6.新たな生活、新たな出会い
そうして、私は六歳になった。この帝国では、貴族の子女は六歳になったら帝城に隣接する学園に通うことになっている。それも、最低六年間。
そこで子女たちは同世代の人間たちと知り合い、勉学に勤しむ。充実した六年間だったよと、両親は口をそろえてそう言っていた。
帝国側の思惑としては、優秀な人材を育て、帝国への忠誠心をはぐくむと共に、有事の際は人質にするとか、そんな感じのものだと思う。
もっとも今のところ、帝国は貴族たちと仲良くやっているようなので、恐ろしい心配はせずに済みそうだった。
怖い考えはしまっておいて、これからの生活に思いをはせる。新しく仕立てられた制服の着心地を確認しながら。
学園には素晴らしい教師がそろっていて、必要に応じて魔導士に教わることなんかもできるらしい。それはとっても楽しみだった。魔法、もっと上達できるかな。
同世代の子供とは話が合わない気がするけれど、まあそこは適当に乗り切ろう。孤高を貫きつつ、ひたすら勉学に励んでもいいのだし。
そんなことを考えている私の周囲を、両親はぐるぐる回っていた。うっとりとした顔で。
「ああジゼル、なんて制服が似合うんだ……男子生徒が放っておかないぞ……今のうちに練習しておくか。『うちのジゼルは嫁にはやらん!』うん、こんな感じだろうか」
「あらあらあなたったら。気が早く……もないわね。こんなに可愛いんですもの。あ、そうだわ。今度、お抱え絵師に絵を描いてもらいましょう! この愛らしい姿、きちんと残しておかないと」
「それは素敵な思い付きだな、プリシラ!」
うちの両親はいつも通りだった。なんというか、あきれるのを通り越して安心できる。
ここは、帝都の閑静な一角にあるしゃれた屋敷の一室だった。学園に通うにあたって、一時的に引っ越してきたのだ。
今の私が生まれ育った屋敷は、帝都からは少々離れている。なので、そこから学園に通うのはちょっと難しい。
だから両親は、帝都に屋敷を買った。私は六年間両親と一緒にここで過ごし、ここから学園に通うのだ。
私のように、自分の領地からでは学園に通えない子女はたくさんいる。そういった者は親戚のところに滞在したり、あるいは学園に隣接する寮に入ったりする。
そしてごくたまに、こんな風に帝都に屋敷を買ってしまう親もいる。うちの両親はこの時を見越して、私が生まれてすぐに帝都の屋敷を探し始めていたのだった。用意周到だ。
「仮の住まいとはいえ、ジゼルが暮らす場所になるんだからな。いつもの屋敷と同じくらい、いや、それ以上に快適な場所にしたかったんだ」
「とっても素敵な屋敷が見つかったわね、レイヴン。頑張ったかいがあったわ。六年と言わず、もっと住んでもいいかもしれないわね」
「そうだね、プリシラ。ジゼルが学園を卒業したら、ここを別荘にしようか。ジゼルやその友達が気軽に遊びにこられるように」
「いい考えね。もしかしたら、ジゼルの恋人も来るかもしれないわ」
初めてこの屋敷に足を踏み入れた時、両親はそんなことを言ってはしゃいでいた。いつも通りちょっと浮かれ気味で暴走気味だけど、今回はそんな気持ちも理解できた。
ここは小ぶりではあるけれど、趣味がいい建物なのだ。住み慣れたあの屋敷を離れることに、ちょっと不安がないと言ったら嘘になる。でもここでなら、頑張っていけそうな気がする。
真新しい制服の袖を見て、まだはしゃいでいる両親を見る。自然と、笑顔になっていた。
そうして、いよいよ入学式の日になった。
私たち新入生は、学園の大広間に並べられた椅子に座っていた。その後ろでは、家族や付き添いの人たちが同じように座っている。
そして向かいでは、教師の代表らしい初老の女性が歓迎の言葉を述べていた。
彼女の周囲には他の教師たちもいて、こちらを温かい目で見守っている。たぶん、緊張している新入生を微笑ましく思っているんだろう。
今年の新入生は二十一名。みな、六歳になってから一年以内の子供たちだ。
貴族の子女ばかりということもあってきちんとしつけられてはいるけれど、それでも不安そうにもぞもぞしている者が多い。かしこまった空気が落ち着かないのだろう。
けれど当然ながら、私は落ち着き払っていた。だってそもそも、前世の私は成人していたのだし。内乱の果てに討たれたとはいえ、一応元女王だったのだし。
そうやってどっしり構えていたら、あいさつが終わった。そのまま教師に連れられて移動し、学園の設備について説明を受ける。家族や付き添いは玄関近くの待合室に向かうらしい。
座学の授業を受ける教室、魔法や武術を実践する訓練場、スポーツ用の運動場、様々な書物が集められた図書室、他者と交流する談話室、などなど。
一通りの説明が終わったところで、今日のところは解散となった。本格的な授業は明日からだ。みんなきょろきょろしながら、待合室へと向かっていく。
しかし私はそんな同級生たちの列からこっそり離れて、一人だけ別の方向に歩き出していた。
帰る前にもう一度、図書室を見物していこうと思ったのだ。別に駄目とは言われてなかったし。
迷うことなく図書室にたどり着いて、そろそろと扉を開ける。隙間から、じっくりと蔵書を眺めた。
さっきの大広間と同じくらい広い部屋に、大人の背丈よりちょっと低いくらいの本棚がずらりと並んでいる。
背表紙しか見えないけれど、やさしい読み物から分厚い図鑑、本格的な専門書まで、蔵書は様々な分野に渡っていた。
面白そう。気になる。読んでみたい。わくわくしながら、図書室の中を眺めていたその時。
ふと、視線を感じた。くるりとそちらを振り返ると、離れたところに新入生の一人が立っているのが見えた。
くるくると巻いた綺麗な栗色の髪に、水色の目をした可愛い男の子だ。そういえばあの子、学園案内の間も何回か私のことをちらちらと見ていたような。
彼は私と目が合うと、ひゅっと息を吸って身をこわばらせた。
「ああ……そうだ……やっぱり……」
目を大きく見張って、彼は私を食い入るように見ている。涙が一粒、その目からぽろりとこぼれ落ちた。
「エルフィーナ……様……」
今度は、私が呆然とする番だった。ちょっと待って、この子、今、なんて言った?
「ぼくは、あなたを……守りたかった。そのことだけは……ちゃんと覚えています」
いきなり前世の名前で呼ばれて、泣かれた。誰だろう、この子。
髪と目の色、そして面差しこそ前世の私と同じだけれど、この小さな私を見てエルフィーナだと気づくなんて。
もしかして彼は、前世の知り合いの誰かなのだろうか。年の頃から見て、彼も一度死んで生まれ変わったのかもしれない。
一生懸命記憶をたどり、彼に似たところのある人物を探してみる。
一人だけ、心当たりがあった。前世で私を守ってくれた騎士団長、彼は目の前の男の子と同じような髪と目をしていた。
「……ヤシュア?」
おそるおそるその名前を口に出してみた。けれど彼は、悲しげに首を横に振るだけだった。
「ごめんなさい、エルフィーナ様。覚えていないんです」
またぽろりと涙を流しながら、彼は説明する。
「今のぼくと、前のぼく。ぼくが二人いることは確かなんです。けれど、前のぼくが誰だったのか、何をしていたのかは覚えていません」
そろそろと彼に近づき、同じ高さにある顔をじっと見つめる。
ヤシュアに似ている気もする。でもちょっと、雰囲気が違う気もする。子供だから当然かもしれないけれど。
「でも、あなたの顔は忘れていません。一目見て、すぐに気づきました。あなたはぼくの主、女王エルフィーナ様だって。そして、あなたを守りたくて……守れなかったことも思い出しました」
「そうなの。あなたがヤシュアだったら嬉しいなって、そう思ったのだけれど」
前世で私に仕えていた騎士団長ヤシュア。彼は立場の違いなどものともせず、私にも気安く接してくれていた。国を立て直すために必死になっていた私にとって、彼の存在は数少ない心の支えだった。
「……ねえ。あなたもわたしと同じように、生まれ変わってきたのよね? 体は子供だけれど、心は大人?」
しょんぼりとしたままの彼にそう尋ねると、彼は黙ってこくん、とうなずいた。
「だったら、これから友達になってくれないかしら?」
その提案に、彼は目を見張る。ぽかんとした顔で、私をまっすぐに見た。
「その……ぼくが友達で、いいのでしょうか。エルフィーナ様」
「もちろんよ。でも、その名前はもう出さないで。何もかも、もう終わったことだから。今のわたしはジゼル。伯爵家の一人娘よ」
「はい。ぼくはセティ、侯爵家の息子です」
「あら、あなたの家のほうが上なのね。ふふ、なんだか面白い。たぶん前世のあなたは、わたしの配下の誰かだったのに」
「そうですね。……で、でもぼくにとってあなたは、今でもたったひとりの女王様です」
「ありがとう、って言っていいのかしら。ともかく、わたしが元女王なのは内緒ね。それと、『あなた』よりも『きみ』って呼んでもらったほうが自然でいいかも」
にっこりと笑いかけると、セティは顔を赤くして、それからまたうなずいた。
「じゃあ、玄関まで一緒に帰りましょ。わたしたち、もう友達なんだし」
そうして手をつないで、二人並んで廊下を歩く。
いきなり前世の名前で呼ばれた時は驚いたけれど、友達ができたのは嬉しい。それも、対等に話せそうな相手だし。
鼻歌交じりにスキップする私の隣で、セティはちょっぴり照れくさそうな顔をしていた。