38.再会したのはいいものの
ひとまずカイウス様を居間に案内する。あったかいお茶と軽食を出すと、カイウス様はとても嬉しそうな顔でぺろりとそれを平らげた。
「ああ、やっと人心地ついた。ありがとう」
内乱のせいで帝城から逃げるはめになった皇帝とは思えないくらいに、彼の笑顔は気さくで人懐っこいものだった。
さっきまで緊張していたみんなが、つられて微笑んでしまうくらいに。
「そうだ、隠し通路にひそんでいる間に色々と情報をつかんだんだが、お前たちにも知っておいてもらったほうがいいだろうな」
食後のお茶を飲みながら、カイウス様が語り始めた。
カイウス様は、ただ隠れているのも暇だったとかで、出入り口の扉に耳を当てて周囲の状況を探っていたらしい。
ゾルダーは、既に帝城を掌握してしまっているようだった。彼についたのは、魔導士のほとんどと、一部の騎士、それに大臣たちが数名。
兵士や下級の文官なんかは、彼らに逆らえずに仕方なく従っている状態らしい。彼らにとっては、今もなおカイウス様が主だった。
「学園の生徒のほとんどは、人質として帝城内に軟禁されている。そのせいか、主だった貴族たちはろくに動けず、静観するほかなくなっているようだった」
「やっぱり、他の学年の子も逃がしておけばよかったのかな……」
「状況からして、それは難しかったと思います。ぼくたちは、最大限いい結果を引き寄せた。そう思いましょう」
落ち込む私を、セティが励ましてくれる。カイウス様もうなずいて、さらに言葉を続けた。
「それで、ゾルダーの目的は『皇帝になること』だ。あいつ、俺に隠れてこの内乱と、あと皇帝選定の儀の準備をしていたらしい。まったく、度胸のあるやつだ。……失敗すれば、全てを失うのにな」
「……そもそも『強いものが皇帝になるべきだから、皇帝選定の儀をやり直す』なんて、めちゃくちゃだわ」
私が怒りをこらえきれずにそうつぶやくと、両親が同時にうなずいた。
「魔導士長ゾルダー殿は、一応皇族の血を引いておられるけれど、皇帝選定の儀に参加できる立場ではないって聞いた覚えがあるよ。それにその、人望がね……」
「そうよ。私たちは今の皇帝陛下、カイウス様を慕っているんですもの。突然どこの誰ともつかない人間が出てくるなんて、認められないわ。やり口も最低ね」
さすがうちの両親、本人を目の前にして堂々と褒めちぎるのには慣れている。
そして当のカイウス様はちょっと照れたような顔で、それでも何事もなかったかのような態度を取っていた。
と、今まで黙っていたアリアが突然口を開く。また頭の中の本の内容を思い出していたのだろう、目を閉じたまま。
「……ううん、前例があります。やっと思い出せた」
みんな、口を閉ざしてアリアに注目した。彼女はやはり目を閉じたまま、すらすらと語っていた。いつもと違う、大人びた口調で。
「皇族ではないものが、力を認められて皇帝となったことがあります……公にはされておらず、帝城の書庫にしか記録がないので、ほとんど知られていませんが」
「ああ、確か……十五代前の皇帝の時だったか?」
アリアの言葉に、カイウス様が即座に反応した。私を含む残りの面々は、初耳だといった顔を見合わせている。
「はい。その時執り行われた皇帝選定の儀の候補者は平凡、というより凡愚ばかり。一方で、臣下の中に並外れて優秀な者がいた、という状況でした」
「そうなんだよな。で、当時の皇帝は考えた。この帝国の未来を考えれば、いっそ血筋なんて無視してしまったほうがいい、って」
「そうして陛下は『皇帝候補者は皇族とする、ただし例外もある』と法律の文言を書き換えられたんです。でもそれ以来、例外が適用されることはありませんでした」
そしてアリアも、よどみなく答えている。いつもは引っ込み思案の彼女が、まるで別人のように生き生きとしていた。
「つまりゾルダーは、その『例外』を利用しようとしているのですか……でも、皇帝選定の儀を執り行う皇帝陛下は帝城にはいませんし……どうするつもりなのでしょう?」
セティが難しい顔でつぶやく。正直その辺りのことは、私にも分からなかった。
そもそも皇帝選定の儀に関わるのは皇帝と皇族、それに帝城の重臣たちくらいのものだ。
私たちのようなごく普通の貴族には、詳細が知らされていない。候補者たちの中から、皇帝が次の皇帝を選ぶ、ということくらいで。
「それなら、皇帝の急死などに備えて、きちんと規定されているぞ。……されてなかったら、ゾルダーのやつにざまあみろって言ってやれたんだが」
子供のようにむくれているカイウス様に、ふっと場の空気が和む。
アリアも一瞬薄く目を開けて、彼を見ていた。それから冷静な声で、説明を足した。
「そういった場合には、宰相と騎士団長、それに魔導士長の合議体が先帝の代わりを務めます」
「その法律、後で書き直しておかないとな。『合議体による代替が可能となるのは、皇帝が死亡ないしそれに準ずる状態にある場合に限る。追放された場合は該当しない』とかなんとか、そんな感じで」
「あの、ちょっといいですか」
手を挙げて、口を挟む。カイウス様が口をとがらせたまま、横目でこちらを見た。
「そもそもどうしてゾルダーがこんなことをしたのか、それについて何か心当たりはありませんか?」
いくら考えても、それが分からなかった。きちんとした理由があったのか、それともただの暴走なのか。それすら、見当がつかない。
カイウス様は苦笑して、黒い髪を軽くかきむしりながら答える。
「……あいつには実力がある。そしてそれ以上に、野心にあふれてた。俺が即位する前は、あちこちに攻め入って領土を拡大してたんだ」
力こそ正義。昔の帝国のそんな風潮からすると、ゾルダーはとびきり優秀な存在だったのだろう。
「ところが俺は、領土の拡大には興味がなかった。それよりも、弱い者に手を差し伸べるのに忙しかった。そんなところが、あいつには腹立たしかったのかもな」
カイウス様は明言しなかったけれど、これでゾルダーの動機ははっきりした、と思う。
そういうことなら、私はゾルダーのやっていることを一切認めない。あいつとあいつのたくらみを叩きのめして、このめちゃくちゃな事態を終わりにしてやるんだ。
「それはそうとして」
ちょっと寂しそうな顔をしていたカイウス様が、突然妙に明るい声で言った。
「ゾルダーのやつが俺をこのまま見逃すとはどうしても思えないんだ。あいつが首尾よく皇帝にでもなってみろ、帝国の全戦力をもって俺を捕らえに来るぞ、間違いなく」
その様をうっかり想像してしまい、ぶるりと身震いする。カイウス様は大げさに肩をすくめて、上目遣いに私たちを見た。
「……となると、いずれここにも追っ手がやってくる。変装して隠れているのにも限度があるからな。それこそ、召喚獣を使って捜索でもされたらひとたまりもない」
カイウス様はよどみなく話していたけれど、その顔は暗かった。
「本来なら、俺は一刻も早くここを去るべきなんだが……あいにくと、行く当てがない」
申し訳なさそうにそう言って、カイウス様は頭を下げた。
「もう少しだけ、ここに置いてくれないだろうか。俺が考えを整理して、今後どうするか決めるまででいい。それ以上ここにいたら、お前たちに迷惑がかかるからな」
両親は、何も言わない。言えないのだと思う。二人ともカイウス様を支持しているとはいえ、さすがにここまでの事態は想定していなかったのだろう。
二人が考えていることは分かる。一人っきりのカイウス様と、帝城の戦力を掌握しているゾルダー。
真正面からぶつかったら、ゾルダーが勝ってしまうかもしれない。いや、まず間違いなく勝ってしまう。
もしそうなった時に、私たちがカイウス様に肩入れしていたことがばれたら、どんな扱いを受けるか分かったものではない。
私の身の安全を一番に考えるなら、カイウス様とは距離を取ったほうがいい。それにカイウス様は、そうしたところで気を悪くはしないだろうから。
両親の目が、そろそろとさまよっている。それを見ながら胸に手を当てて、息を吐いた。
服の下には、カイウス様からもらった忠誠の首飾り。テーブルの上にいるルルが背負ったリュックの中には、素晴らしく豪華なエメラルドの指輪。
それらに思いをはせて、ぎゅっと唇を引き結ぶ。立ち上がって、堂々と宣言した。
「パパ、ママ、わたしはカイウス様に力を貸すわ。不利なのは分かってる。でもカイウス様は、前にわたしたちを助けてくれた。今こそ、その恩を返したいの」
私の言葉に、両親は驚きを隠せないようだった。セティとアリアが立ち上がって、私の両側にやってくる。
「カイウス様に命を救われたのは、ぼくも同じです。それに、ジゼルがそう望むのなら、ぼくはただ全力をもってその望みをかなえるだけです」
「わたしも……友達の、力になりたい。ジゼルと、セティと、あと……カインさん。みんな、わたしの大切な友達」
「お前たち……ありがとう。俺はいい臣下を持ったよ。いや、いい友達、だな。でも、無理はしなくていい。俺は、お前たちのことを大切に思っているから」
カイウス様が泣きそうな笑顔で、そう言った。すぐに首を横に振る。力いっぱい。
「無理させてください。わたし、カイウス様の治める帝国で暮らしたいんです。弱い者も安心して暮らせる、そんな優しい国で」
その言葉に、カイウス様も黙ってしまった。しばらく沈黙が続いてから、父がぽつりと言った。
「……ここで逃げたら、きっと私はジゼルに一生恨まれるな。そんなことになったら、結局生きてはいけないね」
「そうよレイヴン、男は度胸、女も度胸よ。私は覚悟を決めたわ。こうなったら、とことんやってやりましょう。何をすればいいのか、分からないけれど」
ちょっぴり興奮気味に、母が言う。張りつめていた場の空気が、ふっと緩んだ。
「ともかく、今日はもう休みましょう。みんな、疲れているでしょうし。これからのことは、また明日話し合えばいいわ。まだ皇帝選定の儀すら始まってないし、それくらいの時間はあるわよ」
母のそんな言葉を合図に、私たちはそれぞれの部屋に引き上げていった。ずっと気を張っていたせいで、正直、もうくたくただったのだ。
カイウス様を一人で放り出すようなことにならなくてよかった。
そんな安堵の気持ちを胸に抱え、私も自室に戻っていった。弾んだ足取りのウサネズミの群れと一緒に。




