46.皇帝選定の儀、改め大乱闘
中庭に駆け込んできた叫び声の主、それを見た私は思わず口を開いていた。
「……ママ? どうしてここに?」
「やっぱりあなたたちだけをこんな危険なところに行かせるなんて無理! 絶対無理よ!」
中庭に駆け込んできたのは、母プリシラだったのだ。白と赤の乗馬服に身を包んで、立派な白馬にまたがって。
白馬の王子様みたいだと、状況も忘れてそんなことを思う。
「プ、プリシラ、少し待っておくれよ。帝城の中を馬で駆け抜けるなんて初めてで、というかおそれ多くて」
母の後ろからは、ちょっとげっそりした顔の父レイヴンも現れた。栗毛の馬に乗って、ためらいがちに手綱を取っている。
「あなた、そんなこと言って、私たちの可愛いジゼルに何かあったらどうするの! 悔やんでも悔やみきれないわ!」
その言葉に、父がしゃきんと背筋を伸ばす。おどおどとさまよっていた目が、力強く輝いた。
「そうだね。私が間違っていたよ、プリシラ。皇帝選定の儀の決まりよりも、陛下の御前であるという事実よりも、何よりも優先すべきなのはジゼルの安全だったね!」
「分かってくれて嬉しいわ、あなた! 愛してる!」
「私も愛しているよ、プリシラ!」
突然始まったこんなやり取りに、今度はゾルダーたちだけでなく私たちもぽかんとするほかなかった。
なんというか、この場にそぐわないにもほどがある光景に圧倒されてしまった……というか、緊張がそがれてしまって。
「……前から思ってたんだが、お前の両親、中々に癖があるな?」
「カイウス様だって、人のことは言えないと思います」
「かもな。お前、そういう人間につくづく縁があるんだな」
隣のカイウス様とこそこそささやき合っていたら、さらに多くの足音が後ろからなだれ込んできた。
さらにやってきたのは、てんでばらばらの格好をした兵士と魔法の使い手の集団だった。ゾルダーが引き連れている兵士たちよりも、さらに数が多い。
彼らはドラゴンを見てぎょっとしていたが、私たちが落ち着き払っているのを見てどうにか叫ばずに済んだようだった。
「あ、あいつらってうちの兵士たちだ」
「俺の家のもいる」
「すっごい数だな……というか、どうしてこんなとこまで来てるんだ?」
と、今度は私の周囲から、ばらばらとそんな声が聞こえてきた。声の主は、さっき合流したばかりの研究生たちだ。
どうやら両親が率いてきたのは、あちこちの貴族の私兵のようだった。でもどうして、こんなことに。
「あの、パパ、ママ」
ちょっぴり呆然としながら、馬上の両親を見上げる。二人とも私を見て、とろけるように優しい笑みを浮かべた。
「どうしたの、ジゼル? あなた、ドラゴンも呼べるようになったのねえ。すごいわあ」
「えへ、ありがと……じゃなくて、どうしてパパとママ、それに兵士さんたちがここにいるの?」
その言葉に答えたのは、父だった。
「帝城から命からがら逃げ出してきた文官を、帝都の隣町にいたうちの使用人が助けたんだよ」
どうやらそれは、私が両親に最後の連絡――帝城に乗り込んで決着をつける日を伝えるため――をした後に起こったことのようだった。
「その文官が『ゾルダーは選定の儀の決まりを守るつもりはない。可能な限りの兵力を帝城に忍ばせ、名乗り出た候補者たちを皆殺しにするつもりだ』と教えてくれたんだ」
明るい声で、母も説明を加える。
「だから私たち、周囲の貴族たちに片っ端から声をかけて回ったの」
状況から言って、準備にあてられる時間はかなり少ない。それなのにこれだけの戦力を集めてきたとは、やはりうちの両親は有能なのだろう。
「ゾルダーはまともにルールを守るつもりはない。大切な子供たちが戦いに巻き込まれる可能性もある。だからその前に帝都に突っ込んで、子供たちを助けにいきましょう、って」
「そうしたら、思いの他たくさんの貴族が兵を貸してくれてね。ここにいる以外にも、学園や帝城に軟禁されている子供たちの救助に向かった兵もいるんだ」
見れば、周囲では心温まる光景がたくさん繰り広げられていた。
追いついてきた兵士たちが、自分の主の息子や娘を見つけては無事を喜び、また別の兵士たちは、自分の主の子女が軟禁されているであろう場所を聞いてそちらに駆け出していった。
「……子は我に力を貸さんとし、親はそんな子らを守ろうとする。思いやり助け合う心というのは、美しいものだ」
その様を見て、カイウス様がしみじみとつぶやいている。そんな彼に、ゾルダーがまた声をかけてきた。
「……どうやら、のんびりと語り合っている状況でもなくなったようですね?」
ゾルダーの額には青筋が浮いている。明らかに、激怒している。そのくせ顔は笑っているのだから中々の迫力だ。
「ああ。我も、まどろっこしいのは好きではない。我とそちの間で決着をつけるとしよう。候補者の一騎討ち、といったところだな」
まるでその言葉を合図にしたかのように、突然辺りが騒がしくなった。
ゾルダーが従えていた騎士と兵士たちが、一斉にこちらに襲いかかってきたのだ。
普通の状況だったら、こちらが明らかに不利だっただろう。あちらには騎士たちがいる。彼らはそこらの兵士よりもずっと強く、しかも統率が取れている。
しかしながら、今回ばかりは彼らも実力を発揮できていなかった。
ゾルダーにそそのかされたらしい騎士たちも、さすがにカイウス様その人や女子供に剣を向けることには抵抗があったらしい。
その隙をついて、研究生たちや貴族の私兵が遠くから容赦なく魔法を浴びせている。それから数人一組で一人の騎士を囲み、袋叩きにして縛り上げて、はい完了。
そうやって、みんなは協力して騎士たちを一人ずつ行動不能に追い込んでいったのだ。
そしてゾルダー側の兵士たちは、もっとたやすかった。二頭のドラゴンにすっかりおびえていたところに、貴族の私兵たちが増援としてやってきた。
そんな状況に、彼らはすっかり戦意をなくしてしまっていたのだ。あっちこっちで、武器を放り出して降参している兵士の姿が見られた。
乱闘の中で怪我をした者も、回復魔法を使える者たちが手際よく治している。おかげでこちらの士気が下がることもなく、みんなで元気よく騎士を片付けていた。
今、美しい中庭は大騒ぎの大乱闘の真っ最中だった。そしてありがたいことに、私たちに有利に事が進んでいた。
こちらは心配ないだろう。あとは、カイウス様とゾルダーだ。乱闘に巻き込まれないように気をつけながら、二人のほうに近づいていった。
二人は中庭の真ん中で、激しく打ち合っていた。カイウス様は国宝の剣を振り回し、ゾルダーは風の刃をいくつも操っている。
「おや、お強いことだ。これならもっとたくさんの野良召喚獣を呼び寄せて、さっさと帝城を落としておいたほうが良かったかもしれませんね」
「野良召喚獣、だと?」
「ええ。先日の騒動も、私の差し金だったのです。今回の内乱の下準備のために、帝城をいったん混乱させる必要があったので」
「……そんなことのために、未来ある子供たちを危険にさらしたのか」
カイウス様が、低い声でうなる。ゾルダーから距離を取って剣を握り直し、短く言った。
「……もう一つ、聞かせろ」
「何でしょうか? あなたと話すのもこれで最後になるでしょうし、答えて差し上げますよ」
「先ほど、騎士ヤシュアが妙なことを言っていたのだが……八年前の王国の内乱、その際に裏で糸を引いたのはそちなのだと。それはまことか?」
「ええ。あの王国は、我が帝国の領土をさらに拡大するためには邪魔でした。あそこを取り込みさえすれば、その向こうの国々にも手を伸ばすことができる。放置するなど、ありえないでしょう」
いつもと同じ、優雅で気取った口調。まるで天気の話でもしているかのように気軽に、ゾルダーは王国を滅ぼした理由を語る。
は、と小さく息を吐く音が聞こえた。カイウス様だ。彼の金色の目に強い光がともり、らんらんと輝き始める。
「……それだけの理由で、お前はエルフィーナ様にあんな最期を迎えさせたのか……お前だけは、絶対に許せない!!」
カイウス様の口調が変わった。さっきまでの悠々とした皇帝のものではなく、生き生きとした感情をにじませた青年のものへ。
豪華な国宝の剣を両手でしっかりと握りしめ、カイウス様は体ごとゾルダーにぶつかっていく。
「お前だけは、俺がこの手で!」
「おや、あなたにそんな覇気があったとは、思いもしませんでした」
突っ込んできたカイウス様の剣を、ゾルダーは魔法の風の刃であっさりとはじく。そうしてゾルダーは、余裕たっぷりに笑った。
「あなたは能力こそ高いが、帝国をより強く、大きなものにするという気概には欠けていた。どうして先帝陛下は、こんなものを次の皇帝に選んだのか。私は、今でもそれが理解できないのです」
ゾルダーの声に、次第に嘲笑の響きが混ざってくる。
「しかも、あんなちっぽけな王国の、最後の女王のことを妙に気にかけておられるようですが……彼女は、ただの敗者ですよ? 彼女は私の策略の前にあっけなく敗北した。それだけの存在だというのに」
「黙れ!!」
カイウス様が叫んでいる。怒りと悲しみをのせて。剣が刃こぼれするんじゃないかというくらいに激しく、風の刃に叩きつけている。
その声が、胸に突き刺さる。
怒れる民が押し寄せたあの日、私があきらめなかったら。どんな手を使ってでも逃げ延びて、生き抜くのだと決意したなら。
そうすればカイウス様も、こんな風に嘆かずに済んだのだろうか。少なくともセティ……リッキーは、死なずに済んだだろう。
……ううん、悔やんだところで何も変わらない。変えられるのは、未来だけだ。
ゾルダーを倒して、カイウス様を改めて皇帝の座につかせる。そのために、ここまでやってきたのだ。過去の傷も苦しみも、今は考えない。
ひとまず、カイウス様を止めなくては。冷静さを失ったまま戦うのは危険だ。ゾルダーはきっと、そこにつけこんでくるから。
でも、どうしよう。あそこに割り込んで二人を引き離せそうな召喚獣に、一つだけ心当たりがあるにはある。
実体のない精霊たち、それも風の精霊を呼べばいい。
ただ、うまくいく自信はない。精霊たちはとびきり気難しいのだ。初対面の精霊をいきなりこんな騒がしいところに呼び出したら、へそを曲げてしまうかもしれない。
そうなったら最悪、この場が大混乱に陥る恐れもある。それは避けたい。
「……援護射撃も難しそうですね……煙玉の矢も、うっかり当たったら大変ですし」
私の隣では、追いついてきたセティが悔しそうに顔をゆがめている。彼も、私と同じようなことを考えていたらしい。
ゾルダーは、思っていたよりずっと俊敏だった。剣術の鍛錬をしているカイウス様と、互角以上に激しく動き回っている。
二人の立ち位置がくるくると激しく入れ替わっていくせいで、うかつにセティが手出しをしたらカイウス様を傷つけてしまいかねない。
「すぐ動けるように構えておくしか、ないみたいね……もどかしいわ」
仕方なく、二人並んでじっと戦いの行方を見守る。いつの間にか、私たちの周囲は静かになっていた。




