43.ある忠臣の記憶
「さあ、皇帝選定の儀、その候補者として名乗りを上げにきてやったぞ」
城門をくぐりながら、カイウス様が叫ぶ。その両隣に、私とセティを従えて。
カイウス様によれば、今日の朝から皇帝選定の儀が執り行われるのだというおふれが張り出されていたらしい。
そしてそこには、候補者たらんとする者は帝城の正門をくぐり、そのまま奥に向かうようにとも書かれていた。
けれどそのおふれが張り出されていたのは、帝城と、その周囲にある貴族の住む区画だけだった。
力のある者が皇帝になるべきだ、血筋など関係ないと言っておきながら、ゾルダーはこの皇帝選定の儀について、平民には何一つ説明しないままだったのだ。
だから下町にひそんだままの私やセティの耳には、そんなことは少しも聞こえてこなかった。
かろうじて、帝城の近くまで偵察に出ていたウサネズミたちが、兵士たちの噂話を聞きつけたくらいで。
ゾルダー、血筋は問わないとか言っておきながら、結局生まれで差別しているんじゃないの。
あきれた気持ちを隠す気にもならず、いつもよりちょっと大股に足を進める。
やがて、最初の広場にたどり着いた。と、帝城の奥から十名ほどの人間がやってきて、私たちの前に立ちはだかった。騎士たちだ。
「どうぞお引き下がりください、カイウス様。ここで退いてくださるのであれば、無傷でお帰しいたしますと、主よりの伝言です」
騎士たちの先頭に立っていたヤシュアが、朗々とそう言い放つ。私とセティが、同時に息をのんだ。
今ヤシュアは『主』と言った。そしてそれは、カイウス様のことではないらしい。
彼は主君を見捨てたのだろうか。まさか、そんな。彼に限って、そんなこと。
何か弱みでも握られたのだろうか。親しい人を、人質に取られたのかもしれない。
混乱し切って呆然とする私をちらりと見て、カイウス様は落ち着いた声で言葉を返した。
「主、か。つまりそちらはゾルダーについたと、そう解釈していいのか?」
「はい、カイウス様。どうしてもここを通られるのであれば、私たちを退けてからになさってください」
あまりにもあっさりと、そして平然とヤシュアはそんなことを言っている。私の知る彼からは想像もつかない態度だった。
ヤシュアは無口で不器用で、でも忠誠心あふれる青年だった。
王国が滅びたあの内乱を彼も経験しているはずなのに、それなのに内乱を引き起こす側につくなんて。ありえない。
「しかしそもそも、ゾルダーは内乱を起こした大罪人である。我はそう判断しておるが?」
あちらは騎士が十名ほど、こちらはカイウス様と子供が二人。自分たちが有利だと信じ切っているのか、ヤシュアは悠々と答えた。
「ええ。その通りです。ですがもとより私の主は、ずっと前からゾルダー様なのですよ。あの方の命により内乱を起こすのも、これが二度目ですし」
彼は、今何を言ったのだろう。内乱を起こすのは、初めてではない。どういう意味、なの。
「ほう……これが二つ目の内乱とな。ならば、一つ目は何だったのだ?」
いつになく淡々と問いかけるカイウス様。獲物をいたぶる猫のような顔で、ヤシュアは答える。
「俺は、ずっと不満だった。あんなちっぽけな王国で、世間知らずの女王のご機嫌を取りながら生きていくのかと思ったら、ぞっとした」
彼の顔は、ひどくゆがんでいた。彼が抱えていた不満の強さを、そのまま表すように。
「そんな俺の不満を、ゾルダー様は見抜いてくださった。俺はゾルダー様の策に乗り、王国を滅ぼした」
記憶の中の、ヤシュアの顔がよみがえる。
彼は、誠実な人だった。私の悩み事を、嫌な顔一つせずに聞いていてくれた。あれは、あの優しさは、偽りだったの?
「この内乱、いや革命が成功すれば、ゾルダー様が皇帝となられる。そのあかつきには、俺は騎士団長としてゾルダー様をお支えするのだ」
ああ、私はなんて見る目がなかったのだろう。片腕とも思っていた相手がこんなことを考えていたというのに、気づきもしなかった。
だから、あんなことになってしまったのだ。
「まさか……兄さんがそんなことをしていたなんて」
震える声が、横のほうから聞こえてきた。
ヤシュアが目を細めて、そちらを見る。彼の視線の先には、セティがいた。まっすぐに、食い入るようにヤシュアを見つめている。
「……気味が悪くなるくらいに、リッキーのやつに似たガキだな」
「……はい。兄さん。僕はリッキーです。正確には、その生まれ変わりですが」
「生まれ変わりだと!? そんなものがあるものか……いやしかし、似ている……それに、いたずらにしては手の込んだ……」
眉をひそめて考え込んでいるヤシュアの視線が、今度は私の上で留まる。
「……そうすると、こっちのチビは……まさか……」
「僕たちの主、エルフィーナ様です」
きっぱりと言い切るセティの声を、ヤシュアのがさつな笑い声がかき消す。さっきまでとは違うふてぶてしい態度で、彼は言い放った。
「なんだ、お前はまだ女王様の尻を追っかけてたんだな、リッキー。お前がどうして死んだのか、忘れたのか?」
ヤシュアの声は奇妙にうわずっていて、そしてひどく愉快そうだった。
「さらされてた女王の首を持って逃げようとして、見張りに射殺されたんだったな。全く、愚かにもほどがある。落ちこぼれらしい最期ではあったが」
喉の辺りまでこみ上げてきた悲鳴を、ぎりぎりのところでのみ込む。
そんな、そんなのってない。首なんて、放っておけばよかったのに。私のせいで。
「ええ。覚えています。僕はどうしても、そうしなくてはならなかった。いつまでもあんなところに、エルフィーナ様を置いておきたくなかった」
セティはとても落ち着いた声で、そう答えている。
彼は以前、前世の自分の最期については覚えていない、と言っていた。でもそれは、嘘だったのだ。
真実を知れば、私が悲しむ。だから彼は、思い出せないということにしていたのだ。彼の優しい嘘に、胸が苦しい。
「愚か者はそちらでしょう。守るべき女王陛下に反旗をひるがえしたあなたに、どうこう言われる筋合いはありません」
「ふん、お前が本当にリッキーだというなら、一つ教えろ。なんでお前は、そこまであの女王を強く慕ってたんだ? まともに会ったことすら、ないはずだろう」
気のせいか、ヤシュアも少し動揺しているようだった。その声が、かすかに震えている。
一方のセティはどこまでも落ち着き払ったまま、淡々と答えている。
「……あれは、僕が一人で見回りをしていた時のことでした。敵など来るはずのない、王宮の隅っこの、崖に面した回廊で」
セティが一歩、ヤシュアのほうに進み出た。かつての兄の顔を、まっすぐに見すえたまま。
「こんなところを見張るなんて馬鹿馬鹿しいと言って、同僚たちはどこかに行ってしまいました。そうして一人で警備を続けていたら……エルフィーナ様が通りがかられたんです」
穏やかなセティの語りに、その場の全員が注目していた。ヤシュアも、他の騎士たちも、カイウス様も、そして私も。
「エルフィーナ様は、『こんな遅くまでありがとう。私がこうやって暮らしていけるのは、あなたたちのおかげね』と言って微笑みかけてくださったんです」
そんなことがあっただろうか。覚えていない。
きっと前世の私は、通りすがりに兵士の姿を見て、何の気なしに声をかけたのだろう。けれどそのせいで、リッキーは。
「……まさか、それだけか?」
「はい。理由なんて、それだけで十分です」
ヤシュアはぽかんとした顔で固まっていたけれど、やがて冷や水でも被ったかのようにぶるりと身を震わせて、剣を抜いた。
「……ちっ、お前がリッキーだろうがそうでなかろうが、もうどうでもいい。カイウス様につくなら、お前はただの敵だ」
それを合図とするかのように、他の騎士たちも剣を抜き、こちらに向けてきた。
セティも無言で、背負っていた機械弓を構える。今すぐにでも戦いが始まりそうな空気だ。
あちらは大人の騎士が十人、こちらはカイウス様とセティ、それに私だけ。
でも、負ける気はしなかった。今日のために、特別な魔法陣を用意してある。
手のひらの中で、こっそりと魔法陣を描き始める。騎士たちに見つからないように、でも素早く。
と、ずっと黙っていたカイウス様が口を開いた。
「さて、そちたちの事情は理解した。ではそろそろ、進ませてもらうぞ。とっととゾルダーを捕まえて、仕置きをせねばならぬからな」




