41.帝都潜入
そうして私たちは、帝都に取って返していた。カイウス様、私、セティの三人だけで。
アリアは両親と共に私の家に残ってもらったし、召喚獣たちもいったん全員帰還させた。
私たちは使用人たちに調達してもらった平民の服に身を包み、夜の闇に紛れるようにして黒い大鳥に乗っていたのだった。
ゾルダーがどう動くか分からないし、今帝都がどうなっているか分からない。
だからひとまず帝都に戻って、しばらく情報収集するべきだろうと、そういうことになったのだ。
私たち三人だけなら、何かあっても召喚獣たちに頼めば速やかに逃げられる。それに、多少荒っぽいことになっても何とかなるし。
ドラゴン相手に死闘を繰り広げたことを思えば、人間の兵士くらい大したことはない。そう言って、どうにか両親を説き伏せた。
「よし、その辺で降りよう。そこからは歩きだ」
帝都から少し離れた、木々が生い茂っている辺りを指して、カイウス様が言う。そこに降り立って、黒い大鳥を異世界に帰す。
「そうしたら、その辺の薬草を摘んでくれ。こいつと同じやつだ」
そろそろ夜が明け始めていて、明かりなしでも周囲が見えるようになっていた。カイウス様が白く小さなつぼみを付けた草をむしって、こちらに見せてくる。
どうしてそんなことをするのかな、と思いながら、ひとまず言われた通りにみんなで草を摘む。
カイウス様がなぜか私の家から持ってきた小ぶりのざるが、すぐにいっぱいになった。
「うん、三人いると速くていいな。よし、行くぞ」
やっぱり訳の分からないまま、ひとまずカイウス様についていく。
じきに、城下町を取り囲む塀に突き当たった。近くには、荷車一台通るのがやっとといった小さな門がある。
「よ、通してくれよ」
そこの門番をしている兵士に、カイウス様は気軽に声をかける。門番は難しい顔をして腕を組んだ。
「なんだ、カインか。よりによってこんなご時世に、帝都を出てたのか?」
どうやらこの門番とカイウス様は顔見知りらしい。とても気安く話している。彼が皇帝陛下だと知ったら、門番は卒倒するかも。
「ちょっと、友人のところに遊びにいってたんだよ。ついでに、ばあちゃんの薬草も採ってきた。だからここ数日、ずっと帝都を留守にしてたんだ。やけに深刻な顔してるが、何かあったのか?」
「あったなんてものじゃないな。大きな声じゃ言えないが、内乱だぞ内乱。お前、戻ってこないほうが良かったかもな」
声をひそめて、門番は深刻そうにささやいてくる。
「内乱って、どういうことなんだ? 驚いたな」
「んー、俺は下っ端だからよく知らないんだがな。今帝城は立ち入り禁止だし、帝都への人の出入りも厳しく監視されてる。そのせいでどこもかしこも大混乱だ」
そう言って門番は、私とセティをちらりと見る。
「というか、この子たちは誰なんだ? お前の連れってことは、もしかして貴族の子か?」
「実はそうなんだ。俺の遠縁の子でな、帝都の平民の暮らしに興味があるってんで、ちょっと見学させることにしたんだが……」
カイウス様が、とっさにどんどん話を作っている。とんでもない方向に脱線しない限りは、そのまま話を合わせておいたほうがよさそうだ。
「下町の見学か。今はお勧めしない……と言いたいところだが、下町のほうは大体いつも通りだからな。帝城に近づかなければ大丈夫だと思うぞ」
「そうか。情報ありがとな。じゃ、通るぜ。あ、そうだこれ」
すれ違いざま、カイウス様が門番に小さな袋を渡す。
袖の下の金貨……にしては袋が軽そうだなと思っていたら、門番がぱっと顔を輝かせた。
「おお、例の薬草か。お前は質のいいやつを見つけてくるのがうまいからな。恩に着るぜ。これがあると、二日酔いしなくていいんだ」
「だからと言って、飲みすぎるなよ。奥さんが嘆いてたぜ?」
そんな会話を交わして、三人で早朝の町に足を踏み入れる。笑顔の門番に見送られながら。
「……前に城下町に繰り出した時も思いましたけど、カインさんって、不思議なくらいに町になじんでますよね……」
「だろう? この辺なら、『我』の顔を知る人間はまずいないからな。という訳でこれからしばらく、この辺で潜伏するぞ。泊めてくれそうな心当たりがあるんだ」
「それってもしかして、『ばあちゃん』のところだったりしますか?」
「正解だ、セティ。ばあちゃんは子供好きで、口も堅い。俺も皇帝になる前はちょくちょく無断外泊させてもらったし、お前たちのことも歓迎してくれるさ」
無断外泊する皇族。それも下町の老女のところに。カイウス様が何かと型破りなのは知っていたけれど、ここまでくるともう何が何だか。
「じゃあさっきの薬草は、そのばあちゃんへの手土産なんですか?」
「ああ。ばあちゃんは年の割に元気なんだが、少々腰が痛むようになってな。この薬草から作った湿布薬がよく効くんだよ」
そんなことを話していたカイウス様が、一軒の家の前で足を止めた。
古い木造の家で、とても質素だしあちこちに修繕の跡がある。家というか、ぼろ小屋というか……。
「ばあちゃん、おはよう」
しかしカイウス様はためらうことなく、ノックもせずに扉を開けてずかずかと中に入っていった。
「おや、カイン坊やか。こんな朝早くから来るなんて珍しいねえ」
カイウス様に続いて中に入ると、薄暗い部屋の中で老女がお茶を飲んでいるのが見えた。香りからして貴族たちが飲むような紅茶ではなく、薬草茶か何かだろう。
老女は私とセティの姿に気づくと、おや、と目を見張った。
「あれまあ、可愛らしい子たちだねえ。あんたの友達……にしちゃあ年が離れてるか」
「いいや、大切な友達だよ。それでさ」
老女とカイウス様が、二人でひそひそと話し始めた。時々同時に、私とセティのほうを見ながら。
二人のいたずらっぽい目は、実の祖母と孫だと言われても納得するくらいに似ていた。
「ほら、干しブドウをおあがり。子供はたくさん食べて大きくならないとねえ」
「あ、ありがとうございます」
それから少し後、私とセティの二人はばあちゃんの家に残っていた。
カイウス様は「ちょっと状況を調べてくる」と言って飛び出してしまった。うかつにうろつくと危ないから、ここで待ってろと言い残して。
そしてばあちゃんは私とセティが珍しいのか、しきりにあれこれとおやつを勧めていた。
「おやおや、礼儀正しくて可愛いねえ。本当にカイン坊やの遠縁かい? あの坊やときたら、本当に貴族なのか疑いたくなるくらいに元気で大ざっぱだからねえ」
その『カイン坊や』はただの貴族どころか『皇帝カイウス陛下』なのだけれど、という言葉を干しブドウと一緒に飲み込む。隣のセティの笑顔も、ちょっぴり引きつっている。
「ええっと……ところで最近、帝都が騒がしいって聞いたんですけど……ばあちゃんは、何か知りませんか?」
カイウス様の話題に乗ってうっかりぼろを出す前に、聞きたかったことを聞いてみる。
ちなみにばあちゃんに名前を尋ねたところ「ユーリアってのがあたしの名前だけど、ばあちゃんって呼ばれるほうが好きなんだよ。ここらの子供は、みんなあたしの孫みたいなものだしね」という答えが返ってきた。
「何か、ねえ……お偉いさんがごちゃごちゃ騒いでるらしいとは聞いてるよ。帝都への出入りが不自由になってるみたいだけど、あたしは遠出しないから関係ないし」
そう言ってばあちゃんは、よっこいしょと立ち上がる。いたずらをたくらんでいるような笑みを浮かべて、私たちに向き直った。
「気になるのなら、自分の目で見てみるというのはどうだい? ぱっと行ってぱっと戻ってくればいいだろう。これも、勉強さね」
「あの、でも、カインさんがここにいろって」
「大丈夫さ。あたしは生まれてからずっとこの家で暮らしてるんだ。この辺は別に危険じゃあない。ジゼル嬢ちゃんにセティ坊ちゃん、ほら、一緒に散歩に行くだけだからね」
子供をあやすようにそう言って、両手を差し出すばあちゃん。
私たちは戸惑いながら、その手に触れる。しわしわのその手はひんやりとしていて、不思議と気持ちを落ち着かせてくれた。
そうしてばあちゃんに手を引かれて、下町を歩く。
前にカイウス様に連れてきてもらった市場の周辺や丘のある区画とは違い、この辺りは住宅街になっているようだった。
そこらを元気に走り回る子供、仕事に向かう途中の男性たち、井戸のそばの洗濯場で服を洗いながらお喋りに忙しい女性たち。
生まれて初めて見る平民たちの暮らしはとてもにぎやかで雑多で、生気にあふれていた。
前世のカイウス様も、こんな感じのところで暮らしていたのかな。さっきばあちゃんと話していた時の彼は、とても自然に笑っていた。
威厳に満ちた皇帝の顔、無邪気なカインさんの顔、そして月明かりの下でエルフィーナとの思い出を語っていた切なげなあの顔。
三年前、初めて彼に謁見した時は、彼の顔をこんなにもたくさん見ることになるとは思わなかった。
それを言うなら、こんな下町を老女に手を引かれて歩くという今の状況も予想外だけど。
と、腕をぐっと後ろに引かれてつんのめる。いつの間にかばあちゃんは立ち止まっていて、私はそれに気づかずに進んでいたらしい。
すっと後ろに下がり、前を見る。そこには人垣ができていて、向こうからは何か言い争うような声が聞こえていた。




