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58.二人きりのバカンス

「あー、涼しい……だが、落ち着かない……」


 ある真夏の午前中、私とカイウス様は涼んでいた。帝都から少し離れた森の中にある、大きな湖の真ん中で。




 ゾルダーたちによる内乱の後、カイウス様はその後始末に追われ続けていた。ようやく一段落ついたと思ったら、もう夏になっていた。


「俺、皇帝なのに……この帝国で一番、こき使われている気がする……さすがにちょっと、つらいかもしれない……」


 実に二か月ぶりに帝城を脱走、ではなくお忍びで飛び出してきたカイウス様は、私と顔を合わせるなり、そう言って泣きついてきたのだった。


 確かに、あれ以来カイウス様は猛烈に働いていた。この辺りで少し、休息を取ってもばちは当たらないだろう。というか、さすがに休ませてあげたい……。


 でも、今までのように城下町をぶらぶら……というのは難しそうだった。


 やってやれないことはないだろうけど、城下町にはまだ混乱の跡が残っているかもしれない。カイウス様がそれを目の当たりにしてしまったら、ゆっくり休めるはずもない。休息を中断して、また帝城に戻っていきかねない。


 なので、私が一肌脱ぐことにした。半日だけ、カイウス様に存分にゆっくりしてもらう。そのために。


 まずは、鳥の召喚獣のみんなに頑張ってもらって、遊びにいくのによさそうな場所を探した。


 そしてそれと同時に、カイウス様が身軽に出かける口実を作った。


 幸か不幸か、あの内乱において私はこれでもかというくらいに大暴れして、解決に一役買った。……その前から目立っていたから、学園でも帝城でももうすっかり有名人になってしまっていて、正直背中がむずむずしている。


 ともかく、その立場を利用して、こんな口実を作り上げたのだ。『カイウス陛下はジゼル及びその両親と話すため、半日ほど彼女たちの屋敷に滞在する。あくまでも私的な滞在なので、至急の要件以外は邪魔をしないこと』と。


 まだまだ帝城はばたばたしているから、皇帝が帝都を離れたと知れば臣下に動揺が広がるかもしれない。だから、本当の行き先は内緒だ。


 その上で、両親には口裏合わせを頼んでおいた。ちょっと脱走してくるから、適当にごまかしておいてね、と。


 今のカイウス様を休ませるには、できる限り少人数で、静かなところがいい。それが、私の判断だった。


 そうして私はカイウス様と一緒に、大きな鳥の召喚獣に乗って湖を目指したのだった。




 湖のど真ん中に寝転がって、カイウス様がぼやく。ひざ丈のズボン型の水着だけを着て、上半身はむき出しだ。


 彼の体は、一見すると水の上に浮いているようでもあった。しかしよく目を凝らすと、彼の体のすぐ下に、何か透明なものが広がっているのが見える。


「スライムがいかだの代わりになるなんて、初耳だぞ……この乗り心地、癖になりそうだ……」


「わたしも知りませんでした。本人が言い出さなければ、たぶん一生知らなかったかも……」


 湖で水遊びをしようと決めた時、スライムが自主的にこの役目を買って出てくれたのだ。自分は水に触れるとひんやりするから、ただ乗っているだけでも楽しいですよと、そんな感じのアピールまでして。


 湖に着くとすぐに、スライムは岸辺でびよんと広がった。ちょうど、毛布を広げたみたいに。それからそろそろと、水面に向かってはっていった。


 水に浮かんだスライムに乗ると、ぷにょんとしてひんやりとして……最高だった。


 私たちはスライムの感触と打ちつける波を楽しみながら、こうして湖の中央近くを漂っていたのだった。


「ありがとうな。お前のおかげで、スライムの新しい可能性を次々見せてもらった気がするよ」


 スライムに向かってそう言うと、カイウス様がごろりと寝返りを打つ。そして、ばちゃんと水の中に落ちた。


「おわっ!!」


 カイウス様の姿が水に沈んだ……と思った次の瞬間、水の中から彼が勢いよく飛び出してきた。彼の体の下には、たくさんの魚。


 ちょうど魚の波に押し出されるようにして、カイウス様はぽんとスライムの上に戻ってきたのだ。


「ああ、びっくりした……スライムいかだの難点は、ちょっと端っこが見えにくいことかな。水もスライムも、どっちも透明だから、なあ……」


 濡れた髪をかき上げながら、カイウス様が目を瞬いている。


「ですね。魚の召喚獣のみんなを呼んでおいて大正解でした」


「助かったよ。……全身に魚がまとわりつくのは、何とも言えない奇妙な感触だったが」


 そうして彼は、ちょっと困ったように笑った。


「ジゼル。本当にお前には、世話になりっぱなしだなあ……」


「まあ、これでも元女王ですから。気配りとかは、それなりにできていると思います」


 湖の上にいるのは、私とカイウス様だけ。召喚獣のほかに、話を聞いているものもいない。だから、こんな話をしても大丈夫。


 あれこれの騒動を経て、エルフィーナとしての自分のこともきちんと受け入れられたからか、こんな風に軽口を叩く余裕も出ていた。


「そこなんだよなあ」


 ところがカイウス様は、急に難しい顔をしてしまった。


「せっかくお前が、優しい両親のもとに、何不自由なく暮らせる立場で生まれてきたっていうのに……」


「それが、何か問題でも?」


「そのこと自体は、問題ないんだ。むしろ俺は、天に感謝してる。不幸な最期をたどったあの人を、いいところに生まれ変わらせてくれてありがとうって、今のお前に出会ってからずっとそう思ってるよ」


 空を仰いで、まぶしい日の光に目を細めながら、カイウス様は続ける。


「ただなあ……せっかく子供時代をやり直せてるんだから、ちゃんと子供らしい幸せも味わって欲しいって、そう思うんだ。もっとわがままに、自由にさ」


「あの、私、普通に今の暮らしを楽しんでますが?」


 真面目そのものの態度でそう返したら、カイウス様はぎゅっと眉間にしわを寄せてこちらを見た。


「……お前、『普通』って言葉の定義、大丈夫か?」


 そう言われるとぐうの音も出ない。今の日常は私にとってはもう『普通』だけれど、はたから見ていたら何一つ『普通』ではないのだろうし。


 それでも言われっぱなしはちょっと悔しかったので、つんと顔をそらして言い返す。


「脱走皇帝に言われたくありません」


「ぐっ……! お前、言うようになったな……」


 苦しげにそう言って、カイウス様が頭を抱える。けれどやがて、私たちは同時にくすりと笑っていた。


「と、まあ、それは置いておいて」


 さっきまで楽しげに表情を変えていたカイウス様の顔に、ふっと影が差す。


「俺がふがいないせいで、ゾルダーの企みを見逃して、あんな大騒動を招いたあげく、お前にまで苦労をかけて……」


 そうつぶやきながら、彼はしょんぼりと背中を丸めた。


「本当に、迷惑かけた。大人として面目ない」


「……迷惑なんかじゃ、ないですよ」


 ちょこんと座り直して、カイウス様をまっすぐに見つめる。


「わたしは前世で、さんざん無力感を味わいました。国のため、民のために必死で働いて、でも、何一つ報われなくて……」


 カイウス様が、のろのろと顔を上げた。


「でも今は、大切なものを守るために、色んなことができる。それが、とっても嬉しいんです」


 私が普通の子供だったら、カイウス様にこんなバカンスを贈ることはできなかった。ううん、それ以前に、あの内乱を止めることもできなかった。


 学園から逃げ出すこともできずに、そのままゾルダーたちに捕まって、人質になって。そしてもしかしたら、あの内乱が成功してしまったかもしれない。


「だから、遠慮なんてしないでください。わたし、あなたのためにできることがあるのが、素敵なことだって思ってますから」


 そう言って、心からの笑顔を向ける。カイウス様はぽかんとした顔で私をじっと見ていたけれど、やがて泣きそうな笑みを浮かべた。


「……さっき、お前がいいところに生まれ変われたことに感謝、って言ったけどな、もう一つ感謝しておくべきことがあった」


 彼の笑みが、晴れ晴れとしたものに変わる。


「お前と俺をもう一度出会わせてくれたことにも、感謝だ」


「そうですね」


 短く答えながら、ふと思い出した。かつてエルフィーナだった頃に出会ったあの少年も、こんな笑顔を浮かべていたな、と。あの、星降る夜に。

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