35.危地を脱して
高く高く舞い上がった大鳥たちは、帝都を離れた辺りで高度を下げた。
ずっと高いところを飛んでいたら、みんな凍えてしまう。それでなくても、風が強いのだし。
この大鳥は、自分より小さな生き物を背に乗せて運ぶという習性がある。そんなこともあってか、自分の周囲に風の壁を張って、吹きつける風を多少和らげることができるのだ。
だから私たちも、どうにか耐えることができていた。身を寄せ合ってしっかりと大鳥の背中に伏せ、一生懸命に風をやり過ごす。
「寒いよう……」
「高い、怖い……」
「ジゼル、どこまで行くの? 本当に大丈夫なの?」
同じ大鳥に乗っている子たちは、みんな私に必死にしがみつきながら、そんなことを言っている。寒さと恐怖からか、その声も震えていた。
「うん。ちょっとだけ我慢してね。あそこの山を越えたらすぐだから」
私たちの行く手には、高い山がまるで壁のように並んでいた。
馬車ではとても越えられない、そもそもろくに道すらなさそうな、そんな山々だ。この山の向こうに、私が生まれ育った屋敷がある。
実のところ、私がこの山をこうやって越えるのは初めてではない。学園に入る前の年に、両親と一緒に遊びにきたことがあるのだ。
生まれた時から見ているあの山の上が気になるから、行ってみてもいい? と尋ねたら、じゃあみんなで探検に行きましょう、ということになったのだ。
家族三人できっちりと着込み、今乗っている子よりは小ぶりな鳥に運んでもらって、山の上に降り立ったのだ。
そこには、小さな花畑があった。木は一本もなく、地面に張りつくようにして背丈の低い花々が咲き乱れていた。私たちは驚きながらも、その美しい光景に見とれていたのだった。
あの花畑を探して、そこでいったんみんなを休ませようか。
そう思ってじっと目をこらしたけれど、山の上は一面の雪に覆われていて、あの花畑は影も形もなかった。
こういった高い山では、真夏の一時期だけ花畑が現れると聞いたことがある。私たちが見たのも、そんな花畑の一つだったのだろう。
「……お願い、もう少しだけ急いで」
大鳥に呼びかけながら、ぐっと唇をかみしめる。ここで休めないのなら、早く目的地にたどり着いてしまいたい。子供の小さな体では、この寒さに長くは耐えられない。
雪と氷と岩だけの寒々しい光景に、つい今の自分たちの姿を重ねてしまう。
さっきまで平和な学園で、何ひとつ不自由なく過ごしていたのに。それが今では寒い空の上で、凍えながら逃げている。
ゾルダー。きざったらしく芝居がかった、どことなく得体の知れない雰囲気の笑顔を思い出す。
彼はカイウス様の忠臣の一人だと、そう思っていたのに。見る目がないな、私。
カイウス様に何かあったら、絶対に許さない。今すぐ帝城に取って返したいのを必死にこらえ続けながら、ただ前を向いていた。
かじかむ手で大鳥の羽毛をつかみ、吹きつける風に耐えているうちに、やがて私の屋敷が見えてきた。
草原にぽつんと立つ、広々として居心地のいい家。私の、大切な場所。
六羽の大鳥が、ふわりと屋敷の中庭に降り立つ。
執事やらメイドやらが、大いに焦った顔で飛び出してきた。彼らに手伝われて、子供たちが一人ずつ慎重に大鳥から降りていく。
大鳥で飛んでいる途中に手紙を書いて、とびきり速く飛ぶ鳥の召喚獣にここまで届けてもらっていたのだ。これだけの人数が避難するから準備をお願い、と。
それからみんなで大広間に移動して、毛布にくるまってあったかいお茶を飲む。ミルクと砂糖を入れた、とても体を温めてくれるハーブのお茶だ。
「ああ……おいしい……」
「生き返る……」
「わたしたち、捕まらずに済んだのね……」
「ねえ、逃げ出せたのはいいけれど、これからどうするの、ジゼル?」
ほっとした顔でお茶を飲んでいたみんなが、不安そうな顔でこちらを見る。
さっきは逃げ出すのに必死で、最低限の説明しかできなかった。改めて、きちんと話しておこう。
大広間の真ん中に立ってみんなを見渡し、声を張り上げる。
「これから、それぞれの家にみんなの手紙を届けるわ。事情を説明して、ここまで迎えにきてもらうの。召喚獣に頼めば、普通に手紙を運ぶよりずっと速く連絡できるから」
執事に合図をすると、彼の後ろからメイドたちが現れた。紙の束と封筒、それにペンやら何やら、手紙を書くのに必要なもの一式を抱えて。
少し遅れて、みんなは私の話を理解したらしい。ぽかんとした顔に、喜びの色が広がっていく。
「親への手紙が書けたら、送り先を教えて。そこまで、召喚獣に運んでもらうから」
たちまち、大広間はにぎやかになった。実家の近い子や仲良しの子たちは、近くまで一緒に帰りたいなとか何とか、そんなことを話している。
ゾルダーの恐ろしい演説からこっち、ずっとこわばったままだったみんなの肩から、ようやく力が抜けつつあるのを感じた。
そうしてみんなの分の手紙を全部送り出して、今日はそのまま休むことになった。
突然の来客だったけど、執事たちもメイドたちもよく働いてくれ、おかげでみんなちゃんと客間に落ち着くことができた。
私も自室に戻り、そのままベッドにもぐり込む。ゾルダーのこととかカイウス様のこととか、気になることは山ほどあったけれど、それ以上にくたくただった。
寒い空を飛んで、体が疲れていた。たくさん召喚獣を呼んだせいで、さすがに魔力がかなり減ってしまった。
このままじゃ、何もできない。カイウス様を助けるためにも、きちんと休まなくては。目を閉じたとたん、意識が遠くなっていった。
「ジゼルー!!」
「もう着いているのよね、無事だった!?」
……つい今しがた寝たばかりなのに、いきなりそんな声に叩き起こされた。ぼうっとしたまま、のろのろとベッドから降りる。
と、自室の入り口の扉がいきなり開いた。身構える暇すらなく、いきなり何者かに抱きしめられる。……さっきの声といい、こんなことをする人物は分かりきっているけれど。
「心配したんだよ、ジゼル!!」
「いきなり帝城や学園に入れなくなってしまったの……何が起こっているかすら教えてもらえなくて、他の親御さんたちも困っていたのよ」
「そこに、ルルがやってきて状況を教えてくれた」
「だから私たち、みんなで馬車に飛び乗って戻ってきたの。大急ぎで」
私を抱きしめているのは、もちろん父レイヴンと母プリシラだ。二人とも、心底ほっとしたような声をしている。その向こうに、何かの気配がした。
ぎっちりと抱きしめられていてろくに動けないので、首だけをどうにか動かしてそちらを見てみた。
帝都の屋敷で父と一緒にいたスライムがそこにいて、その上でルルとウサネズミたちが整列していた。どうやら両親は、この子たちも一緒に連れてきてくれたらしい。
よかった、みんな無事に戻ってきた。思わず笑顔になったその時、さらにその後ろに人影が見えることに気がついた。
セティ、アリア、エマ、イリアーネ、さらに二年生のみんな、同行してきた六年生、そして教師。
要するに、今日一緒に帝都から逃げてきた全員が、そこに顔をそろえていたのだった。たぶんさっきの両親の叫び声で、私と同じように目を覚ましたのだろう。
セティとアリアは落ち着き払っているけれど、他の人たちはみんな目を真ん丸にしている。
「……彼女のご両親は、彼女のことをとても大切にしていますから……」
「見た通りですわね……ちょっと予想外、でしたわ……てっきり、もっと自主性を重んじているご家庭なのだとばかり……」
「微笑ましくっていいと思うわ。家族の再会、感動的ね」
説明するセティに、呆然とするイリアーネ、くすくすと笑うエマ。
うう、恥ずかしい。うちの両親が私に甘々なのが、一気にみんなにばれてしまった。噂になりそうな嫌な予感がする。
噂、か。きっと帝都には、別の噂がはびこるんだろう。帝城にも学園にも入れなくなっていたと、両親はそう言った。
ゾルダーがいくら口止めをしても、いずれ帝都の人々はささやき始めるだろう。帝城で何かが起こった、と。それはもう不安そうに。
カイウス様を探して、この事態を何とかする。それまで、元の平和な日常は戻ってこない。
私と両親のことが噂されるくらいにのどかな日々を、必ず取り戻してみせる。私は無言で、そう決意していた。




