42.皇帝陛下と帝都の民と
セティとうなずき合い、いったんばあちゃんの手を放して、目の前の人垣に飛び込んでみる。その向こうで起こっている言い争いに、興味があったのだ。
人をかきわけながらのぞき込むと、役人らしき人物と、その後ろに兵士が二人いるのが見えた。妙にうろたえた表情だ。
その役人と向かい合うようにして立っているのは、筋骨隆々の壮年の男性が四人。こちらは平民だ。
彼らは明らかに何かに怒っている。もし喧嘩になったらこっちが勝つんだろうな。
「だから、救民院を閉鎖ってどういうことだ!!」
「これは皇帝陛下じきじきに作られたって聞いたぞ!」
男たちの叫びに、周囲の人垣からそうだそうだ、と声が上がる。役人は冷や汗をぬぐいながら、手にした書類を読み上げた。
「ええとですね、『現在、皇帝カイウス陛下は行方知れずである。よって帝国法に基づき、今は宰相、魔導士長及び騎士団長が合議の上陛下の代理を務める』ということになっているのですよ」
「じゃあなんだ、その宰相? とかなんとかいう連中が、ここの閉鎖を決めたって!?」
「え、ええまあ、そういうことになりますね。ともかく、この情報をここまで届けるのが私の役目です。私相手にすごまれても、どうしようもありませんので……」
役人は明らかにおびえきっている。兵士たちは、そっと腰の剣に手をかけていた。
まさに一触即発、このままだとどうなるか分からない。本格的にもめる前に、止めたほうがいいだろう。
前にカイウス様を探してくれた蝶の大軍を呼べば、この場を混乱させることくらいはできるかも。あれなら、手のひらに収まるくらいの魔法陣で呼べるから、こっそり描けるし。
隣のセティも、袖口をごそごそといじっていた。彼は左腕に、改良した機械弓を取り付けているのだ。たっぷりした袖であればすっぽり中に隠せてしまうような、とてもきゃしゃで小さなものだ。
これだけ小さいと、さすがに威力はほとんどない。でも煙玉なんかの特殊な効果を付与した矢を使えば、色々と役には立つ。ちょうど、学園から脱出した時みたいに。
セティとうなずき合い、身構える。私たちが進み出ようとしたまさにその時、場違いに軽やかな声が割って入った。
「まあまあ、みんな落ち着けよ。そのかわいそうな役人さんをいじめても、何も良くならないぜ?」
いったいどこから現れたのか、役人と男たちの間にカイウス様が立っていた。とてもくつろいだ雰囲気で、苦笑を浮かべている。
「ところで役人さん、ちょっと聞いてもいいかな。ここの閉鎖を決めたのは宰相たちだって?」
まるで世間話でもするかのような口調で、カイウス様が役人に話しかける。その様子に、男たちの勢いもそがれているようだった。
「さ、先ほど申し上げた通りです」
「ふうん? 皇帝陛下がちょっと留守にしてる間に、お偉いさんが好き勝手やってるってことか? これ、陛下が知ったら怒りそうな気がするが」
「わわ、私はただ、職務を果たすだけで」
「それは分かるけどさ、馬鹿正直に閉鎖を伝えにきたら大騒ぎになるって想像できなかったのか?」
しどろもどろになる役人を、カイウス様が質問攻めにしている。
そうしているうちに、カイウス様に見事にやり込められて目を白黒させている役人に向けられている周囲の視線が変わってきた。
怒りを含んだとげとげしいものから、ほんの少しの同情をはらんだ生温かいものに。
どうやら、周囲の人々は落ち着きを取り戻したらしい。それに気づいたのか、カイウス様は辺りをぐるりと見渡した。
そして役人に背を向け、周囲の人々に明るく言った。みんなを元気づけるような、そんな弾んだ声で。
「みんな、そう心配するな。どうやらこの救民院はいったん閉鎖するみたいだが、皇帝陛下が戻ってくればすぐに再開するさ。だからちょっとの間だけ、不便を我慢しないとな」
何一つ根拠を示していないその言葉に、驚いたことにみんなあっさり納得してしまったようだった。
カインのやつがそう言うんなら、そのうち何とかなるんだろ、などと言いながら。
そうこうしているうちに、ぴりぴりした空気も自然と和らいでいった。
役人たちが逃げるようにして立ち去っていき、男たちもカイウス様と少し話して帰っていく。
集まっていた人々も、それぞれ元の仕事に戻っていった。その間を縫うようにしてカイウス様がこちらにやってくる。
「よう、お前たち。言いつけを破ってばあちゃん家から出てたのか。中々に悪い子だな? こっそり身構えてるお前たちを見た時は、ちょっと肝が冷えたぞ」
「あたしが連れ出したんだよ、カイン坊や。別に危険もなにもありゃあしないじゃないか。ちょっと言い合いになってただけで」
後ろから追いついてきたばあちゃんが、ちょっと納得していない口調で言い返す。
「それがそうでもないんだよ、ばあちゃん。ここが危険っていうより、こっちの二人が危険っていうか」
「なんですかそれ」
カイウス様の物言いに、つい割って入ってしまう。
「だってお前たち、あの場を力ずくでどうにかしようとしてただろ? こんなところでそんな物騒なものを使ったら、目立っちまう。それはまずいだろ? 特にジゼル。お前、帝城では有名人だからな」
そう言われてしまうと、ぐうの音も出ない。セティと二人ちらりと視線を見交わして黙り込む。
「おやおや、こんなちびっこが力ずくで争いを止める? ……まあ、カイン坊やの遠縁なら、そういうこともあるかもねえ」
ばあちゃんはばあちゃんで、あっさりと納得してしまっている。それで納得するなんて、カイウス様、たぶん過去に大暴れしてるんだろうな。
ともかく、いったん家に戻ろうとカイウス様が言い出して、そのままみんなで来た道を戻る。
「しかし、陛下が行方不明、ねえ……」
その道すがら、ばあちゃんがぼそりとつぶやいた。
「五年前に今の陛下が即位されてから、どんどん暮らしやすくなってる。長く生きてるあたしからしても、一番いい陛下だよ。心配だねえ……」
「大丈夫だよ、ばあちゃん。じきに陛下も戻ってくるって」
自分のことを話されているとは少しも感じさせない軽い口調で、カイウス様が答える。けれどばあちゃんは、やはりあっさりと納得したようだった。
カイウス様の言葉には、不思議な重みがある。どんなに突拍子もないことでも、彼が言うのならそうなのだろうと、聞く者にそう思わせる何かがあるのだ。
うん、やっぱり私にとって皇帝陛下はこの人しかありえない。もう一度あの玉座に座るこの人を見るために、頑張ろう。
黒髪をなびかせながら軽やかに歩くカイウス様の横顔を見上げながら、決意を新たにした。
それからしばらく、カイウス様とセティと三人で、ばあちゃんの家にお世話になった。
ただ居座るのも悪いからと、私は積極的に家事を手伝った。慣れない台所で一人前に料理をこなす私を見て、ばあちゃんは目をむいていた。
そしてばあちゃんに気づかれないようにルルたちを呼び、城下町の偵察に向かわせた。さらに小鳥の召喚獣にお願いして、両親やアリアと連絡を取り合った。
カイウス様は朝食後家を出て、日が暮れる頃戻ってくるようになった。一日中、何かを調べているらしい。
セティはばあちゃん家の近くで、住人たちを相手に色々と聞き込みをしていた。
時折三人で外出して、集まった情報をもとに作戦を練っていった。
じりじりと決戦の時が近づいているのを感じながら、私たちは準備を進めていた。
そうして、半月ほど経ったある日。
「よし、いよいよ作戦決行だ。ジゼル、セティ、頼りにしてるぞ」
私たち三人は、帝城の正門の前に立っていた。カイウス様は逃げ出した時に着ていた私服に、私とセティは学園の制服に着替えて。
普段はきっちりと閉ざされている門は、今は大きく開け放たれていた。
たったそれだけのことが、やけにまがまがしく思えた。




