28.忘れがたきその面影
魔法陣からほとばしった光に、目の前が真っ白になった。まぶしすぎて目を開けていられない。腕で目をかばって、しっかりとふんばる。
やがて、光が薄れてきた。ドラゴンは、もう影も形もなかった。それに、帰還の魔法陣も。
「ほんとに……できた……」
運動場には、さっきまでドラゴンと取っ組み合いをしていたスライムが、あちこち引き延ばされた珍妙な形のままぽつんと取り残されている。
スライムはぷるんと一つ身震いして、元の綺麗な球に戻った。ああ疲れた、と言わんばかりの態度だった。
ルルたちが駆け寄ってきて、ぴょんぴょんと飛び跳ねていた。勝利の舞かも。
カイウス様とセティは、ほっと安堵のため息をついている。
「見事だ。やっぱりお前はすごいよ」
「ぼくもそう思います。……ただ、今あったことは伏せておいたほうがいいですよね。ジゼルが謎の魔法陣で、ドラゴンを帰還させたということは」
セティのその言葉に、カイウス様が小さくうなずいて私を見た。
「ジゼル、今の魔法陣の詳細について知っているのは、ルルたちだけなんだよな?」
「はい。魔法陣の形は覚えてるので、これから分析していこうとは思っています」
カイウス様は足元に集まっていたウサネズミたちを眺めてから、きっぱりと言い切る。
「ここでジゼルが帰還の魔法陣を使ったことは伏せておこう。ルルの知性といい、下手に知られたら大混乱になりそうな事柄が多すぎる。公表するなら、ジゼルがある程度分析を済ませてからだな」
「それでは、この状況をどう言いつくろいましょうか」
セティが心配そうに、運動場の出入り口のほうを見ている。今誰かがここにやってきたらどうしようと、そんなことを気にしているようだった。
しかしカイウス様は、少しも悩むことなくあっさりと言葉を返してきた。
「だったら『俺たちがみんなで必死に応戦していたら、ドラゴンが勝手に逃げてった』ってことにすればいいだろう。空高く舞い上がっていったから、どっちに逃げたのかは分からない。この言い訳で押し通すぞ。いいな」
その言葉に、私とセティ、ルルとウサネズミ一同が一斉にうなずく。スライムも大きな体をぷるぷると揺らして、同意を表しているようだった。
そんな私たちを見渡して、カイウス様が明るく笑う。
「よし、これで一件落着、と。……どうしたセティ。何だか顔が暗いぞ」
「……ぼくももう少し、役に立ちたかったです」
機械弓を見つめて、セティが深々とため息をついている。
スライムが体の一部を細く伸ばして、彼の肩をぽんと叩いた。ウサネズミたちも、セティの目の前で整列してぽんぽん跳ねている。みんな、彼のことを励ましたいらしい。
「何言ってるんだ、お前も役に立ってたじゃないか。いい弓さばきだったぞ」
「でもぼくの機械弓では、ドラゴンに傷一つ負わせられませんでした。……やっぱり、もっともっと威力を上げたものを作らないと……設計図は、もうできているし……」
「おい、落ち着け。それより威力を上げるって、そんな物騒なものを持ち歩く気か? 見たところその機械弓は、既にそこらの騎士の剣より強いぞ。今回は相手が悪かっただけで」
「ですが、また似たような目にあわないとも限りません。今回は、カインさんが来てくれたからいいようなものの……」
いつになくセティは強情になっている。普段の彼なら、この辺りで引き下がるのだけれど。
そんな彼に、カイウス様が静かに言った。
「ジゼルを守りたいってのは分かる。でもな、力ばっかり追いかけてもろくなことはないぞ。そうやって滅んだ人間が、国が、どれだけあると思ってる。……だからこそ俺は、帝国を変えようとしてるんだよ」
とても小さな最後の言葉に、思わずこぶしをぎゅっとにぎり込む。
前世の私、女王エルフィーナも、力を求め続けた先王の後始末に失敗して死ぬことになった。そのことを、思い出してしまったから。
「そもそも俺は、お前の知恵と勤勉さを買っているんだ。そんなお前を戦いに放り込むなんて、宝の持ち腐れじゃないか。なあ?」
「でも……それでも、ぼくは強くなりたいって思ってしまいます……これって、間違いですか?」
「それは自分で考えたほうがいい。他人の答えは、お前の答えじゃない。参考にしかならないさ。ただ、そうだな……」
すがるような目をしたセティに、カイウス様は鮮やかに笑いかけた。
「自分の望みは何なのか。目的は何なのか。そこのところをしっかりと忘れずにいれば、たぶん何とかなるんじゃないか? 根拠なんてないけどな」
「……ありがとうございます」
そう言ってセティが、ぺこりと頭を下げた。その幼い顔に、ようやく笑みが戻っている。
スライムとウサネズミたちが、よかったと言わんばかりにはしゃぎだした。それを見て、カイウス様が晴れ晴れと笑う。
セティはたぶん、しばらく悩むんだろうな。でもきっと、ちゃんとした答えにたどり着けると信じてる。前世の私の父、妄執に取りつかれたあの先王とは違うんだって。
と、カイウス様が耳を澄ませるような顔になる。それから、ちょっとあわてた様子で頭をかいた。
「あ、まずい。騎士団が来ちまうな。さっさと逃げたいところだが、出口は一つきり…………だったらいっそ」
そう言って、カイウス様はすっと胸元に手を当てる。
次の瞬間、黒かった髪は美しいエメラルドグリーンに、青い目はきらきらとした金色に変わった。彼の、本来の姿だ。
生き生きとしていた軽妙な表情も鳴りをひそめ、堂々たる威厳に満ちた笑みがその顔に浮かぶ。
たったそれだけのことで、『学園の研究生カイン』は『帝国の若き皇帝カイウス』へと姿を変えていた。
ちょうどその時、騎士たちが運動場になだれ込んできた。やっと、他の場所の騒ぎが片付いたらしい。
しかし彼らは、目の前の光景を見て立ち止まった。
ウサネズミたちこそ身を隠していたけれど、運動場の真ん中には大きなスライムがどっしり構えている。そしてその横にいるのは、初等科の子供二人。しかもなぜか、皇帝までいる。
「へ、陛下!」
「どうしてこのようなところに!」
剣を抜いたままだった騎士たちは大いに驚いたようだったけれど、すぐに流れるような動きで剣をさやに収めた。そして一斉にひざまずき、顔を伏せる。
ええっと、私たちもひざまずくべきなのかな。そう思った次の瞬間、カイウス様がにやりと笑って片目をつぶってきた。そのまま立っていろ、と身振りで示している。
それからカイウス様は、ゆったりと彼らに向き直った。
「面を上げよ。我は、学園で騒ぎが起きていると聞き、こうして足を運んだ」
その言葉に、騎士たちの間に動揺が走った。それも無理はない。
さっきカイウス様が話していたことを思い出す。最悪の場合、私たち初等科の子供は見捨てられる。それが古くからの帝国の考え方なのだという、そんな話を。
「学園の子らは、帝国の未来を背負う宝だ。我は皇帝として、その子らを守りたい。そう思っただけだ。騎士や魔導士たちには及ばずとも、我も戦えるゆえにな」
騎士たちの顔が一斉に引きつった。その気持ちはとてもよく分かる。皇帝がじきじきに危険な場所に出てくるなんて、まずありえないのだから。
「それに、ジゼルとセティが目覚ましい働きをしたゆえ、我は二人を少しばかり手助けするだけで済んだ。怪我一つ負うことなく、ドラゴンを追い払うことに成功したのだ。ドラゴンがどこへ行ったかは分からぬがな」
騎士たちの視線が、せわしなく行きかっていく。
カイウス様のそばに控えている私とセティ、さらにその後ろで誇らしげにぷるぷると揺れているスライムの間で。
明らかに、彼らは戸惑っていた。信じられないものを見る目をしている。
彼らは私が召喚魔法を使うところを見ていないし、セティの機械弓の威力も知らない。だから、当然といえば当然だけど。
そんな騎士たちの様子がおかしかったのか、カイウス様はちょっぴり楽しそうな声で、それでも何とか皇帝らしく言い放った。
「さて、そちたちが来たならちょうどよい。この場の調査及び後片付けを命ずる」
カイウス様は皇帝らしい落ち着いた態度で、騎士たちにてきぱきと指示を与えている。でもその声は、私の耳を素通りしていった。
立ち上がって作業にかかる騎士たち。その中の一人の顔から、目が離せなかったのだ。
ヤシュア。かつて私が女王エルフィーナだった頃、親しくしていた人物。
その人が、駆けつけた騎士たちの中にいた。カイウス様の指示で、動いていた。
前世の私が死んで、もう八年。当時まだ二十代前半の若者だったヤシュアは、年を重ねて落ち着きを増した、立派な青年になっていた。
でも、まとっているのは王国の騎士の鎧ではなく、帝国の騎士の鎧だ。
彼は、あの内乱を生き延びていた。そうして王国が帝国の一部となってからは、今度は帝国の騎士として生きることにしたのだろう。
その生き方自体をどうこう言うつもりはない。むしろ、無事でよかった、今も変わらずに人々を守っているなんて彼らしいと、そんな思いが胸を満たしていた。
嬉しさにこっそりと微笑む私の耳に、震える声が飛び込んでくる。とてもかすかな、消え入るような声だった。
「……ヤシュア……兄さん……ぼくは……ぼく、は……」
そちらを向くと、セティが呆然と立ち尽くしているのが見えた。
いつもは水面のように穏やかな水色の目は、今は冬の湖のように凍てついていた。




