53.三年生、新しい第一歩
ゾルダーたちの騒動の後始末も大体終わって、ようやく学園が再開することになった。
帝都が落ち着くまで、生徒たちの多くは実家に帰ってしまっていた。それにカイウス様や文官たちも、ずっと後始末に追われていた。
そんな訳で、学園の再開がすっかり遅れてしまっていたのだ。
いつもなら春早い頃、まだ肌寒い中入学式と進級式が行われる。でも今年は三か月遅れて、初夏の式典となった。
冬用の制服ではなく夏用の半袖の制服をまとい、私たちは帝城を行進していた。これからみんなで、皇帝カイウス様に謁見するのだ。
先の騒動で、子供たちにも迷惑をかけた。直接会って、そのわびを述べたい。そんなカイウス様の意向によるものだった。
入学から背も伸びて、みんな制服を新調していた。真新しい夏服で、ちょっぴり浮かれた足取りで進む。
皇帝陛下への謁見なんて初めてだからか、同級生たちは明らかに緊張している。そんな姿をちらりと見て、隣のセティとこっそりと笑い合った。
みんなにとっては雲の上の皇帝カイウス様は、私たちにとっては気さくな先輩カインさんで、そしてあの騒動を共に戦った仲間だ。
最近カイウス様は忙しくしているから、こうやって顔を合わせるのは久しぶりだ。元気にしているかな。また、前みたいにお忍びで遊びにいきたいな。
そうやって歩きながら、自然と先日のことを思い出していた。
その日、カイウス様は帝城の奥にある私室に私たち三人を呼びつけて、とびきりおいしいお茶とお菓子をふるまってくれた。
息抜きに付き合わされているのだろうと思った私たちは、行儀よく、でも和やかにお喋りしていた。
そうしたらカイウス様が、いきなりこう切り出したのだ。
「なあ、ジゼル、セティ、アリア。お前たちはどう思う?」
どう、って、一体何のことだろう。お菓子やティーカップを手に困惑する私たちに、カイウス様はとうとうと語って聞かせてきた。
「宰相と騎士団長がな、二人とも降格処分を望んできたんだよ。この騒動を防げなかった責任を取るんだって言って。どうにかこうにか自害を止めたはいいが、やはり納得していなかったらしい」
私とセティは大人の心を持っているし、アリアは年の割に大人びていて法律に異様なまでに詳しい。でも、さすがにまだ八歳の子供にする話ではないような気がする。
「あいつらはあいつらなりに頑張ってきたと思う。単に、ゾルダーのやつが一枚上手だったってだけで。俺だって、見事に不意を突かれた訳だしな」
本当にゾルダーは、腹が立つくらいに頭の切れる男だった。皇帝がもっとぼんくらだったら、帝位を奪うことにも成功していたかもしれない。
「仕方ないんで、二人の申し出を一時受け入れた。折を見てまた元の役職に戻すつもりではあるが……」
カイウス様は深々とため息をついてうなだれた。エメラルドグリーンの髪が、さらりと揺れる。
「おかげで俺は忙しくてかなわない。あいつらが抜けた分のつけが、まとめてこっちにやってくるんだぞ。冗談じゃない」
「……ええっと……お疲れ様です」
困りながらそうあいづちを打つと、カイウス様は突然胸を張った。
「で、俺は打開策を思いついた。それについて、純粋な子供たちの新鮮な意見が欲しいんだ」
そう言ってカイウス様は、心の中で温めていただろう計画を話し始めた。
皇帝のすぐ下につき、皇帝を支える宰相、騎士団長、魔導士長。その三役が今、全て空席になってしまった。
この機会に、その三役とその周囲について見直そうと思う。
三役に与えられる権力を分散させて、彼らが暴走した時、配下たちが未然に止められるようにする。そんな仕組みを作ろうと思うんだ。
「具体的には、三役のすぐ下に複数の部門長を置き、彼らに『上を止めるための権力』を持たせる。三役を飛び越えて皇帝に直訴できる仕組みも作る」
ふんふんと同時にうなずく私たちを見渡して、カイウス様はさらりと付け加えた。
「で、お前たちにその部門長見習いをやってもらいたいんだよ」
お茶を吹き出さなかったのは奇跡だと思う。それくらいに、カイウス様の提案はめちゃくちゃだった。
「ジゼルは召喚魔法の研究部門だな。皮肉な話だが、前の騒動でお前の魔法の腕は広く知られることとなった。反対する奴なんていないさ」
私が反論するより先に、カイウス様が言葉を重ねる。
「で、今度機械弓を専門に扱う部隊を結成しようと思うんだよ。セティの機械弓、あれなら非力な者や女性でも扱える。腕っぷしはないが国を守りたい、そんな人材が活かせる」
あまりのことに目を白黒させているセティから、その隣でおびえているアリアへ。カイウス様の視線は、次々移り変わっていく。
「で、文官の数も足りない。騎士団と魔導士、物理的に強い彼らをけん制することを考えると、な。アリア、お前はあの騒動の時も、その知識で俺たちを助けてくれた。……どうだ? 法務部門に顔を出してみるというのは」
泣き出しそうになっているアリアをかばうように身を乗り出して、大あわてでカイウス様をにらむ。
「でもわたし、単に大きな子を呼んだ経験が多いってだけで、別に他の魔導士よりすごくはないと思うんですけど」
「あの時白いワシを呼んだあの謎の魔法陣、あんなものを描ける魔導士はいないぞ」
ゾルダーとの決着をつけた日、無我夢中で呼び出した大きな白いワシ。
あの時私が何をしたのか、実はいまだに分かっていない。気になってはいたものの、何となくそのまま放置していたのだ。
あの魔法陣の正体をうかつに解明してしまったら、また大騒ぎになって悪目立ちしそうな気がして。
口ごもってしまった私の前に、焦り気味のセティが割り込んできた。
「お言葉はありがたいのですが、その……あの機械弓はあくまでも、ぼくが大きくなるまでの一時しのぎのもので」
「実は既に、要望が出てる。帝城で働くメイドたちが、今回のような事態に備えて武装したいと言っていてなあ。威力を落として、くしゃみ矢を装填する。これならそう危険でもないし、いいだろ?」
あっさりとセティも言いくるめられてしまった。最後に残ったアリアが、両手を口に当てて震えている。
「……わたし……こわい……」
「大丈夫だ。文官のおじさんおばさんはみんな優しいぞ。アリアなんか、子……というより孫みたいなものだしな。それに文書の形で残されていない裏話なんかも、たくさん聞けると思うが」
その言葉に、アリアの目がきらりと光る。まだ泣きそうな顔をしているけれど、彼女は明らかにカイウス様の話に興味を持っていた。
もう一度私たちを見渡して、カイウス様がにやりと笑う。
「そんな訳だから、今後ともよろしくな。研究の時間を、ちょっぴりこちらに割いてくれればいい」
召喚魔法を使い続けていれば、どうせまたあの謎の魔法陣と向き合う必要が出てくるだろうし、いい加減腹をくくるべきかもしれない。
そう考えて、小さくうなずく。
セティとアリアも、同じようにうなずいていた。それを見たカイウス様の笑みが深くなる。
「はは、帝国の未来は明るいな。こんなに優秀な子供たちがいるんだから」
たいそう得意げなその顔にちょっぴり腹立たしくなって、小声でつぶやく。
「自分だってまだ若者なのに」
口をとがらせていると、聞こえるか聞こえないかのかすかな声で、セティがそっとささやいてきた。
「そうですね。子供と若者が、協力して未来を創っていくんです。ぼくたちの主君がこんなお方でよかったって、そう思います」
「わたしも、生まれ変わったのがここでよかった」
アリアはカイウス様と話していて、私たちのそんな会話には気づいていないようだった。
彼女にあれこれと文官たちの話をしてやりながら、カイウス様がそっとこちらに向かって目をつぶってみせる。
どうやらこれからも、予想外のことが色々起こりそうな予感がする。でもまあ、こないだの騒動みたいなことにならないなら、いいか。
気づけば自然と、笑みが浮かんでいた。セティも、アリアもカイウス様も、みんな笑顔だった。
そんなことを思い出している間にも、私たちは大きな扉をくぐり、謁見の間に案内されていた。きちんと並んでひざまずき、じっと待つ。
さやさやという衣擦れの音が奥からやってきて、玉座に腰かける。
「みな、面を上げよ」
堂々としたカイウス様の声に、生徒たちがばっと顔を上げる。緊張しているのが丸わかりで、とっても微笑ましい。
彼らのそんな姿を見ていたら、胸がじわりと温かくなってきた。やっと元の日常にもどってこられたんだって、そう心から思えた。
「みなが無事にこの夏を迎えられたことを、我は嬉しく思う。我の不徳ゆえ、先日は恐ろしい目にあわせてしまった。まことに済まぬ」
皇帝としての古めかしい口調で、カイウス様が生き生きと語る。その声音には、ちょっとだけカインさんを思わせるものがあった。
「我はそちたちが心安く過ごせるよう、皇帝として力を尽くす。先の騒動のようなことが、二度と起こらぬよう」
同級生たちは、みんな感激した顔でカイウス様を見つめている。
「そちたちは大いに学び、交流し、遊べ。それが、子供の仕事だ」
そう語るカイウス様の口元には、とてもおかしそうな笑みがかすかに浮かんでいる。何か企んでいる時の表情と、よく似ている。
両隣のセティとアリアも、こっそりと笑っていた。二人に笑い返してもう一度前を向くと、金色の目を優しく細めたカイウス様と目が合った。
カイウス様は大きく息を吸い、軽やかに、そして大きな声で叫んだ。
「さあ、楽しい夏の始まりだ!」
急に様子の変わったカイウス様に、みんなは目を真ん丸にしている。そんな彼らを尻目に、私たちはにっこりと笑ってうなずいた。
開けられた窓から、さわやかな風が吹き込んできていた。わくわくするような緑の香りをのせて。




