3.うっかり目立ってしまって
それから、私はこそこそと召喚魔法の練習をするようになった。
炎とか水とかを操る属性魔法には適性がなかったみたいだけど、魔法陣を描いてそこから様々なものを呼び出す召喚魔法には向いているようだった。
魔法の基本は頭に入っている。慣れれば、様々な召喚獣を呼べるようになるだろう。
「すごいぞジゼル、今度は子猫を呼び出せたじゃないか!」
「そうねえ。さっきはええと……ハリネズミだったかしら。図鑑で調べてみるまで分からなかったわ。あなたのおかげで、珍しいものを見られたわ、ありがとう」
裏庭にかがみこんではしゃぐ両親をよそに、私は一人不満を隠せずにいた。それもこれも、魔法陣のせいだった。
魔法陣は、指先や杖なんかに魔力を込めて、空中やら地面やらに描いていくものだ。指先がペンで、魔力がインクといったところか。
他の魔導士と比べたことはないので断言はできないけれど、どうやら私の魔力は結構高い。複雑な魔法陣や大きな魔法陣を描こうとしても、特に魔力切れになるようなことはなかった。
だから、一度大きな子を呼んでみようと思った。とたん、壁にぶち当たったのだ。
召喚魔法で呼び出せる召喚獣の大きさは、魔法陣の大きさに比例する、だから大きな子を呼ぶには、大きな魔法陣を描かなくてはならない。
それも、ゆがみの少ないものを。あまりにゆがんでいたら、召喚獣がへそを曲げて召喚に応じてくれない、なんてこともあるらしいのだ。
ところが私は、まだ三歳の幼子だ。背丈も低いし、腕も短い。
それでもどうにかして、大きな魔法陣を描いてみたかった。まずは木の棒を手にして走り回り、地面に線を描いてみた。
しかしできあがったのは、まん丸ではなく楕円形の、あちこち線が途切れたへんてこな魔法陣だった。しかも走り続けたせいですっかり疲れ果ててしまったし。
ならばと、今度は踏み台を用意して、空中に直接魔法陣を描くことにした。
両手を振り回して、立ったりしゃがんだり、ジャンプしたり。それでも、やはりぐちゃぐちゃの魔法陣しか描けなかった。
これはもう、開き直って体が大きくなるのを待つしかないのだろうか。
あるいはもっと魔法陣について勉強して、大きな魔法陣を簡単に描ける方法、なんてものを編み出すか。
どちらにせよ、それはずいぶん先の話になるだろう。
ふうとため息をついて、ひざの上で丸くなっている子猫をなでる。毛が長くてふわふわで、しっぽが二本ある真っ白の子だった。
可愛いけれど、どうせならもっと大きな、かっこいい召喚獣を呼んでみたいなとも思う。まあ、それは将来の楽しみにとっておこう。
それに、大きな召喚獣を呼び出したところで、特に何かをさせるあてもない。前世の私だったら、国を守る手伝いを頼んでいたかもしれないけれど。
決意に顔を引き締めていると、父レイヴンが顔をのぞき込んできた。
「どうした、ジゼル? 難しい顔をして」
「……わたし、もっとべんきょうする。もっと大きい子をよびたい」
「まあ、頑張り屋さんねえ。でも急がなくていいのよ。大きくなったらきっと、できるようになるわ。あなたはこんなに優秀なのだから」
ふふと優しく笑って、母プリシラが頭をなでてくれる。
「さあ、そろそろおやつにしましょう。今日のお菓子はいい出来だって、料理長が言っていたわ」
そう言って母プリシラが立ち上がる。呼び出した子猫を帰還させて、父レイヴンに手を引かれながら三人一緒に屋敷に戻る。
両親は、この伯爵家の当主夫婦だ。当然、領地の運営に関してあれこれと執務をこなさなくてはならない。かつての、女王だった私と同じように。
ところが両親は、一日のほとんどをこうやって私を甘やかすことに使っている。かといって、執務をさぼっている訳でもなかった。
当主がのんびり暮らせるくらいに、うちの領地は平和だったのだ。
平和なのは、ここだけではなかった。レイヴンの執務室におじゃまして書類を盗み見しまくって、今のこの帝国の状況を知った。
この帝国は、平和そのものだった。かつて私が治めていた、ぼろぼろで瀕死の王国なんて目じゃないくらいに。
そしてあの王国は、もう存在しない。この間知ったのだけれど、あの王国はこの帝国の一部になっていた。あの内乱があった、四年前から。
女王エルフィーナだった私は四年前に死んで、今の私、伯爵令嬢ジゼルは三年前に生まれた。
だったらあの王国だったところには、前世の私のことを覚えている人たちが今も暮らしているのだろうか。そう考えたら、とても複雑な気分になった。
私がいなくなって、あの元王国は良い方向に変わったのだろうか。ううん、もう、私には関係のないことだ。
前世の苦い思い出を振り払って、とことこと歩き続ける。どうせここの領地はあの元王国とは遠い。普通に暮らしていれば、一生関わることなどないだろう。
「今日のおやつ、なにかな。たのしみだな」
だから私は跳ねるような足取りで、そんなことを言いながら歩いていた。三歳児らしい無邪気さを前に押し出して。
私の魔法の練習場は、屋敷の裏庭だった。ここで練習していれば、屋敷の人間以外には私が魔法を使えることを知られなくて済む。
私が処刑された女王の生まれ変わりなんてことに気づかれないためにも、私が魔法を練習していることは可能な限り秘密にしておきたかった。
……だったんだけど、なあ。
「ほら見て! あの見事な魔法陣の書きっぷり!」
「まああ、可愛らしいわあ」
「とても凛々しい、素敵なお嬢さんですね」
両親は近しい友人をこっそりと招いて、私の練習光景を公開してしまったのだ。
パパ、ママ、恥ずかしいからやめてほしい、と主張したのだけれど、結局二人に押し切られてしまった。
何よりも愛おしい大切な娘のとっておきの特技を、ぜひみんなにも見てもらいたいんだ、などと言われてしまっては、反論のしようもなかった。
そんな訳で今、私はたくさんの客人の前で召喚魔法を披露する羽目になっている。ちっちゃくて可愛い獣しか呼べないということもあって、お客たちは召喚獣に歓声を上げていた。
そうして、私のことが一部の貴族の間で噂になった。伯爵家の一人娘ジゼルは、まだ三歳ながら素晴らしい魔法の才を秘めている、と。
その噂を聞いた他の貴族たち、両親とはもともと親交のなかった貴族たちまでもが、うちの屋敷を訪ねてくるようになった。平和すぎて、みんな暇なのだろうか。
ともかくも、私はそれらの大人と相手をして、召喚魔法を披露して回る必要に迫られてしまったのだ。それも、毎日のように。
「パパ、ママ、さいきんお客さんが多すぎて、つかれた」
いい加減見世物にされるのが面倒になってきた私がそう主張すると、両親は同時に驚いた顔をした。それから悲しげな表情になり、座っている私のそばにひざまずく。
「そうか、ごめんな。パパはジゼルのすごいところを見てもらいたくて、ついついたくさんお友達を呼んでしまった」
「私もよ。ごめんなさい、ジゼル。これからは気をつけるわ」
私に甘い両親が引き起こした騒動は、こうしていったんは収まったかに見えた。
しかしやっぱり、そう簡単にはいかなかった。私たち三人ともが知らないところで、事態はとんでもない方向に動いていたのだった。
それは、私の四歳の誕生日のこと。私あてに、やけに豪華な書状が送られてきたのだ。一目見ただけでも、ただの手紙でないことが容易にうかがい知れる、そんな手紙だった。
父レイヴンは執務室の椅子に座り、やけに神妙な顔で書状をにらんでいる。
「これは……帝城からの手紙だな。差出人は……魔導士長ゾルダー」
「わたしあてなら、わたしも見ていいの?」
そうつぶやきつつ、強引に書状をのぞき込む。やけに気取った文字は少し読みにくかったけれど、要約するとこういうことだった。
『貴殿は幼少の身にして既に魔法を使いこなしているのだと、そう噂になっている。陛下が一度、その魔法をごらんになりたいとおおせだ。いちど帝城に参上して、陛下の前でその魔法を披露してもらいたい』
……嫌な予感の、一番嫌なところが見事に的中してしまった。ああもう、これ以上目立ちたくなかったのに。
両親も、さすがにこんな事態を招いてしまったことについて、焦りくらいは見せているだろうか。
「すごいわ、ジゼル!」
「陛下じきじきにお呼びだなんて!」
と思ったら、母プリシラと父レイヴンは互いに手を取り合ってはしゃいでしまっている。えっ、何、この反応。
戸惑いながら、そろそろと声をかける。
「……パパ、ママ、わたし……こわい。あんまりいきたくない……」
「大丈夫よ、いつもと同じようにやればいいのだから」
「陛下は寛大なお方だから、もし失敗しても許してもらえるさ」
そうして二人は、ぽかんとする私を置いて部屋を飛び出していった。帝都に向けての荷造りだ、腕が鳴るな、などと言いながら。
「……権力になんて、もうこれ以上関わりたくなかったのに、ね」
ひとりきり、そっとそんなことをつぶやく。権力なんてものを持たされて、苦労して、あげくに死ぬ羽目になって。
もうあんなのはこりごりだ。今度は権力なんて無視して、好き勝手に生きたかったのになあ。
中身の年相応の大人びたため息が、幼い子供の口からもれる。見ている人がいればきっと、おかしな光景だったと思っただろう。
「子供として生きるのも、結構大変よね……誰か一人くらい、愚痴を聞いてくれそうな人がいればいいけれど」
そうして、もう一度ため息をつく。呼ばれてしまったものは仕方がない。つつがなくやり終えればいいだけだ。そう、自分に言い聞かせながら。