8.天才少女たちのめぐりあい
私たちが学園に入学して、二か月が経った。
イリアーネとその取り巻き二名は、やはり私のことが気に入らないらしい。
顔を合わせるたびにちくちく嫌味を言ってくるけれど、私はそんな姿も可愛いなあと思ってしまっていた。正直、彼女たちの攻撃は申し訳ないくらいに通じていなかったのだ。
ただ、彼女たちが隙を見て私の持ち物に悪さをしようとしている気配を察したので、一応そちらについては自衛しておいた。
いつぞやセティに見せた小さなネズミの召喚獣、ぴょんぴょん跳ねるのでウサネズミと呼んでいるあの子たちを、私の荷物のあちこちに忍ばせておいたのだ。
勝手に荷物に触るとウサネズミがわらわらとわいて出て大騒ぎする、そういう仕掛けだ。
何回か、席を離れている間にきゃあっという悲鳴を聞いたけれど、最近はすっかり静かになった。さすがにこりたらしい。
そのせいでウサネズミたちが遊び足りないらしく、ちょっと物足りない顔をするようになってしまった。もっと遊ぶ機会を作ってあげたほうがいいのかな。
私の研究は、ちょっとだけ進んだ。魔法陣を描く手順を、少しだけ簡略化できたのだ。それもこれも、セティのおかげだった。
彼は寮に持ち込んでいた小さなオルゴールを、私に見せてくれた。ねじを巻くと音が鳴る、そのからくりについて、丁寧に説明してくれたのだ。
機械を構成する個々のパーツ自体は、そこまでややこしいものではない。けれどそれらが組み合わさると、思いもかけない効果を生む。
それを知って、ふと思いついたのだ。これ、魔法陣に応用できないかな、と。
いったん描いた線に魔力を込めることで、少しだけ線を動かすことができる。
その性質を利用して、いったん簡単な魔法陣を描いてから、一気に複雑な魔法陣へと組み替えることに成功したのだ。
大きな魔法陣を描くには、速やかに、たくさんの線を描く必要がある。この技術は、今後きっと役に立つに違いない。
セティは、小型の機械弓の試作品を作っていた。彼が描いた図面に基づいて職人たちが部品を作成し、それをセティが試行錯誤しながら組み上げていくのだ。
正直言って、彼がそこまで力やら武器やらにこだわっているのはあまりいいことだとは思えない。
今私たちが暮らしている帝国はとても平和だし、私たち貴族が戦いに出ることはまずない。
召喚魔法もかつて軍事利用されたことがあるけれど、私は召喚獣たちを戦いに巻き込むつもりはない。
セティの前世の記憶は、まだ戻っていない。
彼は『エルフィーナ様をお守りできなかった』という記憶だけを抱え、その苦しみから逃れようと頑張っている。だから彼は、必死に力を求めているのだとは思う。
もっとも、そのエルフィーナであった私は、もう前世のことは気にせずにのんびり楽しく生きている。だから彼にも、そこまで思い詰めてほしくはないのだけれど。
こうやって一緒にいれば、いつか彼も私の思いを分かってくれるかな。そんなことをこっそり考えながら、私は毎日セティと学園生活を楽しんでいた。
「ねえセティ、わたし最近気づいたんだけど」
「たぶん、ぼくも同じことに気づいていると思います」
それは、ある日の体育の授業でのこと。私たちはみんなで運動場を走っていた。体を鍛えるための授業だから、私やセティも参加しなくてはならない。
走る速度を調整して、セティと並ぶ。二人だけで走りながら、小声でお喋りする。
「わたしたち新入生って、二十一人よね」
「はい。一部の授業は選択制ですし、ぼくたちみたいに一部免除されている子もいますから、全員がそろうことはあまりないみたいですが」
「だけどそもそも、この二か月の間に全員がそろったことがあったかな? 入学した日以外で」
「ないですね。一人だけ、ほとんど顔を合わせていない子がいます」
「……どんな子なのか、気になるわ」
そこまで話したところで、他の生徒たちに追いつかれた。みんな私とセティに歩調を合わせて、どうにかしてお喋りに加わろうと必死になっている。
実は、セティはとてももてているのだ。中身が大人だけあってスマートな気遣いができるし、見た目はとっても可愛い。
明らかに彼のことを気にしているイリアーネ以外の女子生徒も、みんなしてセティに近づこうと頑張っていた。
でも当のセティは、「ぼくからするとみんな子供ですから……好かれても、ちょっと困ります……」などと言っていた。
ちなみにセティによれば、私も男子生徒に人気があるらしい。凛としていて物事に動じないところがかっこいいのだとか。あと、いつも連れているウサネズミたちも地味に人気がある。
そんなこんなで、私たちはみんなで団子になって走ることになった。教師はそんな私たちを、とても温かい目で見ていた。
そうして、その日の午後。私とセティは研究を一休みして、校舎の中を歩いていた。
体育の授業にも参加しない二十一人目の生徒に会いたいのなら、校舎の最上階のベランダに行くといい。教師が、そんなことを教えてくれたのだ。
あの子は騒がしいのは苦手だから、居場所は内緒にしているのだけれど、あなたたちなら大丈夫でしょう。教師はそうも言っていた。
最上階のベランダに向かう階段は、装飾された柱に巧妙に隠されていた。
私たち新入生はそもそもこの辺りにはあまり来ないし、二十一人目と出くわさないのも当然ね、とセティと小声でささやきあう。
最上階のベランダは、風が気持ちよかった。髪をなびかせながら、何となく足音に気をつけて進む。
「あ……」
やがて、一人の少女が本を読んでいるところに行き当たった。
白に近い明るい銀髪が、風に吹かれてさらりと揺れている。長いまつ毛の下からのぞく目は、アメジストのような素晴らしい紫だ。
「どうしようセティ、すっごい美少女。どうやって声をかけよう」
「普通に近づいていって話しかければいいと思いますよ」
「でも、邪魔したくない……ものすごく絵になってるし」
「あ、ぼくもそこのところには同意です」
何となく彼女に近づけずに、近くの柱の陰でこそこそとそんなことを話し合う。と、澄んだ声がした。
「……誰? 誰か、そこにいるの?」
見つかってしまったら仕方がない。ちょっと決まりの悪い思いをしつつ、姿を現して彼女のそばに歩み寄る。
「あのね、わたしたちあなたと同じ一年生。わたしはジゼル。こっちはセティ」
「……アリア」
それだけつぶやいて、アリアはまた手元の本に視線を落としてしまった。どうやらそれは、法律に関する本のようだった。しかも、中級者向けの。
立ち去らない私たちに戸惑っているのか、消え入るような声で彼女はつぶやいた。
「……これがわたしの、研究なの。本を読んで、レポートを書くの」
「ねえ、よかったらどんな本を読んでいるのか、教えてもらえない? わたしたちも研究をしているのだけど、全然分野が違うのよ」
アリアが居心地悪そうにもじもじして、本を閉じた。ちょっと気になったから食い下がってみたのだけれど、やっぱり迷惑だっただろうか。
しかし彼女の行動は、私たちの予想を遥かに超えていた。アリアは顔を上げて一つ深呼吸すると、いきなり口を開いたのだ。
「……帝国歴百二十五年、のちに『ランバート紛争』と呼ばれる騒動が起こる。ランバート川流域に領地を持つ男爵と伯爵との間で勃発した紛争であり、これを収めるために時の陛下は……」
さっきまでの弱々しい口調とは打って変わって、冷静ではきはきとした喋り方だった。どうやら彼女が語っているのは、帝国の過去の事件の記録のようだった。
やがてランバート紛争について語り終えたアリアは、最後に自分の意見を付け加えて話をしめくくった。ほうと満足げなため息をつきながら。
「すごい……今の、覚えてたの? 難しい言葉もいっぱいあったのに」
「……わたし、物事を覚えるのが得意なの。特に、法律とかを覚えて、あれこれ考えるのが好き。だから裁判官になりたい。本当は、いつか法務大臣になるのが夢」
アリアはちょっとはにかんでいる。普段から、あまり他人に接していないのだろう。喋りすぎちゃったかなと、彼女の顔には書いてあった。
とても賢い彼女は、私やセティのような生まれ変わり組ではなさそうだ。少々変わったこの子に、私は好ましいものを感じていた。
「素敵な夢ね。ねえアリア、よかったらわたしたちとお友達になってくれないかな」
そう言って、アリアに手を差し出す。彼女は紫の目を見張ってぽかんとしていたけれど、やがて戸惑いがちに手を出してきて、そっと握手してくれた。
「ともだち……今までいなかったから、どうすればいいのか分からない。それでもよければ。あとわたし、男爵家の娘で、格下だけど……」
「格がどうとか、関係ないわ。わたしは伯爵家の娘で、セティは侯爵家の子だけど、普通に一緒に遊んでるもの」
「はい。どうぞよろしくお願いしますね、アリアさん」
「あ、アリアでいい……」
女子生徒にもてもてのセティの、とびきりの笑顔。それは引っ込み思案らしいアリアの守りをも崩したようだった。彼女の頬が、ちょっぴり赤い。
こうして、いつも二人で過ごしていた私たちに、新たな友達が増えたのだった。
とはいえ、思ったほど学園生活そのものは大きく変わらなかった。
休み時間や昼休みなんかは三人でお喋りするけれど、研究の時間になるとアリアはいつもの場所で読書にふけってしまうのだ。
時折、私たちのいる図書室に顔を出すけれど、それは新たな本を借りに来る時だけだ。
もっとも、そんな時に私たちの研究を見せてあげると、彼女はとっても興味深そうにしていた。
だから私たちに興味がないとか、避けているとか、そういったものではないらしい。単に、本を読む時は静かなほうがいいというだけで。
あと彼女は、体育の授業は全て欠席だ。そもそも体が弱いらしい。でも最近では、私たちが運動場を走っていると、時々顔を出して応援してくれるようになった。
私たちは、アリアとの交流を楽しんでいた。セティからすると、他の女子生徒のように恋心全開で迫ってこないのが楽でいいらしい。私は私で、彼女とお喋りするのは楽しかったし。
そしてアリアも、私たちとの交流を楽しんでくれているようだった。
彼女はとても読むのが速く、そして記憶力も抜群だ。そんな彼女が法学の本を読み込み続けた結果、彼女の話はとても専門的になってしまっていた。
そんなこともあって、彼女は同世代の子供たちとは全く話が合わなくなってしまっていたのだ。普通に話せる友達ができて嬉しい、彼女はそう言って静かに喜んでいた。
教師たちは、「あの繊細なアリアと友達になれるなんて」と驚いていた。「これからも彼女と仲良くしてあげてね」とも言われた。
ずっとセティにご執心だったイリアーネは、ハンカチを噛んで悔しがっていた。
アリアがセティと親しくしているのが気に食わないらしい。でもそんな姿も可愛いなあと、うっかりそう思ってしまった。
女の子と一人、友達になった。たったそれだけのことを、こんな風に楽しむことができる。
やっぱり帝国は平和なんだなあ。そんなことを、思わずにはいられなかった。