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30.騒動のあと

 そうして、ドラゴンの騒動から数日後の午後。


 暗い顔をしたアリアが、一人で私の屋敷を訪ねてきた。




「その、この前はありがとう。アリアのおかげで、ドラゴンの相手をすることができて、イリアーネたちを守れたわ」


「ううん、お礼を言うのはこっち……わたし、あれくらいしかできなかったから……」


 私たちは屋敷の中庭で、お茶を飲みながらお喋りしていた。二人並んで、スライムに腰かけて。


「……この子、変わった座りごこち……柔らかくて、弾力があって、ひんやりしてて……気持ちいい」


「でしょ? パパなんか執務の時にお願いして、椅子の代わりをやってもらってるの」


 先日ドラゴンを押さえ込むために呼び出したこのスライム、どうもこの世界が気になっているとかで、しばらく滞在したいのだそうだ。ちなみにルルが通訳してくれた。


 召喚獣を呼びっぱなしにしていると、その間魔力を消費し続ける。


 ルルたちウサネズミくらいに小さければ消費量も微々たるものだけれど、スライムくらいに大きいとそれなりに消費する。


 とはいえ、私は持っている魔力の総量がかなり多く、しかも自然回復も速いようなので、スライムを召喚し続けていても特に問題はなさそうだった。


 スライムもそのことに感謝しているらしく、こうしてお礼代わりに私たちを座らせてくれているのだ。おかげで父レイヴンは、すっかりスライムのとりこになっていた。


「それで、何か悩み事なの? さっきからずっと暗い顔してるし……相談にきたんだよね?」


「うん……」


 アリアがうつむいて、ぼそぼそと説明を始める。それを聞いて、私も難しい顔をせずにはいられなかった。


 セティがあの騒動以来、寮の自室から出てこないらしい。扉を叩いても返事はなく、中は恐ろしく静まり返っている。


 そんな状態で食事はどうしているのだろうと思ったら、なんとイリアーネが彼の世話を焼いているのだそうだ。


 毎日食事を扉の外まで運んでいって、後で空いた食器を下げている。彼女はそれを、ずっと続けているらしい。


「ご飯を食べてるってことは、生きてはいるってことだけど……でもわたしたち、心配なの。ジゼルの呼びかけなら、セティもこたえてくれるんじゃないかって、そう思って……」


 アリアの言葉に、少し悩む。どちらかというと、私の存在はセティを動揺させてしまうのではないかと思う。


 彼は私を守りたくて、私の騎士になった。けれど彼の力は、私を守るには足りなかった。あの時彼は、そのことに落ち込んでいた。


 そして彼はヤシュアを見て、ひどく動揺していた。かつて兄だった彼との再会が、セティの過去の記憶をよみがえらせたのかもしれない。


 もしかしたら、その中に衝撃的な記憶も混ざっていたのかもしれない。彼はまだ、その記憶に折り合いをつけられていないのかもしれない。


 そこにエルフィーナの面影を残す私が顔を出すのは、やはりよくない気がする。彼が自分から出てくる気になるまで、待ったほうがいいのでは。


「お願い。セティに、一度声をかけてあげて。彼と一番仲が良かったのは、彼が一番信頼していたのは、あなただから」


 考え込む私に、アリアがすがるように言う。その言葉に、覚悟を決めた。ちょっとだけ。様子を見てくるくらいなら、きっと大丈夫だ。そう自分に言い聞かせて。


「……うん。ちょっと待ってて。出かける準備をしてくるから」


 そう答えたら、アリアは大いにほっとした顔をしていた。それだけでも、この選択をしてよかったなと思えた。




「あ、ジゼル、それにアリア……」


 寮の廊下で、小さなワゴンを押しているイリアーネと出くわした。彼女は恐ろしく暗い顔をしていて、丁寧に巻かれた金髪にもどことなくつやがない。


 ワゴンの上には、料理の皿が置かれていた。三分の一ほど手が付けられていて、残りはもう冷めてしまっている。


「その……先日は、ありがとうございました。わたくし、あなたがたがいなければ、死んでいたかもしれません……」


 いつになくしょんぼりとした様子で、イリアーネはそう言って頭を下げた。その様子に戸惑いながら、言葉を返す。


「えっと、怪我はなかった? あの時は、ドラゴンの気を引くのに手いっぱいで……」


「ありませんわ。わたくしも、先生も」


「……眠れないとか、そういうことは、ない……?」


 やはりしゅんとしたままのイリアーネに、アリアがおずおずと尋ねる。


 社交的で気が強いイリアーネと、気が弱く引っ込み思案なアリア。正反対の相手に、ためらいがちとはいえこうやって話しかけられるようになったなんて、アリアも成長したなあ。


 それを言うなら、イリアーネもか。彼女はアリアのことを嫌っていたし、放っておいたらいじめくらいやらかしそうな空気を漂わせていた。私とセティがいつもアリアの近くにいたから、何事もなかっただけで。


 そんなイリアーネが、礼儀正しく私たちに感謝の言葉を述べている。あの騒動を経て、彼女も成長したのだろうか。


 そんな風に感心していると、イリアーネが困ったような顔で首を横に振った。アリアはほっとしたように息を吐いて、さらに言葉をかけている。


「そう、ならいいけれど……怖い体験のあと、眠れなくなることがあるらしいの……おかしいって思ったら、すぐに医務室の魔導士さんに相談して」


「ええ、ありがとう……それよりも、セティのことなのですけれど」


 イリアーネはぐっと唇をかんで、ワゴンの上の皿に視線を落とす。


「あれからずっと、部屋から出てこなくて……食事も、ほとんどとっていないんですの。このままでは、彼が……」


 彼女の声が、震えてかすれていく。幼い頬をこわばらせ、彼女は言葉を続けている。


「悔しいですけれど、セティと一番仲がよかったのはあなたですわ、ジゼル。あなたの声になら、彼も耳を傾けてくれるかも……」


「うん、そのために来たの。わたしも、セティに元気になってほしいから」


 セティが前世のことを思い出して、それで引きこもるほどに悩んでしまったのなら、相談相手になれるのは私だけだろう。彼が話したいと思っているかどうかは、分からないけれど。


 そんな言葉をのみ込んで、イリアーネにうなずきかけた。できる限り頼もしく見えるように、力強く。


 顔を上げたイリアーネの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。


「……ジゼル、セティをお願いいたします。……剣術同好会に彼の姿がないのは、寂しいですわ」


 そう言って、イリアーネは去っていった。とぼとぼとワゴンを押していくその背中は、七歳という年相応の、子供のものだった。




「セティ、いる?」


 それから少し後、私は一人でセティの部屋の前にいた。二人きりのほうが話しやすいだろうと言って、アリアがそっと離れていったのだ。


 こんこんと扉を叩いて、部屋の中に向かって呼びかける。


「あなたが引きこもってるって聞いて、お見舞いにきたんだけど……エマの秘伝のレシピで焼いたマドレーヌ、持ってきたわ。生地を一晩置いてから焼いたから、しっとりしておいしいの」


 扉の向こうは、静まり返っている。考え考え、さらに言葉を紡ぐ。


「その、前世のこともあるし、もしかしたらわたしの顔を見たくないのかもしれないとは思う。でも、それでもわたしにしか話せないこともあるかもしれないし……いつでも、相談に乗るから」


 やはり、返事はない。少し待ってみたけれど、物音ひとつしない。


「あと、みんな心配してるわ。……少しだけでいいから、姿を見せてあげて。……それじゃ、もう行くわ。マドレーヌの包み、ここに置いておくね」


 それだけ言って、扉のそばに包みを置こうとした時、中から声がした。とても静かな、静かすぎる声だった。


「……入ってください。少しだけ……話しておかなくてはならないことがあります」


 少しためらって、扉の取っ手に手をかける。鍵はかかっていなくて、すっと開いた。


 予想とは違い、部屋の中はきれいに整っていた。窓辺に置かれた椅子に、セティがこちらに背を向けて座っている。ちょっと服にしわが寄っているけれど、一応元気そうだ。


 入り口近くの机にマドレーヌを置き、そろそろとセティに近づく。と、彼はこちらを見ないまま口を開いた。


「……そこで、止まってもらえませんか。今のぼくには、あなたの顔を見る勇気がないんです……」


 苦しげな声にはっとしながらも、言われるがまま立ち止まる。そしてじっと、彼の言葉を待った。


「……ぼくの、前世の名前は……リッキー、でした」


 彼がつぶやいたのは、私の知らない名前だった。

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― 新着の感想 ―
[一言] スラちゃん椅子……ウォーターベッドみたいな感じなのでしょうか? 夏だったら座ってみたいですな。 そして、どうやら前世を思い出したらしいセティ(リッキー)は何を語ってくれるのでしょうか?
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