5.ちょっと変わった親子団らん
そうして、私も五歳になっていた。日に日に体が大きくなっていくのが実感できるような気がするくらいに背が伸びた。
そろそろ、礼儀作法の基本を覚える年頃になっていた。けれど私は、行儀作法や教養を既に身に付けていた。
とはいえ、いきなり完璧なところを見せたりしたらさすがの両親も怪しむかもしれないので、一度だけ先生のお手本を見て、それを完璧に覚えたふりをした。
うちの子、天才。そう言って大はしゃぎする両親の姿に、ちょっと罪悪感を覚えはした。
けれど、それを押してでもやりたいことがあったのだ。礼儀作法のけいこなんかに、時間を取られたくない。
そうして私は、空いた時間を丸ごと魔法の練習にあてていた。
大きい魔法陣が書けない問題は依然として立ちはだかっていたけれど、ひとまずそれは後回しにして、まずは基本の魔法陣を練習することにしたのだ。
召喚魔法を使う際に描く魔法陣は、召喚獣が異世界からこちらの世界へとやってくるための門のようなものだ。
異世界とこの世界をつなぐ魔法、呼び出す相手を指定する魔法、その他色々な魔法を重ね合わせることで魔法陣は完成する。
ただ、狙った召喚獣をきちんと呼び出せるかには、ある程度運とか相性も関わっているらしい。それと、魔法陣のできばえも。
なんでも異世界では、召喚獣たちが魔法陣をじっくりと確認して、召喚に応じるかどうかを判断しているらしい。もっとも召喚獣たちと話はできないので、本当かどうかは分からないけれど。
ともかく、魔法陣を正しく描き、かつその魔法陣を召喚獣が気に入ってくれれば、召喚獣は魔法陣を通ってこちらの世界に来てくれる。
これらの知識は、新しく手に入れた召喚魔法の専門書から得た。皇帝カイウス様が、謁見直後にうちまで届けてくれたものだ。おかげですっかり夜更かし癖がついてしまったけれど。
そうやってあれこれと学び、さらに試行錯誤を繰り返しているうちに、ある程度狙った種類の召喚獣を呼べるようになってきた。
そうして今日は三人一緒に、屋敷の外に出かけていた。私の練習の成果を確認するついでに、ピクニックをすることにしたのだ。
「召喚獣に乗って遊びにいける日が来るなんて、思いもしなかったわ。……本当にジゼルはすごいのねえ」
「そうだね、プリシラ。私たちの自慢の娘だよ」
今私たちは、額に角の生えた小ぶりの白馬に乗っていた。一頭に一人ずつ、くらも手綱もなしで。普通の馬なら難しいけれど、召喚獣ならこんなことも可能だ。
私はこの角馬たちを呼ぶにあたって、まず脚立を用意した。そうして上のほうに乗って魔法陣を描き始め、上から順に魔法陣を完成させつつ、順に下に降りていった。
そうしてできあがった、縦に細長い楕円形の魔法陣。それをくぐって、この角馬たちはやってきた。
なんでこんな狭いところをくぐらなきゃならないんですか、と言わんばかりの、ちょっぴり恨めしい目で見られてしまったけれど。
それはともかく、こうやって角馬に乗って草原を駆けているのはとても楽しかった。前世では王の一人娘だった私は、そもそも馬に乗ったことすらなかったから。
なぜこうやって生まれ変わることができたのかは分からないけれど、そのおかげで日々楽しいし、新鮮なことばかりだ。魔法が使えるようになったし、馬にも乗れたし。
皇帝陛下と知り合うことができたのも面白くはあるけれど、これはいいことなのか悪いことなのかは分からない。前世のこともあるし、できれば権力からは離れていたいと、そう思うから。
小さく微笑みながら、そっと胸元を押さえる。服の下には、皇帝カイウス様から贈られた首飾りがある。
あの方は、私は好きに生き方を選んでいいのだとそう言ってくれた。その言葉はとても嬉しい。
でもあの時、陛下の様子がちょっとおかしかったような? 『もう自由なのだから』って、どういう意味だろう。
感慨にひたりつつ首をかしげていると、父レイヴンのはしゃいだ声が聞こえてきた。
「プリシラ、ジゼル、ほら、着いたぞ! 速いなあ、この素敵な馬は!」
今日の目的地は、海を見下ろせる見晴らしのいい崖だ。私たちは昔から、よくそこにピクニックに来ているのだ。もちろんいつもは、馬車に乗って。
私たちを乗せた角馬たちが、崖から離れたところで止まった。
そこは、馬車が数台止められるくらいの広さの草地になっている。前方は崖で、その向こうに海が広がっていた。目が覚めるような海の青と、どこまでも高い空の青。
角馬から降りて、崖の縁のほうに立つ。目の前の何もかもが青く染まっていて、とても美しい。
「さあ、ジゼル、まずはご飯にしましょう!」
母プリシラの呼びかけに、くるりと振り返ってそちらに向かう。
草地の真ん中に薄いじゅうたんが敷かれ、その上に料理の入った箱がいくつも置かれていた。両親がここまで、ピクニックの道具を背負って持ってきたのだ。
靴を脱いでじゅうたんに上がり込み、ちょこんと座る。すぐさま、両親は次々と料理を勧めてきた。
「ほらジゼル、あなたこのレーズンのパン好きだったでしょう? バターサンドにしてもらったのよ」
「育ちざかりは、やっぱりお肉を食べないとな! お肉たっぷりのミートボールだ。ジゼルのちっちゃなお口でも食べやすいように、小さめに作ってもらったんだよ」
用意されていた料理は、全部私の好物だった。私の喜ぶ顔を想像しながら、両親はこの料理を選んだのだろう。食べる前から、自然と笑みが浮かんでくる。
それから三人で、和やかにお喋りしながら料理を平らげていく。
ふといたずら心を出して、ミートボールを父レイヴンの口元に差し出し「パパ、あーんして」って言ったら、彼は喜びのあまり本気で泣いていた。母プリシラは「次、ママもお願い!」と目を輝かせていたけれど。
やがて料理も食べ終えたので、みんなでじゅうたんの上に寝転がって空を見上げた。遠くから、波の音が聞こえている。
「あのね、パパ、ママ」
そうしていたら、ふと言葉が口をついて出た。今、言っておかなければならないことがある。強くそう感じた。
「わたしね、パパとママのこどもでよかった。ありがとう」
次の瞬間、しっかりと抱きしめられていた。右には父レイヴン、左には母プリシラ。二人は涙ぐみながら、私の頭に頬を寄せていた。
「礼を言うのは私たちのほうだよ、ジゼル。私たちの娘に生まれてくれてありがとう」
「ええ。あなたが生まれてから、私もレイヴンも毎日が幸せでいっぱいなの。ありがとう、幸せを連れてきてくれた、私たちの小さな天使さん」
その言葉を聞いていたら、一気に涙がこみ上げてきた。前世のあまりにも空しくて寂しい最期からは想像もつかないくらいに、自分が幸せなのだと実感して。
私、もっともっと魔法の勉強を頑張ろう。それ以外のことも、もっと勉強しよう。大切な両親を、守っていけるように。
そう決意しながら、自分を抱きしめている両親の腕にそっと触れた。
そうやってみんなでひとしきり騒いでから、私たちはそろって崖のふちにいた。崖の下に広がる砂浜まで、ちょっと行ってみようということになったのだ。
とはいえ、崖に直接刻まれた階段は狭くて危ない。という訳で、また召喚獣の力を借りることにした。
私の背丈くらいの魔法陣からよちよち歩きで出てきたそれが、ばさりと翼を広げる。綺麗な青色の、大きなワシだ。三羽が列になって歩いているところは、ちょっと可愛い。
鳥の召喚獣を呼ぶ時は、その鳥が飛んで抜けられるような大きさの魔法陣を描くのが一般的だ。でもやっぱり私には小さなものしか描けないので、申し訳ないけれど歩いてもらうことにした。
案の定、ワシたちは不服そうな顔をしていた。ごめんねと言って頭を下げたけれど、彼らの表情は変わらない。それでも、お願い自体は聞いてもらえそうだった。
角馬たちには上の草原で待っていてもらって、親子三人で崖の下に降りる。ワシの足をつかんで、空中を滑るようにして降りていくのだ。この大きさのワシだと、背中には乗れないし。
「うわああ、さすがにこれはちょっと怖いな!」
「大丈夫よレイヴン、私たちの愛娘の魔法なのだから、絶対に大丈夫!」
そんなことを叫び合っている両親の声が、ちょっと震えている。仕方もないか。この崖は、ちょっとしたお城くらいの高さがある。下には砂浜、そして綺麗な青い海。
と、私たちを砂浜に向かってまっすぐに降ろしていたワシたちが、同時に海のほうに向かっていった。
どうしたんだろうと思ったその時、彼らはぽとりと私たちを落とした。浅瀬に。
あっけにとられていると、すぐに両親が駆け寄ってきた。盛大に、水しぶきを上げながら。
「ジゼル、無事!?」
「どうしたんだ、何が起こったんだ!?」
「……しかえしされた」
一応足はつくから溺れることはないけれど、波がばんばんと顔面に打ちつけてきて目が痛い。抱き上げてくれた母プリシラに、目をこすりながら答える。
青いワシたちは知らん顔で、近くの砂浜に整列していた。気のせいか、崖の上から角馬の笑い声がしたような。
「仕返しって、何の?」
「……まほうじんがちっちゃくって、通りにくかったって」
ワシたちをにらみつける私を見て、両親が明るく笑った。みんなずぶぬれだけれど、気にしている様子はない。
「ふふ、失礼なワシさんね。ジゼル、大きくなったら見返してあげなさい」
「そうだな。うんと大きくて立派な魔法陣を描いて、ワシたちを驚かせてやればいい」
「大人のジゼル……きっと、とびきりの美女になっているんでしょうねえ」
「今でもこんなに可愛いんだからな」
「パパ、ママ、話がずれてるよ!」
本当にこの二人は、私のこととなるとすぐおかしくなる。しかし二人はこれでもかなり有能な当主夫妻なのだから、本当に世の中は分からない。
それでもいいか、と気を取り直す。ちょっと変わっているけれど、二人は私の大切な両親で、私は今とっても幸せなのだから。
母プリシラの首にしっかりとしがみついて、足でぱしゃぱしゃと水を跳ね上げる。心からの明るい笑い声を上げながら。