33.ある日、響いた声
セティも立ち直って、なんだかんだでイリアーネやその取り巻きたちともちょっぴり仲良くなって。
あの時、私たちを追いかけてきて、イリアーネたちを逃がすのを手伝ってくれたアリア。その体験で自信がついたのか、彼女は少し積極的になっていた。
読み終えた本を手に、その分野の専門家のもとを訪ね、あれこれと質問してさらに理解を深めていく。彼女はそんな活動を始めたのだ。
セティは機械弓に用いる矢の改造を始めた。これ以上弓の威力を上げると、今の彼の腕力では扱いきれなくなる恐れがある。
だからその代わりに、矢に様々な付加効果をつければいいと考えたのだ。火矢とか毒矢とか、そういったものだ。
ドラゴンのうろこを貫くことができなくても、行動を邪魔することはできる。そうすれば、私を守れる。彼はそう考えているようだった。
私は私で、新たな目標を見つけていた。
練習のかいあって、今では大人の身長の倍くらいの魔法陣を描くことができるようになっていた。呼び出せる召喚獣の種類も数も、大幅に増えていた。
大きな魔法陣を描きたい。もっと色々な子を呼んでみたい。その願いはかなったので、今度は呼び出した召喚獣とより友好的な関係を築いていく方法を探すことにした。
ドラゴンの騒動を経て、もっと召喚獣について知りたいと、そう思うようになっていたのだ。
ルルに通訳してもらって、毎日のように召喚獣と話す。そうして得られた情報をまとめ、整理していく。
召喚獣と人間とが理解を深め、手を取り合って仲良く共存する。そんな未来を、夢見るようになっていた。
カイウス様は相変わらず、ふらふらとしていた。気まぐれに私たちのところに顔を出しては、研究を手伝ってくれたり、遊びに誘ってくれたり。
もうカイウス様も『いつも集まるみんな』の一員になってしまっていた。
平和だった。ずっとこんな日が続けばいいのにな、と思わずにはいられなかった。
なのに。
『帝城及び学園の諸君に告ぐ、これよりこの帝城は私、魔導士長ゾルダーの管理下に置かれる』
ある日の午後、教室にそんな声が響き渡った。それまでに何度か聞いたことのある、魔導士長ゾルダーの声だった。
『これから騎士たちが、諸君をしかるべき場所に誘導する。それまで、その場を動かないように』
ちょうど授業の一環でお絵描きをしていた生徒たちが、ペンを片手に呆然とする。教師はみんなをなだめながらも、とても不安そうな顔をしていた。
私はセティ、アリアと三人で、顔を寄せ合ってこそこそと話し合う。
「この声、どこから聞こえているんでしょうか?」
「なんだか、壁の中から響いてきたような気がするのだけれど……」
「これ、音の魔導具なの。緊急事態において、帝城全体に言葉を届けるためのもので……敵が侵入しても壊されることのないよう、壁の中に隠されてるって聞いたことがある……」
そう説明しながら、アリアは難しい顔をして首をかしげている。
「でも、本当に緊急事態の時しか使わないものなんだけど……もう何十年も使われていないし……何が、あったのかな……」
その時、またゾルダーの声が響き渡った。
『力のあるものが正しい。古来よりこの帝国では、そう考えられてきた』
十年前までは、その考えが広くまかり通っていた。それは両親の話からも、カイウス様の話からも明らかだった。
『ゆえに、帝国の頂点たる皇帝は、一番優れた者でなければならない。私はこの考えに、心から同意する』
そしてゾルダーは、どうやら古い考えの持ち主のようだった。どことなく芝居がかった仰々しい声で、彼はとうとうと語る。
『おそれながら申し上げると、現陛下は皇帝の器ではない。前回の皇帝選定の儀に私がいたなら、私が皇帝になっていただろう』
その言葉に、いらだちと疑問が同時に浮かんだ。
カイウス様を馬鹿にしないでよと思いながら、皇帝が選ばれるまでの流れを思い出していく。自分が皇帝になっていたかもしれないという、ゾルダーの言葉の意味を考えるために。
この帝国では、皇帝が存命のうちに代替わりが行われる。
皇族の血を引く者から数名の候補者が選ばれて、その候補者たちが皇帝に己の能力を示し、その中の一人が次の皇帝となるのだ。
平民からの成り上がりも珍しくはない帝国だけれど、さすがに皇族以外が皇帝となることはない。
だから、ゾルダーが皇帝選定の儀に参加することなんてある訳ないのだ。
首をかしげていたら、またしてもアリアが小声で教えてくれた。彼女は、前回の皇帝選定の儀の記録を読んだことがあるのだそうだ。
ゾルダーは一応、皇族の末席ではあるらしい。けれど、前回の選定の際は候補者になることができなかった。
能力か、人格か、あるいは血の濃さか。そのいずれか、あるいは全てが足りないとされたようだった。そういえば彼の髪は、皇族の証しである緑色ではない。だったら、血の濃さかな。
ぽかんとしている私たちの耳に、さらにとんでもない言葉が飛び込んできた。
『ゆえに改めて、これより皇帝選定の儀を執り行うこととする。私も候補者として、次の皇帝の座を競おう。学園に所属する諸君らはその間、人質となってもらう。私の行いに、反論する者が出ないように』
さっきから、とんでもないことばかり聞かされている。何も言えずにあっけにとられていると、ゾルダーは堂々と言い放った。
『我こそはと思うものは挑んでくるといい。必要なのは、力と意気込みだけだ。血筋は不要。我こそは候補者たらん、そう考える者は帝城に来るといい』
それっきり、ゾルダーの声は止んでしまった。私たちはただ、戸惑い顔を見合わせることしかできなかった。
さっきの彼の言葉によれば、どうやらもう授業どころではないようだった。おそらくそのうち騎士がやってきて、私たちをどこかに連れていくのだろう。
半泣きになっている生徒たちと、なだめる教師。教室の中は、すっかり騒がしくなってしまっていた。
そんな中、私はセティやアリアと顔を突き合わせて、やはりひそひそと話し込んでいた。
「ぼくたち、どこに連れていかれるのでしょうか……」
「……怖い……」
「大丈夫よアリア、そこまで怖いことにはならないわ。たぶん……どこかにまとめて軟禁されるくらいで」
状況から見て、おそらくゾルダーは内乱を起こしたのだろう。そして、私たちを人質に取ろうとしている。
カイウス様がどうしているのか心配だけれど、今は自分と目の前の子供たちの安全を確保しなくては。カイウス様は強くてしたたかだ。きっと大丈夫。必死にそう自分に言い聞かせた。
「ゾルダーは、無駄に私たちを傷つけはしないはずよ。私たちはあくまでも人質。傷つければその親が敵に回るのだもの」
だから、いきなり命の危険に陥るようなことはないはずだ。もっとも、状況が変わったらどうなるか分かったものではないけれど。
私のそんな励ましに、アリアは相変わらず不安そうな顔で震えていた。その目に、うっすらと涙が浮かんでくる。
しまった、賢いとはいえ彼女はまだ七歳の子供だ。いくら理屈で大丈夫と言われても、怖いものは怖いだろう。元々気が弱い子だし。
「あ、そうだ! だったら、その前に逃げちゃいましょう。学園の生徒を全員逃がすのはさすがに無理だけれど、このクラスの子たちくらいなら……」
ことさらに明るい声でそう言い放つ。それからばっと立ち上がって、叫んだ。
「みんな、さっきの声はああ言ってたけど、その前にここから逃げたい子、おうちに帰りたい子はいない?」
「ジ、ジゼル、どうか静かに」
教師は震える声でそう言ったけれど、それでもおずおずといくつかの手が上がった。
それと同時に、でもおうちが遠いから帰れないよというすすり泣きも聞こえてきた。どこに逃げるの、という不安そうな声も。
それについて、私には一つ考えがあった。
悠々とあんな宣言をしてのけるくらいだから、帝城はまるごとゾルダーの手に落ちているのだろう。おそらく、帝都も。
ゾルダーは賢く抜け目ない、そんな人物だとカイウス様から聞いている。内乱なんてとんでもないことをするのだから、なおさら用意周到に準備をしているはずだ。
だから、私たちが逃げるべきはその外だ。一か所だけ、逃げ込めそうな場所を知っている。
とはいえ、今私たちがいるのは学園、帝城にくっついている建物の中だ。窓の外には芝生が広がっていて、その向こうには高い塀がある。
あの塀を登って越えるのは普通の人間には難しいし、学園と帝城をつなぐ出入り口はもう封鎖されているだろう。普通の人間は、ここから逃げ出せない。
そう、普通なら。
「帝都は危ないし、いったんわたしの領地の屋敷に逃げよう! わたしの召喚獣なら、空から逃げられるわ! そこから、みんなの家に帰ればいい」
ここにいるのは生徒が二十一名に教師が一名。生徒はみんな小さいし、これくらいなら余裕で運べる。大きな鳥の召喚獣を、五羽ほど呼べばいい。
まっすぐ飛べば、私の生まれ育ったあの屋敷までそうかからない。高いところを飛べば、弓矢や魔法も届きづらい。
「逃げたい子は、こっちに来て! 今、鳥を呼ぶから」
そう言いながら、窓枠を乗り越えて外に出る。宙に魔法陣を描きながら振り返ると、セティとアリアがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
それに続いて、一人また一人と窓に近づいてくる。ほっとしたその時、ばたばたという足音が近づいてきた。




