に励もうとしていた。そして、その半ば遠のきそうになる意識を保ちながらも、ふと、二人の内に妙な相違があるという感覚を覚えるに至った。
「(……本多様は御勘違いをなされてお出でなのか……。)」
恐らく、先にあった家康の呟きを、この小姓のみならず、正純もまた聞き及んでいたのであろうことは、小姓には推測が付いた。しかし、家康の言葉の内にあった『あの時』というのを、正純は長篠合戦の事だとばかり思っているのに反して、かの家康自身はそうではないのではないかという思いが、二人の会話を盗み聞く内に、その両人の言葉の端々を彩る感情の相違点から、小姓は読み取っていた。
「鷹狩りにございますか。」
「うむ。」
「行き先が小笠とは、また、遠くにございまするな。」
まんじゅうの一件を終えた翌日であったか、例の小姓は、近侍の最中に、家康と正純がそのように話しているのを見ていた。
「いずれも早い内が良いだろう。」
七十を越えて、丸々と肥えた家康は、駿府に隠居してからも鷹狩りを続けていた。それは、彼一流の養生法なのではあろうが、本当の所、それは、年を積もらせたからと言って止められるものではない彼唯一の娯楽であった。
「左様に仰せられますれば。」
その時の正純と家康の会話は、それきりではあったが、それから数日を経ても、一向に家康らが鷹狩りに出向く様子はなかった。その代わりに、ちょうど、月の始めに差し掛かる頃、駿府の城にいる家康を訪ねて来る者がいた。
「大殿様には御無沙汰致しておりまする。」
「久しいな。庄左衛門。息災か。」
「は。大殿様方、皆々様の御陰に御座候や。」
「里に清三郎は立ち寄っておるのか。」
「ここ二年程は会うて御座いませぬので、御役目に励んでおるのかと手前勝手に思案致しておりまする故、自然、心細くは御座いませぬな。」
「左様か。老親を慈しむのも武士の嗜みであろうよ。いずれ、わしからも言いおいてやろう。」
「有難き事に御座いまする。」
老人の名は進士庄左衛門と言った。小姓の覚えている限り、小姓と老人とは初対面であった。それとは異なり、家康とは古馴染みなのであろうその老人と家康の二人は、小姓には知らぬ人や物、地名を引用しては話を続けていた。
「して、此度は大殿様には、古語りを御所望と御聞き及び御座いまするが。如何様な仰せに御座いまする。」
「ああ、その事か。」
老人は小首をかしげていた。家康の傍らに近侍している小姓の目には、話の筋から何処其処の地侍の家系と思われるどこか逞しげな老人と天下を治める征夷大将軍の役目を終え経た白髪頭の肥えた老人の二者が、日と陰の如く、対比する形に映っていた。
無論、後者は家康なのであり、今、小姓は家康の横顔しか垣間見ることができない。それでも、小姓に比べれば、厖大な過去を持つ二人の老人の人生の質量は、その場にいるだけで、若い小姓には息苦しさを覚えるに足りていた。
そのような窒息しそうな閉塞感のある二人の会話が、自然と両耳の内に押し寄せて来る時、若い小姓は、自分も又、彼等と等しく齢を重ねた老人であるかのような、一瞬の錯覚を感じざるを得なかった。
「進士の家中は足利将軍家の供御職司を勤めておったであろう。」
「京洛中の進士流の者共は左様に聞いておりますれば確と。」
「ああ、そう堅くなるな。此度は役目云々に関わる事柄に非ず。ただ、儂一人の想い出語りの為に呼んだまで。元来は、此方から出向く手筈ではあったが、取り急ぎの所用にてそれも叶わず、お主を呼び立てたまで。」
「左様に仰せならば、某、今時分、大殿様の御伽衆の一人に相成り申す。」
いつの間にか、庄左衛門老人は身を立て直していた。
「もそっと寄れ。」
「さすれば。」
どかっと胡座で居直り、そのまま畳の上を膝行る庄左衛門の姿は、この者がかつては、主に仕える侍であったことを小姓に伝えるものであった。
「天正十年と言えば、お主は何をしていた。」
「天正十年ならば、左近尉様と共に駿河の三枚橋に在城して御座った。」
「そうか。そうであったな。その翌る年に左近尉が逝ったのであったな。」
「あれは悲しゅう御座った。」
老人らの昔語りは、小姓にとっては旅の日記のようであった。一枚一枚、頁をめくる度に、年号とその時に何をしていたのかという事が、当人らの口から、お互いに、いぶり出されているような幻惑を小姓はその景色に見ていた。それは、いつしか小姓の意識から、彼が夜にいつも見るような悪夢の記憶を呼び起こし、それらが本当はどれが真の夢現かを判断できかねるような陶酔へと誘い出していた。
「武田四郎らの首、京へ持ち帰り獄門に掛けよ。」
信濃飯田において、京の町衆であり、茶人でもあり、かつ、信長の家来でもある長谷川宗仁は、主にそう告げられた。もちろん、主とは織田信長のことである。天正十年のこの日、齢四十を越えていた宗仁は、それら武田家の大将首を受け取ると、それらが塩漬けにされた四つの樽を雑兵たちに担がせて、すぐさま、飯田を後にした。
「(上様は、大層、御機嫌良く在らせられる。)」
長篠の合戦以来、七年の歳月を経て、信長は甲斐武田家を滅ぼした。清和源氏の名門であり、強大な武門の棟梁であった甲斐武田の滅亡は、信長にとって、単なる脅威の消失ではなく、時代の変化の到来を告げる一転機であったのかもしれない。
その時、既に天下を掌中に納めていた信長は、彼自身が今度の戦を目の当たりにすることもなく、彼の子息である嫡男信忠に率いられた軍を前にして、為す術もなく首を捕られ、腹を切っていった武田の兵たちの遺骸と、灰燼に帰した什器家屋の残骸を、まるで物見遊山でもするかの如く、小姓、貴人、茶人、僧侶、異国人らの大挙する集団を付き従えて、闊歩していたし、それは、信長にとっては本当に物見遊山であった。
「此より我等は富士の根方を通り、駿河、遠江を見物して帰京致す。諸侯らは各々、暇申し付けるによって勝手次第にせよ。」
諏訪に至り、信長に目通りした諸将の中に、家康はいた。この時、家康、齢四十一。今よりも痩せて、体に筋肉を蓄えていた。しかし、何故か、その顔貌は七十三になる今日と変わらず、どこか物憂げで、不安を抱えているように見えた。
「三河守殿、御久方振りに御座いまする。」
この度、信長の御成を馳走しなければならない家康は、彼の本国にいる家臣とのやり取りや、道中の作事普請を司る奉行の選任などに忙殺され、その夕刻、宿所に訪ねて来た人間の誰人であり、何たるかを忘却していた。
「惟任日向守に御座いまする。」
「あっ、明智殿。」
一時の忘却から舞い戻った家康は、すぐさま己の非礼を詫びた。
「無理も御座いますまい。上様の御成となれば、拙者の事など忘却され得るのは必定に候えば。」
「おいじめなされまするな。日向守殿。」
「あいや。失礼仕った。」
惟任日向守は明智光秀その人であった。もとより、家康と光秀の間柄は知己とは言えない。二人が初めて会したのは、彼此、もう十年以上も前ではあるが、そもそも、しっかりと顔を合わせて対面したのは、たった数度しかなかった。
「此度の勝ち、上様は大層お喜びなされ、御機嫌斜めならず候かとお見受け致す。」
家康は諏訪で信長の顔を見た時の感想を素直に光秀に述べ立てた。その言葉は世辞や追従ではなく、その時の家康の一人の人として嘘偽りのない言葉であった。
「それは三河守殿も同じ事で御座いましょう。」
信長の盟友として東方の守りを任された家康にとって、甲斐武田は目の上の瘤であり、何度も煮え湯を飲まされ、己の生死をもその手に握られることもあった敵である。それは当面の敵であり、幾度も太刀を合わせることによって、家康は彼の相手を仇敵以上の尊敬と憧憬の念を持った強者として認識していた。
「どこか、こう肩の荷が降りたような気が致しまするな。」
「重き荷が降りたような……。」
「そう、そのような。」
未だ若き家康は己より幾ばくか年長の光秀に、多少なりとも気を許していたのだろう。今、光秀は信長の幕下にいるとはいえ、もとは足利将軍家に仕えていたということを家康は知っている。そして、それも、信長によって京を追われた義昭公方の時世だけではなく、兇賊によって弑逆された前代義輝のことも見知りおいているという。今、家康と信長とは盟友ではあるが、実際は、自分がその傘下に従属している存在であることを家康は自覚しているし、信長の直臣や古参者たちに頭の上がらないことを家康は知っている。
「御嫡男の事は残念に御座いまする。」
「何の事に御座るか。」
彼此、頭の中で、上記のような事柄を考えていた家康は、突然、それらの考え事が弾け飛ばされる気がした。忽然として光秀が口に上げた話題に、その時の家康は戸惑いを隠せなかった。その家康の状況は表面的には無反応であろうとする家康の内面を透かし見るかのように、次の間に発せられた光秀の言葉によって決定付けられた。
「某は未だに三郎殿と武田との内通の件に至っては由々しき濡衣であったと感じておりまする。」
「あれは不出来な息子故、御勘当を受けるのも当然の因縁であったと覚悟致して御座る。日向守殿も愚痴を申されるのは、何分、いかがわしき事かと存じ上げるが、それは、さて置き、此度は一体、何の用で御座るか。」
光秀の面前で長広舌ではあった家康だが、その発声は所々、息切れて、彼の思いとは裏腹に舌が追い付いていなかった。
光秀の口にした三郎とは、去る三年前、信長の命により切腹した家康の嫡男、信康のことであった。信康は信長の娘、徳姫を娶っていたが、信長に彼の不行跡を伝えたのが彼女である。それらは嫁と姑との折り合いの悪さや、信康の家臣団の不審など、様々な要因が相互の不信の渦中となり、家康、信康、徳姫、信長らを猜疑心の海に投げ入れたことが原因で起こった事件ではあるのだが、その押し寄せる災厄は、家康が気が付いた時には既に信康の切腹という形でしか決着のできない所まで進んでいたのであった。
殊更、家康も息子を愛していなかった訳ではなかったし、当時、遠江にいて武田と対陣していた家康が、信康に一任していた三河国の情況を、そのようなこじれた状態になるまで把握仕切れていなかったことを悔やまなかった訳でもないし、彼や息子の周りにいる者たちの不甲斐なさに怒りを覚えなかった訳でもなかった。そして、それは、家康自身の知らない間に、信長に逆らうことのできない我が身と、切腹を命じた信長に対する恨みとに変換しては、泡のような発生と消失を繰り返しながら、所在を転嫁し、家康が今あるその身に背負う重荷となって、この時も彼を蝕んでいた。
「御諫言忝く候。其れにて用件に御座るが、実は、秘事なれど、此度、三河守殿の御上洛に際しての饗応役を上様より某が仰せ遣った次第に御座る。」
「手前共の上洛とは?」
「上様は此度の駿遠両国の御成の御礼に、三河守殿を安土へ呼び参らせ候て、馳走仕り度き所存に御座る。」
「それはまた随分と先の事に御座りますな。」
「三河守殿も承知の通り、上様は斯様な御気性に御座れば……。」
光秀は静かに話を続けた。先程の光秀の発言が何を意味していたのか、家康には判然としなかった。ただ、明智日向守というこの中年の男が持つ奇妙な色気のようなものを、家康は不気味に感じつつあった。
「某、公方様に仕官していた由縁もあり、京に知人も多く、都流の文礼も多少の学は御座る故、斯様な役目を仰せ遣った次第に御座る。」
「それは心強い事に御座りまする。」
「我が家来に進士流なる包丁の家に連なる者が御座る。彼の者共は公方様の奉行の一人で、供御職を勤めた家柄に御座れば、三河守殿が安土に参られた折、饗応の馳走は彼の流に任せようと思うて御座る。また、今ひとつは、京洛中に塩瀬なるまんじゅう屋が御座る。この薄皮まんじゅうというは、上様も御好み遊ばされては大層、美味。これらは砂糖まんじゅうに御座って、彼の蔗糖は四国から取り寄せ候品。非礼ながら、三河守殿は長宗我部なる大名を御存知なるや。某の家臣に、それなる者の縁者がおれば、上様への献上品として、彼の地の蔗糖を彼の塩瀬にも融通して御座る。」
光秀はよくしゃべった。家康は光秀がこんなに話が好きな男だとは思わなかった。彼は光秀の饒舌を、彼の隠された性質に由来するものであると思った。そして、そこに何か隠された思惑があるということを疑うことはしなかった。あるいは、そうだとしても光秀の自慢とも取れる長話を前にして、家康がそこに何か一点の曇りを見出すことはなかったように思われる。というのも、案外、その思惑などというものは当の光秀自身にとっても、全く、そのようなものが己の内にあるとは関知できる代物ではなかったのかも知れない。
「随分、長話をしてしまいましたな。」
夜は更け始めていた。外では、羽虫でも食んでいるのだろうか、夜鷹の早口で鳴く声が聞こえていた。
「そう言えば、先だって三河守殿は肩の重荷が取れたようだと申されて御座ったな。」
少々の酒を口にしていたのは光秀も家康も同じ事であった。それでも、まさかそれが原因で酩酊する程でもなかった。しかし、不思議なことに、光秀は半刻以上も前に口にした話題を、わざわざ、今さっき語った言葉のように思い出しては、突然、家康に話し掛けていた。
「肩の重荷が取れた。それは慶事に御座る。然れど、斯様な宙ぶらりんの時が一番、危ういということをお忘れなさいますな。実、日向守からの諫言に御座る。」
「有り難き御言葉。この家康、しかと胸に刻んでおきまする。」
外は寒かった。その場を去って行く光秀の後ろ姿は、更に寒げであった。その後ろ姿を見ていると、酒を口にしていても、凍えるような心細さを家康に感じさせた。そして、寒風が吹く中、光秀の見送りを終えると、暖を求めて家康は、すぐさま、仮屋の御殿の内に姿を消してしまった。
「それから間もなく、明智は信長公を、本能寺に弑逆しおった。」
時間として、家康が話していたのは半刻に満たなかった。その間、駿府の大広間で庄左衛門老人は、時に相槌を打ち、時に黙して聞いた。傍らにいた小姓は、お伽話を聞いているかのように心地良く眠っていた。
「して、大殿様。彼の明智の申す薄皮まんじゅうなるは美味で御座いましたかな。」
「それよ。」
小姓は、はっと目を覚ました。それは家康の語り口が変わったからであった。
「我等が、信長公に御礼申し上げに安土へ参った折の献立の内に、ひとつだけ彼のまんじゅうがあった。その味を、わしは、しばらく忘れておった。確かに甘かったと言われればそのようでもあり、そうでないと言えば左様にも感じる。よもや、それは、わしが長篠で食べたまんじゅうと混同しておるのかもしれぬ。あれは確か、甘くなかったように思う。」
「それはまた。」
「然れど、先日、献上されたまんじゅうを頬張った時、いや、口に入れる前の折。ふと、わしは、あの時、安土で食べたまんじゅうの事を思い起こしたのよ。」
「奇特な事に御座いまするな。」
「奇特と言えば左様かも知れぬ。今、わしが語り起こした事も、今の今まで忘れておった。それとな、新たに、今、思い起こした事があるぞ。」
「それは一体、何事に御座りまする。」
庄左衛門は聞き上手なのかも知れなかった。その場にいるのは、目に見える限り、家康と小姓、庄左衛門の三人だけである。その三人が三人とも、今、この瞬間、天地神明の存在とも言うべき何かを、体に感じていた。それは精神の昂揚を伴っていた。三人を一身とさせる感覚であり、天地人の理と、過去、現在、未来の三世を一体に感じる感覚であり、今、この瞬間に、何かが動く感覚であった。
「安土に於いて、わしは、明智に一度だけ会うた。奴は、信長公の命で備中に加勢に向かう最中であった。その道中、明智は手綱の行く先を変え、京に乱入し、信長公に腹を召させたのだが、その前の事。安土で出会うた折節、明智は、わしにこう言った。」
「それは何と。」
「この先、恐れ多くも天下に不穏なる事、此あり候わば、左様な折節、三河守殿、何卒、よしなに存知奉り候や、と。」
「それはもしくは。」
「本能寺の時折、その頃、わしは堺におった。そのような明智の空言を覚えおくこともなく、夢中で三河に帰った。それから後の事は話すべくもない。今にして見れば、明智が別心、己の身の上の危うきを恐れての事かも知れぬ。信長公の御気性はわしも、奴もよく知っておったからな。実、当時、武田が滅びた後は、次は徳川であるよ、との風説もあったほどだ。」
庄左衛門と小姓は沈黙していた。その間も、先ほどの感覚は小さく、か細くなりながらも続いていた。
「明智は、朝廷にも顔が聞いておった。少なからず、公卿連中も信長公の所業に不満を持っておった様子。時に、信長公は四国へ乱入し、長宗我部を切り従えんとして、大坂に兵を集めておいでなさった。恐らく、織田と長宗我部との仲を、明智が取り持っておったのが、破断したのであろう。その責めを明智は負わされるとでも思ったのやも知れぬ。諏訪にて、明智がわしに心を安くしたのも、存外、その時の己の身上と、徳川の身上を同類に感じたのかも知れぬよ。」
家康は長広舌であった。しかし、それは、かつて、あの諏訪での時よりも、比類なく甚だしく、あの時のように、息切れて、所々、聞き取りにくいことなどは、一切なく、発止として力強く、あの時よりも若々しかった。
「大殿様は、明智に御同情なされておいでかな。」
家康の生気に当てられたのか、庄左衛門もどこか溌剌としていた。その気分が、お互いの間柄を一層、心安いものにしているように小姓には見えた。
「庄左衛門。其方はそう思うか。明智は信長公より受けた大恩を忘れた愚か者には相違ない。然れど、それらは皆、その時、者共者共が、どう思うかでしかないのだ。我等は物事全て、あるいは、人の心の内や、世の事情までをも、天地神明の如く、網羅し、知るべくもない。あのまんじゅうを食うまで、自らもまた、それらの事を忘れていたのだからな。あくまで、我等は一人の人でしかないのだろうよ。」
三人が過ごした時は一刻程なのであろうか。その間も、時は変わらずに流れていた。
「殿。お伝えしたき事があり、お待ちしておりました。」
三人の話に区切りが着いた時、襖の向こうから、驚くように、どっと声がした。それは家康の家臣、本多正純のものであった。
「大坂方が謀叛の嫌疑により、片桐市正殿に隠居を命じたそうに御座いまする。」
「弥八郎。それがどういうことか分かっているな。」
「委細承知に御座いまする。はて……。」
「どうした?」
襖を開けて、面を露わにした正純は、突然の拍子に、ぽかんとしていた。
「殿は、何やら御気色が良くなられた御様子。」
「そうか。其方はそう思うか。」
辺りに人影はなかった。正純が襖を開ける以前に家康は、既に、次に取り掛かろうとする何事かを決めていた。
「まんじゅうはあるか。」
「塩瀬のまんじゅうで御座いまするか。」
「無論、甘いやつだ。」
「お待ち下され。」
正純はその場を後にした。間もなくして、彼は式台に載せたまんじゅうの山を持って帰って来た。そして、その次には、それらのまんじゅうは惜しげもなく、家康によって、家来一同に下賜された。その中には、もちろん、庄左衛門老人もいたし、あの小姓もいた。
「やはり、中は甘いな。」
家康が口にしたまんじゅうと同じくして、小姓が食らったまんじゅうも、間違いなく甘かった。そして、不思議なことに、その日以来、小姓があの奇怪な悪夢に悩まされることは、ただの一度もなくなったのであった。




