4.はじめての帝都、はじめての謁見
そうして書状が届いてから一週間後、私は両親と共に帝都に来ていた。
「ていと、大きいね」
席から立ち上がり、馬車の窓にはりついて食い入るように外を見ている私を、両親はにこにこしながら眺めていた。
窓の外に見えるのは、古くて整然とした町並みだ。生まれ育った屋敷のある町よりもずっとずっと大きく、そして前世で過ごしていた王都よりもやはり大きい。
道は大きく、石が丁寧に敷き詰められている。馬車で走っていても、ほとんど揺れない。
家々もまた大きく、どっしりとした造りをしている。大きさも建築様式もそろっていて、町並みに一体感を与えている。
町中には川が走り、たくさんの橋がかけられている。もし敵が攻め入ってきたら、ここを防衛線とするのだろう。とはいえ、この町は一度も戦火をくぐっていないようだった。
……ああもう、前世の癖が出た。女王として日々城下町の整備に頭を悩ませていたから、ついその目線でこの町を見てしまった。
統治者目線では、この帝都はとてもできがいい。うらやましい。私が継いだ王都がこんな感じだったなら、押し寄せる民から王城を守ることもできたかもしれない。
と、起こってしまったことをごちゃごちゃ言っても始まらない。とにかく、目の前の面倒ごとを片付けてしまおう。陛下に謁見して、魔法を披露する、それが今日の目的だ。
そうやって状況を整理しながら、じょじょに迫ってくる帝城に目をやる。
大きい。古い。武骨だ。何だか怖い。そんな感想が、まとめてやってくる。優美さはかけらもない、どちらかというと……とりで? 要塞?
「ほら、ジゼル。そろそろ席に戻ろう。もうすぐ着くからね」
「怖いの? だったらママが手を握っていてあげるわ」
その言葉に甘えて、父レイヴンと母プリシラの間に座り、手をぎゅっと握る。
そうして、大きくて怖い城の門をくぐった。
案内の者に従い、城の中を進む。私の遅い足取りに、みんな合わせてくれていた。
城の中はやっぱり武骨で、小さな窓がぽつぽつと設けられているさまは、ちょっと洞窟のようですらあった。
外からの光があまり入ってこない割に、辺りは明るかった。壁のあちこちに、そして天井に、魔法の光がたくさんきらめいていたのだ。
絵本の中に出てきそうな幻想的な風景の中を歩いていると、じきにひときわ大きな扉の前にたどり着いた。
騎士に守られたこの扉の向こうに、間違いなく皇帝がいる。そう思ったら、ちょっと怖くなってしまった。プリシラの手を握る手に、力がこもる。
「大丈夫よ、ジゼル。怖くないわ」
ひとりじゃないっていいなあ。そう思いながら、おそるおそる中に入った。
天井の高い、やけに広い部屋。奥に置かれた、豪華な玉座。私にとってはなじみ深いこの雰囲気。
玉座を守るように、美しい鎧の騎士たちが整列している。兜のせいで、顔は見えない。
その中に一人だけ、騎士ではない人物が交ざっていた。大臣か何かかな。やけにきざったらしい笑みが、妙に目を引く。
そうして玉座を見て、私は目を見張ることになった。
こんな大きな帝国を順調に治めているのだから、皇帝はきっと男盛りの、いかにもやり手といった雰囲気の男性なのだろうなと、勝手にそう想像していた。
けれど今目の前で玉座に腰かけているのは、まだ若い少年だった。
年の頃は十四、五といったところだろうか。きりっとした意志の強そうな顔立ちに、エメラルドグリーンの髪がものすごく目を引く。
「よくぞ参った。我はカイウス、皇帝だ。幼子を呼びつけるのも気が引けたが、そちの噂を聞いて、我慢ができなかったのだ」
見た目によらず古風な口調でそう言って、皇帝は不敵に笑う。その口調もその表情も、彼によく似合っていた。
彼は生まれながらに人の上に立つ者なのかな、という気がする。かつての私とは違う、そんな人物だ。
「伯爵家のむすめ、ジゼルともうします。どうぞ、いごお見知りおきを」
ちょこちょこと進み出て、そう名乗る。両親が教えてくれた通りに、ただしもっとずっと優雅に。
一応元女王なのだし、これくらいは朝飯前だ。むしろ、ちゃんと子供らしく見えるように気をつけないと。
「はは、愛いやつだ。よい、もっと近う寄れ」
その言葉に、遠慮せずに近づいていく。とはいえ皇帝の周囲にいる騎士たちを刺激しないよう、彼らの間合いの外で立ち止まった。
「ふむ? 子供ゆえにためらうことなく我の目の前まで来ると思ったが、意外であったな」
あ、しまった。普通の四歳児なら、騎士の間合いとか細かい礼儀とか、そんなことは気にしないか。
「まあ、よい。ではジゼル、何でもよい。魔法を使ってみせよ」
「おそれながらもうしあげます。へいかは、苦手な動物などおありでしょうか」
これだけは先に確認しておかなくてはならない。うっかり苦手なものを呼び出して大騒ぎ……なんて事態は絶対に避けなくてはならないのだから。
しかし皇帝はその問自体が予想外だったらしく、黄金の目を真ん丸にした。心底おかしそうな笑みを浮かべて。
「特にないぞ。我は動物が好きだ。なに、少々おそろしげなものが呼び出されたとて、我と我が騎士がおればすぐに片が付く」
「わかりました。……それでは、はじめます」
そう宣言して、空中に魔法陣を描く。陛下の謁見に備えて何十回、何百回と描いて練習したものだから、間違えようがない。
少しも緊張することなく魔法陣を描き上げて、召喚魔法を発動させる。
魔法陣の中から、真っ白いハトが十羽、次々と飛び出した。風切り羽が虹色の、とびきり美しいハトだ。
私が手を挙げると、それを合図にしたようにハトたちが玉座の間を飛び回る。右へ、左へ、くるりと輪を描いて。
それから全てのハトが、カイウス様の前の床にずらりと整列した。みんなで何度も練習したかいあって、どうにか成功だ。居並んだ騎士たちが、感嘆のため息をもらしている。
「……なんとまあ、見事なものだ。そちは、まことに四歳か? のうゾルダー、これだけの魔法を四歳の子供が身につけた。しかも独学で。それについて、そちはどう思う?」
カイウス様は驚きと興味を顔いっぱいに浮かべて、私がさっき大臣だと思った男性に問いかけている。ゾルダーって、確か書状の差出人で、魔導士長だったような。
やけに気取った雰囲気のその男性、ゾルダーは、妙にきざったらしい笑みを浮かべたままちらりと私に流し目をくれる。そうしてカイウス様に向かって答えた。
「彼女がとても早熟である、そのことは間違いないでしょう。召喚魔法のたぐいまれな素質を持っているということも」
ゾルダーはくすりと笑った。何だか、嫌な感じの笑いに感じられるのは気のせいだろうか。
「ただこれくらいの子供は、たまたま興味を持った事柄にのめり込む傾向がありますので……将来彼女がどうなっているかについては、私にも見当がつきかねます」
「そうか。となるとますます、行く末が楽しみになってきた。うむ、ジゼル。褒美をとらせよう。近う寄れ。我の目の前まで、な」
あのゾルダーは薄気味悪くて嫌だけれど、皇帝であるカイウス様は怖いとは思えなかった。だから言われたまま素直に、彼のそばまで歩いていく。
「よし、来たな。手を出せ」
カイウス様はとても上機嫌で、私の手に何かを握らせてきた。ぺこりと礼をして、手を開いてみる。
そこにあったものを見て、ゾルダーが叫んだ。
「陛下、それは!」
私の手の中では、金色の小さなコインのようなものが輝いていた。鎖がついているから、首飾りかな。
コインの表面には、帝国の紋章であるワシが銀で描かれていた。目にエメラルドがはめこまれた、白いワシだ。あれ、確かこれって。
「忠誠の、くびかざり……ですか?」
「うむ、我の直属の配下にのみ与えられるものだな。我の忠実なしもべであることを示すと同時に、我の庇護をも受けることを意味する」
カイウス様は歌うような口ぶりで、そんなことを私に説明してくれていた。
「へいか、わたしはへいかの配下ですか? へいかはわたしに、何をめいれいされるのですか?」
なんだか、とんでもないものをもらってしまった気がする。もう権力になんて関わりたくないのに。
そうしたら、カイウス様はすっと腕を伸ばして、私の頭にぽんと手を置いた。騎士たちとゾルダー、それに背後の両親が一気にざわめいた。
「ジゼル、そちはこれからも魔法の鍛錬を続け、立派な大人になれ。心身共に健やかな、美しき乙女にな。そうして我の配下として働くもよし、他の職業に就くもよし、どこぞに嫁いで子をなすもよし」
不思議なくらいに温かい、いっそ慈悲深いと言えなくもない目で、カイウス様は私を見ている。
「いずれも、我が帝国を支える大切な役目だ。そちは好きな道を選ぶといい。……もう、自由なのだから」
ぽかんとしたまま、カイウス様をまっすぐに見つめる。
最高級のダイヤモンドを思わせる輝きの、生命力に満ちあふれた金の目が、すぐ近くで私を見つめ返していた。そうして、にっこりと優しく笑う。
「そちが我の下に来たくなったら、その首飾りと共にいつでも訪ねてくるがいい。我はそちを歓迎する」
なぜだか分からないけれど、カイウス様は私のことをやけに気に入ってしまったようだった。戸惑いは大いにあったけれど、嫌だとは思えなかった。
「ありがとうございます。がんばります!」
だから、精いっぱい元気よく答えた。四歳の子供らしく見えているといいな、と思いながら。