29.召喚獣たちの事情
結局、野良召喚獣たちが突然帝城に集まってきた理由は謎のままだった。
カイウス様の命により、魔導士長ゾルダー率いる魔導士部隊が毎日帝城を駆けずり回って、必死に原因を突き止めようとしているらしい。あとは、ドラゴンの行方についても。
後のほうについては、私たちは答えを持っている。でも当面の間は内緒だ。ゾルダーたちには悪いけど。
そして私は、騒動の次の日から学園を休んで、屋敷にこもっていた。ほとぼりが冷めるまで、みんなと少し距離を取ろうと思ったのだ。
帝城にはヤシュアがいる。彼に自分の正体を打ち明けたい。そうしてあれこれと語り合いたい。そんな衝動に、ついうっかり負けてしまいそうだったから。
それに、セティのことも気にかかっていた。
あの日、セティはヤシュアを見て『兄さん』と言っていた。どうやら前世の彼は、ヤシュアの弟だったらしい。
でも、ヤシュアに弟なんていただろうか。記憶をたどってみても、彼がそんなことを話していた覚えがない。それに、セティのあの様子はただ事ではなかった。
前世の記憶が戻ったのかと彼に聞いてみたい。でも、それをためらわせる何かが彼の目にはあった。うかつに踏み入ったら、彼を傷つけてしまう。そんな気がしてならなかった。
そうして私は、結局彼から逃げてしまった。屋敷の居間で、深々とため息をつく。すぐ前の机の上にいるルルが、心配そうな顔でこちらをのぞきこんできた。
ただ休んでいるだけというのも何なので、さっそくあの帰還の魔法陣について調べることにしたのだ。
調査にはルルたちの協力が欠かせないけれど、ルルと手旗信号で話しているところをうっかり他の人に見られたら、それはそれでややこしいことになってしまう。
だから、こうして屋敷に引きこもっているのは好都合ではあった。私は逃げただけなのに。
さらにため息をつく私の前で、両親がはしゃいでいる。
私がちょっと落ち込んでいるのを察した両親は、自室ではなく居間で研究するように勧めてくれたのだ。
そうしていつも以上に、にぎやかに騒いでいる。二人のそんな気遣いが、嬉しかった。
「ええっと……この旗の振り方だと『おやつください』ね。分かったわ、昨日のクッキーがまだ残ってるから、取ってくるわね」
「君たちは本当に賢いなあ。ジゼルの最高の親衛隊だね。……あと、君……最高の座り心地だよ……癖になりそうだ……ひんやりとして、優しく体を支えてくれて……」
母プリシラはルルの手旗信号を読んで部屋を飛び出し、父レイヴンはスライムに深々と腰かけて、行進するウサネズミたちに拍手を送っている。
ついこないだの緊迫した戦いとはあまりにも違う、平和そのものの光景だった。
ひとまず両親の相手はウサネズミたちとスライムに任せて、私は魔導書をじっくりと読むことにした。
なまじ召喚魔法の適性があるせいで、私は何となくの雰囲気で適当に魔法を使ってしまっている節がある。ここで一度、基礎をしっかりとおさらいしておこうと思ったのだ。
「召喚の魔法陣は、複数の魔法を重ね合わせたものであり……」
召喚魔法の主な構成要素は、どこかの異世界を指定する魔法、その異世界とこの世界とをつなぐ魔法、目的の召喚獣をこちらに引っ張ってくる魔法の三つだ。
そこに、様々な魔法が描き足されて召喚の魔法陣が完成する。
追加で描かれる魔法の中でもほぼ必須とされているのが、制約の魔法だ。
もっとも私は、他人に何かを強制することが好きではないし、危険な子を呼ぶつもりもない。
なので、制約の魔法についてはいつも最低限のことしか書き込んでいない。人間に危害を加えないでね、というお願いくらいで。
前にも魔導士たちに驚かれたなあと、課外授業で魔導士の塔を訪れた時のことを思い出す。
ただルルに言わせれば、この『お願い』こそが、今の私たちの関係を作っているらしい。
召喚獣たちがさほど賢くないと思われていたのには、はっきりとした理由があった。
彼らは、特に親しくもないのに偉そうに命令する召喚主のことをあまり良く思っていなかったのだ。だから、話しかけられても無視を決め込んでいたらしい。
魔法の使い手は、総じてプライドが高い。普通の人には使えない魔法を使えるという特権意識のせいだろう。
その中でも、召喚魔法の使い手はさらに気位が高い。召喚魔法は、他の魔法よりも難易度が高く、より使い手が少ないからだ。
そんな彼らは、見た目は獣でしかない召喚獣たちを、対等な相手として扱おうなんて思わなかったのだ。
そういう意味では、私はとびきり変わっているのかもしれない。いつもウサネズミを連れて歩き、普通に話しかけ、名前までつけているのだから。
とても真剣な顔で魔導書をのぞき込んでいるルルの頭をそっとなでて、また読書に戻る。
「帰還の魔法は、召喚の魔法よりも単純、しかし難解なものである……」
帰還の魔法陣を描くには、異世界とこの世界とをまたつないで召喚獣を跳ばす魔法に、召喚獣が元いた異世界を指定する魔法を重ねればいい。
もっとも、召喚獣がどの異世界からやってきたのか分からなければ、魔法陣を描きようがない。これが帰還の魔法陣の、最大の問題だった。
召喚主ならすぐに分かるけれど、それ以外の人間にはどうしようもないのだ。ドラゴン一つとっても、あちこちの異世界で暮らしているし。
召喚獣を縁もゆかりもない別の異世界に無理やり跳ばすことも理論上は可能らしいけれど、かなりの魔力が必要になる。
ところが大量の魔力を注ぎ込まれた魔法陣は、思いっきり不安定になってしまう。何かの拍子に魔力が爆発したら、周囲にかなりの被害を与えてしまう。ほぼ爆弾だ。
そこまでおさらいして、ルルに声をかける。
「……ねえ、あの時あなたたちが出した指示は、何に基づいていたの?」
ルルがちゅいっと短く鳴いて、さっさっと旗を振る。その内容に、思わず立ち上がって叫んだ。両親がいることも忘れて。
「え……? 『ドラゴンに聞いた』……って、どういうこと!? 何を聞いたの!?」
ルルは誇らしげに胸を張って、さらに旗を振る。予想外の言葉を、彼はつづった。
「『どこから来たか、どこに帰りたいか』……それだけで、魔法陣の線をどう引くか分かるの!?」
いつの間にかルルの後ろに整列していたウサネズミたちが、同時に首を縦に振った。
「お願い、もっと詳しく教えて!!」
拝まんばかりにして頼み込むと、ルルは困ったような顔をした。いや、どちらかというと考えこんでいる顔だろうか。
それからためらいがちに、ルルがまた旗を振り始める。
「えっと……ごめんなさい、全然分からない……」
これまで順調に手旗信号で話していたルルが、突然めちゃくちゃなことを言い出したのだ。というか、聞いたこともない単語を連発し始めたのだ。
「『ラピのママリアが、テータだから……』……うう、何のことだろう……」
ルルは頭を抱えて悩む私の目の前までやってきて、その小さな手でちょんと私の腕に触れた。なぐさめるような目でうなずいて、また旗を振る。
『人間、しっぽない。しっぽの振り方、分からない。それと同じ。説明しても、分からない』
「だったら、わたしにはどうしようもないか……野良の子たちを助ける、いい方法が見つかるかもって思ったんだけどなあ」
落ち込む私に、ウサネズミたちが一斉に首を横に振った。
『ルルたちが手伝う。ルルたちがジゼルに、必要な線を教える。大丈夫』
「そっか……でもそれだと、他の人には使えないね……」
『ルルたちとジゼルみたいに、仲良くする方法をみんなに教える。みんな、できるようになる』
「ふふ、そうね。やってみようか。みんなにはこれまで以上に協力してもらうことになるけど、よろしくね」
その言葉に、ルルたちがぴしりと背筋を伸ばす。顔をきりりと引き締めたそのさまは、とっても愛らしかった。
「ねえプリシラ、ジゼルが立派になったね……」
「ええレイヴン、さすがは私たちの自慢の娘だわ……」
と、そんな声が聞こえてくる。そちらに顔を向けると、両手を取り合って感涙にむせび泣いている両親の姿があった。
「パパ、ママ、ちょっとしたことで感動するのはいつものことだからもういいけど……」
二人のにぎやかな愛情表現にもすっかり慣れてしまったなあと苦笑しながら、声をひそめる。
「今の話、他の人には内緒にしてね? ちょっと事情がややこしくなりそうだから、先輩に相談しながら進めようと思ってるの」
「ああ、もちろんだよジゼル。君の邪魔なんてするものか」
「そうよジゼル。私たち、これでも伯爵家の当主夫妻ですもの。話してはいけないことを黙っておく、それくらいできて当然なのよ」
口々にそういいながらも、両親はきらきらした目を私に向けている。本当にこの二人は私に甘い。
でも、私のことを愛してくれている。それは確かだった。
「うん、ありがとう、パパ、ママ」
だからにっこりと笑って、二人にうなずきかけた。二人の背後では、スライムがご機嫌そうに揺れていた。




