44.前世の因縁を踏み越えて
重々しい口調とは裏腹に、軽い足取りでカイウス様が進み出る。
その動きにあっけに取られたのか、騎士たちの反応が少し遅れた。
その隙をついて、一気に手を動かす。
描きかけの魔法陣を完成させて一気に魔力を注ぎ込むと、魔法陣はぱたぱたと広がっていって、あっという間に特大の魔法陣になった。
私の身長の何倍もあるそれは、まるで光る壁のようだった。
「う、うわあ!」
騎士たちの情けない叫び声が上がる。それもそうだろう。その光る魔法陣をよいしょとくぐって出てきたのは、赤くて大きなドラゴンだったのだから。
ドラゴンは私の顔を見て、あいさつでもするように首を小さく振った。
「……ドラゴン、呼べたんですね……もしかして、こないだ学園に出たあのドラゴンですか?」
さっきまでヤシュアを見すえていたセティが、目を丸くしてドラゴンをちらりと見た。あっけに取られているらしい。
「そうなの。帰還の魔法陣を教えてもらったから、それを分析すれば召喚の魔法陣も描けるかなって。うまくいってよかった……あれ?」
今度は私が驚きの声を上げる番だった。まだ空中に浮いていた魔法陣が、内側から引き延ばされるようにしてびよんと伸びたのだ。
そうして中から、ドラゴンの首がにょきっと生えてくる。さっき呼んだ子より二回り以上大きくて、同じような赤いうろこがみっしりと生えている。
やがて、その全身が現れた。ものすごく大きい。というか、怖い。
「……誰?」
「なんだ、お前も分からないのか?」
カイウス様がカインさんの口調で、こっそりと話しかけてくる。
こくんとうなずいたその時、制服の胸元からひょっこりとルルが顔を出した。そして二頭目のドラゴンに向かって、小さな鼻先を向ける。
ちゅー。ぐおあああ。ちゅ、ちゅ。がおお。
緊迫したこの状況には全く似つかわしくない、のどかな鳴き声と大きな叫び声が交互に響く。
それからルルは近くの物陰に駆け込んで、こっそりと旗を振った。
「……二頭目のドラゴン、お母さんなんだそうです……」
私がそう言うと、全員がぽかんとした顔になった。セティやカイウス様だけでなく、ヤシュアや騎士たちまで。
「こっちの世界に呼ばれたまま帰れなくなっていた息子を無事に帰してくれたお礼に、手伝ってくれるそうです……」
二頭のドラゴン。その迫力に、ただぽかんとすることしかできなかった。ついさっきまでの緊張も、消し飛んでいた。
あちらは、ヤシュアたち騎士十人。こちらは、私とセティとカイウス様、そしてドラゴン二頭。ルルは危ないのでまた制服の中に押し込んだ。
「……これで負ける訳は、ないよなあ……というか、何もしなくてもいいんじゃ……」
ぼそりとささやくカイウス様。まったくもって同感だ。何だかとんでもないことになってしまった。
「だが、一つだけ片付けておかなくてはな。セティ」
「はい。おともします」
セティが機械弓を構え、カイウス様が国宝の剣をまっすぐ前に向ける。
二人の視線の先には、明らかにうろたえて真っ青になっているヤシュア。
他の騎士たちはみんな腰を抜かして、へたり込んでいた。はいつくばったまま逃げようとしている者もいる。
「……この状況で腰を抜かしておらぬか。ふむ、その点だけは評価してやろう、身の程知らずの愚かな騎士、ヤシュアよ」
ついさっきまで、ヤシュアは勝利を確信していた。私がドラゴンの召喚に成功しても、まだその笑みは崩れていなかった。
騎士が十人がかりなら、ドラゴンの隙をついてカイウス様を討つこともできるだろうから。彼らの目的はカイウス様を倒すこと、それだけだから。
でもさすがに、母ドラゴンまで来てしまったこの状況では、彼らに勝ち目はひとかけらもない。
ヤシュアが憎しみもあらわに私を見つめ、何事か叫びながら突っ込んでくる。そこに、すっとカイウス様が割り込んできた。
続いて、横のほうからひゅんという音がした。やけにゆっくりと、ヤシュアが崩れ落ちていく。
音がしたほうを見ると、機械弓を構えたセティがいた。とても凛々しい顔をしている。まるで、騎士のような。
「ふむ、そちに手を下させるつもりはなかったのだがな」
「いいえ、陛下の宝剣をこのような者の血に染めさせる訳にはいきません。それに今ぼくが放ったのは、しびれ薬を塗った毒矢です。彼をどう処分するかは、陛下にお任せいたします」
やけに礼儀正しく、二人はそんなことを話している。そろそろとのぞき込むと、地面に倒れたままのヤシュアが見えた。
ぴくりとも動かないけれど、まだぶつぶつと何か言っているのが聞こえるし、確かに死んではいない。
「……処分はこの騒動を片付けてから、法にのっとって決めよう。ああ、だが内乱なんぞ、実に数百年ぶりではないか。どのような決まりになっていたか、もう覚えておらんな」
「それについては、きっとアリアが力になるでしょう」
「そうだな。ならばそちらについても心配はいらんか。では」
国宝の剣の切っ先を下げて、カイウス様はヤシュアに近づいていく。
「……お前を裁くのは、あくまでも法だ。だが、それとは別に、俺は絶対にお前を許さない」
カイウス様はすっと片足を高く上げ、それから勢いよく振り下ろす。うつ伏せに倒れたままの、ヤシュアの背中に。
「エルフィーナ様が受けた痛み、ほんの少しだけど返してやるよ!」
ごつん、という鈍い音と共に、ヤシュアが静かになる。それをまたぐようにして、カイウス様は帝城の奥へと進んでいった。
「さようなら、兄さん。落ちこぼれと呼ばれた僕ですが、裏切り者の汚名よりはずっとましだと、そう思います」
静かにそう言って、セティがカイウス様のあとに続く。
私もあわてて、二人を追いかけた。
ヤシュアとすれちがう時に、おそるおそる彼のほうをちらりと見る。乱れた栗色の髪の下に見える顔には、やはりかつての面影があった。
かつて女王であった頃、よく見ていた顔。執務が辛い時に、私の一番近くにいて支えてくれた人。
でもそれは、嘘だった。私を裏切ったのは、彼だった。
処刑台に立った、あの時のことを思い出す。どうしてこうなったのか、それすらどうでもいい。あの時のそんな虚しさとよく似た何かが、胸の中に満ちていく。
と、制服の胸元からルルが出てきて、肩に上ってきた。
それからその小さな手を、私の頬に当ててくる。彼は濡れた私の頬を、一生懸命ぬぐってくれていたのだ。
「……ありがとう。わたしは大丈夫。一人じゃないから。……今はもう、一人じゃない」
心配そうに顔をすりよせてくるルルのふわふわした毛が、どんどん濡れていってしまう。
後で洗ってあげたほうがいいかなと、ふとそう思った。こんな状況にはまるで似つかわしくないそんな考えに、自然と笑みが浮かんできた。
セティとカイウス様は何も言わず、ただ私と一緒に歩いてくれていた。
私たちはカイウス様を先頭に、どんどん奥へと歩いていく。
「ゾルダーがいるとしたら中庭だろうな。そこに候補者を集める、という体裁で、その実待ち構えているのは罠だ」
カイウス様は帝城の構造を熟知していて、そしてゾルダーの性格についてもそこそこ知っている。そんな彼は、きっぱりと言い切った。
「あいつは用意周到なたちだからな、万が一候補者志望の人間が殺到したら、ってところまで考えてるだろうさ。備えも万全にしているはずだ」
「備えるって……候補者が正式に立候補する前に追い返すとか、そういうことですか?」
「ああ、お前の言う通りだよ、セティ。さっきから誰も見かけないのに、兵士が伏せられてるような気配がする。隠れても、俺の耳はごまかせないぜ」
そこまで話したところで、カイウス様がおかしそうに小さく笑って振り返る。
「ただまあ……俺たちに手出しをしようなんて、命令されてもちょっと従いたくはないよなあ。物陰にいる誰か、たぶん恐怖で震えてるぞ。鎧がかちかち鳴る音がするんだ」
そう言って、彼はドラゴンの親子を見る。それから私に向き直って、目を細めた。
「……つくづく、お前といると面白いことばかりだよ。……ジゼル、お前にまた出会えてよかった」
セティも、足を止めて私に向き直った。ちょっと誇らしげな笑みで。
「ぼくも、こうしてあなたのそばにいられてよかったです。前世での僕の努力を神様が見てくれていたのかなって、そう思います」
カイウス様は、セティの前世について詳しくは知らない。セティは、かつてカイウス様とエルフィーナが出会っていたことを知らない。
でも二人は、それらの事情を確かめるよりも、私のことを気遣ってくれている。前世で信頼していた相手に裏切られた、私のことを。
「……ありがとう。わたしも、二人に出会えてよかった」
その言葉に、今度は後ろから返事が飛んできた。かつて助けてやった子ドラゴンの嬉しそうな鳴き声に、誰からともなく笑い声が上がる。
そうして私たちは、さらに歩き続けた。これからが本番なのだと分かっていても、自然と足取りが軽くなっていくのを感じながら。




