49.最後の悪あがき
カイウス様の号令に、貴族たちの私兵と、こちらについた騎士たちが一気にゾルダーに殺到した。
少し遅れて、研究生たちが魔法や剣を構えながら駆け寄っていく。
「お前らごときに、捕まってたまるものか!!」
ゾルダーはそう叫び、中庭の奥に走っていく。そこを守っていた兵士たちを、まとめて魔法で吹っ飛ばしながら。
ルルのリュックに指輪をきちんとしまい、いったん異世界に帰す。
中庭にはもう、元の静けさが戻りつつあった。両親が兵に命じて後片付けをさせているのを、ぼんやりと見守る。
あとはこのまま、ゾルダーが捕まるのを待っていればいい。消耗し切ったゾルダーなら、みんなに任せていても大丈夫だろう。
……でも、ただ待っているのは嫌だ。私にできることなんてないけれど、せめてゾルダーが捕まる瞬間だけは見届けたい。そんなことを、思ってしまった。
前世の私に、最後の不幸をもたらした人物。彼がきちんと捕まって、もう私には何も手出しできなくなったのだという、そんな確信が欲しかったのかもしれない。
ふらふらと、ゾルダーたちが消えていったほうを目指す。と、後ろからどたどたという大きな足音が聞こえてきた。
何だろう、と振り向くより先に、ひょいと腕をつかまれる。そのまま体が力強く持ち上げられた。
「お前も行くんだろう? 乗せていってくれるってさ」
気がつくと私は、カイウス様と二人で子ドラゴンの背に乗っていた。
子ドラゴンは軽やかな足取りで中庭を駆け抜け、開けっ放しになっている扉から城の中に飛び込んでいった。
背後からは、いってらっしゃい、というセティの声、気をつけて、という両親の声が聞こえてきた。ぎゃあうう、という母ドラゴンの声も。
そちらにぺこりと会釈して、また前を向く。広い帝城の廊下には、負傷して追跡隊から離脱したらしい騎士や兵士がところどころに座り込んでいた。
どうやらゾルダーは、逃げながらばんばん風の刃を飛ばして追っ手を蹴散らしているらしい。今のところ、みんな軽傷なのが救いだ。
「どんどん城の中央から外れていくな……あいつ、どこを目指しているんだ?」
すぐ後から、戸惑い気味のカイウス様の声がする。
「この先に、何があるんですか?」
「そうだな、塔くらいか……。有事の際なんかは物見の兵を置くが、今は誰もいないし何もない。あんなところに行ってどうする気だ?」
「空を飛んで逃げる……のは難しいですよね。風を操って飛ぶ魔法って、かなり上位でしたし、魔力もたくさん必要ですし。あの指輪はルルごと異世界に逃がしましたから、そちらを利用される心配もないですし」
首をかしげながら、どんどんドラゴンを走らせる。ゾルダーがどっちに行ったかは、兵士たちが教えてくれた。
そうして、帝城の中をぐねぐねと走る。やがて、ドラゴンが足を止めた。
「……本当に、塔に昇っていっちゃったみたいですね……」
私たちの目の前には、ぽっかりと口を開けている石の階段の入り口。
ぐるぐるとらせんを描いているせいで、上がどうなっているかは分からない。そもそもこの階段、人が二人並んで通るのも難しいくらいに狭いし。
最後に兵士に道を教えてもらってからここまで、脇道は一切なかった。だからゾルダーはこの先にいるはずなんだけど、それにしてはやけに静かだ。
「ひとまず、追いかけてみよう。ここまで運んでくれて、ありがとうな」
カイウス様はドラゴンの首をぽんぽんと叩いてから、俊敏な動きで床に降り立つ。そうして私に手を差し出さそうとして、ふと動きを止める。
「……この分だと、おそらくこの先でゾルダーとまた一騎打ちになる。危ないから、お前はここで待っていてくれ」
「いいえ、わたしも行きます」
即座にそう答えて、彼の目をまっすぐに見つめる。ドラゴンの背に乗った私よりも下にある、強い光を宿す金色の目を。
ああ、あの時から彼は変わっていないな。ふとそんなことを思った。エルフィーナだった私をダンスに誘った幼いカイウス様の、きらめく目を思い出す。
「過去の私に、けりをつけるため。これからのわたしが、前を向いて生きていくため。見届けたいんです」
「……ああ。じゃあ、俺のそばを離れるなよ」
あいまいな私の言葉を、それでもカイウス様はちゃんと理解してくれたらしい。
彼は優しく微笑んで、もう一度私に手を差し伸べてくれた。その手を取って、一緒に石の床に降り立つ。
そうして、さっきまでの騒動が嘘のように静まり返った塔の中を、二人で慎重に登っていった。
「これはこれは陛下、まさかあなたが一番にお越しとは。光栄至極に存じます」
この帝城の中で一番高い、塔のてっぺんの小部屋。そこはつくりといい大きさといい、ちょうどあずまやのようになっていた。
ガラスのはまっていない窓がずらりと並んでいて、とっても風通しがいい。というか、強い風が吹き荒れている。
そこで私たちを待ち受けていたゾルダーは、さっきまでとは妙に様子が違ってしまっていた。
まるで以前の、魔導士長としてカイウス様のそばにいた頃の彼を思わせる優雅で気取った仕草で、彼は深々と一礼した。
彼についた騎士たちは、もうみんな取り押さえられている。じきに、私たちを追いかけて味方の兵士や騎士たちがここにやってくる。彼にはもう、どこにも逃げ場なんてないのに。
何だか、とっても嫌な予感がした。胸騒ぎといってもいいかもしれない。
カイウス様もただならぬものを感じたのか、私をかばうようにして半歩だけ進み出た。
「ゾルダー、そちの手の者は全て我が配下が捕らえた。観念して、おとなしく縄を受けるがよい」
「おや、私を捕らえるおつもりでしたか。なんと慈悲深きお方。反逆の徒など、この場で切り捨てられて当然と、そう考えておりましたが」
「我は血なまぐさいのは好まぬ。知っておろう。こうして大勢の決着もついた今、無駄に血を流す必要はない」
こんな状況にそぐわない静かな会話に違和感を覚えながら、必死に周囲に目を走らせる。ゾルダーが伏兵を隠している様子はないし、窓の外も異常はない。
どうやらゾルダーは、特に策略のたぐいを隠し持っているようではなさそうだった。
けれどそのせいで、彼の行動が余計に分からなくなってしまう。だってこれでは、彼は袋のねずみだ。
狙って逃げ込むにしては、ここはおかしな場所だ。うっかり逃げ込んでしまったにしては、奇妙なほど落ち着き払っているし。
「ああ、ジゼル君は困惑しているようですね。よければ、その疑問に答えて差し上げましょう」
不意に、ゾルダーがそんなことを言った。優雅な笑みを浮かべていたその顔が、醜い引きつれたような笑顔に変わる。
「私がここに来た理由、それはつまり、こういうことなのですよ!!」
ゾルダーが、腕を大きく横に振り払った。さっきの風の壁よりずっと小さな、けれど同じくらいに荒れ狂った風がわき起こる。
それは私とカイウス様を包み込み、押し出した。窓の外へと。
「私にもう勝ち目はありません。ですが、ただ負けっぱなしというのも面白くありません。ですからわざと、ここに逃げ込んだのです。責任感の強いカイウス様であれば、きっと自らここに乗り込んでこられるだろうと踏んで」
調子はずれの笑い声を上げながら、ゾルダーが愉快そうに体を揺すっている。
私とカイウス様は窓の外、何もない宙で、魔法の風に包まれながらしっかりと抱き合っていた。お互いを守るかのように。
「さようなら優しき皇帝カイウス様、そして天才少女ジゼル!!」
叫ぶゾルダーの後ろに、遅れてたどりついたらしい兵士たちの姿が見える。兵士たちはゾルダーを取り押さえ、こちらに向かって手を伸ばす。
でも、その時もう魔法の風は消えていた。私たちはそのまま真っ逆さまに、落ちていくほかなかった。




